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ライカンの精悍な顔つきは――さほど時間が経っていないので当たり前だが――少しも変わりはなかった。ただ少し、目元にうっすらと隈ができているようにミミには見えた。
きっと、エロミーネの唐突な神託を受けて、生真面目なライカンは悩んだのだろう。突然神から「結婚せよ」と言われても、「はいわかりました」と物わかりのいいことを言える人間のほうが少数派だ。
薄化粧を施され、真っ白なレースのベールをかぶせられたミミは、エロミーネに忠実な巫女たちに周囲を固められ、そのまま引き立てられるようにしてライカンの前に連れてこられてしまった。
ミミは、鏡を覗けばそこに美女がいることはわかっていた。エロミーネの神力によって変えられたミミの姿を、好ましく思う男性もいるだろう。……けれどもその中に、ライカンは入ってはいないで欲しいとミミは思った。
仮にライカンが今のミミの姿を気に入って、「結婚する」と言い出しても、ミミは複雑な心境にならざるを得ない。恋慕するライカンの妻となれる喜びと、しかし彼が愛したのはミミそのものではないという思い。その板ばさみになることは目に見えていた。
ミミは不安に揺れる瞳で、ライカンをベール越しに見上げた。
ミミとて女性にしては長身で、鍛え上げられた肉体を持っていたが、ライカンはそれよりも遥かに背が高く、分厚い体をしていた。筋骨隆々、という言葉がよく似合う屈強な男性なのだ。同時に気弱な令嬢であれば、気後れしてしまう迫力が、ライカンにはあった。
ミミはライカンよりも背が低いから、自然と彼を見上げる形になったし、ライカンは必然的に睥睨するような形となる。けれどもミミは、その迫力に及び腰になるよりも先に、ライカンのその精悍な顔に釘づけとなった。
ミミが、夢に見るほど恋い慕っているライカン。彼と再び相まみえる機会に恵まれるとは、ミミは露ほどにも思っていなかった。
けれどもその再会は、夢見た形とはほど遠いものだ。
ミミはよくわからないまま、エロミーネの巫女アリアミリーシュなる人物に仕立て上げられてしまった。しかも、エロミーネの神意によってライカンの伴侶とならなければならない流れであった。
おまけにエロミーネはミミから言葉を奪ってしまって、そのままである。
――まさか、この状態のままライカン将軍に嫁がなければならないのだろうか?
ミミの脳裏に一抹どころではない不安がよぎっていく。
不意に、ライカンが唇を開いた。
「……他でもないエロミーネ様の神託によりこちらに参上したが、私には恋慕う相手がいる」
ミミは、一度に絶望と安堵を覚えた。
ライカンに思い人がいることなど、不思議なことではない。そう理解しつつも、ミミは失恋の痛みを覚えずにはいられなかった。
同時に、ライカンがこの婚姻を断れば、ミミはこの奇怪な状態で彼に嫁がなくてもよくなるだろう。
ミミは、ふたつの感情の狭間で、泣きたくなった。
「――だから、貴女を愛することはなん!」
――…………「なん」?
