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「珠季っ」
息を切らせた誠也くんが、扉を開き飛び込んできた。
私はといえば自宅まで送ってくれた侍女さんに言われるがまま、ベッドで布団にくるまり、あれやこれやとあまり血の巡りの良くない頭で考えていた。
あの男のひとはあのあとどうしたんだろう? とか。
これから先あの男のひととまた会わなきゃいけないんだろうなあ、憂鬱だなあ……とか。
「運命のつがい」って思ったよりも劇的な反応が出るんだなあ……とか。
これは今までに元の恋人なり伴侶なりを捨てる悲劇があるのも無理はないくらいの威力だよな……とか。
……誠也くんにどう話そうとか。
あわてた様子で部屋に飛び込んできた誠也くんだったが、扉の先へ一歩入るなりわずかに身じろぎして顔をしかめた。
恐らくは私が今発しているであろうフェロモンを感じ取ったからに違いない。
アルファにとってはときに「毒にも等しい」などと表現される発情期のオメガのフェロモン。
しかし私にはコントロール不可能なので、たとえば誠也くんがフェロモンを不快に思ったのだとしても、どうしようもできないのが現実だ。
一方、発情期に入り性欲にまみれた私の脳みそはピンク一色といかないまでも、頭の半分くらいはピンク色になっていた。
起きもしないだろう、フェロモンに当てられた誠也くんに迫られたりして……襲われちゃったりして……などと考えてしまう始末である。
なんだ、無理矢理はイヤだったんじゃないのかと私の冷静な部分がツッコミを入れる。
しかしそんな風に冷静なんだかそうじゃないんだかわからないせめぎ合いをしていても、私の体はしっかりと臨戦態勢に入ってしまっていた。
具体的にはアソコがびちゃびちゃになっている。それはもうしたたるくらいの大惨事だ。
パンツ替えたいなと私は冷静な部分でそう思った。
そして誠也くんと会ったことで、私は彼の持つフェロモンの香りとやらがわかった。
誠也くんが部屋に入ってきたと同時に、私の鼻腔が急に甘ったるさを感じたのだ。
砂糖をたくさん入れたホイップクリームのような、ひとによっては胃もたれを感じそうなほどの甘さ。
なるほど、これがフェロモンかと私は妙な感動を覚えた。
「珠季、大丈夫……じゃないよね?」
「うん、まあ、はい」
「横になってていいよ。辛いでしょう?」
「うん、まあ、辛いけど……。……話したいことがあるから」
私がそう告げると、誠也くんは黙ってベッドの脇にイスを持ってきてそこに腰を下ろした。
顔を上げた誠也くんと目が合う。それはもう、ばっちりと。
そして私はなんだか誠也くんの顔を見るのは久しぶりだなあと、トンチンカンなことを考えた。
いや、同じ家に暮らしているし、毎朝毎晩顔は合わせている。
でも、こうやってまっすぐに見ていなかった。うしろめたさから視線をそらしていた。
そういう単純なことに、私は今さらながら気づいたのだった。
「俺も珠季に話さないといけないことがある」
「え? そうなの?」
誠也くんの真剣な眼差しに、私は心臓がドキリとイヤな音を立てるのがわかった。
え? いきなりなんなの? このタイミングで話さないといけないことって? ……もしかして別れ話?
