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春からは私の弟のところで居候させてもらいなさい。大丈夫、案外面倒見のいい子だから ーー と言う母の言葉は少しばかり弾んでいた。それもそのはず、一人息子がどうにかこうにか地元の大学に受かったのだ。
とはいえ自宅から通うには距離があり、母の弟 ーー 叔父の家のすぐそばにその合格校はあった。離れてゆく寂しさを滲ませながらも、母の表情は柔らかかった。
母子家庭でどちらかと言えば金銭的な余裕がない、そのことを一人息子の進之介も重々承知していた。だから、苦手な勉学を死ぬような思いで励み、ようやく肩の荷が下りたのだと嬉しさで足取りが軽くてしょうがない。
おかげで叔父のアパートへ向かう道中、偶然見かけたタイ焼き屋で十個も買ってしまう始末だ。浮かれすぎだろ……と自分を責めるが、ホクホクのあんこを食している内に、いつの間にかそんな気持ちも消え失せていった。
叔父が出迎えてくれた頃には、魚は随分と控えめな数になっていた。おまけに口の周りにあんこがだらしなくこびり付いていたようで、久方ぶりの再会になる叔父は、その恰幅の良い身体を盛大に揺らしていた。
「しっ、しんちゃん…アハハハッ!細っこいのに食い意地が張ってんなァ」
「そんなに笑わなくても……はい、叔父さんにもタイ焼きあげる。今日からよろしくお願いしまぁっす」
進之介がタイ焼きの入った袋を渡すと、叔父は進之介の顔をまじまじと見つめてきた。その端正な顔立ちは、自身の母と似ているとはあまり思わない。どこからか爽やかな風が吹いていそうな感じで、進之介もまた、ジッと見つめ返したものだ。
「しんちゃん、これいくらだった?」と聞かれるが、記憶に残っているのは真っ赤な看板にキュートなタイ焼きの絵が描かれていたことくらいだった。
「んー…と……覚えてねぇ」
口元のあんこを今更ながら取ろうと、舌で横着に舐め回してみる。最後に叔父に会ったのは、確か小学生の頃だ。どのような人だったのかさっぱり覚えていない。
進之介のその様子に叔父はニコニコしながら、「そうか。とりあえず上がりな」と中へ促してくれた。母から聞いた話だが、叔父は独身らしく、その手の話をすると機嫌が悪くなるそうなので注意するように、と釘を刺されている。
そんなことを頭にちらつかせながら奥へ進むと、先に送っていた荷物が丁寧に部屋の隅に置かれていて、こじんまりとした空間には少々図々しく感じられた。途端に肩身が狭くなったようで、妙にドギマギしてしまう。
「しんちゃん、はいこれ」
叔父が何かを手渡してきたので、進之介は反射的に受け取り、後悔する。慌てて返そうとしたのだが、そうはさせてくれない。
「叔父さんっ、いい、いいって」
「子供が遠慮すんな。お駄賃だよ」
悪戯っぽく笑う叔父に、進之介はつい身震いしてしまう。数百円のタイ焼きが万札に変わったぞ ーー そもそもこの度の居候に関してもだが、何年も会っていない甥の面倒をよく引き受けてくれたものだ。余程の聖人に違いないと身構えていたが、一つの確信が生まれた。おおらかなんだ……悪く言えば無頓着。
このアパートの規模から察するに、叔父の収入もそれなりだろう。にも関わらず、この大盤振る舞い。進之介の頭の中には早くもアルバイトの文字がチラついていた。そんな進之介へと叔父の手が伸びてきて、進之介は一瞬息ができなくなった。
「こんな口いっぱいにあんこ付けて……ん?」
そう言ってゴシゴシと口元をティッシュで拭われる。急に羞恥心が込み上げ、逃げようとしたが、「しんちゃん、おやついっぱい買ってあるから好きなだけ食っていいぞ」と叔父は追い討ちをかけてくる。
「叔父さんっ!おれッ、大学生だからね!?」
「わかってるよ。ほら、手ぇ洗ってきな。横着して水洗いで済ませちゃダメだぞ。コップを用意してるから、ちゃんとうがいもするように」
(わ、わ、わかってない…ッッ…!)
