これを運命と呼びたい

やなぎ怜

文字の大きさ
上 下
10 / 14

(10)

しおりを挟む
 ユージンの訪問から一週間と経たず。

 その日もエンプワーリは仕事で朝から家を留守にしており、ノノヴィはひとりで留守番を務めていた。

 軽快にドアノッカーが鳴らされて、ノノヴィは扉越しに「どちらさまですか?」と少しだけ声を張って問うた。

 くぐもった若い男の声が返ってくる。

「俺はエンプワーリの友のディードだ。しかし今日はお前に話があって、きた」

 ディードと名乗った相手のことをノノヴィは知らない。エンプワーリからその名を聞いたことはなかったし、今日だれかが訪ねてやってくるとの予定も聞き及んではいなかった。

 扉を開けるべきかどうか考え込んでしまったノノヴィの耳に、玄関ポーチの周りに置いてある鉢植えの花々が言う。

『ディードだ!』
『なんだかひさしぶりに見た気がするわ』
『ノノヴィ、扉を開けてあげて!』
『ディードはエンプワーリの友達だよ』

 ノノヴィが知る限り、「花の声」が嘘をついたことはなかった。花々は、見たまま聞いたまま真実しか語らない。そうであるのならば、ディードと名乗った男がエンプワーリの友達であるというのは、自称に留まる話ではないということなのだろう。少なくとも、花々はディードをエンプワーリの友達だと思っている……。

 ノノヴィは閂を外し、玄関の扉を開けた。扉の向こうには、整った顔をしているがどこか冷たい印象の男が立っており、厳しい視線をノノヴィに向けてくる。彼がディードなのだろう。

 ノノヴィはディードが、己のことをよく思っていないらしいという印象を抱くと同時に、奇妙な親近感をも覚えた。

「突然の訪問、失礼する」
「あの……エンプワーリさんのお友達だって――」
「そうだ。しかし歓待は不要。お前と話がしたいだけだからな」

 ディードは切れ長の目でじろりとノノヴィを見る。それはかつてノノヴィの雇い主であった酒場の店主が、ノノヴィを見ていたときの目とは決定的に違ったが、ノノヴィにとって穏やかならざる気持ちにさせられる視線という点で、両者のそれはとてもよく似ていた。

 敵愾心――。ディードの視線はそんな心情を雄弁に語っているようだと、ノノヴィは受け取った。

「だからわざわざあいつが不在の時間を狙ってやってきたのだ」

 ノノヴィはただ戸惑って、高い位置にあるディードの顔を見上げることしかできない。

「自分でも卑怯な真似を、と思う。だが俺はあいつがまた深く傷つくところを見たくはないのだ」

 ノノヴィはエンプワーリを欺いているという気まずさから、思わずディードから視線を外し、さまよわせた。

 ノノヴィの目が泳いだことはディードにもわかったのだろう。彼の眉間にわずかにシワが寄り、心なしか先ほどよりもその瞳から発せられる視線が鋭いものになったような気がした。

「あいつが思いびとを捜していることを知った女が、『ノノヴィ』を詐称したのだ。あいつはその女を『ノノヴィ』だとは思わなかったが、ずいぶんとしつこくつきまとって、大変だった。いつも笑顔のあいつが憔悴するほどに」

 ノノヴィはエンプワーリが穏やかに微笑んでいるところしか知らない。それでもなぜか、傷つき、深く落ち込み、悲しみに沈むエンプワーリの姿を、ノノヴィは容易に思い浮かべることができた。