私の脳みそは急速に最悪の未来を計算し、そこへ向かって気持ちが勝手に落ち込んで行く。
ドキドキドキと心臓があからさまな音を立てる。ひどく不安になる、イヤな音だ。
しかし私はそんな不安な心境などおくびにも出さないようにして、平静を装って「じゃ、お先にどうぞ」と自分の心を誤魔化すように言った。
誠也くんも「じゃあお言葉に甘えて」なんて言って、目は真剣だけれど、声はいつもの当たりの柔らかな音をしたままだった。
「『運命』に出会ったんだ」
私はその言葉に、存外ショックを受けた。月並みな表現をするならば、「頭をハンマーで殴られたかのよう」だった。
「あ、え……」。私はなにかを言おうとした。上手い言葉を言おうとした。が、失敗した。
そもそも私はコミュニケーション能力が低いんだ――、と次から次へと今考えるべきでない事柄が頭の端から端まで浮かんでは消えて行く。
「そうなんだ。よかったね。どんな感じ?」。私の言いたかったことは概ねそのような言葉だった。
誠也くんにはなんだか深刻には受け取ってもらいたくない、と私の中にあるちっぽけなプライドが主張する。
たとえばここから先に別れ話へつながったとしても、みっともなく取り乱すようなマネはしたくなかった。
私は別に美しくはないが、せめて誠也くんの記憶の中だけでは美しくありたい。そう思った。
そして同時に、だれにも誠也くんを渡したくないと思った。
それから、あまりにも都合が良くて、浅ましい自分にも気づいた。
誠也くんの子供を妊娠して、誠也くんといっしょに生きて行くのは自分なのだという自負があったことに気づいて、衝撃を受けた。
あれだけ主観的にも客観的にもうだうだと悩み続けていたのに。
踏ん切りがどうとか、決意がどうとか、そういうところを易々と飛び越えて、「私は誠也くんの子供を産むのだ」と確信している自分に気づいた。
あれだけ誠也くんを待たせて、振り回しておいて、シンプルな答えは既に自分の中で固まっていたなんて――。
――なんて、ひどいやつなんだろう。
「珠季? 珠季? 大丈夫? ……やっぱり、この話は珠季が落ち着いてからの方が良かったね……」
「え、いや、その」
「ごめんね珠季、無理しなくていいよ」
「ま、待って!」
退出しそうな誠也くんの気配を察した私は、ベッドから這うように体を移動させ、脇に座る彼の衣服をつかんだ。
その話は先延ばしにするべきものではないと思ったからというのもあったが、なんだか誠也くんが遠い存在になってしまいそうで……怖かった。
「あの、いや! まだ話せるよ! 全然大丈夫!」
「そう? なんかテンションおかしくない?」
「そうかな……。発情期だからかも……。――まあとにかくまだ聞きたいことがあるから、さ」
「……『運命』のこと?」
「……うん」
イスから腰を浮かせていた誠也くんが、再びイスに座った。
私はそれを見てホッとして誠也くんの衣服から手を離す。
そしてまた、私たちは顔を見合わせた。
私の視界はちょっとうるんでいる。ぬぐってもぬぐっても、なんだかそんな感じなのだ。これも、発情期の影響なのかもしれない。
窓からの光が妙にキラキラと輝く視界の中で、私はまっすぐと誠也くんを見た。
そしてやっぱり彼のことが好きだなあ……と、電撃的でないが、じんわりと噛みしめるように思った。
「それで、『運命』って――」
「ああ、うん。もったいぶるのもなんだから言うけど、お姫様だったよ。珠季の仕事先の」
「え? ――えええ?!」
私の脳裏に瞬時にお姫様の無垢な顔が浮かぶ。
あの可憐なお姫様が誠也くんの「運命」? だ、ダメだ……真っ向勝負はもちろん、小技を駆使したとしても勝てそうにない――。
……いや、それよりも。
「え? いつ会ったの? 会ったことがあるなんて全然知らなかった」
「ついさっき」
「ついさっき?!」
「珠季が大変なことになってるって、俺を呼びに来た騎士のひとにひっついてきて、それで……」
お姫様、意外とアクティブだな!
