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カラスは桜色の恋をする。
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***プロローグ
桜の花が散る。強い風と共に多くの花びらがくるくる舞うと、桜のカーテンで隠されて君の姿が一瞬見えなくなる。
消えてしまったのではないかと不安になる。
再び姿を見せてくれて僕は安堵する。
落ちていった花びらが造り上げたピンク色の絨毯。とても綺麗で魅力的だったのでそこにぴょんと移動した。黒く艶やかな僕の身体とその絨毯の色はきっと相性が良いと思う。
フワリと花びらが頭の上に乗った。
ブルンブルンと小刻みに身体を揺らして落とした。
僕は美味しそうで儚そうな、その花びらをひとつくちばしに咥えた。ピンク色が大好きな君へ。
翼を広げ、桜の絨毯から足をトンと離した。とても、桜とお似合いな空色と、純粋そうな白色で描かれた水彩画のような空に向かって。
見ていた桜の木が「いってらっしゃい」と微笑んでくれた。
僕は今、カラス。
***第一章 桜の花が開いて*大翔
小さな芽は、花芽か葉芽のどちらかになり、それぞれの道を歩んでいくらしい。
花芽は秋頃までに、つぼみがほぼ完成する。
葉は秋になると休眠を促す植物ホルモンを作り芽に送る。
冬の寒さに耐えられる準備をして、休眠する。冬になり、寒さを感じると少しずつ眠りが浅くなりやがて目覚める。
そして春になって準備が出来たら、花が咲くんだ。
だから、桜は散って終わりなんかじゃなくてそこから始まるんだよ。
と、親切なおじさんが丁寧に教えてくれた。
もっと細かい事まで教えてくれたけれど僕が覚えているのはこんなとこ。僕は鳥の中では記憶力が良い方だとは思うけれど全ては覚えられなかった。その理由はただ興味がなかったからなのかも。
花が開く瞬間。今か今かと待っている。
ひとつのつぼみが、もうすぐ開きそうなのだ。
咲いた姿を見た瞬間、僕は一年間だけという条件で人間の姿になれる。
そして、遂にその時が訪れた。
起きてから見に行くと、朝日を浴びて桜の花がきりっと自信ありげに、ふわっと可愛らしくも見え、とにかく美しい姿で開いていた。
僕は背筋をピンっと伸ばした。
僕が人間になろうと思った理由。
夏の暑い日だった。目覚めると僕は崖の下にいた。それが僕の頭の中にある、一番古い記憶。
それ以前のことは分からない。どこで生まれたのかさえ全く記憶にない。
とりあえず、お腹が空いたから飛んで崖の上に行き、食べ物を探していると、人間の女の子が歩いてきた。こっちを一切見ずに彼女は大きな木に近づいて、ピンク色の花を置いてすぐに帰っていった。
彼女の後をこっそりついて行った。彼女の事が気になったから。
彼女は僕の気配を感じ、振り向くと微笑んでくれた。そして、鞄からパンを取り出し、小さくちぎって手のひらに乗せた。僕はお腹が空いていたのでパクッと口に入れた。
嬉しかったから僕は、食べ物を探している時に偶然見つけた、キラキラした小さいものを、彼女が再び森に来た時、お礼に彼女の前に置いた。すると彼女は拾ってくれて、ポケットにしまってくれた。
それから彼女の家の前に、こまめに行くようになった。行くようになってから暑い季節や雪の降る季節を何度も繰り返した。
彼女は森に行く以外は家の中に引きこもり、決して外には出てこなかった。
人間に変身出来る事になったのは、ある生き物のおかげだった。雪は積もり、街がキラキラしている、クリスマスイブという日。
人間達はそのイベントで盛り上がっていたけど、関係のない僕はいつものように、気になっている彼女の家の中を覗いていた。彼女はひとりで部屋のオレンジ色の暖かい光に包まれながら、ベージュのソファーに座り、薄ピンク色の膝掛けを掛け、静かに、ただ黙々と本を読んでいた。
しばらくして暗くなってきたし、ちょうど彼女が雪のような色のカーテンを閉めたので、そろそろ近くにいる仲間たちの元に戻ろうかなと考えていた時、視線を感じ、ガサッと何かが動く音がした。それは草や木の擦れる音ではない。人のようだけど人ではない。そんな気配。
「誰だ!」
僕は警戒を込めた声で叫んだ。
すると、親子のように見える二人組がキラリと光って現れた。光りすぎて直視出来なかったけれど雰囲気が親子っぽかった。
「お久しぶりね」
母と思われる方がそう言った。
久しぶり? 出会った記憶がない。相手の勘違いなのか。
僕は、僕の記憶の中を巡った。巡っている途中で彼女は再び言葉を発した。
「あなた、ずっとあの女の子を見ていたわよね」
「……気になるんだ」
じっと見られている感じがして、気持ちが窮屈になってきたので目を逸らしながら僕は答えた。
「でしょうね」
彼女の言い方は、何かを知っていそうな言い方だった。そして、どうやら言葉が全て通じているようだった。
「触れたいんだ。手を繋ぐだけでいい」
言うつもりは無かったのだけれど、心で思っていた事を口にしていた。
「繋げばいいじゃない」
「無理なんだ。だって僕は、カラス」
そう、無理なんだ。言葉にしてみて、改めて無理な事なのだと実感した。手を繋ぎたい。こんな風に会話をしてみたい。けれども僕は、人間じゃない。
「うーん……分かったわ! 人間にしてあげる」
「えっ?」
突然何を言い出すんだ。人間になれる訳がないじゃないか。
「ふふっ。それが出来るのよ私は」
心の声が聞こえたのか?
彼女は誇らしげに返事をしてきた。
「でも人間の姿でいられるのは一年間だけ。あと、変身すると記憶が曖昧になるかもなの。どうする?」
突然言われて、僕はすぐに答える事が出来なかった。
「考える時間をください」
「分かったわ。明日また同じ時間にここに来るわね」
約束をして、次の日に結論を出すことになった。
一年間だけ。しかも記憶が曖昧になるかも。どうする?どうすればいいの?
僕の事を心配して、お迎えに来てくれたカラスの姉さんは、無言で頷いた。
気になっているあの子への想いが強くて、割と早く決断することが出来た。
次の日、その二人組に再び会った。
「人間にしてください!」
「いいわよ! でもね、すぐに人間にはなれないの。あそこにある桜が開花して、それを見た瞬間、あなたは人間に変身するわ」
桜? 確か花ってやつだっけ。もう咲いているんじゃないか? すぐに変身出来ると言うことか。
「お願いします!」
僕は人間からしたら強気な鳥に見られているけれど実は臆病で、どうやって彼女は僕を人間にするのだろうと、とても緊張した。
「おっけー!」
母らしき生物はキラキラしたビームを出してきて、僕にそれを当てた。僕は強い光が本当に苦手でビームは眩しくて直視出来なかったけれど、ちょっとコツンとする感触だけあり、痛みは全くなかった。
「ふぅ、久しぶりにこの技使ったわ。終わったわよ! 後はあそこにある桜が開花する時に変身出来ると思うわ」
「桜、見てくる!」
僕は走った。咲いているだろうからすでに僕は人間になっているのかも知れない。そんな気持ちで走った。桜の木にたどり着いた。
……何も変化はなかった。
まだ咲いていなかった。
仲間たちと集団で固まって寝ている。ねぐらの位置が女の子の家と桜の木にとても近いのが幸いだった。いつでも気軽に見に来る事が出来たから。
早朝、桜の木をいつものように眺めていた。すると、少しでも雪がその木に積もると、それを下ろしに来る人間のおじさんが話しかけてきた。
「毎日桜の木を見ているよね。君も好きなのかい? ちなみにこの子は僕が大切にしている子だよ」
そのおじさんは、僕の姉さんが僕を見つめるような、とても優しい眼差しで桜の木を見上げた。そのままの表情で僕を見た。
「もしかして咲くのを待っているのかい? この辺りは五月。うーん、カラスくんに何月かを言っても分からないかな? 雪が解けて温かくなって来た頃だね」
――そっか、じゃあ、まだか。
「そうだよ。咲く頃になったらまた教えてあげるよ」
おじさんは僕の心の声の返事をしてきた。
最近、僕の心を読めそうな生物と出会う。
雪を踏む人間の足音が聞こえてきた。僕は人間の足音がすぐに分かる。
「えっ? おじさん、手袋してないの? 俺の使って。手、冷たいしょ」
身長が高めでほっそりした体型の若い男の人が手袋を脱ぎながら歩いてきた。年齢はそのおじさんの息子でも違和感のないくらいだと思う多分。
よく見かける人だけど、いつも遠くから見ていたから近くで会ったのは初めてだった。
「いいのかい? 準備はしてたんだけど、玄関に置いてきちゃったんだ。戻るのが面倒で」
「いいよ。どうせ車に乗るし」
「その為にここに来てくれたのかい?」
「あのね、これ、渡そうと思って。お菓子の試作品作った」
その男の人はカップケーキがふたつ入った小さくて透明な袋をおじさんに渡した。
一瞬、その人がこっちを見てきて、目が合った。何故だか、その瞬間、黒い塊が乗っかったかのように心の中が重たくなった。
彼は、すぐに僕から目を逸らし、おじさんに茶色の革の手袋を渡すと車に乗って、何処かに行った。
「そうだよね、手袋ないと寒いよね。この子の事になると寒さも忘れちゃうよ」
それから少しして
「風邪をひかないようにね!」
と、僕の頭を撫でながらそう言うと、家に帰って行った。頭を触れられても不快ではなかった。なんだか懐かしい感じがした。
人間になるカウントダウンが始まった。
つぼみが育っている。
少しずつ、少しずつ。
僕がいるタイミングを見計らってくれているかのように、おじさんが毎回タイミング良く現れ、桜は今どんな状態なのか、丁寧に教えてくれた。
「ありがとう。桜を見に来てくれて。この木はとても大切な思い出が詰まっているものなんだ」
僕は、もし本当に人間になれる事が出来て、このおじさんに質問出来るようになったら
『どうしてそんなにその桜を大切にしているの? 食べられるわけではないのに』
って質問をしてみようと思っていた。
遂に、開いている桜の花をみた。
ぐるぐると目が回った。少しずつ自分の意識がなくなっていくのが分かる。頭の中で白と黒が渦巻いている。僕の意識は完全になくなった。
意識がなくなる瞬間、誰かが僕のことを覗き込んでいる気配がした。
しばらくして目を覚ますと、建物の中にいた。何かに包まれながら僕は横になっていた。暖かい。とても心地がよかった。
目の前がぼやけている。少しずつぼやけていたのが収まっていくと、おじさんが目の前に立っていた。
「いやぁ、びっくりしたよ!」
目を合わせるなりいきなりおじさんは目を丸くしながら僕にそう言った。
「?」
僕は、何故こんなところにいるのだろう。
あっ! すぐに思い出した。
開いた桜の花を見たら倒れたんだ。
「だってさ、僕の目の前でカラスが人間になったんだもん」
見られていた? いや、それよりも今の僕は……。
まずは手を見た。指を動かしてみる。
うん、これは人間だ。
「まさか、本当に人間になれたなんて」
見える景色が違った。カラスの時よりも見える色がシンプル。今まで眩しく見えていたものが暗く見える。それに慣れるのには少し時間がかかった。
改めて自分の全身を見ると、今までは黒い羽毛に覆われていたけれど、今は何も着ていなくて変な感じがした。人間は、いつも何かを着ている。
何も着ていないのが何故か恥ずかしいなと思っていると
「とりあえず、服着ようか。ちょっと待っていて?」
おじさんは、部屋を出ていった。
しばらくしていると黒いシャツと黒いズボン、下着を持ってきてくれた。
「カラスだったから、黒い服が良いのかなって思ってね」
僕は、こそこそと包まれた布の中で着替えた。サイズがピッタリだった。
「うん、似合う似合う」
その時、僕のお腹がなった。
「お腹空いたよね? おいで! あ、とりあえずみんなにはカラスだったって事、内緒にしておいた方が良いかな?」
僕は、こくんとうなずいた。
「おぉ、人間の話す言葉が分かるんだね!」
僕は何で分かるんだろう……。人間になったから? でも、カラスの時もおじさんの言葉が分かった。何か別の理由?
外に出て、おじさんの後を着いて行った。建物の中に入るとテーブルがあちこちにある。
僕がずっと気になっていた女の子がいた。彼女は、四人がけのテーブルの席に座りながら、僕の目をじーっと見つめてきた。彼女は言葉をひと言も話さなかった。
もうひとりいた。雪の時期におじさんに手袋を貸していた人。その人は立ちながら僕の事を隅から隅まで、舐めまわすように見ていた。
おじさんのいる方向から、とてもいい香りがした。お腹が鳴る。おじさんは食べ物を持ってきた。
「焼きたてのパンだよ!」
四人同じテーブルの席に座った。
おじさんと僕が隣になった。
一口食べてみた。温かい。ふわっとした感触。お皿の上には色々な形のパンが五つあって、全部綺麗に食べた。
「どうしようね、一緒に暮らす?」
他に住む場所なんてなかったし、人間として暮らす為には、カラスとして生きていた場所を捨てなければならない。
「少し待ってて貰えますか?」
僕は外に出た。
やっぱりいた。カラスの僕の姉さん。
微動だにせず、こっちをじっと見つめている。しばらくすると、頷いて飛んでいった。
一年後はどうなるのだろう。カラスに戻ったら、再び姉さんと会話が出来るのだろうか。
姉さんは、いつも僕を見守ってくれていた。その優しい眼差しで。
***第二章 恋の花ひらりと*大翔
おじさんは、僕の事を“ 道に迷って、帰り道が分からなくなっちゃった人 ”って設定にした。その説明をふたりにしてくれて、僕を家に置いてくれた。無理がある設定だと思ったけど、ふたりはすぐに納得していた。
おじさんの名前は花丸木さん。気になって見ていた女の子のお父さんだった。
そして、毎日見ていた女の子の名前は“ 咲良 ” だった。僕が変身する時に見た“ 桜 ” と同じ名前。偶然なのだろうか。
僕をまじまじと見てくる男の人の名前は蓮れん。花丸木さんが経営しているカフェで毎日お手伝いをしていた。
咲良と最初に会話をしたのは、僕が人間として暮らし始めてから三日たった時だった。
僕は、朝、ビニールプールを膨らまし、水をたっぷり入れた後、服のまま中に入っていた。
「えっ? 何をしているの?」
彼女は不思議そうな顔をして、リビングの大きな窓を開け、覗き込んできた。
「えっ? 水浴びだよ! こういう事、やらないの?」
「私はやらない。でも楽しそう」
咲良は外に出てきて、僕と同じように服のままビニールプールに入ってきた。肩まで入って、黒くて長い髪の毛まで濡れている。
「ちょっと寒い」
彼女はそう言って笑った。笑顔を初めて見た。
すごく可愛くて、胸の辺りがぎゅっとして、ほかほかした。この感じは何なのだろうか。
この事がきっかけで仲良くなっていった。
咲良は今も、家の中にいるか、家の周りをさまようだけだった。
「咲良は、みんなみたいに、あちこちどこかへ行ったりしないの?」
僕が質問すると、彼女は
「行けないの。怖いの。きっと私は外の世界が合わないの。ただそれだけ! それにみんなじゃないよ! 他にも沢山、私みたいな人いるよ、きっと」
と、なんだかほつれてしまいそうな表情で言っていた。
また、胸の辺りがぎゅっとした。今度は痛かった。
彼女は、外の世界が合わないって言っていたのに、タブレットというものの中にある、インターネットで、外の世界の、例えば花がいっぱい咲いている映像を流していたり、空だけが写っている写真らを日々沢山眺めていた。
それを僕は隣に座って、静かに、邪魔をしないように見つめていた。タブレットの世界も見ていたけれど、隣の咲良の表情ひとつひとつが気になった。
普段あまり変わらない彼女の表情はころころと変わっていた。
ふと視線を感じたのか、彼女がこっちを見て、口角をきゅっとあげた。
僕も、咲良の真似をして口角をあげた。
彼女が毎日眺めている世界に似ている場所を知っている。
一緒に行きたい。
花が沢山咲き始めた季節、公園の前を通ると、ある親子がいた。聞き覚えのある声。僕を人間にしてくれた親子だ。
あの時は光りすぎて姿が見えなかったけれど、人間に似ている姿をしていた。髪はそれぞれ母親と思われる方は銀色で腰ぐらいまで長く、金色の花の髪飾りを、子供の方は金色で耳より少し下の長さで銀色の花の髪飾りをつけていた。そしてお揃いの全体が白くて、腰周りがピンク色のリボンがついた袖のないワンピースを着ている。
声をかけようか迷っていたけど、かけてみた。
「これ…もって…かえ…る」
「持って帰るっていっても、私、新婚旅行の時、お花切ってあるのを買って持って帰ったんだけど、着いた頃には枯れてしまっていたのよ」
子供はとても大きな円型の花壇にぎゅうぎゅうに沢山植えてある赤やピンク、黄色などの花達をどうやら彼女たちの住む星に持って帰りたいらしい。
何か僕に出来る事ないかな……。
あ、そうだ!
