霞月の里

そゆ

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第三任務 毒虫

三毒

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 明継あきつぐが目を覚ましたのは、冷たい空気が漂う暗がりの中だった。
 彼は横たわったままぼんやりとした視界の中で辺りを見渡した後、指先に力を入れた。
 体の動きに違和感がないことを確認して安堵すると、体に触れる冷たい感触が石でできた床なのだという事にようやく気が付いた。
 疲労感の強さにせめて目が慣れるまではと起き上がるのを躊躇っていたが、目の前を白く輝く蝶々が通ると、虫たちに群がられた記憶がフラッシュバックして飛び起きた。

「目が覚めた?」

 暗闇から聞こえたのは鈴を転がすような声だった。
 純白のドレスを身に纏った髪の長い女性がゆったりと近づいてくる。その周りには先ほどの蝶々がひらひらと舞っている。
 艶やかな黒髪の先端は鮮やかな樺色に染まり、優し気に垂れた瞳はくっきりとした濡羽色だ。小ぶりな忘れ鼻と、花びらのように薄くて淡い色合いの唇が顔の中でバランス良く配置されている。
 どんな男も虜にしそうな容姿の女性だが、それはどこか、あの草原で明継を襲った少女たちの顔に似ていた。

「ずいぶんと怖い目にあったようね。私の子供たちが無礼を働いてごめんなさい」

 まるで他人事のように言うと、手のひらを口元に寄せると息を吹きかけた。

「あなたの体の中から滲みだす力に皆が食いついたみたい。でもよく生き延びたわ。彼女たちのいたずらにすら敵わない霞月かげつの人間がゴロゴロいるのに」

 女の動きに警戒して明継が身構える。同時に、花の蜜のような香りが鼻孔をくすぐった。

「あいつらの仕業か」

「全てはあなたをおびき寄せるためよ」

 甘い香りで肺が満たされた頃、明継は目をこすった。

「あなたの中にはあの人の力が眠っている」

 女の言葉が頭の中で反響し、上手く聞き取れなくなっていく。視界も徐々に霞んでいく。
 小刀を抜き、切っ先を向けて怯まぬ意思を見せるが、女はゆったりとした態度を変えずに微笑んだ。

「まだ立っていられるの? あの人が出てこられないはずだわ」

「あの人あの人って……なんなんだよ」

「自分の体のことなのに聞かされてもいないのね。かわいそうな子」

 眉間に皺をよせた明継が女に向かって走り、斬りかかる。しかしその刃先が貫くはずの女の体は何匹もの輝く蝶々となって散った。

「そんな玩具では私を斬れないわ」

 ざわざわと音を鳴らして羽ばたく大量の蝶が明継の横を通りながら囁く。それは背後に集まると再び女の形に戻り、細い手のひらで明継の目を隠した。

「あ……ぁ」

 明継の全身から力が抜け、膝から崩れ落ちた。

「おやすみなさい」

 上品な笑い声が耳元を掠めて消えた。







「こんな窮屈な思いをさせられて……さぞお辛いでしょう」

 何の話をしているんだ?

 明継は朦朧とした意識の中で、女に膝枕をされながらその声をぼんやりと聞いていた。

「私が出して差し上げますからね」

 女が明継の胸に手をかざすと、白い光が生み出された。
 明継は瞳に差し込む微かな光を感じていたが、その光が徐々に熱を帯び始めると、体の中から何かを引きはがされるような感覚に襲われた。

