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――『Z-0型ドールの431番目』。
その識別番号以外に自己を表す名前を持たないことを、彼女は特段悲しいだとか悔しいだとか、不幸だとか理不尽だとか思ったことはなかった。
なぜならば彼女は人形であって、人間ではないから。人造の、使い捨ての兵士であるから。
人形の役割は人間の役に立つこと。帰る場所を持つ人間の代わりに死んで行くこと。
人形には帰る場所など存在しない。対して、人間たちには各々帰る場所が存在する。生きて帰ってきて欲しいと、願う存在がいる。人形にはそんな存在はいない。
そのはずだった。
「番号で呼ぶのは味気ない気がしないか? 命を預け合う間柄なのにさ」
彼は――エイトは、そう言って微笑んだ。
「『ジジ』なんて名前はどうかな」
彼女に――ジジには実質、拒否権などなかった。ジジは人間ではなく、人形だからだ。人形は、人間の言うことを聞く。どこまでも忠実で、裏切ることは決してない。
ジジは人間兵であるエイトに支給された人形兵だ。であれば、エイトがジジをどう呼ぼうが――どう扱おうが、それは彼の自由である。
だからジジはエイトの問いにただ黙ってうなずいた。
それから、『Z-0型ドールの431番目』は己を『ジジ』と認識するようになった。
外世界からこちらの世界を侵さんとやってくる化け物との戦争は、ずいぶんと長く続いていた。
ジジも何度か手脚を失うような傷を負ったが、簡易に直されるとすぐに戦場へと戻された。そのたびにエイトは、ジジを抱きしめて迎え入れてくれた。
エイトがジジを抱きしめるのはそのときばかりではなく、夜眠るときは必ずその腕にジジを迎え入れて、しかと抱きしめて眠った。簡素なひとり用のベッドは狭く、ジジは落ちないようにできる限りエイトに身を寄せた。
兵舎の中ではたいてい、人形たちは手ひどく扱われていた。長い長い戦争へと駆り出され、終わりの見えない戦場で溜まった人間兵のフラストレーションは、もっぱら人形兵たちに向けられていた。
わざわざ少女の見目で造られた人形兵たちは、その用途――人間兵の代わりに戦場で死ぬこと――ゆえに殴られたり蹴られたりすることは稀だったが、兵舎のどこかで毎日だれかしら犯されていた。自らのオーナーに犯されていることもあれば、はした金で貸し出されていることもあった。
しかしジジは、多くの人形兵たちのそんな日常とは無縁のまま終戦を迎えた。その日の晩も、エイトはしっかりとジジを抱きしめて眠った。兵舎内にいた人形兵は、そのときにはほとんど失われていた。五体満足でいる人形兵は、ジジともう一体だけという有様だった。
戦争が終わり、ジジは不要の存在となった。オーナーであるエイトと共に、兵士として無数の戦場を駆け抜けたが、人形であるジジに栄誉など与えられるはずもない。
人形兵たちの総解体処分が決まると、人権派の弁護士などを中心としていくらか反対運動も盛り上がった。しかし当の人形兵であるジジには、それらは遠い話だった。
解体処分――すなわち人形としてこの世からいなくなることが決定したと告げられても、ジジはその事実に悲しみも、悔しさも覚えなかったし、不幸だとか理不尽だとか思うこともなかった。
ジジは人間ではなく、人形だからだ。
「除隊日が決まった」
簡素な兵舎の、そっけない個室のひとつがエイトとジジに与えられた部屋だった。正確には、ここはエイト個人の部屋であり、ジジはそこに置かれた彼の所有物に過ぎない。
「まとまった金も手に入って……」
ベッドの縁に腰かけて、隣に座るジジをエイトが見下ろしている。エイトのほうがジジよりもずっと背が高いので、自然とそんな形になっていた。
「だから、もしきみがよければ……きみを買い取りたいと、思っていて」
「エイトが望むなら、エイトの好きにすればいい」
ジジからすればエイトは所有者……オーナーであり、本来であればそのように敬意を払って呼称するのが人形兵としてはありふれた姿だった。
しかしエイトは頑なにジジを「パートナー」と呼び、また「エイト」と名前で呼ばれることを望んだ。ジジは、エイトのその望みを叶えているに過ぎず、そこにはなんらの感情も挟まる余地はなかった。
エイトの問いかけに対する返事もそうだ。それは投げやりな感情からくるものではなかった。ただの無感情からくる返事に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
エイトとてそれは理解しているはずだ。
それでもエイトはジジのその返事に不足があるかのように、困ったように微笑んだ。ジジにはエイトのその表情の意味を汲み取ることはできなかったが、だからと言ってそこからなにかが発展するわけでも、芽生えるわけでもなかった。
「それじゃあ……」
エイトはまるで尻の置きどころに困っているかのように上半身をわずかに揺らし、それから隣にいるジジへと身をひねって向くと、右手を差し出した。ジジは、エイトが握手をしたいのだという意思を汲み取れたので、こちらもまた右手を差し出すことにした。
エイトの節くれだった明らかな成人男性の右手に比べて、ずっと小さくて華奢なジジの右手がぎゅっと握り込まれる。
「これからも、よろしく」
エイトは相変わらず、どこか歯に物でも挟まったかのような微笑みを浮かべて言った。
ジジにはやはり、エイトの表情の真意は汲み取れなかった。
