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クリスティアン殿下からの求婚後、わたしはわけもわからず逃げ回っていた。
クリスティアン殿下に会えば、返答をしなければならない。けれどもわたしは、わたしの気持ちがわからなくなってしまっていた。それまでは、クリスティアン殿下のことを好きだと思っていたのにもかかわらず。
わたしは手紙でクリスティアン殿下に時間が欲しいと伝えた。期限を引き延ばすという稚拙な作戦だった。クリスティアン殿下は答えはいつでもいいと返信をくれたが、わたしはいつ答えを出せるのか、自分でもわからない状態だった。
自分でもなにをそんなに悩んでいるのかわからないくらい、悩んだ。
答えはふたつ。「はい」か「いいえ」かだけだ。それ以外に思いつく選択肢はなかった。
クリスティアン殿下を好いているという点では「はい」と答えていいんだろう。
けれども殿下の語ったわたしの像があまりにも自己の認識とズレていたから、そのまま「はい」と答えれば今後幻滅されるのではないか、という恐れを抱いている。……だから、軽率に返答ができなかったのだ、と気づいた。
悩んで悩んで、わたしはまた痩せた。それでもまだ「ぽっちゃり」くらいだったけれど、この世界の価値観では「ちょいブサ」くらいまで体重が減ったことはたしかだった。
美しさを損ない、始終隈をこさえているわたしに、近づく異性の数は減った。それでもお近づきになりたいと考えている異性は、よほどわたしが好きなのか、わたしの美貌が好きなのか、あるいは家格や血統が目当てなのだろう。
いよいよ「魔性の女」の天下も終わり、などとささやかれても傷つきはしなかった。むしろ、そんな天下は終わってくれと思っていた。
一方で、美しさを損なったわたしをクリスティアン殿下がどう受け止めるのか気になった。
クリスティアン殿下は見た目だけで差別を受けてきた人だ。だから、わたしの見た目が変わったからと言って態度を翻したりはしないと思う一方、やはり気が気ではない。
もう一方ではいっそクリスティアン殿下が顔だけで判断するような男だったらよかったのに、などと思ってもいないことを考える。そうであれば、わたしは殿下の求婚に「いいえ」と答えることができるから。
……どれもこれも、身勝手な願いだというのはわかっていたが、わたしはひとり、勝手に追い詰められていた。
「あ」
声が重なった。
バッタリ、という表現が似合う出会い方だった。
まさにバッタリ、わたしとクリスティアン殿下は学園のエントランスへと続く大階段の前で出くわした。
「ダフネ嬢……」
わたしは言葉に詰まった。色々と言うことがあるだろうということはわかっていた。
挨拶、謝罪、言い訳……。言うべきことは頭にのぼるも、それが口から出てくることはなかった。
舌が喉に貼りつくような感覚。じっとりと、汗をかく肌。しかし頬は紅潮するどころか青白くなりそうな勢いだった。
「見ろよ」
そんなヒソヒソ笑いがわたしの耳朶を打った。
向こうを通り過ぎて行く生徒の集団が、クリスティアン殿下を嘲笑う。妃を得るのに必死だと嗤う集団は、大商家の息子たちで寄り集まったものだ。彼らにとっては王族への畏敬は古臭いものに映るらしい。
クリスティアン殿下はそれに怒ることも青ざめることもなく、ただ肩をすくめて困ったように笑った。
わたしは、なんだかそれが見ていられなくて、気がつけば無礼にもクリスティアン殿下の手を取っていた。
わたしのクリームパンのようだった手は、ちょっとスマートなソーセージくらいになっていた。それが、節が目立ち始めたクリスティアン殿下の手を、ぎゅうと握りしめている。
クリスティアン殿下はちょっとおどろいたようにわずかに目を瞠る。けれどもゆるりと相好を崩し、殿下の手を取るわたしの手の甲にそっと手のひらを重ねた。
「……大丈夫だよ」
「え?」
「もう、うつむいたり、目をそらしたりするのはやめたから」
「……はい」
存じております。そう言いたかった。
いつからかわからないけれど、クリスティアン殿下はそういう自信のなさそうな態度を改めた。前世のわたしには、とうていできなかったことだ。それだけで、わたしにとって殿下は尊敬に値する人間だった。
人が変わるのは難しい。それをイヤと言うほど知っていたから、なおさら。
「せめて、ダフネ嬢に誇れると、自分だけでも言えるようになりたくて」
