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例の件は案の定、大事になった。というか、積極的に大事にすべきなのだろうとはレンもわかっている。これは、ひとひとりの尊厳が踏みにじられていた可能性もある「事件」だ。……ということはよくわかっていたのだが、周囲に騒がれる状況は今ひとつわずらわしく感じてしまうのもまた、たしかで。
ひとまずは名も知らぬ男子生徒の貞操が守られたことは、喜ぶべきことだろう。レンに殴りかかってきた男子生徒は、そういうことをしようとしていたのだ。それを偶然にせよ未然に防げたのはよかった。最終的にレンと対峙した男子生徒をぶっ飛ばしてくれたのは、アレックスなのだが。
むしろレンは怒り心頭のアレックスをなだめるほうが苦労した。不意を突かれて吹っ飛ばされ、気絶していた男子生徒をさらに殴りかねない気迫だったのだ。それをなだめるのにはそうとう気を使った。
そしてやっぱり件の男子生徒はレンを男だと思っていたこともわかった。希少で貴重な女を殴ったとあって顔を青くしていたと学長から聞き及んだものの、レンとしては相手が男だろうが女だろうが、犯罪を止めに入った人間を殴り飛ばすのはナシだろう、というところである。そもそも、法を犯すこと自体がナシであることは、今さら言うまでもないことだが。
未遂に終わったあの美しい男子生徒はレンたちの一学年上の二年生らしい。学長によれば「こういうこと」はごくたまに起きるらしく、非常に憂いの深い顔でため息をつかれた。ここは名門校という矜持を胸に籍を置いている生徒も多いから、「そういうこと」は他校に比べれば少ないらしいが。
「女に相手されない男は悲惨だよ。女に相手して欲しいけど、されねえ男ってのは、特にね」
アレックスの言を聞くに、どうもこの世界ではそういう価値観が支配的らしい。希少なぶん、女には女の大変さがあるように、余るほどに多すぎるぶん、男には男の苦悩があるようだ。だからと言って他人の尊厳を踏みにじるような行為に手を染めるのは絶対にダメだが。
いずれにせよ未遂に終わったのは不幸中の幸いであった。これ以上己にできることはないだろうとレンは考える。あとは教師やカウンセラーといった、レンより遥かに「オトナ」の人間があれこれと手を回す番である。
「男ばっか詰め込まれてるとそういう機会もあるんだけど……中にはああいうことするヤツもいるんだよなー……。あ、オレは女にしか興味ないけど」
学長室から解放されたレンに、アレックスはそんなことを教えてくれる。レンの頬には目にまぶしい白の湿布が貼られている。魔法薬のお陰で半日ほどで腫れは引くだろうとのことだから、魔法のある世界様様であった。
「そうなんだ……けっこう大変だね。あの二年生のひと、すっごい美人だったから言い寄られることとか多そう」
「奨学生のバッジつけてたから、お高くとまってそうなイメージだけどね、オレは」
「それは偏見では……」
「そうでもないって。奨学生の連中ってなーんか鼻につくんだよね」
「相性悪いんだね」
「ま、そーいうこと」
特定の分野の高い能力を認められ、いくらか学費などを免除してもらっている生徒を奨学生と呼ぶ。アレックスはそんな奨学生のことをわりと悪し様に言ったものの、レンにはその評価がどれほど正しいのかまではわからない。奨学生の知り合いがいないから、イマイチ判断できないのだ。
けれども奨学生という立場ゆえに、理不尽に対しまともな反撃が出来なかった……ということはあり得るかもと考える。奨学生ではなくなっても学校には通えるらしいが、それとこれとはまた別の問題である可能性もある。
しかし今はそれよりも。
「アレックス」
「ん?」
「ありがとね。助けに駆けつけてくれて」
「なに? 改まっちゃって」