「まあ、説教されたと言うか……いや、あれは激励なのかな? まあとにかく早く珠季を安心させなさいとおっしゃられて」
「そ、そうなんだ……」
「そうなんだ」。そうとしか言えない。
なんだか「運命」についてドシリアスに考えていた自分はなんだったんだ、という気持ちになった。
ちょっと話してみても、誠也くんはお姫様には微塵も心がないということがわかる。
誠也くんはそういうところは割り切りが激しいというか、端的に言ってしまえばドライだ。
好意を持つ対象にはとことん優しいし、そうでない対象にも優しいが、心中は無味乾燥。それが誠也くんという人間だった。
「それで……珠季に謝らないといけないことがあって」
「え? ……『運命』のこと?」
「違う。珠季に……その、妊娠のこととか結婚のこととか急かしてしまって悪いことをしたな、と思ってて」
「え? そんなこと?」
「そんなことって……。結構、ひどいことした自覚があるんだけど」
結婚。妊娠のインパクトの陰に隠れてしまっていたが、そういえば結婚も私は保留したままでいたのだった……。
誠也くんとしては正式に結婚して、それから子供を……という話を聞かされていたものの、私の脳みそが主に認識していたのは妊娠について。
結婚しても表面的にはなにかがすぐ変わるわけじゃないという意識があったから、保留していたことを今思い出したわけだ。
……言い訳をすると、なんだかもう結婚していたような気さえあった。
だって一つ屋根の下で暮らして、交互に家事を担当して……互いを好きあっていて、と揃っていたから。
しかしそれは世間では単なる同棲である。
そのことに、今、気づいた。
しかし私はそんな勘違いを披露するのが恥ずかしかったので、誠也くんには「全然気にしてないよ!」と言った。言うしかなかった。
「うん、でも、『つがい』になりたいって言い続けたのはよくなかったなって」
「そんなことないよ。不安に思っちゃうのも仕方ないだろうし」
「でも、『つがい』になるための行為には妊娠する可能性は含まれてる。妊娠して、色んなことが一番大きく変わるのは珠季だ。……俺は、その不安を取り除いてあげられない。和らげてあげることしかできない。そう思って――」
「えーっ。ちょっと考えすぎじゃない?」
「考えすぎくらいでちょうどいいと思うよ、俺は。だって妊娠させる側は下手すればなにも変わらないわけだし……。ほんとあせってごめん。珠季をだれにも渡したくなかったけど……こんな余裕のないヤツはイヤだよね?」
「い、イヤじゃないよ!」
なんで急に誠也くんが自信を喪失した状態になったのか、わからなかった。
わからなかったけど、もしかしたらと思った部分はある。
たぶん、私のせいだ。
私がうだうだとひとりで勝手に悩んでいたから、周囲に甘えて答えを先延ばしにしていたから、誠也くんは自信を失ってしまったのかもしれない。
だとすれば、一番ひどいのは私だ。
「私、誠也くんが好き。誠也くんは? 『運命』と出会って、私のこと好きじゃなくなった?」
「それは違う。『運命』は、確かに魅力的だったし、なんだか心とは別の部分で惹かれているような感じはした。でも、俺は珠季が一番好きだから、惹かれていると感じても、心にはなにも響かなかった」
「そっか、うん。――あのね、私も『運命』と出会ったんだよ」
「え?」
「でも、誠也くんと同じだった。なんか体が惹かれてるような感じはするんだけど、それがすごくイヤだった。誠也くんが好きなのに、体が言うことを聞かない感じで……」
「……俺も、そんな感じだった」
「そっか」
「……『運命』に出会ってもそっちに行かないなんて、俺たち、気が合うね」
「だね」
さっきまでずっと、どこか強張った顔をしていた私と誠也くん。
でも今は自然と笑みがこぼれた。
いっしょに笑えて、ああ、私たちは愛しあっているんだという自信が、じわじわと心の内から溢れてくる。
「私の方こそ『ごめん』だよ。ずっと先延ばしにしててごめん。『運命』に出会ってやっとわかった。私――誠也くんと『つがい』になりたい」
