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明は学校なんかじゃ密かに「宇宙人」などと呼ばれている。
話しかけてもマトモに会話が成立しなかったり、口を開いたかと思えば不思議なことを言ったり、またなにを考えているのかさっぱりわからないのがあだ名の理由だろう。
かくいうおれも明のことを「宇宙人」だと思っている人間のひとりだ。そこには決してあなどりなどはないのだけれど、どうしてもときどき「宇宙人」だと思わずにはいられない。
なにせ、明と初めてマトモに言葉を交わしたのがこれだ。
「月には穴が開いている」
真夜中、トイレに行こうと部屋を出たおれは、縁側でぼんやりとたたずむ明を見つけ「なにをしているの」と聞いた。
おれを助けてくれた明のことを、もっとよく知りたい。そんな欲求から出た、曇りのない言葉だった。
けれども返ってきたのはよくわからないセリフ。
「クレーターのこと?」
「違う。小さい穴が開いてるんだよ。それでそこにはアナゴが住んでいる」
「……アナゴ?」
「チンアナゴみたいなやつ。でも、アナゴじゃないな。月だから。新種だ」
明の言葉はおれにとってはちんぷんかんぷんだった。いや、だれが聞いてもわけがわからないだろう。
月に穴があって? そこにチンアナゴみたいなのが住んでいる?
そんな言葉をマトモに取り合う人間が、この世の中にどれだけいるのだろう。そう思うと、おれは他人事にもかかわらず、なんだか切ない気持ちになった。
明の言葉には「狙ってやっている」という響きは皆無で、それはもう真剣に話しているのだ、ということが親しくなくてもわかった。
恐らく、明の世界では月には穴が開いているもので、そこにはチンアナゴみたいなやつが住んでいるのは、事実なのだ。
おれには見えない世界が、明には見えている。そう思うと、もっと彼の言葉を聞いてみたいと思うようになった。
そんなきっかけから、おれは明の話に耳を傾けるようになり――そのうちに、彼の世界へと耽溺するようになっていた。
「ああ、今、月の真ん中でサナギが孵った」
ふと足を止めて明がそんなことを言い出すのにも、おれは慣れっこになっていた。
明はよく月の話をする。なぜだかは知らない。執着しているというか……固執しているというか……。まあ、そんな風なので余計に「宇宙人」と呼ばれている。
けれども明の世界には「宇宙人」は存在しないらしい。
「月の庭にはラベンダー色のトカゲがいる。そこかしこで這っている。人はいない。人は月では生きていけないから。でもオレは行きたい」
……「宇宙人」がいるとすれば、それは明ひとりだけなのかもしれない。とおれは思う。
明は月に行きたいらしい。
「なら、お金がたくさんいるね」
そうおれが言うと、明はいつもの流暢さもなく、なぜかたどたどしい言葉遣いで「だから、絵を描いている」と告げた。
明は月へ行ったらなにをしたいんだろう? 足跡でもつけてくるのだろうか? 明のことだから、もしかしたら月でも絵を描いているかもしれない。
けれども明はその問いには答えない。急に言葉を奪われたような顔になって、むっつりと黙り込んでしまう。
おれには言えないような目的なのだろうか? だとすれば、それはどんな目的なのだろうか?