「お前は『ノノヴィ』の誕生日を言えるか? 好きだった花は? あいつとどこで会って、最期にどんな会話を交わしたか言えるのか?」

 硬く冷たかったディードの声が、少しだけ熱を帯びる。彼は憤りを抱えている。エンプワーリを騙し欺くノノヴィに対して。

「お前も、花の一族の血を引いているのであれば、その血に恥じぬ生き方をしてもらいたいものだな」

 ノノヴィはディードに対し抱いていた、不可思議な親近感の正体に気づいた。

 ディードは花の一族なのだ。……恐らくディードも、ノノヴィが彼に抱いたのと同じ感覚を得て、ノノヴィが花の一族の血を引いていると看破したのだろう。

「その血を利用して上手くあいつに取り入ったようだが……俺は騙されない。前世の記憶なんてないくせに」

 ディードは花の一族であるのなら、当然「花の声」を聞くことができるだろう。

 花々が嘘をついたところをノノヴィは知らない。すなわち、ディードに対しても花々は自分たちが見たまま聞いたままを話したに違いなかった。

「……俺はできればあいつには傷ついて欲しくない。あいつは花の一族である俺も助けてくれた、命の恩人なんだ」

 ノノヴィは、先日ユージンがやってきた理由も、ディードとその根本は同じなのだろうと思った。

 ユージンはノノヴィを、エンプワーリが愛した「ノノヴィ」ではないと断言しなかったし、ノノヴィが詐欺師である可能性にすら言及しなかった。それでもエンプワーリの家にやってきたのは、友達である彼を慮ってのことなのだろう。

 ――「俺はできればあいつには傷ついて欲しくない」……。ユージンもきっとそう思って先日、この家にやってきたに違いなかった。けれども結局、彼は優しかったからなにも言えなかった。幸せそうな顔をするエンプワーリの前で、それを壊すことができなかった。

 しかし今エンプワーリはこの場にいないし、ディードはユージンよりも、そのしゃべり方からして厳格なたちのようである。

 そしてディードは花の一族で、「花の声」を聞くことができる。

 ノノヴィは花たちに己がエンプワーリを騙しているという、決定的なことを語ったわけではなかった。

 それでも――もう、嘘を押し通すのはつらくなった。

 エンプワーリの優しさに触れるたび、己が犯した罪の大きさにも触れるような心地だった。

 エンプワーリが幸せそうな顔をするたび、彼を騙し欺いている自分がひどく汚れたもののように感じられて、消えたくなった。

 結局、ノノヴィは心底からの悪人にはなりきれなかった。

 しかしエンプワーリを騙した以上、ノノヴィは善人でもなかった。

 なにもかもが中途半端で、見苦しい――。

 ノノヴィはそう思って、己の保身から出た嘘に幕引きを図ろうとした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。

しげむろ ゆうき
恋愛
 男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない  そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった 全五話 ※ホラー無し

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

旦那様、離縁の申し出承りますわ

ブラウン
恋愛
「すまない、私はクララと生涯を共に生きていきたい。離縁してくれ」 大富豪 伯爵令嬢のケイトリン。 領地が災害に遭い、若くして侯爵当主なったロイドを幼少の頃より思いを寄せていたケイトリン。ロイド様を助けるため、性急な結婚を敢行。その為、旦那様は平民の女性に癒しを求めてしまった。この国はルメニエール信仰。一夫一妻。婚姻前の男女の行為禁止、婚姻中の不貞行為禁止の厳しい規律がある。旦那様は平民の女性と結婚したいがため、ケイトリンンに離縁を申し出てきた。 旦那様を愛しているがため、旦那様の領地のために、身を粉にして働いてきたケイトリン。 その後、階段から足を踏み外し、前世の記憶を思い出した私。 離縁に応じましょう!未練なし!どうぞ愛する方と結婚し末永くお幸せに! *女性軽視の言葉が一部あります(すみません)

ある辺境伯の後悔

だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。 父親似だが目元が妻によく似た長女と 目元は自分譲りだが母親似の長男。 愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。 愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

姉の身代わりで冷酷な若公爵様に嫁ぐことになりましたが、初夜にも来ない彼なのに「このままでは妻に嫌われる……」と私に語りかけてきます。

恋愛
姉の身代わりとして冷酷な獣と蔑称される公爵に嫁いだラシェル。 初夜には顔を出さず、干渉は必要ないと公爵に言われてしまうが、ある晩の日「姿を変えた」ラシェルはばったり酔った彼に遭遇する。 「このままでは、妻に嫌われる……」 本人、目の前にいますけど!?

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

処理中です...