悲劇のヒロイン志望でした

やなぎ怜

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 ……拍子抜けすることに、わたしの誕生日を祝うささやかなパーティーはつつがなく終わった。

 ザカライアさんの親族さんたちは、事情をよく心得ているのか、出来た人なのか、両方なのかはわからなかったが、あれこれと突っ込んでこちらになにか聞いてくることはなかった。その点に関しては、むしろわたしの親族側の方がヒヤヒヤしたくらいである。

 わたしのことを心配してくれているからこそ出てくる言葉や態度だとはわかっていた。だから、「なにも心配はいらない」とザカライアさんとの仲良しアピールは余念なく行った。幸いにも、ザカライアさんが嫌な顔ひとつせずそれに付き合ってくれたので、パーティーも中盤になると、そのような野暮なことを尋ねてくる人間はいなかった。

 そんな様子を見ていたエリーは「これなら大丈夫そうね」とわたしに耳打ちした。エリーもわたしの親友として、色々と気を揉んでくれていたらしい。わたしはエリーに心からの笑顔で「そうみたい」と返すことができた。

 久方ぶりにお父様と顔を合わせられたことも、うれしかった。母親は既にないものと思っているわたしにとって、お父様は唯一の親である。ずっと手紙でやり取りはしていたし、会いに行こうと思えばその日の内に会いに行ける距離ではあった。

 けれどもわたしはもうザカライアさんの妻で、ジョーンズ家に入った嫁なので、おいそれと実の父が暮らす家へは帰れない。そのことに寂しさは感じるけれども、もう二度と会えないというわけではなかったから、それほど悲観してもいなかった。

 お父様はわたしとザカライアさんの仲がいいように見えたらしく、感極まったのか少し涙ぐんでいるようだった。それがわたしにとってはおどろくほど意外だったので、一瞬言葉を失くした。けれどもそうやって、わたしのことを心から思ってくれているのだと考えれば、心はポカポカと温かくなった。

 ささやかなパーティーであったから、日が高いうちにお開きとなり、みなぞろぞろと帰って行った。見送るわたしたちにかけられる言葉は温かくて、このパーティーがどうなるやらと不安だったわたしの心はそれなりに軽くなった。

 久方ぶりにお父様にも会えたことだし、親族の皆さんにはわたしとザカライアさんが上手く行っていることを印象付けられたに違いない。そう考えると今日のパーティーには満点を与えてもよかった。……が。

 招待客の中で唯一、すぐにはわたしたちの家を去らなかったお人がいた。他でもない、ザカライアさんのお父様――わたしにとっては義父の――ジョーンズさんだ。

 わたしは未だにジョーンズさんがどういう人なのか実感としてわかっていない。顔を合わせたのは結婚誓約書にサインしたあのときだけ。以後はザカライアさんが同じ轍を踏みたくないとばかりに、わたしとは会わせないように画策していたので、わたしはジョーンズさんのことを直接にはほとんど知らない。それがいいことなのか、悪いことなのかすらわからない。

 いずれにせよ、ジョーンズさんの前で粗相ができないのは確かだ。お父様に会えて、他の方にも意外と優しい言葉をかけられて、ふわふわとしていた心を引き締める。

 たとえジョーンズさんになにを言われようとも動じない――。それはもう既に心に決めていたことだった。

 もし動揺すればそれは直接ザカライアさんに伝わってしまうだろうし、そうなるとますます彼は委縮してしまうような気がした。それは避けたくて、わたしは今ばかりは鋼の女になろうと気合を入れる。

 ジョーンズさんが言いたいことは、なんとなくわかってはいたから、そうやって構えることができたとも言える。

「それで、孫の顔はいつ見られるんだ? 折角若い嫁を貰ったのだから、後継ぎは早い内に作った方がいい」

 ジャブすらない、どストレートなひとことだった。

 なんとなく、商売人なのだし持って回ったねちっこい言い方をするのではないかと、わたしはドキドキしていた。ドキドキしていたのは、そういう言葉をぶつけられる恐れからではなく、遠回しな言い方をされたとき、その真意をわたしは理解できるのか……ということに対するドキドキだった。

 けれどもそれは杞憂に終わった。持って回った言い方をするのかと思いきや、なんて直接的な聞き方なんだろうとびっくりする。迂遠な物言いができないわけがないだろう。恐らくは。となれば、そんな聞き方をしなくてもいいと思われているのだろうか? どちらにせよ、厄介だとわたしは思った。

 ザカライアさんを見れば、なんとなく顔色が悪いように思えた。わたしが気分を害したとでも心配しているのかもしれない。ザカライアさんはわたしには優しすぎるくらいに、優しいから。そして、実父であるジョーンズさんには強い物言いができないこともまた、わたしは彼が吐露する言葉の端々から感じていた。

 一瞬、沈黙が場を支配した。ここは、悪妻呼ばわりされようとも、わたしから反論した方がいいのだろうか――?