「あ……! ぐ……!」

「大丈夫。すぐに終わります」

 明継の胸がへこむと、中からとげとげしい漆黒の結晶が顔を出し始める。

「ああ、良かった!」

 女が顔を喜びに染めて叫ぶ。しかしそれは部屋に鳴り響いた緋咲ひさきの声によってすぐさま打ち消された。

「明継!」

「邪魔者が来たようね」

 声に反応して視線を上げた女が緋咲を睨みつける。
 緋咲はその腕の中にぐったりと横たわる明継の姿を見つけると、尖りゆく瞳孔を紫に染めた。

「明継を返して」

 緋咲の表情を見て、女が静かに笑う。

「この子の中には私の愛する人がいる。それを開放したらこんな子いつでもくれてあげる」

「中に何がいるのか知らないけど、それもひっくるめて私の明継なの。勝手に触らないでくれる?」

 二人は視線を交えて静かに火花を散らした。
 しばし睨み合いを続けたが、女が先に視線を逸らすと明継の顔を見て、愛おしいものに触るかのように髪を撫でる。

「そんなにこの子のことが好き? ……でも私も、あの人を愛しているの」

 女は明継を床に寝かせて立ち上がると、緋咲に鋭い視線を向けて間合いを詰めた。

「随分と品のない女が来たわね」

「見てくれだけの性悪女が」

 顔を歪めた女が手を差し出すと白い光が棒状に伸び、すらりとした長剣が生み出された。
 緋咲は小刀を構えながら皮膚に鱗を纏わせて硬化する。

「蛇……? あなたにお似合いね」

「アンタなんて毒虫でしょう?」

 緋咲が女に向かって走り始め、間合いに入ると2人同時に武器を振りかざした。刃物同士がぶつかる甲高い音が響き、武器越しに互いを睨む。
 緋咲が身を翻して刀身を解放すると、女の脇腹を狙って刀を振りぬく。が、その体はふわりと解けて小さな蝶が舞った。

「ごめんなさいね。そういうの効かないの」

 体を元に戻した女が吊り上げた唇で煽った。
 攻撃を躱された勢いで無防備になった緋咲の体に女の長剣が振り下ろされ、刃先が肩に食い込んだ。しかし緋咲はよろめきもせず、口を蛇のように裂いて牙を女に突き立てた。
 だがやはり女の体はふわりと解けて、空振りに終わる。

「そんな力じゃ大事な人を護れない」

「化け物が」

 懐から薬を取り出した緋咲は口に含んで噛み砕いた。体に深く刻まれた傷口がみるみるうちに回復していく。
 眉間に皺を寄せた女に

「霞月には優秀な薬剤師がいるのよ」

 と、言って飛びのき、再び間合いを取った。

「いくら回復したって、あなたの攻撃じゃ私を倒せない」

 女は憐憫の眼差しを送ったが、緋咲の瞳は衰えなかった。
 構えた小刀を紫色の光で包む。

「あら……美味しそうな光だこと」

 物理攻撃がきかない相手に緋咲が出した最終手段だったが、実際に目にした女の反応は緋咲が予想していたものとは違った。
 体から溢れた紫色のオーラを見た女が目の色を変えて体を解いた。
 青白く光る蝶々が一気に舞い上がったことで緋咲が瞬きをする。
 その瞬間、腹に鋭い痛みが走った。

 緋咲は何が起こったのかと痛みを感じた箇所へ視線を送る。

「……う、そ……いつ……?」

 女の長剣は緋咲の腹を貫いていた。
 目前にまで迫っていた女の笑みが緋咲の瞳に映る。

 長剣を勢いよく抜くと、緋咲は大量の血を吐き出しながら床に崩れ落ちた。

「被食者のクセに誘ってくるからよ?」

 パックリと開いた腹の傷口に女の細長い指がねじ込まれていく。
 容赦のない挿入に緋咲が声を上げた。

「う、ああぁ!」

 紫色の光が女の指を伝って移動する。傷口をこじ開けられる痛みと力を抜き出される鈍痛で膝から崩れ落ちた。

「あら。吸われるのは初めて? 痛い? ねえ」

「い……や゛あぁ!」

「ふふ。美味しい蜜がたくさん溢れてくる。もっと吸わせて」

 女は傷口に挿入する指の本数を増やして更に力を吸い取った。吸収したエネルギーが女に快感を与え、瞳がとろける。
 緋咲の耳元に熱を含んだ吐息がかかった。

「ヒトの力って、どうしてこんなに美味なのかしら? ほら、もっと声を聞かせて……」

「ひっ、ぃ……やめて……いや……」

 覆いかぶさる女を腕で押し返そうとするが、緋咲の体にそこまでの力は残っていなかった。抵抗もむなしく緋咲の力は女に吸いつくされていく。
 やがて緋咲が静かになると、女は探るように指を捻ったが吸収するものが無くなった事を知ると引き抜いて付着した血液を舐めた。