ミミの暗い脳内に、真っ白なクエスチョンマークが浮いたようだった。
一方、ライカンはその切れ長の目をいっぱいに見開いて、ミミを見下ろしている。心なしか、白目の部分が血走っているようにも見えた。……正直に言えば、怖い。幼子であれば泣き出しても致し方ないだろう迫力である。
ライカンの様子が途端におかしくなったこともあり、ライカンに思い人がいるという衝撃の事実もあり、ミミはその場で固まり、立ち尽くしてしまった。
そんなミミの、今は華奢な肩を、ライカンの節くれ立った手がつかむ。
ベール越しではあったが、ライカンの顔がぐっと近くにくる。ミミの瞳は、動揺に泳いだ。
やがてライカンは顔を青くしたり赤くしたりとせわしなく顔色を変えたあと――不意に神殿の高い天井に向かって咆えた。
「エロミーネ様! エロミーネ様!」
ライカンの呼び声に答え、この神殿の祭神たる愛欲の女神エロミーネが降臨する。
「も~『エロミーネ様』だなんて他人行儀! 昔みたいに『叔母上~』って呼んでいいのよ?」
ライカンはエロミーネの兄神にあたる、戦神のご落胤というやつで、半神半人なのだ。それゆえに優れた体躯を持って生まれ、戦神たる父神の名に恥じぬようにと武人の道へと進んだ。この国の人間であれば、そのことは周知の事実。ゆえにミミは、ライカンであればエロミーネの神意にも反せるだろうという確信があったのだ。
「これはどういうことですか?!」
ライカンは穏やかな彼には珍しく、怒り心頭といった様子で叔母神であるエロミーネに食ってかかっている。
普段のミミであればそこに割って入って仲裁でもしようかというところであったが、今のミミはエロミーネによって言葉を奪われていたし、この華奢な体ではライカンの指ひとつで吹っ飛ばされそうだとミミは思った。ライカンは、自分より明らかにか弱い婦女に、そのような無体を働いたりはしないだろうが。
一方、エロミーネは怒っている甥を前にしてもいつも通りである。
「どうもこうも……このわたしの巫女、アリアミリーシュとの婚姻はわたしの神意。それはもう伝えられたはずよね?」
「アリアミリーシュ……?」
「そうよ。彼女の名前。わたしがつけてあげたのよ。……彼女が気に入らない?」
ミミの内心はひとことで表せる。「もうやめて欲しい」、だ。
ライカンが今のミミを気に入るわけがない。たとえ絶世の美女が目の前に現れたとて、ライカンがその心を揺らがせることはないだろう。――彼には思い人がいるのだから。
ミミは、ライカンの口からわかりきった答えを聞きたくなくて、思わず目を伏せた。
ライカンは、エロミーネに向かって再び咆えた。
「ええ、気に入りません! わけのわからない名前を付けられた上、こんな姿にしていい道理は女神たる叔母上とてありませぬ! 即刻、ミミを元に戻していただきたい!」
ミミの頭上で、エロミーネの「あらあら」という嬉しさを隠し切れない声が聞こえた。
きっと、エロミーネの唐突な神託を受けて、生真面目なライカンは悩んだのだろう。突然神から「結婚せよ」と言われても、「はいわかりました」と物わかりのいいことを言える人間のほうが少数派だ。
薄化粧を施され、真っ白なレースのベールをかぶせられたミミは、エロミーネに忠実な巫女たちに周囲を固められ、そのまま引き立てられるようにしてライカンの前に連れてこられてしまった。
ミミは、鏡を覗けばそこに美女がいることはわかっていた。エロミーネの神力によって変えられたミミの姿を、好ましく思う男性もいるだろう。……けれどもその中に、ライカンは入ってはいないで欲しいとミミは思った。
仮にライカンが今のミミの姿を気に入って、「結婚する」と言い出しても、ミミは複雑な心境にならざるを得ない。恋慕するライカンの妻となれる喜びと、しかし彼が愛したのはミミそのものではないという思い。その板ばさみになることは目に見えていた。
ミミは不安に揺れる瞳で、ライカンをベール越しに見上げた。
ミミとて女性にしては長身で、鍛え上げられた肉体を持っていたが、ライカンはそれよりも遥かに背が高く、分厚い体をしていた。筋骨隆々、という言葉がよく似合う屈強な男性なのだ。同時に気弱な令嬢であれば、気後れしてしまう迫力が、ライカンにはあった。
ミミはライカンよりも背が低いから、自然と彼を見上げる形になったし、ライカンは必然的に睥睨するような形となる。けれどもミミは、その迫力に及び腰になるよりも先に、ライカンのその精悍な顔に釘づけとなった。
ミミが、夢に見るほど恋い慕っているライカン。彼と再び相まみえる機会に恵まれるとは、ミミは露ほどにも思っていなかった。
けれどもその再会は、夢見た形とはほど遠いものだ。
ミミはよくわからないまま、エロミーネの巫女アリアミリーシュなる人物に仕立て上げられてしまった。しかも、エロミーネの神意によってライカンの伴侶とならなければならない流れであった。
おまけにエロミーネはミミから言葉を奪ってしまって、そのままである。
――まさか、この状態のままライカン将軍に嫁がなければならないのだろうか?
