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第一話 「ディンバー公子街へ行く」
第十歩 みな、誰かのために
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「てめぇ、なに」
「なにしやがるって? それは俺のセリフだよ。お前、なに言ってんだよ」
ディンバーは床に落ちた地図を拾い上げた。丁寧に伸ばす。
「……これが「こんなもん」なのか? 俺には立派な地図に見えるけどね。壁に貼ってある帝国地図もいいものだけど、これは発行元もちゃんと中央図書学院となっているし、見る限り古いだけでその正確さも申し分ない。何より等高線が描かれてて、石灰岩や花崗岩のマークも入っている。良い地質学図だね。地質学図は7年前から発行されてるけど……これは5年前のか、まだまだ使えるね」
ディンバーはメイとジルの前に再びしゃがみこんだ。
「二人はこれを買いに行ったんだね。これが良かったんだよな」
メイとジルは一度顔を見合わせてから、こっくりと頷いた。
「壁を塞ぐためでも、花を包むためでもなく」
再び二人が頷く。
「……プレゼント、だったんでしょ」
メイの瞳に見る見るうちに涙がたまった。その隣でジルも唇を噛む。
「キールへの、プレゼントだったんでしょ?」
とうとう二人ともが泣き出した。その二人を両手に抱くようにして、ディンバーがその背中をなでてやると、ますます二人はしゃくりあげるように泣き出した。
「キールが、家の人を大事にしているのはすぐに分かった。特にこの家をみたら、すぐにね。扉の取っ手は下の方に付けられてるし、家の造りも丁寧だ。ベッドは二つ、母親と弟妹たちのものだね。君は床で寝てる」
ディンバーは本に囲まれた布を指差した。
「そこでしょ、君が寝てるのって。……キールは自分をスラム出だって言うけど、文字が読めて、貴族との話し方を知ってて、しかもこの国の最高紙幣を見たことがあるってのも気になっていたんだよね。教育をうけたのか、それを教える人がいたのか、自分で習得したか……いずれにしろ、キールには「学」がある。ってことは、ここにある本は多分キールのだろ」
キールの代わりに、弟妹たちが頷いた。
「地質学、土壌、地図。キールの本については内容が分からなくても、地図はわかったんだよ。そして本の表紙に書かれた絵を見て、石もキーポイントになった。そうしているうちにこれを見つけたんだよ。石の絵が描かれている地図をさ。おりしも、キールの誕生日は明後日」
「は?」
ディンバーはにやりと笑って壁を指差した。
「かわいい花のマークがついてるよ」
やっと落ち着いてきた二人をベッドに座らせ、ディンバーもその隣に腰を下ろす。
「キールの口ぶりからすると、お母さんは体調を崩してるんじゃないかな。だから、夜中は薬か何かで眠ってるのか、何しろキールがいなければ二人はこっそりと家を出ることができた。いつもキールは夜には家に帰ってるみたいだから、二人にしたら、いつ夜市にプレゼントを買いに行こうかと焦っていたんだと思う。古地図なんてなかなか普通のお店じゃ買えないもんね。これまでにも何度か夜市に行ってるんじゃないかな。商品に目星をつけて、お金をためて。本当なら仕事終わりにぱっと行って帰ってくるつもりだったんだろうね。でも、急に忙しくなってしまった。キールが家を空けたから。それで、仕事が終わったら夜になってしまい、母親が眠って、今日はキールが帰ってこないと判断してあわてて家を出た」
そこでディンバーは口をつぐんだ。
「ごめんね。キールを引きとめたのは俺なんだ。ちょっと楽しくなっちゃってさ、帰らないでほしかったら。でもキールが帰ってたら君たちは外へは行かなかったよね。じゃぁ、外に出たのは俺のせいで、君たちが怒られたのも、その傷も俺のせい。だから、謝らせてくれる?」
ディンバーは一気にまくしたてると、立ちあがって二人の前で頭を下げた。
「ごめんなさい」
二人はびっくりした顔をしたまま固まっていた。
「……それは、お前のせいじゃないだろ」
キールはばつが悪そうにぼそりという。立ち上がり、椅子に腰をかけると、苦笑した母親から水でぬらした布を受け取っていた。