「ちょっと待ってて! 変身させてくれたお礼に、カラス時代から知っている人でお花に詳しいかたが近くにいらっしゃるから連れてきてあげる」
花丸木さんに相談してみようと思って家に戻り軽く説明すると、会いたいと言うので一緒に公園に行く事になった。彼は母親から星の環境など詳しく話を聞くと歩いて家に戻り、しばらくすると軽トラックに乗ってきた。
「これ、うちの花から取れた種。余ったのあげる。その環境なら育てるの大丈夫そうだしね。元気に育ったらこの子たちに会いたいなぁ。僕が育てた子達の遺伝子がその星で……」
花丸木さんは育てやすい可愛いマリーゴールド、向日葵、コスモスなどの名前が袋に書いてある花の種を七種類と、更に肥料、必要な道具、そして花丸木さんの家の畑のふかふかしてとても良い土を大量にユーフォーに積んでいたから僕も手伝った。
「切った花は星に着くまでに枯れてしまうかも知れないけれど、種ならそっちで蒔けば良いから大丈夫。あと、これはそのまま畑に植えればよいよ」
更に長ネギ、ピーマンなどのポット苗も渡していた。
「あ、これももしよろしければ! 僕が書いた本ですが。僕は人前で話すのが苦手でして。でも花の良さを大勢のかたに伝えたく、この本を出したのです。花の種類や育てかた、心の通わせ方も書いてあるから役に立つかと……」
花丸木さんは “ 僕は花を愛するために生まれた ” という題名の本も渡していた。
花がらをこまめに摘んだら長く花が咲いてくれる話や、水をあげるタイミングなど、豊富な知識も教えていて、僕は全く覚えられなかったけれど、母親はとても真剣に話を聞いていた。
子供はとても満足そうな笑顔になり踊っていた。
「星に帰って種を蒔いてみよっか」
「うん」
子供は笑顔でうなずいた。
「じゃあ、またね! カラス、花丸木さん!」
「変身させてくれてありがとー!」
「僕の花の種よ、苗よ、あっちの星で咲き乱れろー!」
親子は、星に帰って行った。
「地球以外に花が沢山咲くのかもしれないね。嬉しいね。楽しいね。あ、あの子にも見せたいな」
「ねぇ、大翔、お願いあるんだけど、家の桜の枝、鉢植えに挿し木する準備、手伝ってほしいんだ」
花丸木さんはうきうきしている様子だった。
暑くなってきた時期、彼女はあるものばかりをインターネットで見ていた。
それは、空に浮かぶ色とりどりの輝く花が写っているもの。彼女はそれを花火と言っていた。
何だかそれをリアルで見た事がある気がする。でも思い出そうとすると頭が痛くなる。だから思い出そうとするのを辞めた。
「ねぇ、花火見に行かない?」
「えっ?」
彼女から初めて誘われた。
頭が痛くなるのは、きっと気のせいだ。断る理由なんてなかった。むしろ彼女と家の中やこの辺りではない、別の場所へ行ける事にわくわくした。
後から後悔するなんて、その時は全く思わなかった。
「どう? 大丈夫?」
咲良はひらりと一回転した。白地に桜の花びらが舞っているデザインの浴衣を着ていた。くるっとした時、本当に花びらが舞っているみたいだった。
「好き……」
「えっ?」
僕の顔は熱くなった。心の中に留めとけば良い言葉を発してしまった。とても可愛かったから。今すぐに抱きしめたいくらいに。
同時に彼女の顔も紅色に染められていった。
「あっ、この咲良の浴衣がだよ!」
慌てて嘘をついてしまった。そんな嘘、つかなければ想いが伝わっていたかもしれないのに。確かに浴衣も可愛いけれど、浴衣を含めての咲良が可愛い。
「ふふっ。浴衣でしょ? 分かってるよ! 嬉しい! 頑張って着て良かった! 帯が特に難しかったんだ」
今、ふわふわと春色の可愛い花達が周りに飛んでいるような、そんな気持ちだった。
胸が再びぎゅっとして、そこからじわじわとピンク色が身体全体に広がっていく感じがした。
「大翔ひろとが着れる浴衣もあるよ」
花丸木さんは鼻歌を歌いながら灰色の浴衣を着せてくれた。
「いってらっしゃい! 気をつけてね」
僕は咲良と目を合わせると微笑み、同時に頷いて、外に出た。
まだ外は明るくて、ふたりで夕陽の光に包まれながら、公園のベンチに座って、暗くなるのをゆったりした気持ちで待っていた。
その時間さえも、愛しい。
外が暗くなり、会場の近くに移動すると、人がごちゃごちゃしてきた。一番綺麗に見えると評判の場所は物凄く人で溢れていたので、すいている場所を探した。花火が綺麗に見える良い場所を知っている。探している途中からそんな気持ちになって、身体が勝手に進んでいった。
「ちょっと待って! そっちは全く見えないよ」
二歩ぐらい後ろを歩いていた咲良が止めようとしてきた。
「大丈夫。今から行く場所は、なんだかよく分からないけれど、綺麗に見える気がするんだ」
森の中に入った。更に進んでいくと、木と木の隙間からとても綺麗に花火が見えそうな場所があった。ふたりで並んで立つ。
まだ始まらない。誰もいなくて、さらさらと風の音だけが聞こえてくる。隣には咲良がいる。
そっと手を差し出した。すると彼女はふわっと僕の手を握ってくれた。
ずっと手を握っていたかった。カラスの頃からずっと手を繋ぎたかった。夢がひとつ叶った。
「これが幸せかな。こうやって、手をつないで温かい気持ちになって、話も出来る。そして、空に綺麗な花が咲く瞬間を一緒に見ることが出来る。世の中の事を見ていると、それは当たり前の事なんかじゃなくて、奇跡に近いの。大翔のお陰で、今の幸せを知る事が出来た」
咲良はこっちを見て、優しく微笑んだ。
僕も自然に笑みが溢れてくる。
「僕も、咲良のおかげで色んな事を知れたよ。ありがとう」
そう、人間になってからの心に響く、感情というものを。人間の言葉とか、行動とかは何故かずっと知っていたけれど、胸が痛くなったり、きゅんとしたり。
咲良の手を、強く握りしめた。
花火が打ち上がる音がした。空を見上げると綺麗にキラキラと輝いていた。カラスの時は、明るく見えすぎて、人間達が懸命に見上げる理由が分からなかった。人間になってから見ると、それはとても綺麗に輝くカラフルな空の花だった。人間が見える世界と、カラスの見える世界。こんなにも違うのだな。
綺麗さを知ったのと同時に、頭が痛くなった。そして一気に記憶が落ちてきた。輝き終わり、空の花達が消えていくのと同時に。
その落ちてきた記憶は、僕がカラスになる前までの記憶もあった。
僕は繋がりがあったのだ。
咲良や、蓮、花丸木さんまでも……。
***第三章 花火で気持ちが散り*咲良
繋がっていた大翔ひろとの手は離れていった。横目でちらっと見ると、彼は何ともいえない顔をしている。眉間にしわを寄せて、花火を眺めている。空で色鮮やかに燃える花火は瞳に映っているのだけど。見ているけれど見ていない。そんな感じ。心はどっか遠くにあるように感じた。
「大翔……?」
普段呼ぶとすぐにこっちを見てくれるのに……。視線を花火に戻した。隣には大翔がいるのに、いるはずなのに、ふたりの間には透明な壁があるようで、なんだか私はひとりで花火を見ているみたいだった。
花火の途中で彼は視線をこっちに向けた。
そして、いつもとは違う強めな声で私に言った。
「ちょっとだけ、ひとりになりたい」
彼はそう言って森の中から出ていった。私は後を追った。けれど彼は、人混みの中に溶け込んで、溶け込みすぎて、見えなくなった。
「待って!」
ただ消えてゆくその姿を私は呆然と見ていた。引き止めないと!って思い、声を出した時にはもう遅かった。
どうしよう。もう会えない気がした。
花火の音も、人混みも。景色全てが怖くなった。
――さっきまで平気だったのに。
いけない。このままじゃあ、私、この夜の暗闇のように心がなってしまいそう。外に出るべきじゃなかった。とにかく怖い。ふらふらしながらさっきまでいた場所に戻った。頭が真っ白になっていて、立つことさえ出来なくなった。座りながら目を瞑り、頭を抱えて下を向く。もう上を向くことが出来ないかも、私このまま沈んでしまう。
よりによって、あの時の記憶がこのタイミングで、鮮明に頭の中に映し出された。
彼ではない、別の人の事なのに。
*回想
私が十歳の時。今から八年前に幼い頃から一緒に暮らしていたある人が亡くなった。私と同じ歳で、大翔と同じ名前の彼が。
私と蓮、そして彼。一緒にいられる時はいつも三人一緒にいた。学校が終わると、大人に見つからなくて、快適に過ごせられる、当時の私からしたら絵本のお城のような存在の秘密基地で過ごしていた。
事件は突然、足音もせずに起こった。
今日と同じ、花火大会の日だった。
ちょうど木と木の間から花火が綺麗に見る事が出来る場所があった。秘密基地のすぐ近くで誰も来ない場所。そう、今日来たこの場所。
私が花火に夢中になっていると、二人が消えた。
花火が終わってもふたりが見当たらなくて、探していると蓮の姿を発見した。崖の下を見ていた。気になり、一緒に覗き込むと大翔が落ちてこっちを見ていた。
「えっ? どうしたの? 助けないと」
「行くぞ!」
無理やり私の手をとると、蓮は帰り道の方向へ走り出した。
「ねぇ、大翔は?」
何度も走りながら聞いたけれど、彼は、ぶつぶつと独り言を言いながら、とにかく私の手を必死に引っ張り走っていた。
思い出していると、こめかみ辺りが痛くなって、耳鳴りがした。
「……! 咲良!」
あっ、誰かが呼んでいる。
「大丈夫?」
聞き覚えのある声。ぱっと顔を上げると目の前には、蓮がいた。
「何故ここにいるの?」
「えっ? あぁ、俺も花火見ようと思って。もしかしてここにいるんじゃないかな?って思ったら咲良がいた」
あぁ、良かった。ひとりじゃない。現実世界に帰ってこれた。いや、そんな事よりも伝えなければ。一回深呼吸して気持ちを落ち着かせてから私は蓮に伝えた。
「あのね、大翔が突然いなくなったの。いつもと様子が違ったから心配で」
蓮はお父さんに連絡した。
「花丸木さんも今すぐ来るって!」
彼は私の手を優しく掴んだ。そして立ち上がらせると、手を掴んだまま歩き始めた。
さっき思い出した光景と似ている。違うのは、今度はこっちの大翔がいなくなったのと、蓮が私の手を優しく引っ張っている。
蓮に手を引かれ、森を抜けた。まるで迷路のような人混みの中も抜けて、駐車場についた。車の助手席に座る。整っていた浴衣の腰あたりが少し乱れている。けれど一生懸命何回もやり直し、時間をかけて結んだ帯は崩れずに整ったままだった。
「とりあえず、咲良の気持ちが落ち着いてから、車で近くを探そう。花丸木さんも探すって!」
優しく微笑んでくれた。
私は頷くと、彼に聞きたかった事を聞こうか迷っていた。忘れようと必死にしていた記憶。都合の悪いことなんて忘れたふりをしてしまえば良いと思っていたから。でも、最近それがただ逃げているように感じてきて、逃げてしまえば楽だけど、ただ逃げていれば良い事なのか、疑問になった。
「あの日、亡くなった大翔と何があったの?」
ここで質問しないと、もうタイミングが見つからないままな気がしたから、勢いで聞いた。すると、缶コーヒーを飲もうとしていた彼の手は止まりこっちを見た。
「気になるよね」
「あの日、咲良が花火に夢中になっている間、俺達は花火に飽きて森の中をさまよっていたんだ」
蓮は車のエアコンを全開にし、話を続けた。
「奥に進むと、いつも落ちないように気をつけている崖があるしょ? 軽く押したつもりだったのに、落ちてしまったんだ」
「えっ? 蓮が落としたの……」
「本当に、落とすつもりはなかったんだ。そして、逃げた」
「……」
「落としたはずなのに……」
話の途中で窓をノックする音がした。お父さんがいて、蓮は窓を開けた。
「いたよ!」
そう言うとお父さんは大翔の元へ再び向かった。
「咲良、大翔いたって!」
「うん、聞こえてる……」
「とりあえず、大翔の所いこっか」
「うん」
大翔はさっき、私を睨んでいた。再び彼と顔を合わせる事に乗り気ではなかったけれど、とりあえず着いていった。
大翔の背中が見えた。背中が、話しかけるな!と語っているようだった。
「蓮、私先に帰るね。」
「えっ?」
「疲れたから、色々と」
「じゃあ、俺も帰る」
お父さんと何か話している大翔。彼が振り返る事はなかった。
その日は帰ってこないで、次の日の朝
「ちょっと僕達、旅に行ってくるね」
ってお父さんからのメッセージが蓮に届いて、私達の目の前からふたりはいなくなった。
少し前までの、一瞬の幸せな時間はいったい何だったのだろう。私は家に閉じこもりながら考えた。まるで、夢の世界の事のような感覚。夢だったのかもしれない。大好きだった大翔に雰囲気がとても似ている彼が家にきてくれた事さえも。
私はずっと、大翔が自ら崖から落ちて、亡くなってしまった。って聞いていた。
車の中で蓮は、俺が落としたって言っていた。
ひとつの嘘が見つかると、その出来事の話、重ね合わせられているものが全て嘘に見えてくる。
「直接蓮に聞いてみるしかないな」
聞いてみよう。怖いけれど。
朝、私は外に出て目的地に向かう。お父さんに頼まれて代わりにカフェを開いている蓮の元へ。
