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一章
1. エイガル山の少女
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太陽が山々を照らし、大きな白鳥がはねを揺らす。
雲を見下ろし、陽光を浴びたその姿。真っ白な毛布に投写された自身の影。
さぞ、優雅な風貌であると同時に、この世界の平和を象徴していた。その、優雅さに魅せられた、鳥たちが、小動物たちが、虫たちが、山の目覚めを告げる。
山の頂には、赤いレンガ屋根の、小さな家がぽつんとある。そこには、かつて、ひとりの少女が暮らしていた。
——そろそろ、夜が明ける。いつもと変わらない。
ときどき、考える。
わたしは、死ぬまでここに居る。毎日、毎日、おなじ方角から太陽がのぼり、おなじ方角へ沈んでいく。わたしは、この地で生まれ、この地で暮らしているが、外の世界を知らないままなのか……
この地を、あいしているけど、わたしは、外側の地を、この目で見てみたい。もう少し…… あと、もう少しだけ、わたしは、この気持ちに我慢をしないといけない。
——ふぅ。
わたしは、小さくため息をついた。
ため息を照らす光が、東からのぼってくる。
——よし。今日も一日のはじまりだ。
わたしは、顔を洗って、髪をゆるやかに結んで、古惚けたちいさなフライパンを火にかける。
熱されたフライパンに、分厚く切ったベーコンを一枚敷く。表面から染み出すベーコンの油が、ブライパンにたどり着いては、旨味の含んだ蒸気となって、この狭い家にひろがる。この季節には、まったく使っていないベッド横の暖炉の煙突から、その香りが山へ逃げていく。
仕上げは、家の近くで採れたハーブを添える。わたしにとっては、そのシンプルな料理でさえ、立派な料理だった。
——完成。
必死になって木を削ってつくった皿に、香ばしく焼けたベーコンをのせる。
「いただきます」
これまた、お手製のフォークを、勢いよくベーコンにさして、おおきくかぶりつく。
口いっぱいにひろがるベーコンの旨味とハーブのほのかな香りが、わたしの笑顔をつくる。この瞬間ばかりはこの上ない幸福感が、身体を満たしていく。
「ごちそうさま」
朝食をすませると、すぐさま皿とフォークを洗う。つぎに、着終わった衣類と、樽を半分に切ってつくった桶を手に取り、家を飛び出て、ちかくの小川まで歩いていく。
初夏をむかえたこの山は、わたしの一番すきな景色。生き生きとした新緑に、天高く佇む日の光が反射して、わたしの足元は若草色になる。顔を上げれば、どこからか、ことりの淡い囀りが耳に届く。
「きみたちも、ここがすきなんだね」
わたしの、語りかけに返事をするかのように、きみたちは、すこし賑やかさを増した。ふたたび、わたしの顔に笑顔をつくってくれる。
——さあ、もうすこしで小川に到着だ。
山のふもとに、草木に謄写された人影がひとつ。
疲れた。すこしだけ休もう。日はのぼったばかりだ。
暗闇のなか、昨晩中走り続けたその足は、すでに疲労が溜まっていた。
身体を草むらに浸からせて、斜め掛けしたかばんに手を入れる。かばんから宛先表を取り出し、つぶやく。
「こんな場所に、こんな山奥に、暮らしているとは…… いったい、どんな人なんだ」
ぼくは、山をのぼる。郵便配達員として、というよりは、疲労もほどほどに、好奇心と不信感が入り混じる自身の感情が、ぼくの足を一歩ずつ、この斜面をのぼらせる。
しばらくすると、ちいさな小屋のような一軒の家が見えてきた。
ここが、宛先に書かれていた場所か。
「ごめんくださーい」
家の中から返事はない。
困ったなぁ…… こんな山中に置きっぱなしにするなんて、さすがにできない。ここの住人は、いつ帰ってくるのか分からないけど、ぼくは、ここで待つことしかできない。
ぼくは、自分の身体を軸に、ぐるっと周囲を見渡した。
深緑の木々に包まれたこの空間、目線を上げれば、薄いつゆ草色の空。名の知らない動物たちの鳴き声が、こだまする。
——美しい。
ぼくは、心のなかに一言つぶやいて、大きく息を吐いた。
洗濯をすませ家に戻ると、扉の前で、ひとりの男が眠っている。見るからに、配達員の恰好をした男に、わたしはそっと近づき、やさしく囁く。
「あの…… あの…… 起きてください……」