「答えが出るのに時間がかかったのは仕方ないよ。俺たち、この前までただの高校生だったんだし。それもアルファとかオメガとかない世界の。……それで、『つがい』になりたいってホント?」
「うん」
「後悔しない?」
「誠也くんとなら、後悔なんてしないよ」
「……そこまで言われたら、もう聞くことはないかな。うん」
そう言って笑った誠也くんは、次には真剣な眼差しを私に向けてきた。
そしてイスから立ち上がると、膝を私のベッドの上へと沈ませる。
あまり作りの良くないスプリングが、ぎしりと音を立てた。
「……いい?」
耳元でささやくように、誠也くんが言う。
私にはもう、迷いはみじんもなかった。
言葉もなくただ頷けば、次の瞬間、私はベッドに押し倒され、誠也くんの顔を見上げることになった。
息を切らせた誠也くんが、扉を開き飛び込んできた。
私はといえば自宅まで送ってくれた侍女さんに言われるがまま、ベッドで布団にくるまり、あれやこれやとあまり血の巡りの良くない頭で考えていた。
あの男のひとはあのあとどうしたんだろう? とか。
これから先あの男のひととまた会わなきゃいけないんだろうなあ、憂鬱だなあ……とか。
「運命のつがい」って思ったよりも劇的な反応が出るんだなあ……とか。
これは今までに元の恋人なり伴侶なりを捨てる悲劇があるのも無理はないくらいの威力だよな……とか。
……誠也くんにどう話そうとか。
あわてた様子で部屋に飛び込んできた誠也くんだったが、扉の先へ一歩入るなりわずかに身じろぎして顔をしかめた。
恐らくは私が今発しているであろうフェロモンを感じ取ったからに違いない。
アルファにとってはときに「毒にも等しい」などと表現される発情期のオメガのフェロモン。
しかし私にはコントロール不可能なので、たとえば誠也くんがフェロモンを不快に思ったのだとしても、どうしようもできないのが現実だ。
一方、発情期に入り性欲にまみれた私の脳みそはピンク一色といかないまでも、頭の半分くらいはピンク色になっていた。
起きもしないだろう、フェロモンに当てられた誠也くんに迫られたりして……襲われちゃったりして……などと考えてしまう始末である。
なんだ、無理矢理はイヤだったんじゃないのかと私の冷静な部分がツッコミを入れる。
しかしそんな風に冷静なんだかそうじゃないんだかわからないせめぎ合いをしていても、私の体はしっかりと臨戦態勢に入ってしまっていた。
具体的にはアソコがびちゃびちゃになっている。それはもうしたたるくらいの大惨事だ。
パンツ替えたいなと私は冷静な部分でそう思った。
そして誠也くんと会ったことで、私は彼の持つフェロモンの香りとやらがわかった。
誠也くんが部屋に入ってきたと同時に、私の鼻腔が急に甘ったるさを感じたのだ。
砂糖をたくさん入れたホイップクリームのような、ひとによっては胃もたれを感じそうなほどの甘さ。
なるほど、これがフェロモンかと私は妙な感動を覚えた。
「珠季、大丈夫……じゃないよね?」
「うん、まあ、はい」
「横になってていいよ。辛いでしょう?」
「うん、まあ、辛いけど……。……話したいことがあるから」
私がそう告げると、誠也くんは黙ってベッドの脇にイスを持ってきてそこに腰を下ろした。
顔を上げた誠也くんと目が合う。それはもう、ばっちりと。
そして私はなんだか誠也くんの顔を見るのは久しぶりだなあと、トンチンカンなことを考えた。
いや、同じ家に暮らしているし、毎朝毎晩顔は合わせている。
でも、こうやってまっすぐに見ていなかった。うしろめたさから視線をそらしていた。
そういう単純なことに、私は今さらながら気づいたのだった。
「俺も珠季に話さないといけないことがある」
「え? そうなの?」
誠也くんの真剣な眼差しに、私は心臓がドキリとイヤな音を立てるのがわかった。
え? いきなりなんなの? このタイミングで話さないといけないことって? ……もしかして別れ話?