カランコロンと音が鳴る扉を開けると、コーヒーの香りが漂っていて、パンの香りと交わりあっていた。お父さんが旅に出てからは来ていなかったからここに来たのは久しぶり。
ちょうど帰ろうとするお客さんとすれ違った。店の中は蓮以外に誰もいなかった。
「あ、咲良。ここに来るの珍しいね」
彼は微笑んだ。その微笑みも今は嘘に見えてくる。
「ねぇ、ちょっといいかな? こないだ車の中で話していたことなんだけど……」
***第四章 紅葉も花みたい*大翔
気がつけば、僕は花丸木さんと旅行に来ていた。何故こんな事になっているのかというと。
花火大会の日、ひとりになりたかった僕は咲良から離れ、人混みに入っていった。しばらくしてから崖の前まで行き、座っていた。
「大翔ひろと!」
花丸木さんが息をきらして走ってきた。
「大翔がいなくなったって電話が来て、慌てて来たよ。とりあえず、蓮れん達に見つけた事話してくるから、ここにいな、ねっ! 動いたら駄目だよ」
花丸木さんは風のように来て、風のように去っていった。
ぼんやりしていると再び戻ってきた。
蓮と咲良もいる気配がしたけれど振り向きたくなかった。顔を見たくなかった。
花火で全てを思い出してしまった。
僕をこの崖から落として、笑いながら見下ろしてきた蓮の顔と、ただ呆然としながら見つめてくる咲良の顔。
「何故、この葉っぱ達が紅く染まっているのか知っているかい?」
「うーん。分からないなぁ」
「簡単に言うとね、木を守る為なんだよ」
今、僕と花丸木さんは温泉があるホテルに泊まりに来ていて、紅葉を眺めながら蟹や野菜など沢山の種類が入った栄養バランスの良い鍋を食べていた。
目の前に見える葉っぱが紅く染まる理由もきちんとあるのに、僕は今、人間として生きている理由が分からない。
ふと、カラスの時、花丸木さんに質問してみたい事があったのを思い出した。
花丸木さんは、花をとても大切にしているけれど、特に僕が人間になる為に見ていた桜を大切にしていた。
「花丸木さんは、どうして僕が毎日見ていた桜を大切にしていたの?」
カラスの時は「食べられるわけではないのに」って言葉も添えようと思っていたけれど辞めた。人間になって暮らしてみて、少し理解出来た気がしたから。
すると花丸木さんから、僕の知らなかった真実をいくつも聞かされた。
「話せば長くなるんだけど、良いかな?」
「うん。聞きたい、です」
「それ以外の話も聞いて欲しいんだ」
花丸木さんは箸を置いた。
「あの桜ね、僕が愛している人なんだ」
「ん?」
突然何を言い出すんだ、花丸木さん。
「あ、いきなりそんな事を言っても訳が分からないね」
僕は素直に頷いた。
「きちんと言葉を直すと、僕が愛していた人が大切に育てていた桜の木なんだ」
花丸木さんはその愛していた人の事を“ 花ちゃん ” と呼んでいた。実際の名前は夢菜さんというらしいのだけど。物凄く花が大好きな女性だったから、そう呼んでいたらしい。花丸木さんと花ちゃんは親のいない子達が集まる施設で育った。血は繋がってはいないけれど兄妹のように。
「お互い施設を出た。そして、再会した時、彼女は僕の息子と同じ年齢の、一歳の女の子を連れていた」
花丸木さんは目を細めた。
「綺麗になっていて、強くなっていて。僕は彼女に惚れた。昔から良いなとは思っていたけどね。僕達はあっという間に恋に落ち、お付き合いを始めた。そしてすぐに、今住んでいる家を買った」
「あの家、庭大きいよね。花植えるため?」
「そう、花ちゃんにどんな家が良いか聞いたら、大きくなる桜の木も、他の花も育てられるくらいの、庭が広いお家が良いなって。ちょうど良い土地が見つかって良かったよ」
ちなみに、ほんの少し離れた場所にも花丸木さんが所有している土地があり、そこに桜の木が植えられている。
けれど、花ちゃんは娘が六歳の時に亡くなった。
「もしも私がこの世からいなくなったら、この子をよろしくお願い致します」
自分が生きられる時間はあとわずかしかないのだと彼女は知っていたから、そんな発言を繰り返ししていたのだと、結構後に花丸木さんは知ったらしい。
「もっと早くに教えてくれれば、彼女の余命を知っていれば、もっと何か、彼女の為に出来たかも知れないのに……。いや、出来たのかな?」
花丸木さんは語りながら考えていた。
「僕は彼女のおかげで興味のなかった花が大好きになった。そして花の知識を彼女に伝えれば、とても興味を持って喜んでくれるから、僕は花の事を沢山調べて、とても詳しくなっていった。彼女の夢は花の美しさを沢山の人々に伝える事だった。だから僕は彼女が亡くなってから、彼女の夢を叶えたくて、花に関しての本を書いた。夢を語る時の彼女はとても美しくて、真剣で。こんなに綺麗な花達が見られない世界や星はもったいない。届けて見てもらいたいね! なんて話もしていた」
「もしかして、花ちゃんって咲良のお母さん?」
「そうだよ。咲良は花ちゃんが産んだ子。そして僕が今育てている」
咲良と血の繋がっていた父親は花ちゃんに対して言葉の暴力が酷くて、そういうのは見ているだけで子供の心の発達や将来に悪影響を及ぼすからって、結婚せずに未婚のまま母になる事を決意したらしい。
「あと、思い出したんだけど、花丸木さんって僕のお父さんだよね?」
花丸木さんは男手ひとつで僕を育ててくれたお父さんだった事も思い出していた。
ちなみに、花丸木さんは、産後の奥さん、つまり僕の産みの親を置いて長い一人旅をしたり、マイペースすぎて、あなたの事が分からない!と言われ奥さんに出ていかれたらしい。今は色々反省していると言っていた。
花丸木さんと花ちゃんは、再会してすぐに愛し合い、僕と咲良の事も愛し、幸せなひと時だったらしい。花ちゃんが亡くなってからも、子供達を愛し、そして子供達から愛されていたから生きていられたのだと彼は言った。
「そう。ちなみに息子のあなたを、カラスの姿の時もずっと見守っていたよ」
「えっ? どういう事?」
「八年前、大翔がいなくなった次の日、蓮が前日に起こった事を話してきて、僕ひとりで見に行ったんだ。そしたらもう既にカラスになっていた。生きていたんだ」
「えっ? 僕だって分かったの?」
「うん。僕が畑セットを渡した二人組のお母さん、その時、傍にいたんだよね。その時はご夫婦で新婚旅行に来ていたみたい。彼らが命の消えそうな大翔を見つけて、元気なカラスにしてくれたらしく。詳しく説明してくれたよ」
花丸木さんは大きなため息をついて、下を向き早口で再び語りだした。
「息子をこんな目に合わせた蓮の事が許せなかった。あいつは後悔している様子だったけれど、蓮には大翔がカラスになって生きている事を言わなかった。後悔して苦しんでいるようだからずっとこのまま苦しみながら生きていけばいいと思っていた。償わせてくださいって言ってきたから、カフェの手伝いしてくれたら、それで大丈夫って、善人の顔して僕は言った。そして毎日会う度に、大翔との幸せだった頃の話を彼にして、毎日罪に意識を向けさせた。警察に捜索願いを出し、探してもらいながら、僕は知っていたんだ」
花丸木さんはこっちを向いて言った。
「僕は悪い大人だよね」
次々と来る情報のせいで、気持ちの整理が追いつかず、僕は何も返事が出来なくて、紅く染まった葉に視線をやった。
「大翔が人間の姿に戻ってくれた時は、本当に驚いたよ。しかもあの桜の花ちゃんの前で」
彼は桜の木の事も “花ちゃん ”と呼んでいた。
大切にしている理由、分かった。
「あの瞬間は、花ちゃんが息子に魔法をかけてくれたのかと思ったよ。しかも一緒に暮らせる事が出来たし。ちなみに今家にある、大翔がぴったりな服も、花火大会の時に着た浴衣も、大きくなった姿の大翔を想像して花ちゃんと一緒に準備していたんだよ! 咲良の分もね! サイズピッタリでよかった」
想像しただけで、心がじんわりしてきた。
「そういえば僕ね、カラスの時、花丸木さんが話しかけてくれた時、言葉が分かったんだ。人間語なのに。花丸木さんだったからかな」
「元人間だったからじゃない? 人間の時の記憶だと思うな。それより、とうさんって呼んで!」
「うん、とうさん」
ご飯はいつも美味しいけれど、この日のご飯はいつもより美味しく感じて、普段はそんなに沢山食べれないのに、足りないと思う程だった。
咲良は今、ご飯を美味しく食べれているだろうか。
気がつけば雪が降っている季節になっていて、北海道を何周もとうさんが運転している車でぐるぐるしている。
気持ちに余裕が出来てくると、周りの人の気持ちが気になってきた。
とうさんは沢山「楽しい」って言葉を言ってくれた。帰りたくないって言ってから、ずっと嫌がらずに一緒に旅をしてくれている。とうさん、そろそろ咲良達に会いたいだろうなぁ。
八年前の花火大会の日、僕を崖から落とした蓮。僕がカラスから人間になってから彼は、本物の兄さんのように、昔よりも僕を大切にしてくれている。
そして、咲良。花火大会の日、いきなり僕が姿を消して、どう思ったのだろうか。
毎日、彼女の事を考えている。泣いてないかな? 笑えているかな? 外に出たりしているの? とか……。
とうさんは、僕の気持ちがこうなる為に一緒に旅をしてくれていたのだろうか。
過去を思い出してからは、何故僕がこんな目に合わないといけないのか? だとか、人間でいられなくなる焦りだとか、悪い感情で押しつぶされてしまっていた。
花ちゃんは最期までずっと周りの事を考えていた。幼い頃の記憶の中では、花ちゃんはいつも優しく僕を見てくれていた。僕は自分の気持ちでいっぱいいっぱいだ。でもせめて、幸せな気持ちで人間を終わりたい。
「とうさん、僕、そろそろ帰りたいな。とうさん手作りのパンを食べたい」
僕はとうさんから電話を借りて、自ら蓮に「そろそろ帰るね」って電話をした。家に戻ったら、みんなに全てを話そう。僕が人間でいられる事に期限がある事も。
桜は四月末から五月の初め頃に花を咲かせる。
僕がカラスに戻るまで、あと半年もない。
家に着いた。久しぶりに戻ってきた。記憶も戻ったから、物凄く懐かしくて、より思い入れのある場所に感じた。
荷物を車から降ろしていると、カラスの姉さんがひょこっと隣に来た。夏よりもふわふわしていた。
「ただいま。姉さん。寂しかった?」
僕はお土産のドングリを姉さんに渡した。ぱくっと咥えて喜んでくれていた。
「とりあえず、帰ってきた事を伝えてくる!」
「分かったよ! 多分蓮はカフェにいるから、僕は荷物家に置いて、少し整理したら行くね!」
姉さんは離れずに、ずっと僕の後を着いてきた。
「姉さん、着いてきてくれてありがとう。僕は中に入るね!」
姉さんが頷いたのを確認すると、カフェの扉を開けた。
***第五章 雪の花が落ちてきて*咲良
花火大会の日から時が過ぎ、雪の降る季節になった。まだふたりは帰ってこない。
毎日考える。大翔は今何してるのかなって。笑っているのかな、困っている事はないかな? そして、私の事考えてくれているのかな?
あの日、手を離した事を後悔している。
無理やり握りしめておけば良かった。
お父さんも大翔もいなくて、なんか物足りなくて、お父さんの代わりにカフェを開いている蓮の元に毎日来ていた。
ちなみに彼らの旅行費は、お父さんの本が売れていて、心配ない。って蓮が教えてくれた。
「なんか、大翔って、亡くなってしまった彼に似てない?」
私はホットミルクを持ってきてくれた蓮に言った。
蓮に以前、亡くなってしまった彼を何故崖から落としたのか聞いた。すると、喧嘩をしていたら落としてしまったのだと答えていた。ひどく落ち込んだ表情をするから、その時はこれ以上聞いてはいけない気がしたのでやめておいた。今も、彼の話題を出すのは良くないと思っていたけれど、気がついたら、私は蓮に質問していた。
「初めて出会った時も思ったけれど、大翔の事を考えているだけで、彼の事を思い出すんだよねぇ。それに、あの私に宝物をくれたカラスもなんか似てる気配する……」
カラスが以前持ってきてくれた角が丸くなっているエメラルドグリーンの小さなガラスの破片をポケットから出し、テーブルの上でいじった。私は小さな頃からピンク色のものが好きだけど、この色がとても気に入っていた。あのカラスが持ってきてくれたって理由もあるけれど。
窓から差し込んできた光にそれを当てるとより綺麗に透けてキラキラしている。じっとそれを眺めた。
「えっ? だって全部同一人物じゃん」
「何言ってるの? 大丈夫?」
「まじだって!」
「えっ? まって! 本当に? 頭大丈夫?」
カランコロン。
その時、ドアが開いた。
「ただいま!」
大翔が入って来た。しかもとても明るく。
「お、おかえり!」
蓮も明るく答えていた。
今聞いた話が理解できなくて、そして久しぶりの再会。どんな言葉をかければ良いのか、全く思いつかなかった。けれど、何かは話したい。
「あ、そのガラス」
大翔は言った。視線はテーブルの上に置いてある、カラスから貰ったガラスにあった。
「このガラス?」
もしも、彼があのカラスだったならこの質問答えられるよね? 私は彼を試してみた。
「これ、いつ貰ったんだっけ……」
「これね、暑い日だったかな? パンのお礼にあげたんだよね確か」
あっ!