「そう、おれのせいじゃないか。じゃぁ、誰のせいかな」
「それは……規則を」
「確かに陽が落ちてからの子供の外出ってのはいただけないね。でもさ、これはやりすぎでしょ。叱って家に返せばいいでしょ。それに罰金? 誰に迷惑かけて罰を受けるんだ?」
くるりと振り返ったディンバーは声を落とした。
「キール。間違えるなよ」
ディンバーはじっとキールを見つめる。
これまでも何度か見た瞳だった。怒ってるのか、悲しんでいるのか。
「いいか。青年会とやらが夜間外出した子供の足を、こんな風になるまで傷つけるのはおかしいんだ」
「……おかしい?」
「そう。足を無くした子もいるっていうけど、比べるなよ。こんな風に傷つけられたことに怒れよ。簡単に自分を折るなよ。最初から自分を下に置くなよ。家族を下に置くなよ。ちゃんと考えろ、でないとずっと気付かないままだぞ」
キールはその言葉の意味を考えるかのようにじっと自分の手元を見つめた。
その様子に、ディンバーは少しだけ息を吐く。
「せかしすぎたかな……。なぁ、キール、……宿を飛び出した時、何を考えてた?」
キールはのろのろと顔を挙げて、少し逡巡してからゆっくりと、記憶をたどるように口を開いた。
「……何って……もしかしたら、足を、切らなくちゃならないような怪我をしてるかもしれないって、もしかしたら……し…」
キールが大きく息を吸った。
ディンバーはキールの傍に歩み寄ると、その肩に手を置く。
「大丈夫だ。生きてるし、彼女の足も治る」
「なんで、家にいなかったんだろって……俺……」
「そうだな。家にいればよかったって思ったよな。俺も思ったよ。帰してやれば良かったって。ここに着いて、聞こえたのがどなり声で良かった」
キールが小さく鼻をすすった。
小さな足音がキールの周りに集まる。
「ごめんね。ごめんね兄ちゃん。俺、もっとちゃんとするから。ごめんなさい」
「ごめん。泣かないで。ねぇ、泣かないで」
おそらくキールは父親代わりで、厳しいけれど頼れる兄で。母親も病弱なら、キールは一人でこの家を守っていたのだろう。
地図をキールに手渡すと、そのままキールは古びた羊皮紙に顔をうずめた。
「メイ、ジル。ありがとう。大事にする。大事にするよ」
その時、乱暴に扉が開けられた。
「なにしやがるって? それは俺のセリフだよ。お前、なに言ってんだよ」
ディンバーは床に落ちた地図を拾い上げた。丁寧に伸ばす。
「……これが「こんなもん」なのか? 俺には立派な地図に見えるけどね。壁に貼ってある帝国地図もいいものだけど、これは発行元もちゃんと中央図書学院となっているし、見る限り古いだけでその正確さも申し分ない。何より等高線が描かれてて、石灰岩や花崗岩のマークも入っている。良い地質学図だね。地質学図は7年前から発行されてるけど……これは5年前のか、まだまだ使えるね」
ディンバーはメイとジルの前に再びしゃがみこんだ。
「二人はこれを買いに行ったんだね。これが良かったんだよな」
メイとジルは一度顔を見合わせてから、こっくりと頷いた。
「壁を塞ぐためでも、花を包むためでもなく」
再び二人が頷く。
「……プレゼント、だったんでしょ」
メイの瞳に見る見るうちに涙がたまった。その隣でジルも唇を噛む。
「キールへの、プレゼントだったんでしょ?」
とうとう二人ともが泣き出した。その二人を両手に抱くようにして、ディンバーがその背中をなでてやると、ますます二人はしゃくりあげるように泣き出した。
「キールが、家の人を大事にしているのはすぐに分かった。特にこの家をみたら、すぐにね。扉の取っ手は下の方に付けられてるし、家の造りも丁寧だ。ベッドは二つ、母親と弟妹たちのものだね。君は床で寝てる」
ディンバーは本に囲まれた布を指差した。
「そこでしょ、君が寝てるのって。……キールは自分をスラム出だって言うけど、文字が読めて、貴族との話し方を知ってて、しかもこの国の最高紙幣を見たことがあるってのも気になっていたんだよね。教育をうけたのか、それを教える人がいたのか、自分で習得したか……いずれにしろ、キールには「学」がある。ってことは、ここにある本は多分キールのだろ」
キールの代わりに、弟妹たちが頷いた。