私の脳みそは急速に最悪の未来を計算し、そこへ向かって気持ちが勝手に落ち込んで行く。
ドキドキドキと心臓があからさまな音を立てる。ひどく不安になる、イヤな音だ。
しかし私はそんな不安な心境などおくびにも出さないようにして、平静を装って「じゃ、お先にどうぞ」と自分の心を誤魔化すように言った。
誠也くんも「じゃあお言葉に甘えて」なんて言って、目は真剣だけれど、声はいつもの当たりの柔らかな音をしたままだった。
「『運命』に出会ったんだ」
私はその言葉に、存外ショックを受けた。月並みな表現をするならば、「頭をハンマーで殴られたかのよう」だった。
「あ、え……」。私はなにかを言おうとした。上手い言葉を言おうとした。が、失敗した。
そもそも私はコミュニケーション能力が低いんだ――、と次から次へと今考えるべきでない事柄が頭の端から端まで浮かんでは消えて行く。
「そうなんだ。よかったね。どんな感じ?」。私の言いたかったことは概ねそのような言葉だった。
誠也くんにはなんだか深刻には受け取ってもらいたくない、と私の中にあるちっぽけなプライドが主張する。
たとえばここから先に別れ話へつながったとしても、みっともなく取り乱すようなマネはしたくなかった。
私は別に美しくはないが、せめて誠也くんの記憶の中だけでは美しくありたい。そう思った。
そして同時に、だれにも誠也くんを渡したくないと思った。
それから、あまりにも都合が良くて、浅ましい自分にも気づいた。
誠也くんの子供を妊娠して、誠也くんといっしょに生きて行くのは自分なのだという自負があったことに気づいて、衝撃を受けた。
あれだけ主観的にも客観的にもうだうだと悩み続けていたのに。
踏ん切りがどうとか、決意がどうとか、そういうところを易々と飛び越えて、「私は誠也くんの子供を産むのだ」と確信している自分に気づいた。
あれだけ誠也くんを待たせて、振り回しておいて、シンプルな答えは既に自分の中で固まっていたなんて――。
――なんて、ひどいやつなんだろう。
「珠季? 珠季? 大丈夫? ……やっぱり、この話は珠季が落ち着いてからの方が良かったね……」
「え、いや、その」
「ごめんね珠季、無理しなくていいよ」
「ま、待って!」
退出しそうな誠也くんの気配を察した私は、ベッドから這うように体を移動させ、脇に座る彼の衣服をつかんだ。
その話は先延ばしにするべきものではないと思ったからというのもあったが、なんだか誠也くんが遠い存在になってしまいそうで……怖かった。
「あの、いや! まだ話せるよ! 全然大丈夫!」
「そう? なんかテンションおかしくない?」
「そうかな……。発情期だからかも……。――まあとにかくまだ聞きたいことがあるから、さ」
「……『運命』のこと?」
「……うん」
イスから腰を浮かせていた誠也くんが、再びイスに座った。
私はそれを見てホッとして誠也くんの衣服から手を離す。
そしてまた、私たちは顔を見合わせた。
私の視界はちょっとうるんでいる。ぬぐってもぬぐっても、なんだかそんな感じなのだ。これも、発情期の影響なのかもしれない。
窓からの光が妙にキラキラと輝く視界の中で、私はまっすぐと誠也くんを見た。
そしてやっぱり彼のことが好きだなあ……と、電撃的でないが、じんわりと噛みしめるように思った。
「それで、『運命』って――」
「ああ、うん。もったいぶるのもなんだから言うけど、お姫様だったよ。珠季の仕事先の」
「え? ――えええ?!」
私の脳裏に瞬時にお姫様の無垢な顔が浮かぶ。
あの可憐なお姫様が誠也くんの「運命」? だ、ダメだ……真っ向勝負はもちろん、小技を駆使したとしても勝てそうにない――。
……いや、それよりも。
「え? いつ会ったの? 会ったことがあるなんて全然知らなかった」
「ついさっき」
「ついさっき?!」
「珠季が大変なことになってるって、俺を呼びに来た騎士のひとにひっついてきて、それで……」
お姫様、意外とアクティブだな!