いきなり大翔が、見える世界がファンタジーな世界に包まれた。蓮の言っていた話は本当だった。てことは、亡くなったと思っていた彼。
「大翔は、大翔なの?」
「えっ? そうだよ! 僕は僕だよ」
「良かった!大翔だったんだね」
「ちょっと待って! 多分ふたりの会話はすれ違ってる」
蓮は、大翔が昔消えてしまった彼と、カラスと、今の大翔が同一人物だって事を私に伝えたって事を分かりやすく、大翔に伝えてくれた。
「そうだよ。そしてね、今日はみんなに、僕にとっては物凄く大切な事を伝えたいんだ」
荷物を家に置いてきたお父さんも入ってきて、私達四人はひとつのテーブルを囲んで座った。
「まずね、僕、花火大会の日、全てを思い出したんだ。その日、後ろにふたりの気配を感じていたけれど、正直、僕を見捨てたふたりが憎くて、目を合わせたくなかった」
その言葉を聞くと、蓮は薄く息を吐き、下を向いた。
「花丸木さ…とうさんと旅をして、気持ちが変わっていった。初めはリアルな天気も雨で、僕の心も雨が毎日降っていたけれど、だんだんと晴れの日が続いてきた。咲良と蓮、一緒に過ごした時の、良い思い出ばかりが沢山頭の中に流れてきたから……。そしてね、今日伝えたい事。僕、桜が咲いたら、カラスに戻ります」
彼以外は誰も口を開かない。開けない雰囲気。誰かの唾を呑む音だけが聞こえる。
「えっ?」
三人は一斉に同じ言葉を発した。
「僕ね、一年間だけ、人間の姿でいられるんだ」
彼が人間に変身するまでの話を詳しくしてくれた。理解に時間がかかった。
たった一年間。それなのに、離れた時間がとても長かった。やっぱり、あの時、手を離すべきではなかった。
「僕は残りの人間でいられる時間、みんなともっと大切に過ごしたい」
「やっぱり、残りの時間を知っても、特別な事をしてあげられる事は、僕には出来ないのかぁ。せめて、大翔がカラスになっても、また見守り続けたいな」
お父さんは、息を吐くように呟いた。
「父さん、旅行、すごく幸せだったよ。他の事も全部!」
お父さんは大翔の目を見て弱く微笑んだ。
蓮は無言のまま、うつむいていた。
その真実を知ってから、何か特別な事が出来るわけではないけれど、一緒にいられる全ての時間が愛しくなった。
現実に背を向けずに、きちんと向き合えるようになった気もする。彼の気持ちに、きちんと正直に向き合いたくて
「小さい時から好きでした」
私は彼に伝えた。
「僕も」
伝えたけれど、お互いに好きだけど、一緒にいられる時間には期限がある。彼がカラスになれば、きっと仲間の元へ行ってしまう。私から離れてしまうかもしれない。そして、カラスに戻ったら、彼の記憶が消えてしまうかもしれない事も聞いた。
全てがなかった事になってしまうかもしれない。私の事、一緒に過ごしてきた時間。全て……。
権力者の勝手な正義のせいで、男の人が戦いに行かなくてはならない状態になり、離れ離れになってしまう愛し合うふたりの物語の映画を思い出した。ふたりは別れの時、抱き合いながらずっと泣いていた。泣きながら「愛してる」って何回も声が枯れるくらい言い合っていたのを思い出した。
お互い愛し合っているのに、別れないといけないのって、本当に辛い。
一緒に過ごしているうちに離れたくない気持ちが強くなってきた。
時間が止まれば良いのに。
ずっとずっと一緒にいたい。
時間は止まってくれずにどんどん過ぎていった。
「カラスと人間って物の見え方ちがうの?」
「寒さとか感じるの?」
「ねぇ、空を飛ぶのってどんな感じ?」
気がつけば、私は質問ばかりしていた。
私の知らない時の大翔が知りたくて。
「空を飛ぶ。どんな感じだったっけな……。飛んでいる間は羽を休ませることが出来ないから、多分必死だったのかもね。あんまり覚えてないな」
「必死にかぁ。風になれて、気持ちよさそうって私は思ってたな。空を飛べたら、外に出るのが怖くなくなるのかなぁ」
あっという間に雪が解けて、桜の花が開く時期になってしまった。
「私の事、忘れないでね」
「絶対に忘れない。忘れるはずがない」
朝、桜の花が開いた事をお父さんから聞いた。玄関で私達は抱き合った。
「好き」って私が言うと「僕も好き」って、彼が答えてくれた。泣いちゃうから一回だけ言った。
みんなに見られると、別れが惜しくなって桜の花を見られなくなるかもしれないから来ないでねって大翔は言った。
私達は、ここでお別れする事にした。
「じゃあ、さよなら」
大翔は桜の木に向かっていって、私達は彼の背中を見送った。
…………。
ただだまって見送る事は出来なかった。
私は、彼の背中を追いかけた。
大翔はどんどん桜の木に近づいている。
「大翔!」
私は持っている全ての力を振り絞って叫んだ。こんなに叫んだ事は今まで一度もない。
彼は振り向いて立ち止まってくれた。
「来ないでって言ったのに。桜の花見れなくなる!」
「行かないで! 離れ離れにならない方法ないの?」
私はぐちゃぐちゃな顔になりながら言った。
「あるわよ!」
後ろから声が聞こえた。
***第六章 再び桜が咲いた*蓮
しばらくたっても大翔と咲良は戻ってこなかった。咲良は落ち込んでいて、大翔はカラスになったんだな。
昼、庭に置いてあるベンチに座っていると、大翔らしきカラスが姿を現した。
「あ、大翔……俺の事覚えてる? 元気? ご飯食べたかい?」
俺は、彼の細かいところまでとても心配だった。
「カァー。カァー」
元気に返事をしてくれたからきっと大丈夫かな。手に持っていたパンを小さくして彼にあげた。
彼はもしゃもしゃ食べている。
「何か困った事あったら、いつでも頼ってくれよ」
俺は時間さえあれば、ずっと彼の近くにいて、何か手助けをしたいと思っていた。今までは罪を償うためにって考えでそうしていたけれど、今は純粋な気持ちで。
「蓮!」
後ろから聞き覚えのある声がした。
「あれ?」
俺は立ち上がって、彼に近づいた。
「今、後ろでずっと見ていたよ。カラスと会話出来るんだね」
「え? どうして、人間なの?」
俺は声が震えた。
そこには桜の花びらを持った咲良と、人間の姿をした大翔が立っていた。
「理由を教えてあげるね」
さっきまで俺の座っていたベンチに座りながら咲良は言った。
「いや、僕が話すよ。人間に変身させてくれた二人組の母親が僕の事心配してくれて、そこにいてね……」
大翔は語り出した。
「あのね、咲良と半分こにしてもらったんだ」
「半分? 何を?」
「生きる時間と、カラスに変身する能力」
「ん?」
「まず、咲良と僕の人間として生きられる時間を足して、半分こにした。そして人間である咲良はカラスにも変身出来るようになり、カラスである僕は人間に変身出来るようになった。だから半分こなの」
「じゃあ、大翔はこれからは人間としてでも生きられて……。咲良は寿命が短くなったってこと? カラスにもなれちゃうの?」
「そう。大翔は人間として生きる時間がゼロって感じだから、私の寿命が半分になった感じかな。私ね、寿命が短くなった事に後悔はしてないの。むしろ、人間の大翔とこれからも一緒にいられるし、外に出られるようになったし……。ずっとね、この広い空を飛んでみたかったから」
「え、じゃあこのカラスは?」
「僕の姉さん!」
カラスはこっちを見ながら、目をキランとさせた。
広い空を飛ぶのか……。
「ずっと羽を動かし続けてこの広い空を飛び続けるのも、疲れてしまいそうだから、きちんと休んでね」
一年前の俺なら、絶対にそんな言葉をふたりにかける事なんて、出来なかったと思う。
変われる可能性はゼロじゃないのか。ふたりに教えて貰った。
「寿命を半分にって事は、大翔と咲良は死ぬ時も同じ時期なのかな」
事故や病気、それとも寿命を全うして……。この世からいなくなる理由は様々だ。本人さえ予想出来ない。そして、その時は、突然訪れる。
「全く同じらしい」
大翔は羽をパタパタさせるみたいに、両手を大きく広げて、上下に揺らしながら言った。
「そう、同じらしいから、どっちかがここの世界に置いてかれて悲しい想いをしたり、置いていく事になってしまうから心配になるとか、そんな気持ちを知らないままでいられるのよ!」
咲良は目を輝かせながら言った。
たしかに、生きられる時間は減るけれども、このふたりにとっては良いのかもしれないな。
「よし、行こっか」
「うん」
ふたりは、旅にいった。
幸せな旅へ。
「ねぇ、ふたりに話を聞いたかい?」
花丸木さんが来て、咲良が座っていたベンチに座った。
「うん。聞いた。なんか幸せそう」
「幸せそうだよね。一緒にこの世から旅立てるなんて、羨ましいな。僕ももしそう出来ていたら……」
彼は桜の木を見つめている。
「僕ね、新しい夢が出来たんだ」
「気になる! 花丸木さんの夢」
「えっ? 気になってくれるの?」
「うん」
「まぁ、話せば夢が近くに来てくれる気がしてるから話すね」
「やった!」
いつから俺はこんな親しげに花丸木さんと話せるようになったんだろう。
「地球以外の星に咲いた花を見に行くの。花ちゃんと一緒に」
桜の枝を挿し木している鉢植えを彼は指さした。
以前俺には一切見せてくれなかった幸せそうな表情をして話してくれている。
「叶うよ、きっと! 花丸木さんって考えている事なんでも実現しそうだもん」
「ありがとう! あとね、蓮」
「何? 改まって」
「実はね……」
花丸木さんは、大翔が世間で行方不明になっていた時も実はカラスとして生きている事を知っていた事、俺の事が憎くて罪の意識を常に忘れさせない為、傍においてわざと毎日大翔の事を語っていた事を教えてくれた。
「でもね、もう憎んではいない。だからこれからは、自由に生きて」
俺を憎んでいたって事は、気づいていた。
「花丸木さん、俺ね……」
今、伝えたい事があった。伝えなきゃと思った。けれど、これを話したら、嫌われる。
「何?」
思わず何でも話したくなるような花笑みで待っている。この笑みをされると、昔、カフェでお皿割っちゃって隠そうとした事とかもすらすら話してしまった。今から話す事以外は何でも話していた。嫌われるのが怖いけれど、言おう。
「俺、喧嘩しているうちに落としてしまったって言ってたけど、本当は、無抵抗な大翔の事を……わざと落としたんだ」
「わざと……。知ってたよ」
花丸木さんの表情は変わらない。
「よく言えたね」
俺の頭を撫でてきた。
同時に涙が溢れてきた。
*回想
花火大会の日、咲良は花火を真剣に見ていたけれど、俺らはすぐに飽きて、暇だった。「あっちに行こう」って大翔が誘ってきたから、言われるがまま一緒に歩いた。歩いていくと崖についた。
「こっから落ちたら痛いのかな」
大翔が身を乗り出し崖の下を覗いていた。
このまま落ちてしまえばいいのに。
そしたら、花丸木さん、そして咲良は大翔ではなくて、俺の事を好きになってくれる。
そう思うだけで良かったのに行動に移してしまった。後ろから、軽く押してしまった。
落ちるとは、こんなに大変な事になるとは思っていなかった。
落ちてから、本当に一瞬の出来事のように時間は過ぎていった。
「この子は、大翔に嫉妬して、嫌いなのかなぁ? って事は感じていたんだ。君が両親に放置されていた事は、君が教えてくれていたから、大人の僕がもっと寄り添えば、大翔の事を好きになってくれて、こんな事にはならなかったのかもね」
「花丸木さんは、何にも悪くないんだ。全部俺が……」
「よし! そろそろ、父さんって呼んで! 咲良も、大翔も、そして蓮もみんな僕の大切な子供!」
ずっと嫌われるのが怖くて言えなかった事を花丸木さんは受け止めてくれて、花笑みのまま俺を抱きしめてくれた。
あの事件の時は、大翔がいなくなって、沢山の大人達が動いて、周りの動きが予想を遥かに超えて、どうしようと思った。逃げ場がなくなったけど、花丸木さんにだけは話せた。嘘ついてしまったけれど。
俺のせいで悲しそうな花丸木さんや咲良の為に、自分の事はどうでもいいから尽くして生きていくんだって、罪を背負って一生、生きていくんだって思っていた。
大翔が一年前家に来た時、崖から落としてしまった彼なのかなとすぐに思い始めた。顔はカラスに似ていて、顔立ちがはっきりして、あの時と変わっていた。特に目が大きくなっていて。でも、大翔の気配がした。はっきりと本人だと分かったのは、花丸木さんが大翔と全く同じように接していたから。名前までそう呼んでいたし。俺達の事を大翔は覚えていない様子だったけれど。
カラスだったって事も、大翔と花丸木さんが話している会話をこっそり聞いた。こっそりと言うか、普段その事を隠してるっぽかったのに、花丸木さん隠している事を忘れていたのか、聞こえる声で話していた。
咲良をしょっちゅう愛しそうに見つめていたカラスの存在は知っていたから、すぐに「あのカラスか」と納得した。
花丸木さんと咲良は彼と接する時、いつも幸せそうだった。その光景を見ていた俺も幸せだった。
それと比例して、怖さも増していった。
大翔が過去を思い出した時を想像して。
大翔から過去を思い出した事と、人間でいられるのには期限があるって聞いた時は、罪悪感や後悔、そんな気持ちしかなかった。
けれど、彼は思い出す前と変わらない態度で、むしろ、俺との時を以前よりも大切にしてくれている感じがして、毎日心の中で感謝の気持ちばかり言っていた。
大翔が人間でいられて良かった。
「俺、自由に生きてって言われたけど、自由がよく分からないんだ。しばらく、父さんのカフェ手伝うわ! だから花いっぱいになった星を見られるチャンスが訪れたら、カフェの事や、咲良達の事は俺に任せて、花さんと一緒に見に行ってきて」
俺も、寄り添える何かがあれば、完全には難しいかもだけど、今よりは前向きになれて、夢とかが出来るかもしれない。今はまだ、いいや。ゆっくり進もう。
「でも、なんで大翔はカラスに変身したんだろうな。何故カラス?」
そんな事を考えていると、隣にカラスの大翔のお姉さんがぴょこんと来て、俺を見上げてきた。
「おまえ、つぶらなその瞳で見上げられたら……。めちゃくちゃ可愛いな」
お姉さんにそう言うと、彼女は微笑んだ。
***エピローグ
桜の花が散る。
桜は、散ってから始まるんだよ。って、とうさんが教えてくれてたっけ。
あと、思い出した! 桜が咲くには厳しい寒さも必要なんだって。
桜の木を見上げた。
僕たちの事を、とても温かい眼差しで見守っていてくれている。
花と葉は別々の道を歩んでいるようだけど実は同じ桜の木で、同じ方向を向いて歩んでいるんだ。
――咲良と僕は、これからは同じ道を歩いていく。
「綺麗な花を見に行きたい!」
「ね! 行こうか! 着いてきて!」
僕も花に詳しくなった。
綺麗だと思えるようになっていた。
ふたりはカラスになり、柔らかな緑色を蹴り、地から離れると、どこまでも続く水色の広い空に向かって一緒に飛んだ。
とうさんから聞いた、娘の事を全力で愛していた花ちゃんの話を、目的地に着いたら咲良に教えようかな! もう、知ってるのかな?