そうやって明について空想するのは、それなりに楽しかった。
「よく付き合えるよね」
おれの、数少ない友人である映一はそう言ってあきれたような顔をする。
おれとは違って、映一も他の人間も、明の才能やその手から生み出されるものに価値を認めていても、プライベートにまで踏み入りたくはないと思っているようだった。
映一の言い方は、これでもマイルドなほうだ。もっとストレートに頭のネジが何本か飛んでいる明と付き合えるおれも、どこかおかしいのだというささやきだって聞こえてくる。
映一は口ではおれもまた変人の類いだと言いたげだが、そういう噂話にはぷりぷりと怒る。おれは別に、だれにどう思われようがどうでもよくて、夢見心地のまま明と三条家の面々と暮らしていた。
「明は満月の日に生まれたんだ。明るくて丸くてとても綺麗な満月が見えたから、明って名前にしたんだよ。ほら、『明』には『月』が入っているでしょ?」
明を産んだときのことを思い出しているのか、暁さんはそう懐かしそうに、うれしそうにおれに教えてくれた。
おれはそれを聞いてなるほど、と思った。明は『明』という名前の引力に引き寄せられて、月がとっても気になるのかもしれない――。
おれはそんなどうでもいい妄想をして、少し笑った。
三条家の人々がそんな風におれに優しくしてくれるから……明がおれに流暢に色んな話をしてくれるから、おれは少し思い上がっていたのかもしれない。
三条家で暮らすようになってから、おれの人生は輝き始めた。順風満帆と言ってよかった。
高校は明と同じところを選んだ。明といっしょにいたかったのもあるが、単純にオメガも多く通っているからという、それらしい理由もあった。
けれどもやっぱり、大きな比重を占めていたのは、明といっしょの学校がいい、ということ。
猛勉強したお陰で危なげなく合格できたおれにも、映一という同じオメガの友人ができた。
そして高校でもやっぱり明は浮いていて、「宇宙人」と呼ばれている。
小学生の時とは打って変わって律儀に登校している明であったが、やはり話すとちんぷんかんぷんなことを言い出すので、教師はぜったいに明を当てないらしい。
それでも明の成績はずば抜けていて、やっぱり彼は「宇宙人」なのだと生徒たちは噂する。
おれはそのことにどこかホッとする、ズルイやつだった。
「宇宙人」だなんて呼ばれているあいだは、明を狙ったり、恋慕ったりする人間なんて、現れはしないだろう。となれば、明の隣という特等席はおれのもの。
明のそばは、安心する。きっとおれが困ったことになったら助けてくれるだろうという安心感が、刷り込みとしてあった。
恐るべきおれの父親をぶん殴って、おれを地獄から助け出してくれた明。そのそばにいれば安泰だろうと、おれは思っていた。
そんな打算がたしかにあった。けれども言い訳をしてもいいというのであれば、明に対するものは打算のみではなく、愛もあった。愛情というよりは、愛着とでもいったほうが正しいものだろうが、愛は愛だ。おれは明を愛している。
愛しているから、発情期を迎えたら明とセックスしてうなじを噛まれてつがいになるのだと、勝手に思っていた。
明も、おれのことを少なからず思ってくれているだろう――。そう、信じて疑っていなかった。
けれどももしかしたら、それは「そうであってほしい」というおれの願望が投影されていただけだったのかもしれない。
高校一年生の冬、初めて発情期を迎えたおれの部屋に、明は一度として足を踏み入れなかった。
話しかけてもマトモに会話が成立しなかったり、口を開いたかと思えば不思議なことを言ったり、またなにを考えているのかさっぱりわからないのがあだ名の理由だろう。
かくいうおれも明のことを「宇宙人」だと思っている人間のひとりだ。そこには決してあなどりなどはないのだけれど、どうしてもときどき「宇宙人」だと思わずにはいられない。
なにせ、明と初めてマトモに言葉を交わしたのがこれだ。
「月には穴が開いている」
真夜中、トイレに行こうと部屋を出たおれは、縁側でぼんやりとたたずむ明を見つけ「なにをしているの」と聞いた。
おれを助けてくれた明のことを、もっとよく知りたい。そんな欲求から出た、曇りのない言葉だった。
けれども返ってきたのはよくわからないセリフ。
「クレーターのこと?」
「違う。小さい穴が開いてるんだよ。それでそこにはアナゴが住んでいる」
「……アナゴ?」
「チンアナゴみたいなやつ。でも、アナゴじゃないな。月だから。新種だ」
明の言葉はおれにとってはちんぷんかんぷんだった。いや、だれが聞いてもわけがわからないだろう。
月に穴があって? そこにチンアナゴみたいなのが住んでいる?
