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2. 美味しかった…?
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コンコン。玄関の方から小さく響いてくる音に、俺はまたかと首をすくめる。このアパートにはインターホンがない。なんてボロいんだ、と来客のたびに嫌になるが、その分家賃が安いので文句は言えない。
重い腰を上げようか、上げまいか。「はぁい、どなたですかぁ」いつも少し悩んでしまうが、結局はちょっとした罪悪感に背中を押されて戸口へ足を運ぶのだ。
「こ、こんばんは。まりあです…あの、また作ったの」
しかし…うへぇ。内心はげんなりだった。なんでって、そんなのは察してくれ。
まりあさんはこうして毎晩のようにやってきては、ちょうど一食分ものおすそ分けをご丁寧に渡してきた。料理が趣味らしく、色々と新しいメニューに挑戦中というのだ。これがまためちゃんこ美味い。そうして余計に気を重くさせる。
「チマくん…っ…こ、これ、よかったら食べて。一人じゃ食べきれないから…」
乙女チックなものが好みらしい。花柄のトレーいっぱいに手料理をのせ、どこか嬉しそうに彼女は待ち構えていた。今日は花柄のワンピースだ。…一体どこに行ったら、そんな大きいサイズのものが売っているんだろう。
それに可愛らしく髪もめかし込んでいて、本当に器用な人だなと思う。
「あはは…いつもいつもありがとうございます。こんなにいっぱい…悪いなぁ」
「ううん、そんな…食べてもらってありがとう。捨てるのはもったいないし、味の感想だって聞かせてくれるから…本当に感謝してるの」
ひかえめにほほえむ目元に、俺はつい視線を逸らしてしまう。「ぁっ…いや…じゃ、じゃあお言葉に甘えて。食べ終わったら食器、持って行かせてもらいますね」「呼んでくれたら部屋まで取りに行くよ…?手間でしょう」「へ…いやいやっ、そんなっ」
なんだか、非常にまずい方向へ向かっている気がする。深く関わらないように、そう心がけていたのにこれではズブズブじゃないか。なんだってこんな、俺のことを…いや、そんな…まさかな…
だって俺はまりあさんのことを何も知らない。彼女だって俺のことを何も知らない、はず。
こうして飯を食わせてもらってるけど、お互いの話はほとんどと言っていい程していなかった。俺が何も聞かないから、むこうも遠慮して話さないのかもしれないが、だって…ねぇ。
お仕事何されてるんですかぁ どうしてここに越してきたんですかぁ…やぶ蛇の可能性、大いにあり。気にならないわけじゃない。
それに、こうして毎晩せっせとおすそ分けをしてくれる…その厚意の原動力とやらが一体何なのか。知りたいような、知りたくないような。
俺に彼女はいなかった。だって周りには女の子が全然いない。欲しいなぁとは思っているけど、だからって…うーん、まりあさんかぁ…
確かに、胃袋は鷲掴みにされている…そりゃあもう力強く。
でもなぁ、自分より良い身体をしている彼女ってのはちょっと…それにまりあさん、こんなおんぼろアパートに住むくらいだ。ひょっとしてお金ないのかも。
…じゃあ無理だなっ、うんっ、さいていっ、俺さいていっ、はい終わりっ。
勢いよく飯をかき込み、まとわりついてくる何かを振り払うように無我夢中で口に放り込んでいった。…今日もむちゃくちゃ美味い。
そういや昔、母さんが旦那よりも嫁の方が欲しかったわぁとか言ってたっけ。うん…もぐもぐ…俺もこんな飯を毎日作ってくれる…優しいお嫁さんが欲しいなぁ。
ゲフッ、…食った食った。だからといって余韻に浸る間もないのだが。お隣さんは今か今かと待ち構えているのだ。
そのままよろよろと立ち上がり、少々おぼつかない足取りで戸口へと向かう。前は食器を洗ってから返していたが、そうするとかえって迷惑をかけているようだった。
『チマくんっ、ごめんなさいっ!気を遣わせちゃって申し訳ないわ…』