僕は、横で気持ちよさそうに飛んでいる咲良を見つめた。僕も気持ちよかった。
この一年間、僕はまるで桜色のような(?)恋をした。
桜の花が散る。強い風と共に多くの花びらがくるくる舞うと、桜のカーテンで隠されて君の姿が一瞬見えなくなる。
消えてしまったのではないかと不安になる。
再び姿を見せてくれて僕は安堵する。
落ちていった花びらが造り上げたピンク色の絨毯。とても綺麗で魅力的だったのでそこにぴょんと移動した。黒く艶やかな僕の身体とその絨毯の色はきっと相性が良いと思う。
フワリと花びらが頭の上に乗った。
ブルンブルンと小刻みに身体を揺らして落とした。
僕は美味しそうで儚そうな、その花びらをひとつくちばしに咥えた。ピンク色が大好きな君へ。
翼を広げ、桜の絨毯から足をトンと離した。とても、桜とお似合いな空色と、純粋そうな白色で描かれた水彩画のような空に向かって。
見ていた桜の木が「いってらっしゃい」と微笑んでくれた。
僕は今、カラス。
***第一章 桜の花が開いて*大翔
小さな芽は、花芽か葉芽のどちらかになり、それぞれの道を歩んでいくらしい。
花芽は秋頃までに、つぼみがほぼ完成する。
葉は秋になると休眠を促す植物ホルモンを作り芽に送る。
冬の寒さに耐えられる準備をして、休眠する。冬になり、寒さを感じると少しずつ眠りが浅くなりやがて目覚める。
そして春になって準備が出来たら、花が咲くんだ。
だから、桜は散って終わりなんかじゃなくてそこから始まるんだよ。
と、親切なおじさんが丁寧に教えてくれた。
もっと細かい事まで教えてくれたけれど僕が覚えているのはこんなとこ。僕は鳥の中では記憶力が良い方だとは思うけれど全ては覚えられなかった。その理由はただ興味がなかったからなのかも。
花が開く瞬間。今か今かと待っている。
ひとつのつぼみが、もうすぐ開きそうなのだ。
咲いた姿を見た瞬間、僕は一年間だけという条件で人間の姿になれる。
そして、遂にその時が訪れた。
起きてから見に行くと、朝日を浴びて桜の花がきりっと自信ありげに、ふわっと可愛らしくも見え、とにかく美しい姿で開いていた。
僕は背筋をピンっと伸ばした。
僕が人間になろうと思った理由。
夏の暑い日だった。目覚めると僕は崖の下にいた。それが僕の頭の中にある、一番古い記憶。
それ以前のことは分からない。どこで生まれたのかさえ全く記憶にない。
とりあえず、お腹が空いたから飛んで崖の上に行き、食べ物を探していると、人間の女の子が歩いてきた。こっちを一切見ずに彼女は大きな木に近づいて、ピンク色の花を置いてすぐに帰っていった。
彼女の後をこっそりついて行った。彼女の事が気になったから。
彼女は僕の気配を感じ、振り向くと微笑んでくれた。そして、鞄からパンを取り出し、小さくちぎって手のひらに乗せた。僕はお腹が空いていたのでパクッと口に入れた。
嬉しかったから僕は、食べ物を探している時に偶然見つけた、キラキラした小さいものを、彼女が再び森に来た時、お礼に彼女の前に置いた。すると彼女は拾ってくれて、ポケットにしまってくれた。
それから彼女の家の前に、こまめに行くようになった。行くようになってから暑い季節や雪の降る季節を何度も繰り返した。
彼女は森に行く以外は家の中に引きこもり、決して外には出てこなかった。
人間に変身出来る事になったのは、ある生き物のおかげだった。雪は積もり、街がキラキラしている、クリスマスイブという日。
人間達はそのイベントで盛り上がっていたけど、関係のない僕はいつものように、気になっている彼女の家の中を覗いていた。彼女はひとりで部屋のオレンジ色の暖かい光に包まれながら、ベージュのソファーに座り、薄ピンク色の膝掛けを掛け、静かに、ただ黙々と本を読んでいた。
しばらくして暗くなってきたし、ちょうど彼女が雪のような色のカーテンを閉めたので、そろそろ近くにいる仲間たちの元に戻ろうかなと考えていた時、視線を感じ、ガサッと何かが動く音がした。それは草や木の擦れる音ではない。人のようだけど人ではない。そんな気配。
「誰だ!」
僕は警戒を込めた声で叫んだ。
すると、親子のように見える二人組がキラリと光って現れた。光りすぎて直視出来なかったけれど雰囲気が親子っぽかった。
「お久しぶりね」
母と思われる方がそう言った。
久しぶり? 出会った記憶がない。相手の勘違いなのか。
僕は、僕の記憶の中を巡った。巡っている途中で彼女は再び言葉を発した。
「あなた、ずっとあの女の子を見ていたわよね」
「……気になるんだ」
じっと見られている感じがして、気持ちが窮屈になってきたので目を逸らしながら僕は答えた。
「でしょうね」
彼女の言い方は、何かを知っていそうな言い方だった。そして、どうやら言葉が全て通じているようだった。
「触れたいんだ。手を繋ぐだけでいい」
言うつもりは無かったのだけれど、心で思っていた事を口にしていた。
「繋げばいいじゃない」
「無理なんだ。だって僕は、カラス」
そう、無理なんだ。言葉にしてみて、改めて無理な事なのだと実感した。手を繋ぎたい。こんな風に会話をしてみたい。けれども僕は、人間じゃない。
「うーん……分かったわ! 人間にしてあげる」
「えっ?」
突然何を言い出すんだ。人間になれる訳がないじゃないか。
「ふふっ。それが出来るのよ私は」
心の声が聞こえたのか?
彼女は誇らしげに返事をしてきた。
「でも人間の姿でいられるのは一年間だけ。あと、変身すると記憶が曖昧になるかもなの。どうする?」
突然言われて、僕はすぐに答える事が出来なかった。
「考える時間をください」
「分かったわ。明日また同じ時間にここに来るわね」
約束をして、次の日に結論を出すことになった。
一年間だけ。しかも記憶が曖昧になるかも。どうする?どうすればいいの?
僕の事を心配して、お迎えに来てくれたカラスの姉さんは、無言で頷いた。
気になっているあの子への想いが強くて、割と早く決断することが出来た。
次の日、その二人組に再び会った。
「人間にしてください!」
「いいわよ! でもね、すぐに人間にはなれないの。あそこにある桜が開花して、それを見た瞬間、あなたは人間に変身するわ」
桜? 確か花ってやつだっけ。もう咲いているんじゃないか? すぐに変身出来ると言うことか。
「お願いします!」
僕は人間からしたら強気な鳥に見られているけれど実は臆病で、どうやって彼女は僕を人間にするのだろうと、とても緊張した。
「おっけー!」
母らしき生物はキラキラしたビームを出してきて、僕にそれを当てた。僕は強い光が本当に苦手でビームは眩しくて直視出来なかったけれど、ちょっとコツンとする感触だけあり、痛みは全くなかった。
「ふぅ、久しぶりにこの技使ったわ。終わったわよ! 後はあそこにある桜が開花する時に変身出来ると思うわ」
「桜、見てくる!」
僕は走った。咲いているだろうからすでに僕は人間になっているのかも知れない。そんな気持ちで走った。桜の木にたどり着いた。
……何も変化はなかった。
まだ咲いていなかった。
仲間たちと集団で固まって寝ている。ねぐらの位置が女の子の家と桜の木にとても近いのが幸いだった。いつでも気軽に見に来る事が出来たから。
早朝、桜の木をいつものように眺めていた。すると、少しでも雪がその木に積もると、それを下ろしに来る人間のおじさんが話しかけてきた。
「毎日桜の木を見ているよね。君も好きなのかい? ちなみにこの子は僕が大切にしている子だよ」
そのおじさんは、僕の姉さんが僕を見つめるような、とても優しい眼差しで桜の木を見上げた。そのままの表情で僕を見た。
「もしかして咲くのを待っているのかい? この辺りは五月。うーん、カラスくんに何月かを言っても分からないかな? 雪が解けて温かくなって来た頃だね」
――そっか、じゃあ、まだか。
「そうだよ。咲く頃になったらまた教えてあげるよ」
おじさんは僕の心の声の返事をしてきた。
最近、僕の心を読めそうな生物と出会う。
雪を踏む人間の足音が聞こえてきた。僕は人間の足音がすぐに分かる。
「えっ? おじさん、手袋してないの? 俺の使って。手、冷たいしょ」
身長が高めでほっそりした体型の若い男の人が手袋を脱ぎながら歩いてきた。年齢はそのおじさんの息子でも違和感のないくらいだと思う多分。
よく見かける人だけど、いつも遠くから見ていたから近くで会ったのは初めてだった。
「いいのかい? 準備はしてたんだけど、玄関に置いてきちゃったんだ。戻るのが面倒で」
「いいよ。どうせ車に乗るし」
「その為にここに来てくれたのかい?」
「あのね、これ、渡そうと思って。お菓子の試作品作った」
その男の人はカップケーキがふたつ入った小さくて透明な袋をおじさんに渡した。
一瞬、その人がこっちを見てきて、目が合った。何故だか、その瞬間、黒い塊が乗っかったかのように心の中が重たくなった。
彼は、すぐに僕から目を逸らし、おじさんに茶色の革の手袋を渡すと車に乗って、何処かに行った。
「そうだよね、手袋ないと寒いよね。この子の事になると寒さも忘れちゃうよ」
それから少しして
「風邪をひかないようにね!」
と、僕の頭を撫でながらそう言うと、家に帰って行った。頭を触れられても不快ではなかった。なんだか懐かしい感じがした。
人間になるカウントダウンが始まった。
つぼみが育っている。
少しずつ、少しずつ。
僕がいるタイミングを見計らってくれているかのように、おじさんが毎回タイミング良く現れ、桜は今どんな状態なのか、丁寧に教えてくれた。
「ありがとう。桜を見に来てくれて。この木はとても大切な思い出が詰まっているものなんだ」
僕は、もし本当に人間になれる事が出来て、このおじさんに質問出来るようになったら
『どうしてそんなにその桜を大切にしているの? 食べられるわけではないのに』
って質問をしてみようと思っていた。
遂に、開いている桜の花をみた。
ぐるぐると目が回った。少しずつ自分の意識がなくなっていくのが分かる。頭の中で白と黒が渦巻いている。僕の意識は完全になくなった。
意識がなくなる瞬間、誰かが僕のことを覗き込んでいる気配がした。
しばらくして目を覚ますと、建物の中にいた。何かに包まれながら僕は横になっていた。暖かい。とても心地がよかった。
目の前がぼやけている。少しずつぼやけていたのが収まっていくと、おじさんが目の前に立っていた。
「いやぁ、びっくりしたよ!」
目を合わせるなりいきなりおじさんは目を丸くしながら僕にそう言った。
「?」
僕は、何故こんなところにいるのだろう。
あっ! すぐに思い出した。
開いた桜の花を見たら倒れたんだ。
「だってさ、僕の目の前でカラスが人間になったんだもん」
見られていた? いや、それよりも今の僕は……。
まずは手を見た。指を動かしてみる。
うん、これは人間だ。
「まさか、本当に人間になれたなんて」
見える景色が違った。カラスの時よりも見える色がシンプル。今まで眩しく見えていたものが暗く見える。それに慣れるのには少し時間がかかった。
改めて自分の全身を見ると、今までは黒い羽毛に覆われていたけれど、今は何も着ていなくて変な感じがした。人間は、いつも何かを着ている。
何も着ていないのが何故か恥ずかしいなと思っていると
「とりあえず、服着ようか。ちょっと待っていて?」
おじさんは、部屋を出ていった。
しばらくしていると黒いシャツと黒いズボン、下着を持ってきてくれた。
「カラスだったから、黒い服が良いのかなって思ってね」
僕は、こそこそと包まれた布の中で着替えた。サイズがピッタリだった。
「うん、似合う似合う」
その時、僕のお腹がなった。
「お腹空いたよね? おいで! あ、とりあえずみんなにはカラスだったって事、内緒にしておいた方が良いかな?」
僕は、こくんとうなずいた。
「おぉ、人間の話す言葉が分かるんだね!」
僕は何で分かるんだろう……。人間になったから? でも、カラスの時もおじさんの言葉が分かった。何か別の理由?
外に出て、おじさんの後を着いて行った。建物の中に入るとテーブルがあちこちにある。
僕がずっと気になっていた女の子がいた。彼女は、四人がけのテーブルの席に座りながら、僕の目をじーっと見つめてきた。彼女は言葉をひと言も話さなかった。
もうひとりいた。雪の時期におじさんに手袋を貸していた人。その人は立ちながら僕の事を隅から隅まで、舐めまわすように見ていた。
おじさんのいる方向から、とてもいい香りがした。お腹が鳴る。おじさんは食べ物を持ってきた。
「焼きたてのパンだよ!」
四人同じテーブルの席に座った。
おじさんと僕が隣になった。
一口食べてみた。温かい。ふわっとした感触。お皿の上には色々な形のパンが五つあって、全部綺麗に食べた。
「どうしようね、一緒に暮らす?」
他に住む場所なんてなかったし、人間として暮らす為には、カラスとして生きていた場所を捨てなければならない。
「少し待ってて貰えますか?」
僕は外に出た。
やっぱりいた。カラスの僕の姉さん。
微動だにせず、こっちをじっと見つめている。しばらくすると、頷いて飛んでいった。
一年後はどうなるのだろう。カラスに戻ったら、再び姉さんと会話が出来るのだろうか。
姉さんは、いつも僕を見守ってくれていた。その優しい眼差しで。
***第二章 恋の花ひらりと*大翔
おじさんは、僕の事を“ 道に迷って、帰り道が分からなくなっちゃった人 ”って設定にした。その説明をふたりにしてくれて、僕を家に置いてくれた。無理がある設定だと思ったけど、ふたりはすぐに納得していた。
おじさんの名前は花丸木さん。気になって見ていた女の子のお父さんだった。
そして、毎日見ていた女の子の名前は“ 咲良 ” だった。僕が変身する時に見た“ 桜 ” と同じ名前。偶然なのだろうか。
僕をまじまじと見てくる男の人の名前は蓮れん。花丸木さんが経営しているカフェで毎日お手伝いをしていた。
咲良と最初に会話をしたのは、僕が人間として暮らし始めてから三日たった時だった。
僕は、朝、ビニールプールを膨らまし、水をたっぷり入れた後、服のまま中に入っていた。
「えっ? 何をしているの?」
彼女は不思議そうな顔をして、リビングの大きな窓を開け、覗き込んできた。
「えっ? 水浴びだよ! こういう事、やらないの?」
「私はやらない。でも楽しそう」
咲良は外に出てきて、僕と同じように服のままビニールプールに入ってきた。肩まで入って、黒くて長い髪の毛まで濡れている。
「ちょっと寒い」
彼女はそう言って笑った。笑顔を初めて見た。
すごく可愛くて、胸の辺りがぎゅっとして、ほかほかした。この感じは何なのだろうか。
この事がきっかけで仲良くなっていった。
咲良は今も、家の中にいるか、家の周りをさまようだけだった。
「咲良は、みんなみたいに、あちこちどこかへ行ったりしないの?」
僕が質問すると、彼女は
「行けないの。怖いの。きっと私は外の世界が合わないの。ただそれだけ! それにみんなじゃないよ! 他にも沢山、私みたいな人いるよ、きっと」
と、なんだかほつれてしまいそうな表情で言っていた。
また、胸の辺りがぎゅっとした。今度は痛かった。
彼女は、外の世界が合わないって言っていたのに、タブレットというものの中にある、インターネットで、外の世界の、例えば花がいっぱい咲いている映像を流していたり、空だけが写っている写真らを日々沢山眺めていた。
それを僕は隣に座って、静かに、邪魔をしないように見つめていた。タブレットの世界も見ていたけれど、隣の咲良の表情ひとつひとつが気になった。
普段あまり変わらない彼女の表情はころころと変わっていた。
ふと視線を感じたのか、彼女がこっちを見て、口角をきゅっとあげた。
僕も、咲良の真似をして口角をあげた。
彼女が毎日眺めている世界に似ている場所を知っている。
一緒に行きたい。
花が沢山咲き始めた季節、公園の前を通ると、ある親子がいた。聞き覚えのある声。僕を人間にしてくれた親子だ。
あの時は光りすぎて姿が見えなかったけれど、人間に似ている姿をしていた。髪はそれぞれ母親と思われる方は銀色で腰ぐらいまで長く、金色の花の髪飾りを、子供の方は金色で耳より少し下の長さで銀色の花の髪飾りをつけていた。そしてお揃いの全体が白くて、腰周りがピンク色のリボンがついた袖のないワンピースを着ている。
声をかけようか迷っていたけど、かけてみた。
「これ…もって…かえ…る」
「持って帰るっていっても、私、新婚旅行の時、お花切ってあるのを買って持って帰ったんだけど、着いた頃には枯れてしまっていたのよ」
子供はとても大きな円型の花壇にぎゅうぎゅうに沢山植えてある赤やピンク、黄色などの花達をどうやら彼女たちの住む星に持って帰りたいらしい。
何か僕に出来る事ないかな……。
あ、そうだ!
