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「……娘さんとご一緒ですか?」

 休日のショッピングモールの喧騒を背に、ダダイ氏はタートルネックのトップスの下で、冷や汗が伝うような心地を覚えた。

 ダダイ氏の目の前には、以前勤めていた会社で彼の部下だった二〇代半ば過ぎの年若い女性が立っている。

 彼女のその視線がどこかいぶかしげに感じられるのは、決してダダイ氏の被害妄想などではないはずだ――とかつてない気まずさを抱えたまま、ダダイ氏は曖昧に微笑んだ。

 ダダイ氏の左側には一〇代後半の女性――と言うよりは少女と言うほうが適切だろう――が立っている。

 ダダイ氏の年齢を考えれば、高校生の娘がいるのはおどろくべき事実というわけではないだろう。

 問題は、ダダイ氏の左腕に寄りかかるようにして、ひしと手を握っている彼女が、ダダイ氏の娘であるとか、親類縁者であるとかいう事実がないことであった。

 時代の趨勢や流行り廃りに疎いダダイ氏ですら「パパ活」といった単語は知っている。

 となれば、もちろん今目の前でいぶかしげな目でダダイ氏を見ている、元部下の彼女だって当たり前のように知っているだろう。

 決して。決してダダイ氏と少女はそのような間柄ではなかったのだが、仮にダダイ氏がそう主張しようと、他人がどう受け取るかはまた別の話であった。

 もはや以前勤めていた会社とはほとんど縁もゆかりもないダダイ氏であったが、そのような誤解が前の職場で蔓延することはなんとなく、避けたかった。

 それに、この少女に――アンに、「パパ活女子」といった間違ったレッテルを貼られることもまた、避けたかった。

 しかしこの土壇場で下手に言い訳を重ねられるほどダダイ氏は口が上手くない。

 だから、曖昧に微笑んで見せたのだ。

 そんなダダイ氏に合わせるように、ダダイ氏の左腕に寄りかかっているアンも女性に向かって会釈する。

 アンはダダイ氏とは似ても似つかない、繊細な美貌の持ち主だったが、似ていない父子なんてどこにでもいるだろう。

 年齢も性別も違うのだから余計に似ている似ていないの判別は難しいはずだ――。

 ダダイ氏が、だれに言うでもなく脳内で言い訳をこね回しているあいだに、元部下の女性はダダイ氏の言い分に納得したらしい。

「ご結婚されていたんですね」

 存外と意外そうなつぶやきだった。

 ダダイ氏の左手薬指には指輪はない。しかし結婚指輪を日常的に装着しない人間だっているだろう――。

 ダダイ氏は引き続き、背中に冷や汗が伝うような心地で、また曖昧に微笑んだ。

 ……またいくらか言葉を交わしたあと、ダダイ氏の部下だった女性は去って行った。

 彼女が背を向けたところで、ダダイ氏は彼女が中身の入ったエコバッグを片手に持っていることに気づくほど、かなり動揺しきっていたことに気づく。

「……今のだれ?」

 女性の背が雑踏に消えたのを見て、ダダイ氏が息を吐くのを見計らってか、アンが無垢な左目を向けて問うてくる。

 真っ白の医療用眼帯で右目を隠した、アンのもう片方の目は、見ようによっては赤に見える。

 丸くて大きなアンの左目は、先ほどの元部下の女性のように、どこか探るような目つきを帯びていた。

「前いた会社の部下だったひとだよ」

 ダダイ氏の返答に、アンは納得したのかしていないのかよくわからない声を出す。

「……さあ帰ろう」

 ダダイ氏はアンがなにか続けざまに言う気配を感じはしなかったものの、誤魔化すように帰路へ就くことを促す。

 アンはそれに黙ってうなずいた。

 アンが無口なほうであるという事実は、ダダイ氏にとっては今さらなものであったが、このときばかりは助かったような、逆に無駄口を叩いて欲しいような、複雑な気持ちにさせられた。



 広い車庫に車を収める。車を降りて自宅を見上げても、未だダダイ氏には「帰ってきた」という実感はついてこない。

 電信柱が埋設された、空の広い閑静な高級住宅街の中にあって、ダダイ氏とアンの住居は小さいほうである。

 しかし掃除などの手間を考えれば、これでも持て余しているほうだった。

 莫大な遺産を相続し、早期リタイアして郊外のお屋敷で悠々自適の生活を送っている中年男性――。

 ダダイ氏はそのように見られていたが、住居は実のところ心理的瑕疵物件――幽霊屋敷というやつだったし、同居している少女アンは……「神の子」を自称する二重人格者だった。

 アンが真っ白の医療用眼帯をつけているのは、そのためだった。

 眼帯が黒い右目を覆っているあいだは人間の子アン。

 眼帯が赤っぽい左目を覆っているあいだは神の子アンルルング。

 眼帯が両目のどちらを覆っているかで、今現在の彼女の肉体をどちらが支配しているのかわかる仕組みなのである。

 しかし眼帯の位置がどちらだろうと常に双方の人格と会話は可能だ。記憶も完全に共有しているらしい。

 だから、この眼帯の意義はどちらかと言えばダダイ氏に、今現在の肉体の支配者がどちらであるかを伝える手段という面が強いようだ。

 基本的に出ずっぱりなのはアンで、神の子アンルルングがその肉体を操作する機会をダダイ氏はあまり目にしたことがない。

 とは言えどもアンルルングもそこそこしゃべりはする。

 当然、肉体を同じくしているのだからアンとアンルルングの声は同じなのだが、あどけなさを感じさせるアンの発声に対し、アンルルングのそれはいくらか落ち着いている。

 当初はとっさの区別に悩んでいたダダイ氏だったが、今では完全に聞きわけられるようになっている。

 なにごとであっても、数をこなせばひとは進歩する。

 ダダイ氏はそれを実感したものの、一方で「神の子」を自称するアンとアンルルングの扱いにはいまひとつ慣れないのだった。
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