可愛い可愛いつがいから、「『練習』の相手になって」と言われてキスをされた。「本番」はだれとするつもりなんだ?

やなぎ怜

文字の大きさ
上 下
1 / 3

前編

しおりを挟む
 ――その日、ウォルターは生涯のを見つけた。つがいは、ひどくみすぼらしい姿をしていた。およそ一年前の話である。

 場所は娼婦を虐待しているとの噂があった娼館で、ウォルターたちが捜査のために踏み込んだまさにその日、彼女は家族に売られてやってきたところだったのだ。

 名前すらなかった彼女をひと目見て、ウォルターは首のうしろがちりちりと焼けつくような、毛が逆立つような感覚を覚えた。そして瞬時に悟ったのだ。彼女こそ、己の生涯のつがい――伴侶とするべき存在なのだと。

 かつてヒトが獣だった時代から続く旧家「狼」の血筋に連なるウォルターは、しかし己の中に流れる獣の血など意識したことはなかった。それは理性の時代である今の世ではずいぶんと薄くなっていたし、本能にかまけたり、ましてや振り回されるなどということは、この時代においては基本的には忌避すべきことだろう。

 だから、ウォルターはつがいだなんだのという言葉そのものすら、獣の時代のまさに名残――というか残滓で、今の理性の時代においては馬鹿馬鹿しいものだとすら思っていた。

 けれども運命のいたずらとでも言うべきか。ウォルターは己の抗いがたい「運命」を見つけた。

 しかしその運命はあまりに痛々しい姿をしていた。見知らぬ男たちに踏み込まれても、おびえる様子も見せず、ただ無気力で無感情的な瞳を向ける。枯木のような四肢に、年齢に見合わぬかさついた肌、艶のない髪……。その様子は、ウォルターも一瞬言葉に詰まるほど陰惨のひとことだった。

 それでもウォルターは彼女に声をかけた。彼女の悲惨な様子に心臓が引き裂かれそうな感覚を押さえつけて、膝を折り、安心させるように柔らかい声で。……けれども彼女の瞳にはなんの感情も浮かびはしなかった。恐怖も、怒りも、安堵さえも、彼女の中にはないようだった。

 彼女は――ウォルターのつがいは、他の娼婦たちと共に一度に保護されて場所を移された。よほど公私混同して、彼女だけを早々に連れて帰りたいとウォルターは思ったが、鋼鉄の意思で我慢した。

 田舎などの出で、騙されて連れてこられて働かされていた娼婦たちの素性を逐一調べ上げる過程で、もちろんウォルターのつがいである彼女の身元も判明した。

 彼女は、今は無爵のさる元貴族の娘だった。娘とは言っても庶子で、貴族年鑑には名前が載らないような素性だった。それでも元貴族の家柄である父親の家で暮らしていたことがわかった。

 しかしその生活が幸福とは程遠い場所にあったことは、彼女を見ればわかる。

 彼女の母親は、恐らく娘の将来を思って彼女の父親に預けたようだ。しかし父親は母親に養育費を要求した。母親がその要求をどう思ったのかはわからない。しかし呑んだことはたしかだ。母親は昼となく夜となく働き続けて、その果てに体を壊して亡くなった。

 彼女の父親は正真正銘のひとでなしだった。母親が存命のころから、養育費を受け取っていながら彼女を虐待していたのだから。彼女が娼館に売られたのは、彼女の母親が亡くなったからだった。「養育費」が送られなくなれば、もはや用済みということなのだろう。

 そのことはすべて明るみに出て、彼女の父親は当局によって起訴され、面目を失った。刑を受けることよりも、後者のほうが社交界への返り咲きを狙っていた父親にとっては辛いことだったかもしれないが、ウォルターにはどうでもいいことだった。

 ウォルターの最大の関心ごとはつがいである彼女のことだ。

 起訴を免れた彼女の異母姉には、念には念を入れて手切れ金を渡し、もう二度とウォルターとそのつがいにはかかわらないとの誓約書と言質を取った。

 それからウォルターはほとんど攫うようにして彼女を屋敷に連れて帰った。

 彼女の名前を決めたのは、将来的にウォルターの家へ輿入れさせるために、同じ獣の時代からの旧家に養女として籍を置いてもらうことになってからだった。

「むかし……おかあさんが持たせてくれたハンカチに花の刺繍があって……」

 見た目の年齢に見合わぬたどたどしい口調で、彼女は「その花の名前がいい」と控えめに告げてきた。「ずっとむかし。すぐに捨てられちゃったからあんまりおぼえてないけど」と続いた言葉には、ウォルターでなくとも胸が締めつけられた。

 彼女は生まれてからしばらくは母親と暮らしていたので、確実に彼女個人を示す名前はあったはずだった。しかし洗礼を受けておらず、台帳に記載がなかったことと、長い虐待生活の中で彼女自身が己の名前を忘却してしまっていたこと。母親が故人であるために、彼女の最初の名前を知るすべはなかった。

 ウォルターは執事に植物図鑑を持ってこさせて、小柄な彼女を自らの膝に座らせてから共にページをめくる。

 しばらくして、彼女の名前が決まった。

 マリーゴールド。太陽のように橙の花弁を広げる花の名。そこから、彼女の名前は「マリー」に決まった。

「それじゃあ……これからよろしく、マリー」

 彼女――マリーは、ウォルターが手を差し出すと、ぎこちないながらも覚えたばかりの握手で応えてくれた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

転生したら竜王様の番になりました

nao
恋愛
私は転生者です。現在5才。あの日父様に連れられて、王宮をおとずれた私は、竜王様の【番】に認定されました。

【本編は完結】番の手紙

結々花
恋愛
人族の女性フェリシアは、龍人の男性であるアウロの番である。 二人は幸せな日々を過ごしていたが、人族と龍人の寿命は、あまりにも違いすぎた。 アウロが恐れていた最後の時がやってきた…

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました

鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。 素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。 とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。 「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

拾った仔猫の中身は、私に嘘の婚約破棄を言い渡した王太子さまでした。面倒なので放置したいのですが、仔猫が気になるので救出作戦を実行します。

石河 翠
恋愛
婚約者に婚約破棄をつきつけられた公爵令嬢のマーシャ。おバカな王子の相手をせずに済むと喜んだ彼女は、家に帰る途中なんとも不細工な猫を拾う。 助けを求めてくる猫を見捨てられず、家に連れて帰ることに。まるで言葉がわかるかのように賢い猫の相手をしていると、なんと猫の中身はあの王太子だと判明する。猫と王子の入れ替わりにびっくりする主人公。 バカは傀儡にされるくらいでちょうどいいが、可愛い猫が周囲に無理難題を言われるなんてあんまりだという理由で救出作戦を実行することになるが……。 もふもふを愛するヒロインと、かまってもらえないせいでいじけ気味の面倒くさいヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより pp7さまの作品をお借りしております。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

処理中です...