「ちょっと待ってて! 変身させてくれたお礼に、カラス時代から知っている人でお花に詳しいかたが近くにいらっしゃるから連れてきてあげる」
花丸木さんに相談してみようと思って家に戻り軽く説明すると、会いたいと言うので一緒に公園に行く事になった。彼は母親から星の環境など詳しく話を聞くと歩いて家に戻り、しばらくすると軽トラックに乗ってきた。
「これ、うちの花から取れた種。余ったのあげる。その環境なら育てるの大丈夫そうだしね。元気に育ったらこの子たちに会いたいなぁ。僕が育てた子達の遺伝子がその星で……」
花丸木さんは育てやすい可愛いマリーゴールド、向日葵、コスモスなどの名前が袋に書いてある花の種を七種類と、更に肥料、必要な道具、そして花丸木さんの家の畑のふかふかしてとても良い土を大量にユーフォーに積んでいたから僕も手伝った。
「切った花は星に着くまでに枯れてしまうかも知れないけれど、種ならそっちで蒔けば良いから大丈夫。あと、これはそのまま畑に植えればよいよ」
更に長ネギ、ピーマンなどのポット苗も渡していた。
「あ、これももしよろしければ! 僕が書いた本ですが。僕は人前で話すのが苦手でして。でも花の良さを大勢のかたに伝えたく、この本を出したのです。花の種類や育てかた、心の通わせ方も書いてあるから役に立つかと……」
花丸木さんは “ 僕は花を愛するために生まれた ” という題名の本も渡していた。
花がらをこまめに摘んだら長く花が咲いてくれる話や、水をあげるタイミングなど、豊富な知識も教えていて、僕は全く覚えられなかったけれど、母親はとても真剣に話を聞いていた。
子供はとても満足そうな笑顔になり踊っていた。
「星に帰って種を蒔いてみよっか」
「うん」
子供は笑顔でうなずいた。
「じゃあ、またね! カラス、花丸木さん!」
「変身させてくれてありがとー!」
「僕の花の種よ、苗よ、あっちの星で咲き乱れろー!」
親子は、星に帰って行った。
「地球以外に花が沢山咲くのかもしれないね。嬉しいね。楽しいね。あ、あの子にも見せたいな」
「ねぇ、大翔、お願いあるんだけど、家の桜の枝、鉢植えに挿し木する準備、手伝ってほしいんだ」
花丸木さんはうきうきしている様子だった。
暑くなってきた時期、彼女はあるものばかりをインターネットで見ていた。
それは、空に浮かぶ色とりどりの輝く花が写っているもの。彼女はそれを花火と言っていた。
何だかそれをリアルで見た事がある気がする。でも思い出そうとすると頭が痛くなる。だから思い出そうとするのを辞めた。
「ねぇ、花火見に行かない?」
「えっ?」
彼女から初めて誘われた。
頭が痛くなるのは、きっと気のせいだ。断る理由なんてなかった。むしろ彼女と家の中やこの辺りではない、別の場所へ行ける事にわくわくした。
後から後悔するなんて、その時は全く思わなかった。
「どう? 大丈夫?」
咲良はひらりと一回転した。白地に桜の花びらが舞っているデザインの浴衣を着ていた。くるっとした時、本当に花びらが舞っているみたいだった。
「好き……」
「えっ?」
僕の顔は熱くなった。心の中に留めとけば良い言葉を発してしまった。とても可愛かったから。今すぐに抱きしめたいくらいに。
同時に彼女の顔も紅色に染められていった。
「あっ、この咲良の浴衣がだよ!」
慌てて嘘をついてしまった。そんな嘘、つかなければ想いが伝わっていたかもしれないのに。確かに浴衣も可愛いけれど、浴衣を含めての咲良が可愛い。
「ふふっ。浴衣でしょ? 分かってるよ! 嬉しい! 頑張って着て良かった! 帯が特に難しかったんだ」
今、ふわふわと春色の可愛い花達が周りに飛んでいるような、そんな気持ちだった。
胸が再びぎゅっとして、そこからじわじわとピンク色が身体全体に広がっていく感じがした。
「大翔ひろとが着れる浴衣もあるよ」
花丸木さんは鼻歌を歌いながら灰色の浴衣を着せてくれた。
「いってらっしゃい! 気をつけてね」
僕は咲良と目を合わせると微笑み、同時に頷いて、外に出た。
まだ外は明るくて、ふたりで夕陽の光に包まれながら、公園のベンチに座って、暗くなるのをゆったりした気持ちで待っていた。
その時間さえも、愛しい。
外が暗くなり、会場の近くに移動すると、人がごちゃごちゃしてきた。一番綺麗に見えると評判の場所は物凄く人で溢れていたので、すいている場所を探した。花火が綺麗に見える良い場所を知っている。探している途中からそんな気持ちになって、身体が勝手に進んでいった。
「ちょっと待って! そっちは全く見えないよ」
二歩ぐらい後ろを歩いていた咲良が止めようとしてきた。
「大丈夫。今から行く場所は、なんだかよく分からないけれど、綺麗に見える気がするんだ」
森の中に入った。更に進んでいくと、木と木の隙間からとても綺麗に花火が見えそうな場所があった。ふたりで並んで立つ。
まだ始まらない。誰もいなくて、さらさらと風の音だけが聞こえてくる。隣には咲良がいる。
そっと手を差し出した。すると彼女はふわっと僕の手を握ってくれた。
ずっと手を握っていたかった。カラスの頃からずっと手を繋ぎたかった。夢がひとつ叶った。
「これが幸せかな。こうやって、手をつないで温かい気持ちになって、話も出来る。そして、空に綺麗な花が咲く瞬間を一緒に見ることが出来る。世の中の事を見ていると、それは当たり前の事なんかじゃなくて、奇跡に近いの。大翔のお陰で、今の幸せを知る事が出来た」
咲良はこっちを見て、優しく微笑んだ。
僕も自然に笑みが溢れてくる。
「僕も、咲良のおかげで色んな事を知れたよ。ありがとう」
そう、人間になってからの心に響く、感情というものを。人間の言葉とか、行動とかは何故かずっと知っていたけれど、胸が痛くなったり、きゅんとしたり。
咲良の手を、強く握りしめた。
花火が打ち上がる音がした。空を見上げると綺麗にキラキラと輝いていた。カラスの時は、明るく見えすぎて、人間達が懸命に見上げる理由が分からなかった。人間になってから見ると、それはとても綺麗に輝くカラフルな空の花だった。人間が見える世界と、カラスの見える世界。こんなにも違うのだな。
綺麗さを知ったのと同時に、頭が痛くなった。そして一気に記憶が落ちてきた。輝き終わり、空の花達が消えていくのと同時に。
その落ちてきた記憶は、僕がカラスになる前までの記憶もあった。
僕は繋がりがあったのだ。
咲良や、蓮、花丸木さんまでも……。
***第三章 花火で気持ちが散り*咲良
繋がっていた大翔ひろとの手は離れていった。横目でちらっと見ると、彼は何ともいえない顔をしている。眉間にしわを寄せて、花火を眺めている。空で色鮮やかに燃える花火は瞳に映っているのだけど。見ているけれど見ていない。そんな感じ。心はどっか遠くにあるように感じた。
「大翔……?」
普段呼ぶとすぐにこっちを見てくれるのに……。視線を花火に戻した。隣には大翔がいるのに、いるはずなのに、ふたりの間には透明な壁があるようで、なんだか私はひとりで花火を見ているみたいだった。
花火の途中で彼は視線をこっちに向けた。
そして、いつもとは違う強めな声で私に言った。
「ちょっとだけ、ひとりになりたい」
彼はそう言って森の中から出ていった。私は後を追った。けれど彼は、人混みの中に溶け込んで、溶け込みすぎて、見えなくなった。
「待って!」
ただ消えてゆくその姿を私は呆然と見ていた。引き止めないと!って思い、声を出した時にはもう遅かった。
どうしよう。もう会えない気がした。
花火の音も、人混みも。景色全てが怖くなった。
――さっきまで平気だったのに。
いけない。このままじゃあ、私、この夜の暗闇のように心がなってしまいそう。外に出るべきじゃなかった。とにかく怖い。ふらふらしながらさっきまでいた場所に戻った。頭が真っ白になっていて、立つことさえ出来なくなった。座りながら目を瞑り、頭を抱えて下を向く。もう上を向くことが出来ないかも、私このまま沈んでしまう。
よりによって、あの時の記憶がこのタイミングで、鮮明に頭の中に映し出された。
彼ではない、別の人の事なのに。
*回想
私が十歳の時。今から八年前に幼い頃から一緒に暮らしていたある人が亡くなった。私と同じ歳で、大翔と同じ名前の彼が。
私と蓮、そして彼。一緒にいられる時はいつも三人一緒にいた。学校が終わると、大人に見つからなくて、快適に過ごせられる、当時の私からしたら絵本のお城のような存在の秘密基地で過ごしていた。
事件は突然、足音もせずに起こった。
今日と同じ、花火大会の日だった。
ちょうど木と木の間から花火が綺麗に見る事が出来る場所があった。秘密基地のすぐ近くで誰も来ない場所。そう、今日来たこの場所。
私が花火に夢中になっていると、二人が消えた。
花火が終わってもふたりが見当たらなくて、探していると蓮の姿を発見した。崖の下を見ていた。気になり、一緒に覗き込むと大翔が落ちてこっちを見ていた。
「えっ? どうしたの? 助けないと」
「行くぞ!」
無理やり私の手をとると、蓮は帰り道の方向へ走り出した。
「ねぇ、大翔は?」
何度も走りながら聞いたけれど、彼は、ぶつぶつと独り言を言いながら、とにかく私の手を必死に引っ張り走っていた。
思い出していると、こめかみ辺りが痛くなって、耳鳴りがした。
「……! 咲良!」
あっ、誰かが呼んでいる。
「大丈夫?」
聞き覚えのある声。ぱっと顔を上げると目の前には、蓮がいた。
「何故ここにいるの?」
「えっ? あぁ、俺も花火見ようと思って。もしかしてここにいるんじゃないかな?って思ったら咲良がいた」
あぁ、良かった。ひとりじゃない。現実世界に帰ってこれた。いや、そんな事よりも伝えなければ。一回深呼吸して気持ちを落ち着かせてから私は蓮に伝えた。
「あのね、大翔が突然いなくなったの。いつもと様子が違ったから心配で」
蓮はお父さんに連絡した。
「花丸木さんも今すぐ来るって!」
彼は私の手を優しく掴んだ。そして立ち上がらせると、手を掴んだまま歩き始めた。
さっき思い出した光景と似ている。違うのは、今度はこっちの大翔がいなくなったのと、蓮が私の手を優しく引っ張っている。
蓮に手を引かれ、森を抜けた。まるで迷路のような人混みの中も抜けて、駐車場についた。車の助手席に座る。整っていた浴衣の腰あたりが少し乱れている。けれど一生懸命何回もやり直し、時間をかけて結んだ帯は崩れずに整ったままだった。
「とりあえず、咲良の気持ちが落ち着いてから、車で近くを探そう。花丸木さんも探すって!」
優しく微笑んでくれた。
私は頷くと、彼に聞きたかった事を聞こうか迷っていた。忘れようと必死にしていた記憶。都合の悪いことなんて忘れたふりをしてしまえば良いと思っていたから。でも、最近それがただ逃げているように感じてきて、逃げてしまえば楽だけど、ただ逃げていれば良い事なのか、疑問になった。
「あの日、亡くなった大翔と何があったの?」
ここで質問しないと、もうタイミングが見つからないままな気がしたから、勢いで聞いた。すると、缶コーヒーを飲もうとしていた彼の手は止まりこっちを見た。
「気になるよね」
「あの日、咲良が花火に夢中になっている間、俺達は花火に飽きて森の中をさまよっていたんだ」
蓮は車のエアコンを全開にし、話を続けた。
「奥に進むと、いつも落ちないように気をつけている崖があるしょ? 軽く押したつもりだったのに、落ちてしまったんだ」
「えっ? 蓮が落としたの……」
「本当に、落とすつもりはなかったんだ。そして、逃げた」
「……」
「落としたはずなのに……」
話の途中で窓をノックする音がした。お父さんがいて、蓮は窓を開けた。
「いたよ!」
そう言うとお父さんは大翔の元へ再び向かった。
「咲良、大翔いたって!」
「うん、聞こえてる……」
「とりあえず、大翔の所いこっか」
「うん」
大翔はさっき、私を睨んでいた。再び彼と顔を合わせる事に乗り気ではなかったけれど、とりあえず着いていった。
大翔の背中が見えた。背中が、話しかけるな!と語っているようだった。
「蓮、私先に帰るね。」
「えっ?」
「疲れたから、色々と」
「じゃあ、俺も帰る」
お父さんと何か話している大翔。彼が振り返る事はなかった。
その日は帰ってこないで、次の日の朝
「ちょっと僕達、旅に行ってくるね」
ってお父さんからのメッセージが蓮に届いて、私達の目の前からふたりはいなくなった。
少し前までの、一瞬の幸せな時間はいったい何だったのだろう。私は家に閉じこもりながら考えた。まるで、夢の世界の事のような感覚。夢だったのかもしれない。大好きだった大翔に雰囲気がとても似ている彼が家にきてくれた事さえも。
私はずっと、大翔が自ら崖から落ちて、亡くなってしまった。って聞いていた。
車の中で蓮は、俺が落としたって言っていた。
ひとつの嘘が見つかると、その出来事の話、重ね合わせられているものが全て嘘に見えてくる。
「直接蓮に聞いてみるしかないな」
聞いてみよう。怖いけれど。
朝、私は外に出て目的地に向かう。お父さんに頼まれて代わりにカフェを開いている蓮の元へ。