「まあ、説教されたと言うか……いや、あれは激励なのかな? まあとにかく早く珠季を安心させなさいとおっしゃられて」
「そ、そうなんだ……」
「そうなんだ」。そうとしか言えない。
なんだか「運命」についてドシリアスに考えていた自分はなんだったんだ、という気持ちになった。
ちょっと話してみても、誠也くんはお姫様には微塵も心がないということがわかる。
誠也くんはそういうところは割り切りが激しいというか、端的に言ってしまえばドライだ。
好意を持つ対象にはとことん優しいし、そうでない対象にも優しいが、心中は無味乾燥。それが誠也くんという人間だった。
「それで……珠季に謝らないといけないことがあって」
「え? ……『運命』のこと?」
「違う。珠季に……その、妊娠のこととか結婚のこととか急かしてしまって悪いことをしたな、と思ってて」
「え? そんなこと?」
「そんなことって……。結構、ひどいことした自覚があるんだけど」
結婚。妊娠のインパクトの陰に隠れてしまっていたが、そういえば結婚も私は保留したままでいたのだった……。
誠也くんとしては正式に結婚して、それから子供を……という話を聞かされていたものの、私の脳みそが主に認識していたのは妊娠について。
結婚しても表面的にはなにかがすぐ変わるわけじゃないという意識があったから、保留していたことを今思い出したわけだ。
……言い訳をすると、なんだかもう結婚していたような気さえあった。
だって一つ屋根の下で暮らして、交互に家事を担当して……互いを好きあっていて、と揃っていたから。
しかしそれは世間では単なる同棲である。
そのことに、今、気づいた。
しかし私はそんな勘違いを披露するのが恥ずかしかったので、誠也くんには「全然気にしてないよ!」と言った。言うしかなかった。
「うん、でも、『つがい』になりたいって言い続けたのはよくなかったなって」
「そんなことないよ。不安に思っちゃうのも仕方ないだろうし」
「でも、『つがい』になるための行為には妊娠する可能性は含まれてる。妊娠して、色んなことが一番大きく変わるのは珠季だ。……俺は、その不安を取り除いてあげられない。和らげてあげることしかできない。そう思って――」
「えーっ。ちょっと考えすぎじゃない?」
「考えすぎくらいでちょうどいいと思うよ、俺は。だって妊娠させる側は下手すればなにも変わらないわけだし……。ほんとあせってごめん。珠季をだれにも渡したくなかったけど……こんな余裕のないヤツはイヤだよね?」
「い、イヤじゃないよ!」
なんで急に誠也くんが自信を喪失した状態になったのか、わからなかった。
わからなかったけど、もしかしたらと思った部分はある。
たぶん、私のせいだ。
私がうだうだとひとりで勝手に悩んでいたから、周囲に甘えて答えを先延ばしにしていたから、誠也くんは自信を失ってしまったのかもしれない。
だとすれば、一番ひどいのは私だ。
「私、誠也くんが好き。誠也くんは? 『運命』と出会って、私のこと好きじゃなくなった?」
「それは違う。『運命』は、確かに魅力的だったし、なんだか心とは別の部分で惹かれているような感じはした。でも、俺は珠季が一番好きだから、惹かれていると感じても、心にはなにも響かなかった」
「そっか、うん。――あのね、私も『運命』と出会ったんだよ」
「え?」
「でも、誠也くんと同じだった。なんか体が惹かれてるような感じはするんだけど、それがすごくイヤだった。誠也くんが好きなのに、体が言うことを聞かない感じで……」
「……俺も、そんな感じだった」
「そっか」
「……『運命』に出会ってもそっちに行かないなんて、俺たち、気が合うね」
「だね」
さっきまでずっと、どこか強張った顔をしていた私と誠也くん。
でも今は自然と笑みがこぼれた。
いっしょに笑えて、ああ、私たちは愛しあっているんだという自信が、じわじわと心の内から溢れてくる。
「私の方こそ『ごめん』だよ。ずっと先延ばしにしててごめん。『運命』に出会ってやっとわかった。私――誠也くんと『つがい』になりたい」
「答えが出るのに時間がかかったのは仕方ないよ。俺たち、この前までただの高校生だったんだし。それもアルファとかオメガとかない世界の。……それで、『つがい』になりたいってホント?」
「うん」
「後悔しない?」
「誠也くんとなら、後悔なんてしないよ」
「……そこまで言われたら、もう聞くことはないかな。うん」
そう言って笑った誠也くんは、次には真剣な眼差しを私に向けてきた。
そしてイスから立ち上がると、膝を私のベッドの上へと沈ませる。
あまり作りの良くないスプリングが、ぎしりと音を立てた。
「……いい?」
耳元でささやくように、誠也くんが言う。
私にはもう、迷いはみじんもなかった。
言葉もなくただ頷けば、次の瞬間、私はベッドに押し倒され、誠也くんの顔を見上げることになった。
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