アレックスは茶化すような声色を出したが、その顔は微妙にニヤけている。真正面から礼を言われるのが恥ずかしいのだろう。アレックスのそういうところをレンはまだ「おこちゃま」だなと思うと同時に、なんだかちょっとだけ可愛らしく見えてくる。
そうなるとレンの口元もニヤニヤとゆるんでしまう。それを目ざとく見つけたアレックスは、わかりやすく視線をそらした。しかし思うところがあったのか、再度レンの顔に目を向ける。
「顔、大丈夫か?」
「顔? 平気平気。湿布のお陰かそんなに痛くないし、先生は半日くらいで腫れも引くって」
「もう一〇発くらいぶん殴っときゃよかったな」
「そんなに殴ったら顔面ぼっこぼこになっちゃうよ」
「それくらいしといたほうがよかったんじゃね? 二度とそういうことやんないようにさ」
「あー……まあね」
襲ったほうの男子生徒はまったく擁護できないので、暴力はいけないと思いつつもレンは口を濁してしまう。
「まあ、とにかくアレックスのお陰でぼっこぼこにされずに済んだよ」
「それな。マジで肝冷えたから、もうやんなよ?」
「……善処します」
「なに、その答え」
小テストの補習を終えたアレックスは、レンの姿がどこにもないことを不審に思い、わざわざ捜してくれたらしいのだ。そのお陰で、絶妙なタイミングで不意打ちをかますことが出来た、というわけである。アレックスが乱入してくれなければ、レンはもっと手ひどい怪我を負わされていたに違いない。
それに、レンとしては己が殴られたことを怒ってくれたアレックスに、柄にもなく友情を感じていた。レンはそういうことにはどちらかと言えば淡白な自覚があった。だから、己のその心境の変化にもおどろいた。あたたかいものが込み上げてくると同時に、慣れないそれは妙に気恥ずかしくて――。
「アレックス……いいこいいこ」
「――はあ? なんだよそれ!」
アレックスの燃えるように赤い髪をわしゃわしゃと撫で回す。レンのほうが背が高いので、難なくこなせた。
「意味わかんねー」
そう言ってどこか恥ずかしそうにしながらも、まんざらではない顔をするアレックスは、やっぱり年下なんだなとレンは思った。
ひとまずは名も知らぬ男子生徒の貞操が守られたことは、喜ぶべきことだろう。レンに殴りかかってきた男子生徒は、そういうことをしようとしていたのだ。それを偶然にせよ未然に防げたのはよかった。最終的にレンと対峙した男子生徒をぶっ飛ばしてくれたのは、アレックスなのだが。
むしろレンは怒り心頭のアレックスをなだめるほうが苦労した。不意を突かれて吹っ飛ばされ、気絶していた男子生徒をさらに殴りかねない気迫だったのだ。それをなだめるのにはそうとう気を使った。
そしてやっぱり件の男子生徒はレンを男だと思っていたこともわかった。希少で貴重な女を殴ったとあって顔を青くしていたと学長から聞き及んだものの、レンとしては相手が男だろうが女だろうが、犯罪を止めに入った人間を殴り飛ばすのはナシだろう、というところである。そもそも、法を犯すこと自体がナシであることは、今さら言うまでもないことだが。
未遂に終わったあの美しい男子生徒はレンたちの一学年上の二年生らしい。学長によれば「こういうこと」はごくたまに起きるらしく、非常に憂いの深い顔でため息をつかれた。ここは名門校という矜持を胸に籍を置いている生徒も多いから、「そういうこと」は他校に比べれば少ないらしいが。
「女に相手されない男は悲惨だよ。女に相手して欲しいけど、されねえ男ってのは、特にね」
アレックスの言を聞くに、どうもこの世界ではそういう価値観が支配的らしい。希少なぶん、女には女の大変さがあるように、余るほどに多すぎるぶん、男には男の苦悩があるようだ。だからと言って他人の尊厳を踏みにじるような行為に手を染めるのは絶対にダメだが。
いずれにせよ未遂に終わったのは不幸中の幸いであった。これ以上己にできることはないだろうとレンは考える。あとは教師やカウンセラーといった、レンより遥かに「オトナ」の人間があれこれと手を回す番である。