そんな言葉をマトモに取り合う人間が、この世の中にどれだけいるのだろう。そう思うと、おれは他人事にもかかわらず、なんだか切ない気持ちになった。
明の言葉には「狙ってやっている」という響きは皆無で、それはもう真剣に話しているのだ、ということが親しくなくてもわかった。
恐らく、明の世界では月には穴が開いているもので、そこにはチンアナゴみたいなやつが住んでいるのは、事実なのだ。
おれには見えない世界が、明には見えている。そう思うと、もっと彼の言葉を聞いてみたいと思うようになった。
そんなきっかけから、おれは明の話に耳を傾けるようになり――そのうちに、彼の世界へと耽溺するようになっていた。
「ああ、今、月の真ん中でサナギが孵った」
ふと足を止めて明がそんなことを言い出すのにも、おれは慣れっこになっていた。
明はよく月の話をする。なぜだかは知らない。執着しているというか……固執しているというか……。まあ、そんな風なので余計に「宇宙人」と呼ばれている。
けれども明の世界には「宇宙人」は存在しないらしい。
「月の庭にはラベンダー色のトカゲがいる。そこかしこで這っている。人はいない。人は月では生きていけないから。でもオレは行きたい」
……「宇宙人」がいるとすれば、それは明ひとりだけなのかもしれない。とおれは思う。
明は月に行きたいらしい。
「なら、お金がたくさんいるね」
そうおれが言うと、明はいつもの流暢さもなく、なぜかたどたどしい言葉遣いで「だから、絵を描いている」と告げた。
明は月へ行ったらなにをしたいんだろう? 足跡でもつけてくるのだろうか? 明のことだから、もしかしたら月でも絵を描いているかもしれない。
けれども明はその問いには答えない。急に言葉を奪われたような顔になって、むっつりと黙り込んでしまう。
おれには言えないような目的なのだろうか? だとすれば、それはどんな目的なのだろうか?
そうやって明について空想するのは、それなりに楽しかった。
「よく付き合えるよね」
おれの、数少ない友人である映一はそう言ってあきれたような顔をする。
おれとは違って、映一も他の人間も、明の才能やその手から生み出されるものに価値を認めていても、プライベートにまで踏み入りたくはないと思っているようだった。
映一の言い方は、これでもマイルドなほうだ。もっとストレートに頭のネジが何本か飛んでいる明と付き合えるおれも、どこかおかしいのだというささやきだって聞こえてくる。
映一は口ではおれもまた変人の類いだと言いたげだが、そういう噂話にはぷりぷりと怒る。おれは別に、だれにどう思われようがどうでもよくて、夢見心地のまま明と三条家の面々と暮らしていた。
「明は満月の日に生まれたんだ。明るくて丸くてとても綺麗な満月が見えたから、明って名前にしたんだよ。ほら、『明』には『月』が入っているでしょ?」
明を産んだときのことを思い出しているのか、暁さんはそう懐かしそうに、うれしそうにおれに教えてくれた。
おれはそれを聞いてなるほど、と思った。明は『明』という名前の引力に引き寄せられて、月がとっても気になるのかもしれない――。
おれはそんなどうでもいい妄想をして、少し笑った。
三条家の人々がそんな風におれに優しくしてくれるから……明がおれに流暢に色んな話をしてくれるから、おれは少し思い上がっていたのかもしれない。
三条家で暮らすようになってから、おれの人生は輝き始めた。順風満帆と言ってよかった。
高校は明と同じところを選んだ。明といっしょにいたかったのもあるが、単純にオメガも多く通っているからという、それらしい理由もあった。
けれどもやっぱり、大きな比重を占めていたのは、明といっしょの学校がいい、ということ。
猛勉強したお陰で危なげなく合格できたおれにも、映一という同じオメガの友人ができた。
そして高校でもやっぱり明は浮いていて、「宇宙人」と呼ばれている。
小学生の時とは打って変わって律儀に登校している明であったが、やはり話すとちんぷんかんぷんなことを言い出すので、教師はぜったいに明を当てないらしい。
それでも明の成績はずば抜けていて、やっぱり彼は「宇宙人」なのだと生徒たちは噂する。
おれはそのことにどこかホッとする、ズルイやつだった。
「宇宙人」だなんて呼ばれているあいだは、明を狙ったり、恋慕ったりする人間なんて、現れはしないだろう。となれば、明の隣という特等席はおれのもの。
明のそばは、安心する。きっとおれが困ったことになったら助けてくれるだろうという安心感が、刷り込みとしてあった。
恐るべきおれの父親をぶん殴って、おれを地獄から助け出してくれた明。そのそばにいれば安泰だろうと、おれは思っていた。
そんな打算がたしかにあった。けれども言い訳をしてもいいというのであれば、明に対するものは打算のみではなく、愛もあった。愛情というよりは、愛着とでもいったほうが正しいものだろうが、愛は愛だ。おれは明を愛している。
愛しているから、発情期を迎えたら明とセックスしてうなじを噛まれてつがいになるのだと、勝手に思っていた。
明も、おれのことを少なからず思ってくれているだろう――。そう、信じて疑っていなかった。
けれどももしかしたら、それは「そうであってほしい」というおれの願望が投影されていただけだったのかもしれない。
高校一年生の冬、初めて発情期を迎えたおれの部屋に、明は一度として足を踏み入れなかった。
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