その後も進之介は叔父に翻弄されるばかりだった。荷物の整理を甲斐甲斐しく手伝ってくれたはいいが、重いものは持たせようとしないし、やたらとソファに座らせ休憩を勧めてくる。
ようやく落ち着いたところで、部屋のある匂いが気にかかった。これは……タバコの匂い。つい顔を歪めると、叔父は目敏く顔を覗き込んできた。
「どうした」
「…いや、なんでもない」
「なんでもある顔だろ。何が不満だ」
「くしゃみしそうになっただけだって」
タバコの匂いは苦手だ。でも、叔父が好んで嗜むのなら仕方ない。
それなのに叔父は、「……悪い。今日からタバコやめるわ」と察したようだ。机の上にいくつか置いてあったタバコの箱を引っ掴み、慌てたようにゴミ箱へ向かって行くので、今度は進之介が慌てる番だった。
「叔父さん、何してんの?それ、中入ってるじゃん」
「いいんだよ、もう二度と吸わねぇから」
叔父の言葉に、進之介は唖然となった。よくよく部屋を見渡すと、コーナーガードが至るところに取り付けられていることに気づいた。……叔父は無頓着でもなんでもない。
ため息がこっそり漏れ出てしまうが、父ならこういうものなのだろうか……と、まぶしくなってしまう想像上のそれに叔父を重ねることで、ひとまずは口をつぐむことにした。
とはいえ自宅から通うには距離があり、母の弟 ーー 叔父の家のすぐそばにその合格校はあった。離れてゆく寂しさを滲ませながらも、母の表情は柔らかかった。
母子家庭でどちらかと言えば金銭的な余裕がない、そのことを一人息子の進之介も重々承知していた。だから、苦手な勉学を死ぬような思いで励み、ようやく肩の荷が下りたのだと嬉しさで足取りが軽くてしょうがない。
おかげで叔父のアパートへ向かう道中、偶然見かけたタイ焼き屋で十個も買ってしまう始末だ。浮かれすぎだろ……と自分を責めるが、ホクホクのあんこを食している内に、いつの間にかそんな気持ちも消え失せていった。
叔父が出迎えてくれた頃には、魚は随分と控えめな数になっていた。おまけに口の周りにあんこがだらしなくこびり付いていたようで、久方ぶりの再会になる叔父は、その恰幅の良い身体を盛大に揺らしていた。
「しっ、しんちゃん…アハハハッ!細っこいのに食い意地が張ってんなァ」
「そんなに笑わなくても……はい、叔父さんにもタイ焼きあげる。今日からよろしくお願いしまぁっす」
進之介がタイ焼きの入った袋を渡すと、叔父は進之介の顔をまじまじと見つめてきた。その端正な顔立ちは、自身の母と似ているとはあまり思わない。どこからか爽やかな風が吹いていそうな感じで、進之介もまた、ジッと見つめ返したものだ。
「しんちゃん、これいくらだった?」と聞かれるが、記憶に残っているのは真っ赤な看板にキュートなタイ焼きの絵が描かれていたことくらいだった。
「んー…と……覚えてねぇ」
口元のあんこを今更ながら取ろうと、舌で横着に舐め回してみる。最後に叔父に会ったのは、確か小学生の頃だ。どのような人だったのかさっぱり覚えていない。
進之介のその様子に叔父はニコニコしながら、「そうか。とりあえず上がりな」と中へ促してくれた。母から聞いた話だが、叔父は独身らしく、その手の話をすると機嫌が悪くなるそうなので注意するように、と釘を刺されている。
そんなことを頭にちらつかせながら奥へ進むと、先に送っていた荷物が丁寧に部屋の隅に置かれていて、こじんまりとした空間には少々図々しく感じられた。途端に肩身が狭くなったようで、妙にドギマギしてしまう。
「しんちゃん、はいこれ」
叔父が何かを手渡してきたので、進之介は反射的に受け取り、後悔する。慌てて返そうとしたのだが、そうはさせてくれない。
「叔父さんっ、いい、いいって」
「子供が遠慮すんな。お駄賃だよ」
悪戯っぽく笑う叔父に、進之介はつい身震いしてしまう。数百円のタイ焼きが万札に変わったぞ ーー そもそもこの度の居候に関してもだが、何年も会っていない甥の面倒をよく引き受けてくれたものだ。余程の聖人に違いないと身構えていたが、一つの確信が生まれた。おおらかなんだ……悪く言えば無頓着。
このアパートの規模から察するに、叔父の収入もそれなりだろう。にも関わらず、この大盤振る舞い。進之介の頭の中には早くもアルバイトの文字がチラついていた。そんな進之介へと叔父の手が伸びてきて、進之介は一瞬息ができなくなった。
「こんな口いっぱいにあんこ付けて……ん?」
そう言ってゴシゴシと口元をティッシュで拭われる。急に羞恥心が込み上げ、逃げようとしたが、「しんちゃん、おやついっぱい買ってあるから好きなだけ食っていいぞ」と叔父は追い討ちをかけてくる。
「叔父さんっ!おれッ、大学生だからね!?」
「わかってるよ。ほら、手ぇ洗ってきな。横着して水洗いで済ませちゃダメだぞ。コップを用意してるから、ちゃんとうがいもするように」
(わ、わ、わかってない…ッッ…!)
その後も進之介は叔父に翻弄されるばかりだった。荷物の整理を甲斐甲斐しく手伝ってくれたはいいが、重いものは持たせようとしないし、やたらとソファに座らせ休憩を勧めてくる。
ようやく落ち着いたところで、部屋のある匂いが気にかかった。これは……タバコの匂い。つい顔を歪めると、叔父は目敏く顔を覗き込んできた。
「どうした」
「…いや、なんでもない」
「なんでもある顔だろ。何が不満だ」
「くしゃみしそうになっただけだって」
タバコの匂いは苦手だ。でも、叔父が好んで嗜むのなら仕方ない。
それなのに叔父は、「……悪い。今日からタバコやめるわ」と察したようだ。机の上にいくつか置いてあったタバコの箱を引っ掴み、慌てたようにゴミ箱へ向かって行くので、今度は進之介が慌てる番だった。
「叔父さん、何してんの?それ、中入ってるじゃん」
「いいんだよ、もう二度と吸わねぇから」
叔父の言葉に、進之介は唖然となった。よくよく部屋を見渡すと、コーナーガードが至るところに取り付けられていることに気づいた。……叔父は無頓着でもなんでもない。
ため息がこっそり漏れ出てしまうが、父ならこういうものなのだろうか……と、まぶしくなってしまう想像上のそれに叔父を重ねることで、ひとまずは口をつぐむことにした。
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