男は、目を擦りながら、かるく謝りながら、ゆっくり体を起こした。
「どうもすみません。ものすごく素敵な場所で、あなたを待っている間に、つい……」
「お気になさらずに」
「こんな山奥で生活している人とは、いったいどんな人間かと思いましたが、そうか。たしかに、この美しい景色を堪能し、自然の中で暮らすというのも、いいものかもしれませんね」
わたしは、なぜだか照れくさくなり、話をそらした。
「それはそうと、わたしを待っていた。というのは……」
男は、自身の仕事を思い出したかのように、かばんから丁寧に、一封の包みをとりだした。
「レンさん。あなた宛てに…… これを、届けにまいりました」
男は、わたしに、それを手渡すと、帽子に手をかけ、軽く会釈し、その場をあとにした。
受け取ったその包みをじっと見つめる。
宛先は、たしかにわたしだけれど、送り主の名前はいっさい書かれていない。
不思議に思いながらも、包みを開いてみると、そこには、一冊の本が入っていた。
——なんだろう。
突然わたしの手元にやってきたこの本を、一枚一枚と捲っていく。
本の中身は、孤独のリスが、仲間を増やしていく。という内容の絵本だった。
この絵本を、誰が送ってきたのか、この絵本は、何を意味しているのか、疑問が疑問を連れてきて、わたしは、そっとその絵本を机においた。
あれから、数日。いまだに疑問がわたしの頭の中を、ぐるぐる回っている。
——ここで、どんだけ考えても、わたしの納得する答えは出ない。
わたしは、荷物をまとめて、この山を下りて、送り主を探すことにきめた。
——あと、もう少しだけ、わたしは、この気持ちに我慢をしないといけない。
ふと、その言葉を思い出した。
——なぜ? なぜ我慢しないといけないの?
実のところ、わたしにも、その理由はわからなかった。けれど、なぜか、この暮らしを離れることができない気がしていた。今までは…… 今は違う。今すぐこの絵本の真相を、見つけに行かないといけない気がする。
わたしは、唯一持っている帆布でつくられたかばんに、衣類や飲食料を詰め込んだ。
「みんな。わたしは、いってくる。それまで、ここをよろしくね」
ぱんぱんになったかばんを背負い、左手には絵本を持ち、わたしは、一歩ずつ、このエイガル山をあとにした。
雲を見下ろし、陽光を浴びたその姿。真っ白な毛布に投写された自身の影。
さぞ、優雅な風貌であると同時に、この世界の平和を象徴していた。その、優雅さに魅せられた、鳥たちが、小動物たちが、虫たちが、山の目覚めを告げる。
山の頂には、赤いレンガ屋根の、小さな家がぽつんとある。そこには、かつて、ひとりの少女が暮らしていた。
——そろそろ、夜が明ける。いつもと変わらない。
ときどき、考える。
わたしは、死ぬまでここに居る。毎日、毎日、おなじ方角から太陽がのぼり、おなじ方角へ沈んでいく。わたしは、この地で生まれ、この地で暮らしているが、外の世界を知らないままなのか……
この地を、あいしているけど、わたしは、外側の地を、この目で見てみたい。もう少し…… あと、もう少しだけ、わたしは、この気持ちに我慢をしないといけない。
——ふぅ。
わたしは、小さくため息をついた。
ため息を照らす光が、東からのぼってくる。
——よし。今日も一日のはじまりだ。
わたしは、顔を洗って、髪をゆるやかに結んで、古惚けたちいさなフライパンを火にかける。
熱されたフライパンに、分厚く切ったベーコンを一枚敷く。表面から染み出すベーコンの油が、ブライパンにたどり着いては、旨味の含んだ蒸気となって、この狭い家にひろがる。この季節には、まったく使っていないベッド横の暖炉の煙突から、その香りが山へ逃げていく。
仕上げは、家の近くで採れたハーブを添える。わたしにとっては、そのシンプルな料理でさえ、立派な料理だった。
——完成。
必死になって木を削ってつくった皿に、香ばしく焼けたベーコンをのせる。
「いただきます」
これまた、お手製のフォークを、勢いよくベーコンにさして、おおきくかぶりつく。
口いっぱいにひろがるベーコンの旨味とハーブのほのかな香りが、わたしの笑顔をつくる。この瞬間ばかりはこの上ない幸福感が、身体を満たしていく。
「ごちそうさま」
朝食をすませると、すぐさま皿とフォークを洗う。つぎに、着終わった衣類と、樽を半分に切ってつくった桶を手に取り、家を飛び出て、ちかくの小川まで歩いていく。