ミミの脳裏に一抹どころではない不安がよぎっていく。
不意に、ライカンが唇を開いた。
「……他でもないエロミーネ様の神託によりこちらに参上したが、私には恋慕う相手がいる」
ミミは、一度に絶望と安堵を覚えた。
ライカンに思い人がいることなど、不思議なことではない。そう理解しつつも、ミミは失恋の痛みを覚えずにはいられなかった。
同時に、ライカンがこの婚姻を断れば、ミミはこの奇怪な状態で彼に嫁がなくてもよくなるだろう。
ミミは、ふたつの感情の狭間で、泣きたくなった。
「――だから、貴女を愛することはなん!」
――…………「なん」?
ミミの暗い脳内に、真っ白なクエスチョンマークが浮いたようだった。
一方、ライカンはその切れ長の目をいっぱいに見開いて、ミミを見下ろしている。心なしか、白目の部分が血走っているようにも見えた。……正直に言えば、怖い。幼子であれば泣き出しても致し方ないだろう迫力である。
ライカンの様子が途端におかしくなったこともあり、ライカンに思い人がいるという衝撃の事実もあり、ミミはその場で固まり、立ち尽くしてしまった。
そんなミミの、今は華奢な肩を、ライカンの節くれ立った手がつかむ。
ベール越しではあったが、ライカンの顔がぐっと近くにくる。ミミの瞳は、動揺に泳いだ。
やがてライカンは顔を青くしたり赤くしたりとせわしなく顔色を変えたあと――不意に神殿の高い天井に向かって咆えた。
「エロミーネ様! エロミーネ様!」
ライカンの呼び声に答え、この神殿の祭神たる愛欲の女神エロミーネが降臨する。
「も~『エロミーネ様』だなんて他人行儀! 昔みたいに『叔母上~』って呼んでいいのよ?」
ライカンはエロミーネの兄神にあたる、戦神のご落胤というやつで、半神半人なのだ。それゆえに優れた体躯を持って生まれ、戦神たる父神の名に恥じぬようにと武人の道へと進んだ。この国の人間であれば、そのことは周知の事実。ゆえにミミは、ライカンであればエロミーネの神意にも反せるだろうという確信があったのだ。
「これはどういうことですか?!」
ライカンは穏やかな彼には珍しく、怒り心頭といった様子で叔母神であるエロミーネに食ってかかっている。
普段のミミであればそこに割って入って仲裁でもしようかというところであったが、今のミミはエロミーネによって言葉を奪われていたし、この華奢な体ではライカンの指ひとつで吹っ飛ばされそうだとミミは思った。ライカンは、自分より明らかにか弱い婦女に、そのような無体を働いたりはしないだろうが。
一方、エロミーネは怒っている甥を前にしてもいつも通りである。
「どうもこうも……このわたしの巫女、アリアミリーシュとの婚姻はわたしの神意。それはもう伝えられたはずよね?」
「アリアミリーシュ……?」
「そうよ。彼女の名前。わたしがつけてあげたのよ。……彼女が気に入らない?」
ミミの内心はひとことで表せる。「もうやめて欲しい」、だ。
ライカンが今のミミを気に入るわけがない。たとえ絶世の美女が目の前に現れたとて、ライカンがその心を揺らがせることはないだろう。――彼には思い人がいるのだから。
ミミは、ライカンの口からわかりきった答えを聞きたくなくて、思わず目を伏せた。
ライカンは、エロミーネに向かって再び咆えた。
「ええ、気に入りません! わけのわからない名前を付けられた上、こんな姿にしていい道理は女神たる叔母上とてありませぬ! 即刻、ミミを元に戻していただきたい!」
ミミの頭上で、エロミーネの「あらあら」という嬉しさを隠し切れない声が聞こえた。
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