読切怪奇談話集(仮)

やなぎ怜

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花子さんの家

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 みんなはもちろん「トイレの花子さん」は知っていると思う。私ももちろん知っているけれど、どこで知ったかは思い出せない。

 ただ「花子さんの家」のうわさ話を知ったのは小学校三年生のときだったと覚えてる。


 三〇年ほど前、小学校入学前にニュータウンと呼ばれる地域へ引っ越して、家から小学生の足で三〇分くらいかかる小学校に通っていた。

 当時、小学校の前には空き地が広がっていた。今はもう一戸建ての家が隙間なく建っていてひとも住んでいるけれど、私が通っていた当時は空き地ばかりだった。それは小学校の前だけじゃなくて、私の家の近くにもたくさん空き地があった。

 私が小学生だった当時は心霊ブームの残り香がまだあって、心霊系の番組もいくつかレギュラーで放送されていたような時代だった。私も昔から怖い話とかが好きで、そういう番組を怖がりながらもかかさず観ていた。

 そんなときに、学校で友達から「花子さんの家」のうわさ話を聞かされた。ここで言う「花子さん」とは「トイレの花子さん」のことらしかった。

 「花子さんの家」は、最近できたばかりの建売住宅のひとつを指している、とのことだった。

 「トイレの花子さん」とは今さらここで説明するまでもなく、学校の怪談だ。そんな「花子さん」が学校の外にいるというのは、なんだか不思議だなと小学生ながらに思ったことは覚えている。

 友達によると、「花子さんの家」の一階にあるトイレの扉を三回ノックし、「花子さん遊びましょう」と言うと花子さんに会えるとのことだった。その花子さんは未来を教えてくれるとか、はたまた機嫌を損ねると呪い殺されるとか言われていた。

 まあ要は学校の怪談で語られる「トイレの花子さん」という存在が、そのまま建売住宅のひとつに引っ越したような内容だった。

 学校の怪談との違いは、「花子さんの家」で呼び出した花子さんとはかくれんぼができるといううわさがある点くらい。そのかくれんぼで花子さんに勝つと、なんでもひとつ願いを叶えてくれるらしい。……まあ、小学生の頭でも荒唐無稽かつありがちだと思った。

 ちょうどそのうわさ話を教えてくれた友達の家の、まさにその斜め正面が「花子さんの家」だった。

 その友達の家には何度か遊びに行っていて、その目の前にある空き地群に続々と家が建てられていくさまは見ていたから、そのうちのひとつが怪談の舞台になっているのだと思うと、なんだか不思議な気持ちになった。

 自然と、その友達とふたりで「花子さんの家」へ行くことになった。正確には友達の家へ遊びに行くついでに、そのすぐ近くにある「花子さんの家」を見てみようという話になった。

 不動産屋ののぼりがいくつか生け垣に取りつけられた「花子さんの家」の玄関には、鍵がかかっていなかった。なんでかはわからない。不動産屋が横着して鍵をかけていなかったのかもしれない。

 とにかく「花子さんの家」には鍵がかかってなくて、だれでも容易に中に入ることができた。

 中は……まあ普通の一戸建てを想像してもらえれば、って感じ。一階にリビングルームとか風呂場とか和室が一間あって、二階建ての一軒家。特別「なんか暗い」とかいう印象もなくて、夕暮れどきより前に行ったから、中は外から入ってくる日光で明るかった。

 玄関で靴を脱いで友達と一緒にひと通り家の中を探検したあと、一階のトイレの前で花子さんを呼び出すことにした。

 当時の私は今よりずっと引っ込み思案で、その友達が私を引っ張っているようなそういう関係性だった。だから、トイレの前で花子さんを呼び出すのは自然とその友達の役割になった。

 トイレは木目がプリントされた茶色の扉がついていた。友達がその扉を三回ノックして、「はーなこさん、あっそびましょー」と言った。

 ……まあ、普通に考えてなにも起こるはずがない。私も、その友達を含めた五人くらいで、学校のトイレで同じことをやったことがあるんだけど、なにも起こらなかったし。

 「ガッカリ」というよりも「まあそうだよね」みたいな気持ちになった。

 その家は一階のトイレの扉の前に立つと、右手側にリビングルームの扉が見えるという構造だった。リビングルームに繋がる扉はすりガラスがついていた。

 私はふとトイレの扉から視線を右に、リビングルームのほうへずらした。特になにかに気づいたとかではなく、ほんとうに「ふと」という感じで。

 住民が入居する前の住宅だからカーテンなんてついていなくて、日光がガンガンに差し込んでいるリビングルームにだれかがいた。すりガラス越しに、扉のすぐうしろにだれかがいる、ぼんやりとした姿が見えた。

 背が低かったから子供だと思った。少なくとも大人と言うにはその背格好は小さすぎた。

 すりガラス越しでぼんやりと輪郭がにじんだ頭部が、ゆらゆらと風船みたいに、かすかに揺れていた気がする。……いや、これはもしかしたら気のせいで、目の錯覚だったかも。

 逆光だったこともあって、どんな色の服を着ていたのかはわからなかった。というか、全体的にのっぺりと不自然に薄黒い感じだった。黒っぽい紙をすりガラスが嵌められた扉に貼りつけているかのような。

 すりガラス越しだったからというのもあるけれど、その子供がどういう容姿をしていたのか、それ以上の詳細なことはなにひとつ覚えていない。

 ……というか、そこからあとの記憶がない。

 あとから私の親や友達の親からなにか言われたことがないという点を鑑みるに、なにもなかったんだと思う。

 あのあとはたぶん普通に友達とその家を出て、友達の家で遊んで帰ったんだと思う。

 ただその一件のあとに、別の友達と「花子さんの家」に行ったときには鍵がかかっていて入れなかった。まあそれが普通だから、なにかがあったわけでもないと思う。

 学校の先生から注意されることもなく、親からなにか言われることもなく、小学生のあいだで「花子さんの家」のうわさは急速に忘れ去られて行ったように思う。子供のあいだの流行り廃りのスピードを考えると、別に不自然なところはないと思う。


 「花子さんの家」と呼ばれていた家はなかなか買い手が現れなかったらしく、空き家の期間が長かった。周囲の、同じ時期に建てられた住宅にほとんど住民が入っても、「花子さんの家」だけは長いこと売れなかったと、そのときの友達から聞いた。

 今現在では「花子さんの家」は売れて住民もいる。ただ今住んでいるのは二番目の住民。最初の住民は子供のいない中年の夫婦だったんだけど、夫のほうが事故で亡くなって(新聞にも小さく載ったらしい)妻は家を売ったか貸したかで出て行った。

 最初の住民も、二番目の住民も近所付き合いがほとんどないから、あの家に「なにか」があるとかそういう話は聞いたことがないと友達は言っている。


 あのとき、リビングルームの扉のすりガラス越しに見た子供は、単なる私の記憶違いかもしれない。実際には、子供なんていなかったのかもしれない。あるいは、私たちと同じように家にやってきた子供だったのかもしれない。

 ただ大人になってからたまに「あれはなんだったんだろう」と振り返ることはある。でも、もちろん答えなんてわからない。


 以上、子供のころの唯一謎な記憶の話でした。
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