霞月の里

そゆ

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秘められた力

及第点

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 明継あきつぐは走っていた。息を吸うのも吐くのも精一杯で、どれだけの距離を走っているのかも分からない。後ろには太い胴体と尻尾をもった鰐のような人間が長い髪を振り乱しながら追いかけてくる。

 あぁ気色悪い。
 死ぬほど気色が悪い!

 明継は心の中で精一杯の悪態をつきながら走り続けた。
 なぜならその化け物は、少しでも遅れをとると耳まで裂けた口を開いて、丸飲みにでもしてやろうかと食いついてくるからだ。
 明継は、どんな経緯でこの化け物たちが産まれたのかを考えたが、それを作っている男たちの顔を思い出したら一気に怒りが湧いて、思考を停止させた。


『1日目で死ぬかと思ったのになぁ』

 月白色の瞳の男が口を尖らせて言った。

『今日はさすがに難しいかもな』

 白髪を風に揺らす男が不憫に思いながら言った。

『俺は緋咲への執念に全額を賭けるよ』

 金瞳の男が言った。


『『言ったな?』』


 彼らは、それぞれの持ち場で明継を監視しながら笑い合った。

『ペットが役に立つ日が来るとはなぁ』

 白髪の男はどこか満足そうに顔をほころばせた。
 ”ペット”と呼ばれる化け物の成り立ちはそれぞれだ。

 一番最初に明継が出会った化け物は、元は人間だった。白髪の男が面白半分に結合の能力を試した結果、その能力を中途半端に受け継いだペットは山に迷い込む人々を自分に取り込み続け、あんなにも巨大な生物になってしまった。

 四番目に出会った化け物は目玉と手足が大量に埋め込まれ、蜘蛛のような形をしていた。これは灰色の瞳の男が燃やした村で見つけた絵にインスピレーションを受けて作り出した傑作だった。この化け物を作り上げるために何人もの犠牲を生んだが彼の心は今までになく満たされていたという。

 そうして今晩、明継が追いかけられている化け物は、金瞳の男……嗣己しきが提供したものだ。見た目は鰐と人間の融合体だが、元は嗣己を慕っていた無能力の女性だった。嗣己は彼女を疎ましく感じていたが、その恋心はさめやらず猛アタックの日々だった。しかし、彼女はある日突然姿を消した。そして数か月後に突然霞月に帰るのだが、彼女は鰐と合成されて知能も失っていた。それでも彼女は嗣己を見つけるとすり寄って、求愛行為を繰り返した。
 嗣己は彼女をいたく気に入り、ペットとして可愛がっていた。


『あの鰐女、明継にくれてやっていいのか? お前の愛する女だろう?』

 白髪の男が揶揄うように言う。

『俺のかわいい女があいつにどんな殺され方をするか想像しただけでゾクゾクする。彼女にふさわしい舞台だとは思わないか?』

『『きっしょ』』



 談笑の途中で、おぼつかなくなった明継の足が木の根っこに引っ掛かり転倒する。起き上がる事すら敵わないのか、後ろを這いまわっていたペットが迫っても動く様子がない。

 白髪の男が笑った。

『嗣己の全財産は俺のものだ』






  明継はペットと呼ばれる化け物に追われながらずっと考えていた。

 俺には何が足りないのか?
 なぜ意識を手放してしまうのか?
 何者が俺の中でくすぶっているのか?

 そして思考を巡らせる中で、大きな怒りの感情が体を支配していることに気がつく。
 その怒りは体の中で肥大化し、逃げ場を探すように暴れまわる。

 何が愛する女だ。
 何がふさわしい舞台だ。
 こっちは命からがら逃げているというのに!

 嗣己たちの会話を拾い上げた明継の脳みそが、その怒りに乗せられて言葉を吐き出す。
 黒い感情で頭の中がいっぱいになると、同時に明継の瞳孔が獣のように細長く尖っていった。

 脳みその中心をかき回されるかのような感覚に陥り、視界が揺らいだ。
 必死に踏み込んでいた足が他人の物のように勝手にふわりと浮いて、木の根のようなものに引っかかる。微かに宙を舞った体は砂利に飛び込んで無様な音を鳴らした。
 それと同時に木々が風になびいてゴウゴウと音を立てた。

 うるさい。

 うるさい。


「うるさい!!!!!」

 思考の中で巡らせていた言葉が無意識のうちに口から飛び出した。

「俺の頭の中で勝手に話をするな!! 勝手に決めるな!! 俺の体を勝手に使うな!!!!!」

 そう叫んでいる間にも、化け物はすぐそばまで迫ってきていた。しかし今の明継には自分の中の真っ黒な何者かに抗うことの方がよっぽど重要だった。
 この感情に飲まれてしまえば気持ちよくなれる。
 それは嗣己と出会った時から理解していた。
 だが明継はいい加減うんざりしていた。



「お前が俺の体を使うんじゃない、お前が俺の一部になるんだ!!」

 頭を抱えて苦しみ悶える。うめき声とともに黒い霧が明継の手にまとわりつくと、徐々に腕全体を黒く変色させた。
 それは巨大なナイフに形を変えて、顔のそばで牙をむき出しにしていた化け物を真っ二つに切り裂いた。

 一瞬で形を変えた化け物から漂う血の匂いは、明継の口内に涎を溢れさせた。
 ”食べてしまいたい”
 その欲求に駆られて舌なめずりをした瞬間、明継の目の中に金の瞳が写り込んだ。


「ギリギリだな」


「誰……だ? こいつは? これ、は? し、き? シ……?」

 嗣己は呆れて笑った。

「お前、人間やめるのか?」


 嗣己が一瞬で明継の目の前まで距離を詰める。
 次の瞬間、明継の意識は無くなっていた。










「またこれか」

 明継は布団に寝転んだまま、眉間にしわを寄せて言った。
 その脇にはいつも通り嗣己が座っていて、嬉しそうに明継の顔を覗き込んでいる。

「昨日は随分と頑張っていたな?」

 嗣己の言葉は労いではなく揶揄いだ。
 ゆっくりと体を起こした明継が大きなため息とともにぼやいた。

「何か掴めた気がするのに、また途中から記憶が薄い」

「そう簡単に掴めるものでもないだろう。だが他に、何か変化があったんじゃないか?」

 言われて、明継は記憶を探った。

「そういえば、お前らの話し声が聞こえた」

「そうか」

 嗣己の口元が微かに綻んだ。

「でも、今は聞こえない」

 明継は首をかしげ、答えを求めるように嗣己を見つめた。

「当たり前だ。普段は聞こえないようにこちらが遮断している。何でもかんでも聞かれ聞かされじゃ精神がまいる」

「そんな事もできるようにならないといけないのか」

 顔を歪めた明継に、嗣己が呆れて笑う。

「精神感応なんぞ腕を変形させるより遙かに簡単だ。こんなに不器用な奴は初めて見た」

 大半の事は体力で解決ができた円樹村とは違い、ここでは繊細さも求められる。
 中々上手くいかない現実に口を尖らせた。

「どうせ俺は体力バカだよ」

「そう拗ねるな。お前は緋咲と組めば良い成績を残せそうだ。あいつはお前と真逆で繊細なんだ。感知や読心には長けているが戦闘力の面ではまだ弱い」

「……お前って意外とそれっぽい事言うんだな」

 明継が思ったままの言葉を口にすると

「そういうところだ」

 と、嗣己が頬をつねった。


「今晩も可愛いペットをくれてやる。今日こそお前が乗っ取れ」

 明継の頬から手を離した嗣己はそう告げると、音もなく消えてしまった。
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