「ごちそうさま」

 明継の元へ戻った女は、明継を再び膝の上に乗せると緋咲に見せつけるように唇を奪い取った。
 明継の胸元に置いた女の手のひらから白い光が発せられると、再び明継の唸り声が響く。


 霞みゆく意識の中で明継の悲鳴を聞きながら緋咲は最後の力をふり絞って懐を探った。
 緋咲の言う優秀な薬剤師――春瑠はるが渡した薬は二種類。回復薬と起爆剤。
 鉛のように重い腕を動かしてゆっくりと小瓶の中身を口に流し込むと、緋咲の体が震えた。

「うう……う……」

 くぐもった声を微かに上げながら、脳裏に春瑠の顔を思い浮かべた。

(クグイさんには内緒ですよ? 緋咲さんにだけ渡します)

 記憶の中の春瑠がいたずらっぽく笑う。

「うう……あ、ああ」

 緋咲の息が上がり始める。胸を貫く痛みに動かなかったはずの体が無意識に藻掻き始めた。

(明継さんの力を精製して調合したんです。一次的ですが起爆剤となって力を与えます)

「あっ……は、あぁ……!」

(でも本当の本当に、必要な時しか使っちゃダメですよ。緋咲さんの体が耐えられなければ…………。だから、絶対に何かを守りたい時だけ。そのために使うんです)

 心配そうな瞳が緋咲を見上げた。

『緋咲さんを死なせるわけにはいかない』

 この言葉は、緋咲が春瑠の心をこっそりと覗いて聞こえた声だ。

「ううう、うううああアアッッ!」

 緋咲の体から生まれた衝撃が遺跡の岩を震わせた。それは外に待機する嗣己しきの体にも伝わった。


 衝動に駆られるように緋咲が体を起こす。
 女は緋咲の力を観察するように見つめ、それが自分の良く知った力の一部だと理解すると

「霞月め……」

 と、呟いて唇を噛んだ。

 明継から離れ、再び立ち上がった女に向かって緋咲が吠える。

「明継を返せ!」

 その声は緋咲のものとは程遠い、禍々しいものだった。
 体は赤黒く、目は光り、前のめりになって肩で呼吸をする。

 女の目の前に一瞬で接近した緋咲は鋭い爪先で切り裂いた。黒い霧を纏う爪は女の体が解ける前に大きな傷跡を残す。
 痛みに顔をゆがめながら飛びのいた女の足首を緋咲が捕まえて放り投げた。頭から地面に突っ込む前に体を解くが、脳みそが震えるような衝撃を全て逃がすことはできなかった。

「明継に何をした? お前は何者だ? 明継を返せ!」

 言いながら近づく緋咲を睨みつけながら女は後ずさる。

 これが本当にあの人の力の一部ならば、敵わない。

 表情を曇らせた女に、漆黒の大蛇となった緋咲が牙を剥き出しにして飛びかかる。
 女は間一髪で転がり避けるが、全身を蛇に変えた緋咲はひどく俊敏で、腕が逃げ遅れたともなればすぐに捕まり引きちぎられてしまう。
 女は白い光を放って腕を再生するが、気が付けば壁際まで追い詰められていた。
 人の形状に戻った緋咲が逃げ場を失った女に詰め寄るように近づく。全身が赤黒い緋咲の口元だけが真っ赤に色づき、裂けた。


「旨そうだ」


 顔を歪めた女は襲い掛かられる前に全身を解いて散らばった。
 発光する大量の蝶々を1匹とて逃さんと緋咲の手と牙が追いかけ仕留めるが、それをすり抜けた蝶は岩の隙間を通って逃げ出すと上空高く舞い上がり、消滅した。
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