もううつむかない。もう目をそらしたりしない。それらはすべてわたしのため。わたしを好きになったから――変わった。
だとすれば――次に変わるべきなのは。
「好きです」
気がつけばわたしは吐息のような声でそう言っていた。
わたしは、今までの己を恥じた。逃げ回って、なにも変わろうとはしなかったわたしを恥ずかしく思った。
せっかくなんらかの存在がわたしに生き直すチャンスを与えてくれたのに、わたしが己の変えたところなんてほとんどない。それに気づいて――気づかされて、なんともったいないんだろうと思った。
「わたしは――他者に対して平等だとか、慈悲の心で殿下に接していたとか、そういうことはありません。ただ、わたしからすれば殿下はとても美しく見えて――……つまり、他の方とは見え方がちょっと、いえ、かなり、違うんです。だから、普通の態度が取れただけなんです」
「それは――」
「失望、いたしましたか?」
クリスティアン殿下からなんと返ってこようと受け止めようと思った。
けれどクリスティアン殿下はくすりと笑って、わたしの手の甲に重ねた手のひらに、改めて力を込められる。
「いや、可愛いと思った」
「――え?」
「それに、陳腐だけれど――運命を感じた。……だって、そうだろう? だれからも醜いと言われる私を、君だけが美しいと言ってくれる。そんな君を好きになったのは――なんだか、運命を感じてしまって」
「運命……」
わたしはクリスティアン殿下の言葉を笑い飛ばせなかった。
だって、わたしも「そうかも」なんて思ってしまったから。
同時にクリスティアン殿下とわたしでは、人の器が違いすぎると思った。
前世のわたしだったら、そこでもうあきらめてしまっていただろう。「釣り合わない」。そう言って。でも、今のわたしは違う。変わるチャンスを与えられた、わたしは――ダフネ・グルベンキアンは。
「そうかもしれません」
わたしが微笑むと、クリスティアン殿下もどこかホッとしたような顔で微笑み返してくれた。
それだけで、わたしの中に勇気が湧いてくる。彼の隣に並び立ちたい、いや、きっと並び立ってやる、という勇気が。
手指を通して、クリスティアン殿下のぬくもりが伝わってくる。それだけでわたしは、前世ではついぞ見えなかった未来への道筋が、ハッキリと目の前に切り拓かれているのを感じられた。
クリスティアン殿下に会えば、返答をしなければならない。けれどもわたしは、わたしの気持ちがわからなくなってしまっていた。それまでは、クリスティアン殿下のことを好きだと思っていたのにもかかわらず。
わたしは手紙でクリスティアン殿下に時間が欲しいと伝えた。期限を引き延ばすという稚拙な作戦だった。クリスティアン殿下は答えはいつでもいいと返信をくれたが、わたしはいつ答えを出せるのか、自分でもわからない状態だった。
自分でもなにをそんなに悩んでいるのかわからないくらい、悩んだ。
答えはふたつ。「はい」か「いいえ」かだけだ。それ以外に思いつく選択肢はなかった。
クリスティアン殿下を好いているという点では「はい」と答えていいんだろう。
けれども殿下の語ったわたしの像があまりにも自己の認識とズレていたから、そのまま「はい」と答えれば今後幻滅されるのではないか、という恐れを抱いている。……だから、軽率に返答ができなかったのだ、と気づいた。
悩んで悩んで、わたしはまた痩せた。それでもまだ「ぽっちゃり」くらいだったけれど、この世界の価値観では「ちょいブサ」くらいまで体重が減ったことはたしかだった。
美しさを損ない、始終隈をこさえているわたしに、近づく異性の数は減った。それでもお近づきになりたいと考えている異性は、よほどわたしが好きなのか、わたしの美貌が好きなのか、あるいは家格や血統が目当てなのだろう。
いよいよ「魔性の女」の天下も終わり、などとささやかれても傷つきはしなかった。むしろ、そんな天下は終わってくれと思っていた。
一方で、美しさを損なったわたしをクリスティアン殿下がどう受け止めるのか気になった。
クリスティアン殿下は見た目だけで差別を受けてきた人だ。だから、わたしの見た目が変わったからと言って態度を翻したりはしないと思う一方、やはり気が気ではない。
もう一方ではいっそクリスティアン殿下が顔だけで判断するような男だったらよかったのに、などと思ってもいないことを考える。そうであれば、わたしは殿下の求婚に「いいえ」と答えることができるから。
……どれもこれも、身勝手な願いだというのはわかっていたが、わたしはひとり、勝手に追い詰められていた。