まりあさん、…何が好きかな。欲しいもんとか、あんのかなぁ。流石にちょっとお返しを…何がいいのかね。
隣の部屋の戸を叩く間も、そうやって首を傾げていたのだ。いつものように間髪入れず開いたことに、声を上げそうになったのは無理もない。
ところがその日は「ちょっと待ってて」とまりあさんは言い、奥からハンカチを持ってきたのだった。俺はつい身構えて、ハンカチを持つその大きな手をしげしげと見つめる。毛一本ない、手入れの行き届いた…男性の、手。
するとその手がにゅっと伸びてきて、気づいた時には俺の口元に当てられていた。「ちょっ…んんッ」ハンカチ越しにわずかに伝わる指の感覚が、俺の目の前を真っ白にさせる。けれどそれは、なぜだか懐かしさを思い起こさせて今度は真っ暗になっていった。
「ふふっ…付いてたよ、チマくん」
俺はうめいた。驚愕、その一言に尽きる。
彼女はどこかうっとりとしているようにも見えた。甘ったるい眼差しは、愛しい恋人に向けるまさにそれで、俺は呆然と立ち尽くす。信じられないことをする…やっぱり、この人…普通じゃ、ない。
「ぁ…す、すみません…あの、それ…洗って…返します…」
なんというか、何かがこの人には抜けている…危うい、危うすぎる。
「あら、いいのよ…そんな。それよりチマくん、私のご飯…どうだった?」
美味しかった…?いつも尋ねられるこの言葉の意味を、真意というものを、俺は感じ取ってしまったのだ。そうして脳内によぎったグロテスクな光景は、先程胃の中に押し込んだものを噴き上がらせようとした。
「はは…そりゃ、もう」
ありえない、絶対にありえない…だってこの人は、最初っからそうだったではないか。俺のことを何も知らないのに、山のようなクッキーをよかれと思って渡してくるような、そんな…人。
そうだ、違う、大丈夫だ。この厚意は何も特別じゃない。俺は何も…知らない。何度もそう言い聞かせるのに、身体は小刻みに震え、悪寒が全てを包み込んでいった。
部屋に戻ってからも、喉元にせり上がる異様な不快感が拭われることはなかった。俺は一体 どのようにして、その日を終えていったのだろうか。
重い腰を上げようか、上げまいか。「はぁい、どなたですかぁ」いつも少し悩んでしまうが、結局はちょっとした罪悪感に背中を押されて戸口へ足を運ぶのだ。
「こ、こんばんは。まりあです…あの、また作ったの」
しかし…うへぇ。内心はげんなりだった。なんでって、そんなのは察してくれ。
まりあさんはこうして毎晩のようにやってきては、ちょうど一食分ものおすそ分けをご丁寧に渡してきた。料理が趣味らしく、色々と新しいメニューに挑戦中というのだ。これがまためちゃんこ美味い。そうして余計に気を重くさせる。
「チマくん…っ…こ、これ、よかったら食べて。一人じゃ食べきれないから…」
乙女チックなものが好みらしい。花柄のトレーいっぱいに手料理をのせ、どこか嬉しそうに彼女は待ち構えていた。今日は花柄のワンピースだ。…一体どこに行ったら、そんな大きいサイズのものが売っているんだろう。
それに可愛らしく髪もめかし込んでいて、本当に器用な人だなと思う。
「あはは…いつもいつもありがとうございます。こんなにいっぱい…悪いなぁ」
「ううん、そんな…食べてもらってありがとう。捨てるのはもったいないし、味の感想だって聞かせてくれるから…本当に感謝してるの」
ひかえめにほほえむ目元に、俺はつい視線を逸らしてしまう。「ぁっ…いや…じゃ、じゃあお言葉に甘えて。食べ終わったら食器、持って行かせてもらいますね」「呼んでくれたら部屋まで取りに行くよ…?手間でしょう」「へ…いやいやっ、そんなっ」
なんだか、非常にまずい方向へ向かっている気がする。深く関わらないように、そう心がけていたのにこれではズブズブじゃないか。なんだってこんな、俺のことを…いや、そんな…まさかな…
だって俺はまりあさんのことを何も知らない。彼女だって俺のことを何も知らない、はず。