 けれどもわたしがそれを決心するのとほぼ同じくして、ザカライアさんがゆっくりと口を開いた。

「ご心配なく。いつ子供を儲けるかは……私たちで話し合って決めますから。そもそも、子供は授かり物ですし、彼女はまだスクールに通いたいそうですから……今はまだ」
「だがなあ……そういうのは早い内の方がいい。ずるずると決めるのを伸ばすと、後で困るかもしれん」
「これは私たち夫婦の問題ですから……。でも、いずれは儲けるつもりですし……困った時は、頼りにしていますから。父上」

 ザカライアさんの声は少し上擦っているように聞こえたのは、緊張がわたしにも伝染していたからかもしれない。けれどもザカライアさんはきちんとジョーンズさんに反論しつつも、彼を腐すようなことはせず、尊重した態度を貫いた。

 そのことにわたしはホッとした。ザカライアさんにとってのジョーンズさんは、なんだかんだ言いつつも、反発し切れない存在なのかもしれない。わたしと同じ、父ひとり子ひとり――唯一の親なのだ。細かい不満があっても、それでもやはりザカライアさんにとって、ジョーンズさんは偉大な人間なのかもしれない。

 それでも、ザカライアさんはキッパリと言い切ってくれた。「これは夫婦の問題であってジョーンズさんが口を挟むべきことではない」と。単純なわたしは、それだけでうれしかった。

「私はまだ未熟者ですから、見ていて不安になるかもしれません……けれども、今はアンジェリアがいますから。……彼女と『夫婦』というものを、私たちのペースで築いて行きたいんです。ですから、どうか、今は見守っていてくれませんか?」

 ジョーンズさんは虚を突かれたような顔をした。そして「ああ」とか「うん」とか、曖昧でおぼろげな返答をしたあと、呆気に取られた顔のまま屋敷を後にしたのだった。

 ……正直に言えば、ザカライアさんが反論したことで、ジョーンズさんは怒るかもしれないとわたしはちょっぴりビクビクしていたのだった。けれどもそれらは杞憂に終わった。

 ジョーンズさんが、なにをどう思ってあの表情に至ったのか、正確なところはわからない。けれども、息子であるザカライアさんの「成長」みたいなものを感じてくれて――ザカライアさんを「一人前の男」として認めるきっかけになればいいな、とわたしは思った。

 きっと、そこへ至るまではまだ時間がかかるだろう。わたしたちが立派な「夫婦」になるのと同じように、時間をかけなければ変わらないものなのだと思う。しかし今のところ、そこに悲観めいた感情はない。楽観的すぎるかもしれないが、今日のことをきっかけとして、いい方向に進展すればいい。

「ありがとうございます。ザカライアさん」
「……礼を言われるようなことじゃないよ。夫として当たり前のことをしただけだ」
「それでも……その『当たり前』がうれしいんです」

 ――ザカライアさんは、わたしのことをどう思っているのだろう?

 友情めいた、志を同じくする仲間としての連帯感は既に生まれて久しい。けれどもそこから、果たして恋愛感情へと結びつくことはあるのだろうか?

 ザカライアさんの本心を知りたい。とは思うけれども、わたしにはそんな魔法はないわけで。

 相変わらず白い霧の中にいるようではあったが、その遠い向こう側からかすかに光が見え始めている。そう感じるのは、きっと思い違いなどではないはずだ。

 わたしの言葉に少しだけ照れ臭そうに微笑むザカライアさんを見ながら、その心に少しでも触れたいと願う。そうすればきっと、わたしたちは「夫婦」になれる。たとえば、恋愛感情がなくたって。

 ザカライアさんの愛が欲しいと欲張るのは、もう少し先でいいかもしれない。今は「夫婦」になるということで、足並みを揃えられている。恋愛は、「夫婦」になったそのあとでいいかもしれない。時間はまだまだたくさんあるのだし。

 そうわたしは楽観的に考えていた。たとえば、そう、もしかしたらどちらかが早死にするだとか、そんなことはまったく考えていなかったのだ。
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