初夏をむかえたこの山は、わたしの一番すきな景色。生き生きとした新緑に、天高く佇む日の光が反射して、わたしの足元は若草色になる。顔を上げれば、どこからか、ことりの淡い囀りが耳に届く。
「きみたちも、ここがすきなんだね」
わたしの、語りかけに返事をするかのように、きみたちは、すこし賑やかさを増した。ふたたび、わたしの顔に笑顔をつくってくれる。
——さあ、もうすこしで小川に到着だ。
山のふもとに、草木に謄写された人影がひとつ。
疲れた。すこしだけ休もう。日はのぼったばかりだ。
暗闇のなか、昨晩中走り続けたその足は、すでに疲労が溜まっていた。
身体を草むらに浸からせて、斜め掛けしたかばんに手を入れる。かばんから宛先表を取り出し、つぶやく。
「こんな場所に、こんな山奥に、暮らしているとは…… いったい、どんな人なんだ」
ぼくは、山をのぼる。郵便配達員として、というよりは、疲労もほどほどに、好奇心と不信感が入り混じる自身の感情が、ぼくの足を一歩ずつ、この斜面をのぼらせる。
しばらくすると、ちいさな小屋のような一軒の家が見えてきた。
ここが、宛先に書かれていた場所か。
「ごめんくださーい」
家の中から返事はない。
困ったなぁ…… こんな山中に置きっぱなしにするなんて、さすがにできない。ここの住人は、いつ帰ってくるのか分からないけど、ぼくは、ここで待つことしかできない。
ぼくは、自分の身体を軸に、ぐるっと周囲を見渡した。
深緑の木々に包まれたこの空間、目線を上げれば、薄いつゆ草色の空。名の知らない動物たちの鳴き声が、こだまする。
——美しい。
ぼくは、心のなかに一言つぶやいて、大きく息を吐いた。
洗濯をすませ家に戻ると、扉の前で、ひとりの男が眠っている。見るからに、配達員の恰好をした男に、わたしはそっと近づき、やさしく囁く。
「あの…… あの…… 起きてください……」
男は、目を擦りながら、かるく謝りながら、ゆっくり体を起こした。
「どうもすみません。ものすごく素敵な場所で、あなたを待っている間に、つい……」
「お気になさらずに」
「こんな山奥で生活している人とは、いったいどんな人間かと思いましたが、そうか。たしかに、この美しい景色を堪能し、自然の中で暮らすというのも、いいものかもしれませんね」
わたしは、なぜだか照れくさくなり、話をそらした。
「それはそうと、わたしを待っていた。というのは……」
男は、自身の仕事を思い出したかのように、かばんから丁寧に、一封の包みをとりだした。
「レンさん。あなた宛てに…… これを、届けにまいりました」
男は、わたしに、それを手渡すと、帽子に手をかけ、軽く会釈し、その場をあとにした。
受け取ったその包みをじっと見つめる。
宛先は、たしかにわたしだけれど、送り主の名前はいっさい書かれていない。
不思議に思いながらも、包みを開いてみると、そこには、一冊の本が入っていた。
——なんだろう。
突然わたしの手元にやってきたこの本を、一枚一枚と捲っていく。
本の中身は、孤独のリスが、仲間を増やしていく。という内容の絵本だった。
この絵本を、誰が送ってきたのか、この絵本は、何を意味しているのか、疑問が疑問を連れてきて、わたしは、そっとその絵本を机においた。
あれから、数日。いまだに疑問がわたしの頭の中を、ぐるぐる回っている。
——ここで、どんだけ考えても、わたしの納得する答えは出ない。
わたしは、荷物をまとめて、この山を下りて、送り主を探すことにきめた。
——あと、もう少しだけ、わたしは、この気持ちに我慢をしないといけない。
ふと、その言葉を思い出した。
——なぜ? なぜ我慢しないといけないの?
実のところ、わたしにも、その理由はわからなかった。けれど、なぜか、この暮らしを離れることができない気がしていた。今までは…… 今は違う。今すぐこの絵本の真相を、見つけに行かないといけない気がする。
わたしは、唯一持っている帆布でつくられたかばんに、衣類や飲食料を詰め込んだ。
「みんな。わたしは、いってくる。それまで、ここをよろしくね」
ぱんぱんになったかばんを背負い、左手には絵本を持ち、わたしは、一歩ずつ、このエイガル山をあとにした。
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