こうして飯を食わせてもらってるけど、お互いの話はほとんどと言っていい程していなかった。俺が何も聞かないから、むこうも遠慮して話さないのかもしれないが、だって…ねぇ。
お仕事何されてるんですかぁ どうしてここに越してきたんですかぁ…やぶ蛇の可能性、大いにあり。気にならないわけじゃない。
それに、こうして毎晩せっせとおすそ分けをしてくれる…その厚意の原動力とやらが一体何なのか。知りたいような、知りたくないような。
俺に彼女はいなかった。だって周りには女の子が全然いない。欲しいなぁとは思っているけど、だからって…うーん、まりあさんかぁ…
確かに、胃袋は鷲掴みにされている…そりゃあもう力強く。
でもなぁ、自分より良い身体をしている彼女ってのはちょっと…それにまりあさん、こんなおんぼろアパートに住むくらいだ。ひょっとしてお金ないのかも。
…じゃあ無理だなっ、うんっ、さいていっ、俺さいていっ、はい終わりっ。
勢いよく飯をかき込み、まとわりついてくる何かを振り払うように無我夢中で口に放り込んでいった。…今日もむちゃくちゃ美味い。
そういや昔、母さんが旦那よりも嫁の方が欲しかったわぁとか言ってたっけ。うん…もぐもぐ…俺もこんな飯を毎日作ってくれる…優しいお嫁さんが欲しいなぁ。
ゲフッ、…食った食った。だからといって余韻に浸る間もないのだが。お隣さんは今か今かと待ち構えているのだ。
そのままよろよろと立ち上がり、少々おぼつかない足取りで戸口へと向かう。前は食器を洗ってから返していたが、そうするとかえって迷惑をかけているようだった。
『チマくんっ、ごめんなさいっ!気を遣わせちゃって申し訳ないわ…』
まりあさん、…何が好きかな。欲しいもんとか、あんのかなぁ。流石にちょっとお返しを…何がいいのかね。
隣の部屋の戸を叩く間も、そうやって首を傾げていたのだ。いつものように間髪入れず開いたことに、声を上げそうになったのは無理もない。
ところがその日は「ちょっと待ってて」とまりあさんは言い、奥からハンカチを持ってきたのだった。俺はつい身構えて、ハンカチを持つその大きな手をしげしげと見つめる。毛一本ない、手入れの行き届いた…男性の、手。
するとその手がにゅっと伸びてきて、気づいた時には俺の口元に当てられていた。「ちょっ…んんッ」ハンカチ越しにわずかに伝わる指の感覚が、俺の目の前を真っ白にさせる。けれどそれは、なぜだか懐かしさを思い起こさせて今度は真っ暗になっていった。
「ふふっ…付いてたよ、チマくん」
俺はうめいた。驚愕、その一言に尽きる。
彼女はどこかうっとりとしているようにも見えた。甘ったるい眼差しは、愛しい恋人に向けるまさにそれで、俺は呆然と立ち尽くす。信じられないことをする…やっぱり、この人…普通じゃ、ない。
「ぁ…す、すみません…あの、それ…洗って…返します…」
なんというか、何かがこの人には抜けている…危うい、危うすぎる。
「あら、いいのよ…そんな。それよりチマくん、私のご飯…どうだった?」
美味しかった…?いつも尋ねられるこの言葉の意味を、真意というものを、俺は感じ取ってしまったのだ。そうして脳内によぎったグロテスクな光景は、先程胃の中に押し込んだものを噴き上がらせようとした。
「はは…そりゃ、もう」
ありえない、絶対にありえない…だってこの人は、最初っからそうだったではないか。俺のことを何も知らないのに、山のようなクッキーをよかれと思って渡してくるような、そんな…人。
そうだ、違う、大丈夫だ。この厚意は何も特別じゃない。俺は何も…知らない。何度もそう言い聞かせるのに、身体は小刻みに震え、悪寒が全てを包み込んでいった。
部屋に戻ってからも、喉元にせり上がる異様な不快感が拭われることはなかった。俺は一体 どのようにして、その日を終えていったのだろうか。
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