「あ」
声が重なった。
バッタリ、という表現が似合う出会い方だった。
まさにバッタリ、わたしとクリスティアン殿下は学園のエントランスへと続く大階段の前で出くわした。
「ダフネ嬢……」
わたしは言葉に詰まった。色々と言うことがあるだろうということはわかっていた。
挨拶、謝罪、言い訳……。言うべきことは頭にのぼるも、それが口から出てくることはなかった。
舌が喉に貼りつくような感覚。じっとりと、汗をかく肌。しかし頬は紅潮するどころか青白くなりそうな勢いだった。
「見ろよ」
そんなヒソヒソ笑いがわたしの耳朶を打った。
向こうを通り過ぎて行く生徒の集団が、クリスティアン殿下を嘲笑う。妃を得るのに必死だと嗤う集団は、大商家の息子たちで寄り集まったものだ。彼らにとっては王族への畏敬は古臭いものに映るらしい。
クリスティアン殿下はそれに怒ることも青ざめることもなく、ただ肩をすくめて困ったように笑った。
わたしは、なんだかそれが見ていられなくて、気がつけば無礼にもクリスティアン殿下の手を取っていた。
わたしのクリームパンのようだった手は、ちょっとスマートなソーセージくらいになっていた。それが、節が目立ち始めたクリスティアン殿下の手を、ぎゅうと握りしめている。
クリスティアン殿下はちょっとおどろいたようにわずかに目を瞠る。けれどもゆるりと相好を崩し、殿下の手を取るわたしの手の甲にそっと手のひらを重ねた。
「……大丈夫だよ」
「え?」
「もう、うつむいたり、目をそらしたりするのはやめたから」
「……はい」
存じております。そう言いたかった。
いつからかわからないけれど、クリスティアン殿下はそういう自信のなさそうな態度を改めた。前世のわたしには、とうていできなかったことだ。それだけで、わたしにとって殿下は尊敬に値する人間だった。
人が変わるのは難しい。それをイヤと言うほど知っていたから、なおさら。
「せめて、ダフネ嬢に誇れると、自分だけでも言えるようになりたくて」
もううつむかない。もう目をそらしたりしない。それらはすべてわたしのため。わたしを好きになったから――変わった。
だとすれば――次に変わるべきなのは。
「好きです」
気がつけばわたしは吐息のような声でそう言っていた。
わたしは、今までの己を恥じた。逃げ回って、なにも変わろうとはしなかったわたしを恥ずかしく思った。
せっかくなんらかの存在がわたしに生き直すチャンスを与えてくれたのに、わたしが己の変えたところなんてほとんどない。それに気づいて――気づかされて、なんともったいないんだろうと思った。
「わたしは――他者に対して平等だとか、慈悲の心で殿下に接していたとか、そういうことはありません。ただ、わたしからすれば殿下はとても美しく見えて――……つまり、他の方とは見え方がちょっと、いえ、かなり、違うんです。だから、普通の態度が取れただけなんです」
「それは――」
「失望、いたしましたか?」
クリスティアン殿下からなんと返ってこようと受け止めようと思った。
けれどクリスティアン殿下はくすりと笑って、わたしの手の甲に重ねた手のひらに、改めて力を込められる。
「いや、可愛いと思った」
「――え?」
「それに、陳腐だけれど――運命を感じた。……だって、そうだろう? だれからも醜いと言われる私を、君だけが美しいと言ってくれる。そんな君を好きになったのは――なんだか、運命を感じてしまって」
「運命……」
わたしはクリスティアン殿下の言葉を笑い飛ばせなかった。
だって、わたしも「そうかも」なんて思ってしまったから。
同時にクリスティアン殿下とわたしでは、人の器が違いすぎると思った。
前世のわたしだったら、そこでもうあきらめてしまっていただろう。「釣り合わない」。そう言って。でも、今のわたしは違う。変わるチャンスを与えられた、わたしは――ダフネ・グルベンキアンは。
「そうかもしれません」
わたしが微笑むと、クリスティアン殿下もどこかホッとしたような顔で微笑み返してくれた。
それだけで、わたしの中に勇気が湧いてくる。彼の隣に並び立ちたい、いや、きっと並び立ってやる、という勇気が。
手指を通して、クリスティアン殿下のぬくもりが伝わってくる。それだけでわたしは、前世ではついぞ見えなかった未来への道筋が、ハッキリと目の前に切り拓かれているのを感じられた。
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