カランコロンと音が鳴る扉を開けると、コーヒーの香りが漂っていて、パンの香りと交わりあっていた。お父さんが旅に出てからは来ていなかったからここに来たのは久しぶり。
ちょうど帰ろうとするお客さんとすれ違った。店の中は蓮以外に誰もいなかった。
「あ、咲良。ここに来るの珍しいね」
彼は微笑んだ。その微笑みも今は嘘に見えてくる。
「ねぇ、ちょっといいかな? こないだ車の中で話していたことなんだけど……」
***第四章 紅葉も花みたい*大翔
気がつけば、僕は花丸木さんと旅行に来ていた。何故こんな事になっているのかというと。
花火大会の日、ひとりになりたかった僕は咲良から離れ、人混みに入っていった。しばらくしてから崖の前まで行き、座っていた。
「大翔ひろと!」
花丸木さんが息をきらして走ってきた。
「大翔がいなくなったって電話が来て、慌てて来たよ。とりあえず、蓮れん達に見つけた事話してくるから、ここにいな、ねっ! 動いたら駄目だよ」
花丸木さんは風のように来て、風のように去っていった。
ぼんやりしていると再び戻ってきた。
蓮と咲良もいる気配がしたけれど振り向きたくなかった。顔を見たくなかった。
花火で全てを思い出してしまった。
僕をこの崖から落として、笑いながら見下ろしてきた蓮の顔と、ただ呆然としながら見つめてくる咲良の顔。
「何故、この葉っぱ達が紅く染まっているのか知っているかい?」
「うーん。分からないなぁ」
「簡単に言うとね、木を守る為なんだよ」
今、僕と花丸木さんは温泉があるホテルに泊まりに来ていて、紅葉を眺めながら蟹や野菜など沢山の種類が入った栄養バランスの良い鍋を食べていた。
目の前に見える葉っぱが紅く染まる理由もきちんとあるのに、僕は今、人間として生きている理由が分からない。
ふと、カラスの時、花丸木さんに質問してみたい事があったのを思い出した。
花丸木さんは、花をとても大切にしているけれど、特に僕が人間になる為に見ていた桜を大切にしていた。
「花丸木さんは、どうして僕が毎日見ていた桜を大切にしていたの?」
カラスの時は「食べられるわけではないのに」って言葉も添えようと思っていたけれど辞めた。人間になって暮らしてみて、少し理解出来た気がしたから。
すると花丸木さんから、僕の知らなかった真実をいくつも聞かされた。
「話せば長くなるんだけど、良いかな?」
「うん。聞きたい、です」
「それ以外の話も聞いて欲しいんだ」
花丸木さんは箸を置いた。
「あの桜ね、僕が愛している人なんだ」
「ん?」
突然何を言い出すんだ、花丸木さん。
「あ、いきなりそんな事を言っても訳が分からないね」
僕は素直に頷いた。
「きちんと言葉を直すと、僕が愛していた人が大切に育てていた桜の木なんだ」
花丸木さんはその愛していた人の事を“ 花ちゃん ” と呼んでいた。実際の名前は夢菜さんというらしいのだけど。物凄く花が大好きな女性だったから、そう呼んでいたらしい。花丸木さんと花ちゃんは親のいない子達が集まる施設で育った。血は繋がってはいないけれど兄妹のように。
「お互い施設を出た。そして、再会した時、彼女は僕の息子と同じ年齢の、一歳の女の子を連れていた」
花丸木さんは目を細めた。
「綺麗になっていて、強くなっていて。僕は彼女に惚れた。昔から良いなとは思っていたけどね。僕達はあっという間に恋に落ち、お付き合いを始めた。そしてすぐに、今住んでいる家を買った」
「あの家、庭大きいよね。花植えるため?」
「そう、花ちゃんにどんな家が良いか聞いたら、大きくなる桜の木も、他の花も育てられるくらいの、庭が広いお家が良いなって。ちょうど良い土地が見つかって良かったよ」
ちなみに、ほんの少し離れた場所にも花丸木さんが所有している土地があり、そこに桜の木が植えられている。
けれど、花ちゃんは娘が六歳の時に亡くなった。
「もしも私がこの世からいなくなったら、この子をよろしくお願い致します」
自分が生きられる時間はあとわずかしかないのだと彼女は知っていたから、そんな発言を繰り返ししていたのだと、結構後に花丸木さんは知ったらしい。
「もっと早くに教えてくれれば、彼女の余命を知っていれば、もっと何か、彼女の為に出来たかも知れないのに……。いや、出来たのかな?」
花丸木さんは語りながら考えていた。
「僕は彼女のおかげで興味のなかった花が大好きになった。そして花の知識を彼女に伝えれば、とても興味を持って喜んでくれるから、僕は花の事を沢山調べて、とても詳しくなっていった。彼女の夢は花の美しさを沢山の人々に伝える事だった。だから僕は彼女が亡くなってから、彼女の夢を叶えたくて、花に関しての本を書いた。夢を語る時の彼女はとても美しくて、真剣で。こんなに綺麗な花達が見られない世界や星はもったいない。届けて見てもらいたいね! なんて話もしていた」
「もしかして、花ちゃんって咲良のお母さん?」
「そうだよ。咲良は花ちゃんが産んだ子。そして僕が今育てている」
咲良と血の繋がっていた父親は花ちゃんに対して言葉の暴力が酷くて、そういうのは見ているだけで子供の心の発達や将来に悪影響を及ぼすからって、結婚せずに未婚のまま母になる事を決意したらしい。
「あと、思い出したんだけど、花丸木さんって僕のお父さんだよね?」
花丸木さんは男手ひとつで僕を育ててくれたお父さんだった事も思い出していた。
ちなみに、花丸木さんは、産後の奥さん、つまり僕の産みの親を置いて長い一人旅をしたり、マイペースすぎて、あなたの事が分からない!と言われ奥さんに出ていかれたらしい。今は色々反省していると言っていた。
花丸木さんと花ちゃんは、再会してすぐに愛し合い、僕と咲良の事も愛し、幸せなひと時だったらしい。花ちゃんが亡くなってからも、子供達を愛し、そして子供達から愛されていたから生きていられたのだと彼は言った。
「そう。ちなみに息子のあなたを、カラスの姿の時もずっと見守っていたよ」
「えっ? どういう事?」
「八年前、大翔がいなくなった次の日、蓮が前日に起こった事を話してきて、僕ひとりで見に行ったんだ。そしたらもう既にカラスになっていた。生きていたんだ」
「えっ? 僕だって分かったの?」
「うん。僕が畑セットを渡した二人組のお母さん、その時、傍にいたんだよね。その時はご夫婦で新婚旅行に来ていたみたい。彼らが命の消えそうな大翔を見つけて、元気なカラスにしてくれたらしく。詳しく説明してくれたよ」
花丸木さんは大きなため息をついて、下を向き早口で再び語りだした。
「息子をこんな目に合わせた蓮の事が許せなかった。あいつは後悔している様子だったけれど、蓮には大翔がカラスになって生きている事を言わなかった。後悔して苦しんでいるようだからずっとこのまま苦しみながら生きていけばいいと思っていた。償わせてくださいって言ってきたから、カフェの手伝いしてくれたら、それで大丈夫って、善人の顔して僕は言った。そして毎日会う度に、大翔との幸せだった頃の話を彼にして、毎日罪に意識を向けさせた。警察に捜索願いを出し、探してもらいながら、僕は知っていたんだ」
花丸木さんはこっちを向いて言った。
「僕は悪い大人だよね」
次々と来る情報のせいで、気持ちの整理が追いつかず、僕は何も返事が出来なくて、紅く染まった葉に視線をやった。
「大翔が人間の姿に戻ってくれた時は、本当に驚いたよ。しかもあの桜の花ちゃんの前で」
彼は桜の木の事も “花ちゃん ”と呼んでいた。
大切にしている理由、分かった。
「あの瞬間は、花ちゃんが息子に魔法をかけてくれたのかと思ったよ。しかも一緒に暮らせる事が出来たし。ちなみに今家にある、大翔がぴったりな服も、花火大会の時に着た浴衣も、大きくなった姿の大翔を想像して花ちゃんと一緒に準備していたんだよ! 咲良の分もね! サイズピッタリでよかった」
想像しただけで、心がじんわりしてきた。
「そういえば僕ね、カラスの時、花丸木さんが話しかけてくれた時、言葉が分かったんだ。人間語なのに。花丸木さんだったからかな」
「元人間だったからじゃない? 人間の時の記憶だと思うな。それより、とうさんって呼んで!」
「うん、とうさん」
ご飯はいつも美味しいけれど、この日のご飯はいつもより美味しく感じて、普段はそんなに沢山食べれないのに、足りないと思う程だった。
咲良は今、ご飯を美味しく食べれているだろうか。
気がつけば雪が降っている季節になっていて、北海道を何周もとうさんが運転している車でぐるぐるしている。
気持ちに余裕が出来てくると、周りの人の気持ちが気になってきた。
とうさんは沢山「楽しい」って言葉を言ってくれた。帰りたくないって言ってから、ずっと嫌がらずに一緒に旅をしてくれている。とうさん、そろそろ咲良達に会いたいだろうなぁ。
八年前の花火大会の日、僕を崖から落とした蓮。僕がカラスから人間になってから彼は、本物の兄さんのように、昔よりも僕を大切にしてくれている。
そして、咲良。花火大会の日、いきなり僕が姿を消して、どう思ったのだろうか。
毎日、彼女の事を考えている。泣いてないかな? 笑えているかな? 外に出たりしているの? とか……。
とうさんは、僕の気持ちがこうなる為に一緒に旅をしてくれていたのだろうか。
過去を思い出してからは、何故僕がこんな目に合わないといけないのか? だとか、人間でいられなくなる焦りだとか、悪い感情で押しつぶされてしまっていた。
花ちゃんは最期までずっと周りの事を考えていた。幼い頃の記憶の中では、花ちゃんはいつも優しく僕を見てくれていた。僕は自分の気持ちでいっぱいいっぱいだ。でもせめて、幸せな気持ちで人間を終わりたい。
「とうさん、僕、そろそろ帰りたいな。とうさん手作りのパンを食べたい」
僕はとうさんから電話を借りて、自ら蓮に「そろそろ帰るね」って電話をした。家に戻ったら、みんなに全てを話そう。僕が人間でいられる事に期限がある事も。
桜は四月末から五月の初め頃に花を咲かせる。
僕がカラスに戻るまで、あと半年もない。
家に着いた。久しぶりに戻ってきた。記憶も戻ったから、物凄く懐かしくて、より思い入れのある場所に感じた。
荷物を車から降ろしていると、カラスの姉さんがひょこっと隣に来た。夏よりもふわふわしていた。
「ただいま。姉さん。寂しかった?」
僕はお土産のドングリを姉さんに渡した。ぱくっと咥えて喜んでくれていた。
「とりあえず、帰ってきた事を伝えてくる!」
「分かったよ! 多分蓮はカフェにいるから、僕は荷物家に置いて、少し整理したら行くね!」
姉さんは離れずに、ずっと僕の後を着いてきた。
「姉さん、着いてきてくれてありがとう。僕は中に入るね!」
姉さんが頷いたのを確認すると、カフェの扉を開けた。
***第五章 雪の花が落ちてきて*咲良
花火大会の日から時が過ぎ、雪の降る季節になった。まだふたりは帰ってこない。
毎日考える。大翔は今何してるのかなって。笑っているのかな、困っている事はないかな? そして、私の事考えてくれているのかな?
あの日、手を離した事を後悔している。
無理やり握りしめておけば良かった。
お父さんも大翔もいなくて、なんか物足りなくて、お父さんの代わりにカフェを開いている蓮の元に毎日来ていた。
ちなみに彼らの旅行費は、お父さんの本が売れていて、心配ない。って蓮が教えてくれた。
「なんか、大翔って、亡くなってしまった彼に似てない?」
私はホットミルクを持ってきてくれた蓮に言った。
蓮に以前、亡くなってしまった彼を何故崖から落としたのか聞いた。すると、喧嘩をしていたら落としてしまったのだと答えていた。ひどく落ち込んだ表情をするから、その時はこれ以上聞いてはいけない気がしたのでやめておいた。今も、彼の話題を出すのは良くないと思っていたけれど、気がついたら、私は蓮に質問していた。
「初めて出会った時も思ったけれど、大翔の事を考えているだけで、彼の事を思い出すんだよねぇ。それに、あの私に宝物をくれたカラスもなんか似てる気配する……」
カラスが以前持ってきてくれた角が丸くなっているエメラルドグリーンの小さなガラスの破片をポケットから出し、テーブルの上でいじった。私は小さな頃からピンク色のものが好きだけど、この色がとても気に入っていた。あのカラスが持ってきてくれたって理由もあるけれど。
窓から差し込んできた光にそれを当てるとより綺麗に透けてキラキラしている。じっとそれを眺めた。
「えっ? だって全部同一人物じゃん」
「何言ってるの? 大丈夫?」
「まじだって!」
「えっ? まって! 本当に? 頭大丈夫?」
カランコロン。
その時、ドアが開いた。
「ただいま!」
大翔が入って来た。しかもとても明るく。
「お、おかえり!」
蓮も明るく答えていた。
今聞いた話が理解できなくて、そして久しぶりの再会。どんな言葉をかければ良いのか、全く思いつかなかった。けれど、何かは話したい。
「あ、そのガラス」
大翔は言った。視線はテーブルの上に置いてある、カラスから貰ったガラスにあった。
「このガラス?」
もしも、彼があのカラスだったならこの質問答えられるよね? 私は彼を試してみた。
「これ、いつ貰ったんだっけ……」
「これね、暑い日だったかな? パンのお礼にあげたんだよね確か」
あっ!