「地質学、土壌、地図。キールの本については内容が分からなくても、地図はわかったんだよ。そして本の表紙に書かれた絵を見て、石もキーポイントになった。そうしているうちにこれを見つけたんだよ。石の絵が描かれている地図をさ。おりしも、キールの誕生日は明後日」
「は?」
ディンバーはにやりと笑って壁を指差した。
「かわいい花のマークがついてるよ」
やっと落ち着いてきた二人をベッドに座らせ、ディンバーもその隣に腰を下ろす。
「キールの口ぶりからすると、お母さんは体調を崩してるんじゃないかな。だから、夜中は薬か何かで眠ってるのか、何しろキールがいなければ二人はこっそりと家を出ることができた。いつもキールは夜には家に帰ってるみたいだから、二人にしたら、いつ夜市にプレゼントを買いに行こうかと焦っていたんだと思う。古地図なんてなかなか普通のお店じゃ買えないもんね。これまでにも何度か夜市に行ってるんじゃないかな。商品に目星をつけて、お金をためて。本当なら仕事終わりにぱっと行って帰ってくるつもりだったんだろうね。でも、急に忙しくなってしまった。キールが家を空けたから。それで、仕事が終わったら夜になってしまい、母親が眠って、今日はキールが帰ってこないと判断してあわてて家を出た」
そこでディンバーは口をつぐんだ。
「ごめんね。キールを引きとめたのは俺なんだ。ちょっと楽しくなっちゃってさ、帰らないでほしかったら。でもキールが帰ってたら君たちは外へは行かなかったよね。じゃぁ、外に出たのは俺のせいで、君たちが怒られたのも、その傷も俺のせい。だから、謝らせてくれる?」
ディンバーは一気にまくしたてると、立ちあがって二人の前で頭を下げた。
「ごめんなさい」
二人はびっくりした顔をしたまま固まっていた。
「……それは、お前のせいじゃないだろ」
キールはばつが悪そうにぼそりという。立ち上がり、椅子に腰をかけると、苦笑した母親から水でぬらした布を受け取っていた。
「そう、おれのせいじゃないか。じゃぁ、誰のせいかな」
「それは……規則を」
「確かに陽が落ちてからの子供の外出ってのはいただけないね。でもさ、これはやりすぎでしょ。叱って家に返せばいいでしょ。それに罰金? 誰に迷惑かけて罰を受けるんだ?」
くるりと振り返ったディンバーは声を落とした。
「キール。間違えるなよ」
ディンバーはじっとキールを見つめる。
これまでも何度か見た瞳だった。怒ってるのか、悲しんでいるのか。
「いいか。青年会とやらが夜間外出した子供の足を、こんな風になるまで傷つけるのはおかしいんだ」
「……おかしい?」
「そう。足を無くした子もいるっていうけど、比べるなよ。こんな風に傷つけられたことに怒れよ。簡単に自分を折るなよ。最初から自分を下に置くなよ。家族を下に置くなよ。ちゃんと考えろ、でないとずっと気付かないままだぞ」
キールはその言葉の意味を考えるかのようにじっと自分の手元を見つめた。
その様子に、ディンバーは少しだけ息を吐く。
「せかしすぎたかな……。なぁ、キール、……宿を飛び出した時、何を考えてた?」
キールはのろのろと顔を挙げて、少し逡巡してからゆっくりと、記憶をたどるように口を開いた。
「……何って……もしかしたら、足を、切らなくちゃならないような怪我をしてるかもしれないって、もしかしたら……し…」
キールが大きく息を吸った。
ディンバーはキールの傍に歩み寄ると、その肩に手を置く。
「大丈夫だ。生きてるし、彼女の足も治る」
「なんで、家にいなかったんだろって……俺……」
「そうだな。家にいればよかったって思ったよな。俺も思ったよ。帰してやれば良かったって。ここに着いて、聞こえたのがどなり声で良かった」
キールが小さく鼻をすすった。
小さな足音がキールの周りに集まる。
「ごめんね。ごめんね兄ちゃん。俺、もっとちゃんとするから。ごめんなさい」
「ごめん。泣かないで。ねぇ、泣かないで」
おそらくキールは父親代わりで、厳しいけれど頼れる兄で。母親も病弱なら、キールは一人でこの家を守っていたのだろう。
地図をキールに手渡すと、そのままキールは古びた羊皮紙に顔をうずめた。
「メイ、ジル。ありがとう。大事にする。大事にするよ」
その時、乱暴に扉が開けられた。
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