貴女を愛することはなん!

やなぎ怜

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「仕方ないわね~。熱にアテられちゃったから仕方ないわね~。――ほ~ら元に戻してあげたわよ?」

 そちらを見ずとも、エロミーネがにやにやと口角を上げている様子がミミにはありありと想像することができた。彼女は人間の惚れた腫れたの話が大好きで、「コイバナ」を聞いているときはそういうだらしのない表情をするのが常であった。

 やおら白い霧のようなものがミミの全身を包んだかと思うと、まばゆい光がそのまぶたを焼くかのような錯覚を覚える。

 そうして次にミミが目を開いたときには、視界の中にはシミが散り、傷跡が走る日に焼けた腕が映り、元に戻ったのだという実感を得ることができた。髪に手をやればうねうねとしたショートヘアーであることがわかる。……間違いなく、本来のミミだ。

「ちゃんと言葉も戻しておいたから」
「言葉も奪っていたのですか?! 非道な……」
「非道じゃないわよ! だってしゃべってもあなたたち、すれ違いそうだったからあらかじめ言葉を奪っておいたの!」
「非道です。それに、わざわざ姿を変えるのもわけがわかりません」
「まともにお見合いさせても上手く行かなさそうだったから~本人を前にして愛を告げられないヘタレでも~本人じゃなければ愛を語れると思ったんですう~」

 「まったく! わたしの妙なる配慮を理解できないトウヘンボクなんだから!」とエロミーネは心外そうな顔をする。

 一方のライカンはまた顔を赤くして、一度ミミと視線が合ったかと思えばすぐにそらしてしまった。

「あの……助けていただき感謝いたします、ライカン将軍」
「いや……貴女がわざわざ感謝することではない。今回の一件、貴女もまた叔母上に振り回されたのだろう? 叔母上に仕える尼僧兵とは言え……苦労をかける」
「ちょっとちょっと~! そうじゃないでしょ~!?」

 見合って、互いに視線を合わせることなくぎこちなくもじもじとしているミミとライカン。エロミーネはそんなふたりに不満そうな声を隠そうともせず文句を言う。

「ライカン! ほんっとあなたってヘタレ!」
「な……! なんですか急に……」
「本当にあなたわたしの甥っ子なの~? この、愛欲の女神エロミーネの甥としてその態度は恥ずかしくないの?!」

 突如として始まった身内同士のいざこざに、一介の尼僧兵であるミミが出る幕はない。しかし「いざこざ」とは言っても、今では怒っているのはエロミーネだけで、一斉に射掛けられた矢のような勢いで一方的に文句を言っているのも彼女だけだ。ライカンは少し情けなくも押されているばかりだった。

「エロミーネ様……もう、それくらいで……。ライカン将軍も王都より遠く、この神殿まで足を運ばれてお疲れでしょうし……」
「ダメよ! ダメダメ!」

 エロミーネは駄々っ子のように拳を作り、頭を左右にぶんぶんと振った。

「ミミ、なぜライカンがあなたの正体を見抜けたのかわかる?!」
「え……。それは……ライカン将軍がエロミーネ様と同じく主神の血を引く御身だから――」
「ちっがーう!」
「ええ……」
「この愛欲の女神エロミーネがそんなつまんないのろいをかけると思って?!」

 ミミは思った。「あれはやっぱりのろいだったのか……」と。

 エロミーネはミミが若干引いていることは意に介さず、勢いのままに続ける。

「『真実の、愛』……」
「え?」

 エロミーネが急に、色っぽいいい声で、陶酔に満ち満ちた言い方をしたので、ミミは思わず素で聞き返してしまった。

 それに憤慨したのか、エロミーネは再度力強く主張する。

「『真実の、愛』!」
「は、はい……」
「さっきののろいはねー! 『真実の愛』でしか正体を見破れないものだったのよ!!! あと『真実の愛』のキスで解けるはずだったの! ……でも、まあ、ヘタレにはできないと思って解いてあげたの」

 ミミは思わずエロミーネから視線を外し、ライカンを見た。

 ライカンは顔を真っ赤にしてうつむき、右手で顔を覆ってしまっている。恥ずかしいという気持ちもあるのだろうが、頭が痛いというジェスチャーでもあるのだろう。ミミは、エロミーネという猛牛のような身内を持ったライカンに少しだけ同情した。

 ……そしてややあってから、不思議に思った。

「エロミーネ様、まるでライカン将軍がわたしの思い人かのように言うのはおかしいです」
「……やだあ~この子、脳みそまで筋肉になっちゃったのかしら……?」
「いえ、脳みそに筋肉は――」
「ライカン!!!」

 今度はエロミーネが咆えた。至近距離で叫ばれたミミは、ちょっとだけ飛び上がった。

 先ほどからずっと閉じた貝のように黙りっぱなしだったライカンは、ようやく顔を上げてミミを見た。

 それでもしばらく視線を泳がせたり、もじもじとしていたりしたのだが、エロミーネのひとにらみでようやく腹を括ったかのような、精悍な顔つきが戻ってきた。

 ライカンがわざとらしく、ひとつ咳払いをする。

「私のその――お、思い人というのはだな……」
「はい……」
「ミミ」
「はい」
「……貴女だ」
「……はい?」
「ライカン! もうここまで言っちゃったんだからあとひと押し! いや百押しくらいしなさい!!! でないとヘタレの半神半人として後世に残しちゃうんだから!」

 ライカンの顔色がまた青くなったり赤くなったりした。ミミは、ライカンから言われた言葉が上手く飲み込めず、そんな彼の表情を見て「器用なひとだ」と現実逃避的に思った。

「貴女の……凛々しくたくましい姿に、思えばひと目ぼれしたのだと思う。気がつけば目で追うようになっていて……けれども貴女は尼僧兵だったし、私のせいで生死の境をさ迷うことにもなった……。それに私は見ての通りの無骨者だ。たとえ貴女が尼僧兵ではなくともこの恋が実るとは思えず……貴女とは、あの戦場きりだと思っていた。けれど叔母上からの神託で結婚せよと言われて、やはり貴女以外は愛せないという結論になった。だから、今日は断りに来た、のだが……」

 ミミはしばらく呆けた顔をしていた。

 しかしじわじわとその顔は朱に染まっていき――ついには日に焼けた肌でもありありとわかるほどに、首から耳まで真っ赤になってしまった。

 対するライカンも、すっかり顔を赤くしていたが、弾みがついたのか、そのままミミへの愛を告げる言葉が途切れることはなかった。ミミの前にひざまずいて、今度はミミの顔を見上げる。

「叔母上の神託によって気づかされたことは事実だが……神意など関係なく、今、貴女に求婚したい。ミミ、私の伴侶となって、共に生きて欲しい」

 ミミは想いが言葉にならず、ライカンのその求愛にただ黙ってうなずくことしかできなかった。

 エロミーネがにやにやとだらしのない表情でこちらを見ているのがわかったが、ミミはまったくそれを気にかけるどころではなかった。

 ミミをこの場に引っ立ててきた巫女たちが祝福の拍手を送る。

 ついでにエロミーネの神力――というかほとんど衝動――で、神殿の中庭にある噴水が青く澄んだ空に向かって勢い良く水を噴き出す。

 エロミーネの神使たる白いハトたちも青空へと飛び出して、各地に散る神々にライカンの恋が実ったことを伝えたことで、この恋愛の顛末は爆速で国中に広まることになるのだった。
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