いきなり大翔が、見える世界がファンタジーな世界に包まれた。蓮の言っていた話は本当だった。てことは、亡くなったと思っていた彼。
「大翔は、大翔なの?」
「えっ? そうだよ! 僕は僕だよ」
「良かった!大翔だったんだね」
「ちょっと待って! 多分ふたりの会話はすれ違ってる」
蓮は、大翔が昔消えてしまった彼と、カラスと、今の大翔が同一人物だって事を私に伝えたって事を分かりやすく、大翔に伝えてくれた。
「そうだよ。そしてね、今日はみんなに、僕にとっては物凄く大切な事を伝えたいんだ」
荷物を家に置いてきたお父さんも入ってきて、私達四人はひとつのテーブルを囲んで座った。
「まずね、僕、花火大会の日、全てを思い出したんだ。その日、後ろにふたりの気配を感じていたけれど、正直、僕を見捨てたふたりが憎くて、目を合わせたくなかった」
その言葉を聞くと、蓮は薄く息を吐き、下を向いた。
「花丸木さ…とうさんと旅をして、気持ちが変わっていった。初めはリアルな天気も雨で、僕の心も雨が毎日降っていたけれど、だんだんと晴れの日が続いてきた。咲良と蓮、一緒に過ごした時の、良い思い出ばかりが沢山頭の中に流れてきたから……。そしてね、今日伝えたい事。僕、桜が咲いたら、カラスに戻ります」
彼以外は誰も口を開かない。開けない雰囲気。誰かの唾を呑む音だけが聞こえる。
「えっ?」
三人は一斉に同じ言葉を発した。
「僕ね、一年間だけ、人間の姿でいられるんだ」
彼が人間に変身するまでの話を詳しくしてくれた。理解に時間がかかった。
たった一年間。それなのに、離れた時間がとても長かった。やっぱり、あの時、手を離すべきではなかった。
「僕は残りの人間でいられる時間、みんなともっと大切に過ごしたい」
「やっぱり、残りの時間を知っても、特別な事をしてあげられる事は、僕には出来ないのかぁ。せめて、大翔がカラスになっても、また見守り続けたいな」
お父さんは、息を吐くように呟いた。
「父さん、旅行、すごく幸せだったよ。他の事も全部!」
お父さんは大翔の目を見て弱く微笑んだ。
蓮は無言のまま、うつむいていた。
その真実を知ってから、何か特別な事が出来るわけではないけれど、一緒にいられる全ての時間が愛しくなった。
現実に背を向けずに、きちんと向き合えるようになった気もする。彼の気持ちに、きちんと正直に向き合いたくて
「小さい時から好きでした」
私は彼に伝えた。
「僕も」
伝えたけれど、お互いに好きだけど、一緒にいられる時間には期限がある。彼がカラスになれば、きっと仲間の元へ行ってしまう。私から離れてしまうかもしれない。そして、カラスに戻ったら、彼の記憶が消えてしまうかもしれない事も聞いた。
全てがなかった事になってしまうかもしれない。私の事、一緒に過ごしてきた時間。全て……。
権力者の勝手な正義のせいで、男の人が戦いに行かなくてはならない状態になり、離れ離れになってしまう愛し合うふたりの物語の映画を思い出した。ふたりは別れの時、抱き合いながらずっと泣いていた。泣きながら「愛してる」って何回も声が枯れるくらい言い合っていたのを思い出した。
お互い愛し合っているのに、別れないといけないのって、本当に辛い。
一緒に過ごしているうちに離れたくない気持ちが強くなってきた。
時間が止まれば良いのに。
ずっとずっと一緒にいたい。
時間は止まってくれずにどんどん過ぎていった。
「カラスと人間って物の見え方ちがうの?」
「寒さとか感じるの?」
「ねぇ、空を飛ぶのってどんな感じ?」
気がつけば、私は質問ばかりしていた。
私の知らない時の大翔が知りたくて。
「空を飛ぶ。どんな感じだったっけな……。飛んでいる間は羽を休ませることが出来ないから、多分必死だったのかもね。あんまり覚えてないな」
「必死にかぁ。風になれて、気持ちよさそうって私は思ってたな。空を飛べたら、外に出るのが怖くなくなるのかなぁ」
あっという間に雪が解けて、桜の花が開く時期になってしまった。
「私の事、忘れないでね」
「絶対に忘れない。忘れるはずがない」
朝、桜の花が開いた事をお父さんから聞いた。玄関で私達は抱き合った。
「好き」って私が言うと「僕も好き」って、彼が答えてくれた。泣いちゃうから一回だけ言った。
みんなに見られると、別れが惜しくなって桜の花を見られなくなるかもしれないから来ないでねって大翔は言った。
私達は、ここでお別れする事にした。
「じゃあ、さよなら」
大翔は桜の木に向かっていって、私達は彼の背中を見送った。
…………。
ただだまって見送る事は出来なかった。
私は、彼の背中を追いかけた。
大翔はどんどん桜の木に近づいている。
「大翔!」
私は持っている全ての力を振り絞って叫んだ。こんなに叫んだ事は今まで一度もない。
彼は振り向いて立ち止まってくれた。
「来ないでって言ったのに。桜の花見れなくなる!」
「行かないで! 離れ離れにならない方法ないの?」
私はぐちゃぐちゃな顔になりながら言った。
「あるわよ!」
後ろから声が聞こえた。
***第六章 再び桜が咲いた*蓮
しばらくたっても大翔と咲良は戻ってこなかった。咲良は落ち込んでいて、大翔はカラスになったんだな。
昼、庭に置いてあるベンチに座っていると、大翔らしきカラスが姿を現した。
「あ、大翔……俺の事覚えてる? 元気? ご飯食べたかい?」
俺は、彼の細かいところまでとても心配だった。
「カァー。カァー」
元気に返事をしてくれたからきっと大丈夫かな。手に持っていたパンを小さくして彼にあげた。
彼はもしゃもしゃ食べている。
「何か困った事あったら、いつでも頼ってくれよ」
俺は時間さえあれば、ずっと彼の近くにいて、何か手助けをしたいと思っていた。今までは罪を償うためにって考えでそうしていたけれど、今は純粋な気持ちで。
「蓮!」
後ろから聞き覚えのある声がした。
「あれ?」
俺は立ち上がって、彼に近づいた。
「今、後ろでずっと見ていたよ。カラスと会話出来るんだね」
「え? どうして、人間なの?」
俺は声が震えた。
そこには桜の花びらを持った咲良と、人間の姿をした大翔が立っていた。
「理由を教えてあげるね」
さっきまで俺の座っていたベンチに座りながら咲良は言った。
「いや、僕が話すよ。人間に変身させてくれた二人組の母親が僕の事心配してくれて、そこにいてね……」
大翔は語り出した。
「あのね、咲良と半分こにしてもらったんだ」
「半分? 何を?」
「生きる時間と、カラスに変身する能力」
「ん?」
「まず、咲良と僕の人間として生きられる時間を足して、半分こにした。そして人間である咲良はカラスにも変身出来るようになり、カラスである僕は人間に変身出来るようになった。だから半分こなの」
「じゃあ、大翔はこれからは人間としてでも生きられて……。咲良は寿命が短くなったってこと? カラスにもなれちゃうの?」
「そう。大翔は人間として生きる時間がゼロって感じだから、私の寿命が半分になった感じかな。私ね、寿命が短くなった事に後悔はしてないの。むしろ、人間の大翔とこれからも一緒にいられるし、外に出られるようになったし……。ずっとね、この広い空を飛んでみたかったから」
「え、じゃあこのカラスは?」
「僕の姉さん!」
カラスはこっちを見ながら、目をキランとさせた。
広い空を飛ぶのか……。
「ずっと羽を動かし続けてこの広い空を飛び続けるのも、疲れてしまいそうだから、きちんと休んでね」
一年前の俺なら、絶対にそんな言葉をふたりにかける事なんて、出来なかったと思う。
変われる可能性はゼロじゃないのか。ふたりに教えて貰った。
「寿命を半分にって事は、大翔と咲良は死ぬ時も同じ時期なのかな」
事故や病気、それとも寿命を全うして……。この世からいなくなる理由は様々だ。本人さえ予想出来ない。そして、その時は、突然訪れる。
「全く同じらしい」
大翔は羽をパタパタさせるみたいに、両手を大きく広げて、上下に揺らしながら言った。
「そう、同じらしいから、どっちかがここの世界に置いてかれて悲しい想いをしたり、置いていく事になってしまうから心配になるとか、そんな気持ちを知らないままでいられるのよ!」
咲良は目を輝かせながら言った。
たしかに、生きられる時間は減るけれども、このふたりにとっては良いのかもしれないな。
「よし、行こっか」
「うん」
ふたりは、旅にいった。
幸せな旅へ。
「ねぇ、ふたりに話を聞いたかい?」
花丸木さんが来て、咲良が座っていたベンチに座った。
「うん。聞いた。なんか幸せそう」
「幸せそうだよね。一緒にこの世から旅立てるなんて、羨ましいな。僕ももしそう出来ていたら……」
彼は桜の木を見つめている。
「僕ね、新しい夢が出来たんだ」
「気になる! 花丸木さんの夢」
「えっ? 気になってくれるの?」
「うん」
「まぁ、話せば夢が近くに来てくれる気がしてるから話すね」
「やった!」
いつから俺はこんな親しげに花丸木さんと話せるようになったんだろう。
「地球以外の星に咲いた花を見に行くの。花ちゃんと一緒に」
桜の枝を挿し木している鉢植えを彼は指さした。
以前俺には一切見せてくれなかった幸せそうな表情をして話してくれている。
「叶うよ、きっと! 花丸木さんって考えている事なんでも実現しそうだもん」
「ありがとう! あとね、蓮」
「何? 改まって」
「実はね……」
花丸木さんは、大翔が世間で行方不明になっていた時も実はカラスとして生きている事を知っていた事、俺の事が憎くて罪の意識を常に忘れさせない為、傍においてわざと毎日大翔の事を語っていた事を教えてくれた。
「でもね、もう憎んではいない。だからこれからは、自由に生きて」
俺を憎んでいたって事は、気づいていた。
「花丸木さん、俺ね……」
今、伝えたい事があった。伝えなきゃと思った。けれど、これを話したら、嫌われる。
「何?」
思わず何でも話したくなるような花笑みで待っている。この笑みをされると、昔、カフェでお皿割っちゃって隠そうとした事とかもすらすら話してしまった。今から話す事以外は何でも話していた。嫌われるのが怖いけれど、言おう。
「俺、喧嘩しているうちに落としてしまったって言ってたけど、本当は、無抵抗な大翔の事を……わざと落としたんだ」
「わざと……。知ってたよ」
花丸木さんの表情は変わらない。
「よく言えたね」
俺の頭を撫でてきた。
同時に涙が溢れてきた。
*回想
花火大会の日、咲良は花火を真剣に見ていたけれど、俺らはすぐに飽きて、暇だった。「あっちに行こう」って大翔が誘ってきたから、言われるがまま一緒に歩いた。歩いていくと崖についた。
「こっから落ちたら痛いのかな」
大翔が身を乗り出し崖の下を覗いていた。
このまま落ちてしまえばいいのに。
そしたら、花丸木さん、そして咲良は大翔ではなくて、俺の事を好きになってくれる。
そう思うだけで良かったのに行動に移してしまった。後ろから、軽く押してしまった。
落ちるとは、こんなに大変な事になるとは思っていなかった。
落ちてから、本当に一瞬の出来事のように時間は過ぎていった。
「この子は、大翔に嫉妬して、嫌いなのかなぁ? って事は感じていたんだ。君が両親に放置されていた事は、君が教えてくれていたから、大人の僕がもっと寄り添えば、大翔の事を好きになってくれて、こんな事にはならなかったのかもね」
「花丸木さんは、何にも悪くないんだ。全部俺が……」
「よし! そろそろ、父さんって呼んで! 咲良も、大翔も、そして蓮もみんな僕の大切な子供!」
ずっと嫌われるのが怖くて言えなかった事を花丸木さんは受け止めてくれて、花笑みのまま俺を抱きしめてくれた。
あの事件の時は、大翔がいなくなって、沢山の大人達が動いて、周りの動きが予想を遥かに超えて、どうしようと思った。逃げ場がなくなったけど、花丸木さんにだけは話せた。嘘ついてしまったけれど。
俺のせいで悲しそうな花丸木さんや咲良の為に、自分の事はどうでもいいから尽くして生きていくんだって、罪を背負って一生、生きていくんだって思っていた。
大翔が一年前家に来た時、崖から落としてしまった彼なのかなとすぐに思い始めた。顔はカラスに似ていて、顔立ちがはっきりして、あの時と変わっていた。特に目が大きくなっていて。でも、大翔の気配がした。はっきりと本人だと分かったのは、花丸木さんが大翔と全く同じように接していたから。名前までそう呼んでいたし。俺達の事を大翔は覚えていない様子だったけれど。
カラスだったって事も、大翔と花丸木さんが話している会話をこっそり聞いた。こっそりと言うか、普段その事を隠してるっぽかったのに、花丸木さん隠している事を忘れていたのか、聞こえる声で話していた。
咲良をしょっちゅう愛しそうに見つめていたカラスの存在は知っていたから、すぐに「あのカラスか」と納得した。
花丸木さんと咲良は彼と接する時、いつも幸せそうだった。その光景を見ていた俺も幸せだった。
それと比例して、怖さも増していった。
大翔が過去を思い出した時を想像して。
大翔から過去を思い出した事と、人間でいられるのには期限があるって聞いた時は、罪悪感や後悔、そんな気持ちしかなかった。
けれど、彼は思い出す前と変わらない態度で、むしろ、俺との時を以前よりも大切にしてくれている感じがして、毎日心の中で感謝の気持ちばかり言っていた。
大翔が人間でいられて良かった。
「俺、自由に生きてって言われたけど、自由がよく分からないんだ。しばらく、父さんのカフェ手伝うわ! だから花いっぱいになった星を見られるチャンスが訪れたら、カフェの事や、咲良達の事は俺に任せて、花さんと一緒に見に行ってきて」
俺も、寄り添える何かがあれば、完全には難しいかもだけど、今よりは前向きになれて、夢とかが出来るかもしれない。今はまだ、いいや。ゆっくり進もう。
「でも、なんで大翔はカラスに変身したんだろうな。何故カラス?」
そんな事を考えていると、隣にカラスの大翔のお姉さんがぴょこんと来て、俺を見上げてきた。
「おまえ、つぶらなその瞳で見上げられたら……。めちゃくちゃ可愛いな」
お姉さんにそう言うと、彼女は微笑んだ。
***エピローグ
桜の花が散る。
桜は、散ってから始まるんだよ。って、とうさんが教えてくれてたっけ。
あと、思い出した! 桜が咲くには厳しい寒さも必要なんだって。
桜の木を見上げた。
僕たちの事を、とても温かい眼差しで見守っていてくれている。
花と葉は別々の道を歩んでいるようだけど実は同じ桜の木で、同じ方向を向いて歩んでいるんだ。
――咲良と僕は、これからは同じ道を歩いていく。
「綺麗な花を見に行きたい!」
「ね! 行こうか! 着いてきて!」
僕も花に詳しくなった。
綺麗だと思えるようになっていた。
ふたりはカラスになり、柔らかな緑色を蹴り、地から離れると、どこまでも続く水色の広い空に向かって一緒に飛んだ。
とうさんから聞いた、娘の事を全力で愛していた花ちゃんの話を、目的地に着いたら咲良に教えようかな! もう、知ってるのかな?
僕は、横で気持ちよさそうに飛んでいる咲良を見つめた。僕も気持ちよかった。
この一年間、僕はまるで桜色のような(?)恋をした。
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