「男ばっか詰め込まれてるとそういう機会もあるんだけど……中にはああいうことするヤツもいるんだよなー……。あ、オレは女にしか興味ないけど」
学長室から解放されたレンに、アレックスはそんなことを教えてくれる。レンの頬には目にまぶしい白の湿布が貼られている。魔法薬のお陰で半日ほどで腫れは引くだろうとのことだから、魔法のある世界様様であった。
「そうなんだ……けっこう大変だね。あの二年生のひと、すっごい美人だったから言い寄られることとか多そう」
「奨学生のバッジつけてたから、お高くとまってそうなイメージだけどね、オレは」
「それは偏見では……」
「そうでもないって。奨学生の連中ってなーんか鼻につくんだよね」
「相性悪いんだね」
「ま、そーいうこと」
特定の分野の高い能力を認められ、いくらか学費などを免除してもらっている生徒を奨学生と呼ぶ。アレックスはそんな奨学生のことをわりと悪し様に言ったものの、レンにはその評価がどれほど正しいのかまではわからない。奨学生の知り合いがいないから、イマイチ判断できないのだ。
けれども奨学生という立場ゆえに、理不尽に対しまともな反撃が出来なかった……ということはあり得るかもと考える。奨学生ではなくなっても学校には通えるらしいが、それとこれとはまた別の問題である可能性もある。
しかし今はそれよりも。
「アレックス」
「ん?」
「ありがとね。助けに駆けつけてくれて」
「なに? 改まっちゃって」
アレックスは茶化すような声色を出したが、その顔は微妙にニヤけている。真正面から礼を言われるのが恥ずかしいのだろう。アレックスのそういうところをレンはまだ「おこちゃま」だなと思うと同時に、なんだかちょっとだけ可愛らしく見えてくる。
そうなるとレンの口元もニヤニヤとゆるんでしまう。それを目ざとく見つけたアレックスは、わかりやすく視線をそらした。しかし思うところがあったのか、再度レンの顔に目を向ける。
「顔、大丈夫か?」
「顔? 平気平気。湿布のお陰かそんなに痛くないし、先生は半日くらいで腫れも引くって」
「もう一〇発くらいぶん殴っときゃよかったな」
「そんなに殴ったら顔面ぼっこぼこになっちゃうよ」
「それくらいしといたほうがよかったんじゃね? 二度とそういうことやんないようにさ」
「あー……まあね」
襲ったほうの男子生徒はまったく擁護できないので、暴力はいけないと思いつつもレンは口を濁してしまう。
「まあ、とにかくアレックスのお陰でぼっこぼこにされずに済んだよ」
「それな。マジで肝冷えたから、もうやんなよ?」
「……善処します」
「なに、その答え」
小テストの補習を終えたアレックスは、レンの姿がどこにもないことを不審に思い、わざわざ捜してくれたらしいのだ。そのお陰で、絶妙なタイミングで不意打ちをかますことが出来た、というわけである。アレックスが乱入してくれなければ、レンはもっと手ひどい怪我を負わされていたに違いない。
それに、レンとしては己が殴られたことを怒ってくれたアレックスに、柄にもなく友情を感じていた。レンはそういうことにはどちらかと言えば淡白な自覚があった。だから、己のその心境の変化にもおどろいた。あたたかいものが込み上げてくると同時に、慣れないそれは妙に気恥ずかしくて――。
「アレックス……いいこいいこ」
「――はあ? なんだよそれ!」
アレックスの燃えるように赤い髪をわしゃわしゃと撫で回す。レンのほうが背が高いので、難なくこなせた。
「意味わかんねー」
そう言ってどこか恥ずかしそうにしながらも、まんざらではない顔をするアレックスは、やっぱり年下なんだなとレンは思った。
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