その識別番号以外に自己を表す名前を持たないことを、彼女は特段悲しいだとか悔しいだとか、不幸だとか理不尽だとか思ったことはなかった。
なぜならば彼女は人形であって、人間ではないから。人造の、使い捨ての兵士であるから。
人形の役割は人間の役に立つこと。帰る場所を持つ人間の代わりに死んで行くこと。
人形には帰る場所など存在しない。対して、人間たちには各々帰る場所が存在する。生きて帰ってきて欲しいと、願う存在がいる。人形にはそんな存在はいない。
そのはずだった。
「番号で呼ぶのは味気ない気がしないか? 命を預け合う間柄なのにさ」
彼は――エイトは、そう言って微笑んだ。
「『ジジ』なんて名前はどうかな」
彼女に――ジジには実質、拒否権などなかった。ジジは人間ではなく、人形だからだ。人形は、人間の言うことを聞く。どこまでも忠実で、裏切ることは決してない。
ジジは人間兵であるエイトに支給された人形兵だ。であれば、エイトがジジをどう呼ぼうが――どう扱おうが、それは彼の自由である。
だからジジはエイトの問いにただ黙ってうなずいた。
それから、『Z-0型ドールの431番目』は己を『ジジ』と認識するようになった。
外世界からこちらの世界を侵さんとやってくる化け物との戦争は、ずいぶんと長く続いていた。
ジジも何度か手脚を失うような傷を負ったが、簡易に直されるとすぐに戦場へと戻された。そのたびにエイトは、ジジを抱きしめて迎え入れてくれた。
エイトがジジを抱きしめるのはそのときばかりではなく、夜眠るときは必ずその腕にジジを迎え入れて、しかと抱きしめて眠った。簡素なひとり用のベッドは狭く、ジジは落ちないようにできる限りエイトに身を寄せた。
兵舎の中ではたいてい、人形たちは手ひどく扱われていた。長い長い戦争へと駆り出され、終わりの見えない戦場で溜まった人間兵のフラストレーションは、もっぱら人形兵たちに向けられていた。
わざわざ少女の見目で造られた人形兵たちは、その用途――人間兵の代わりに戦場で死ぬこと――ゆえに殴られたり蹴られたりすることは稀だったが、兵舎のどこかで毎日だれかしら犯されていた。自らのオーナーに犯されていることもあれば、はした金で貸し出されていることもあった。
しかしジジは、多くの人形兵たちのそんな日常とは無縁のまま終戦を迎えた。その日の晩も、エイトはしっかりとジジを抱きしめて眠った。兵舎内にいた人形兵は、そのときにはほとんど失われていた。五体満足でいる人形兵は、ジジともう一体だけという有様だった。
戦争が終わり、ジジは不要の存在となった。オーナーであるエイトと共に、兵士として無数の戦場を駆け抜けたが、人形であるジジに栄誉など与えられるはずもない。
人形兵たちの総解体処分が決まると、人権派の弁護士などを中心としていくらか反対運動も盛り上がった。しかし当の人形兵であるジジには、それらは遠い話だった。
解体処分――すなわち人形としてこの世からいなくなることが決定したと告げられても、ジジはその事実に悲しみも、悔しさも覚えなかったし、不幸だとか理不尽だとか思うこともなかった。
ジジは人間ではなく、人形だからだ。
「除隊日が決まった」
簡素な兵舎の、そっけない個室のひとつがエイトとジジに与えられた部屋だった。正確には、ここはエイト個人の部屋であり、ジジはそこに置かれた彼の所有物に過ぎない。
「まとまった金も手に入って……」
ベッドの縁に腰かけて、隣に座るジジをエイトが見下ろしている。エイトのほうがジジよりもずっと背が高いので、自然とそんな形になっていた。
「だから、もしきみがよければ……きみを買い取りたいと、思っていて」
「エイトが望むなら、エイトの好きにすればいい」
ジジからすればエイトは所有者……オーナーであり、本来であればそのように敬意を払って呼称するのが人形兵としてはありふれた姿だった。
しかしエイトは頑なにジジを「パートナー」と呼び、また「エイト」と名前で呼ばれることを望んだ。ジジは、エイトのその望みを叶えているに過ぎず、そこにはなんらの感情も挟まる余地はなかった。
エイトの問いかけに対する返事もそうだ。それは投げやりな感情からくるものではなかった。ただの無感情からくる返事に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
エイトとてそれは理解しているはずだ。
それでもエイトはジジのその返事に不足があるかのように、困ったように微笑んだ。ジジにはエイトのその表情の意味を汲み取ることはできなかったが、だからと言ってそこからなにかが発展するわけでも、芽生えるわけでもなかった。
「それじゃあ……」
エイトはまるで尻の置きどころに困っているかのように上半身をわずかに揺らし、それから隣にいるジジへと身をひねって向くと、右手を差し出した。ジジは、エイトが握手をしたいのだという意思を汲み取れたので、こちらもまた右手を差し出すことにした。
エイトの節くれだった明らかな成人男性の右手に比べて、ずっと小さくて華奢なジジの右手がぎゅっと握り込まれる。
「これからも、よろしく」
エイトは相変わらず、どこか歯に物でも挟まったかのような微笑みを浮かべて言った。
ジジにはやはり、エイトの表情の真意は汲み取れなかった。
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