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エピローグ
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ホールの控室でイスに腰かけたティーナは自らの足元に視線を送る。けれども真っ白なウェディングドレスの長い裾に阻まれて、今のティーナは己の脚先を見ることも叶わない。
スタイリングやメイクも終わったティーナは、疲れたため息をひとつ吐いて備えつけられた鏡を見つめる。二〇歳の女が、疲れた顔をしてこちらを見返している。
メイクのお陰で目元の隈は隠れていたが、疲れ切った表情ばかりはどうしようもない。これでもいつもより顔色がよくなったほうなのだから、この式場のスタッフの腕はたしかだ。
扉をノックする音がして、控えていたミルコが扉を開ける。扉の向こうからかかった声で、ティーナはやってきたのがだれなのかをすぐに悟った。
「レオナ」
犬だったら尻尾を振って大喜びしているだろう。そんな弾んだ声でレオンツィオがティーナを呼ぶ。
「レオナ……よく似合っているよ」
レオンツィオが満足するのは当たり前だった。今、ティーナが身につけているドレスもティアラもベールも、そのほか諸々の装身具のすべてはレオンツィオが選んだものだからだ。
ティーナが自らの意思で選んだのはドレスのサイズくらいである。
「大丈夫? きつくない?」
「……ちょうどいいですよ」
「いや、体調は大丈夫かなって」
「……つわりはおさまりましたから、大丈夫です」
妊娠六ヶ月。安定期に入って酷かったつわりもだいぶ収まった。それでも目の下の隈はなかなか消えなかったので、コンシーラーで念入りに隠すことになったのだ。
本当は二〇歳を迎えたら式を挙げようという話になっていて、それまで妊娠するつもりはなかった。
けれども夫婦としてすることはしていたから、結局挙式までに子供ができた。お陰で重いお腹を抱えて結婚式をすることになってしまい、ティーナはため息をつかざるを得ないわけであった。
できた子供を疎ましく思っているわけではなかったものの、それはそれ、これはこれ、という話であった。既に胎児と共に暮らして半年。腰痛やら関節痛やら頻尿がひどく、早く出てきて欲しいというのがティーナの偽らざる本音であった。
「ねえ、幸せ?」
レオンツィオが金の瞳を細めて聞く。
ティーナには己が幸せなのかどうかわからなかった。
「はい」
それでも幸せなのだ、と答える。いつかそれが本当になればいいと思っているから。
……それは恐らく、いつかは本当になるのだろう。まやかしの果てに待つものなのか、それとも本当に心の底からそう思えるようになるのか――そこまではわからないが。
しかし、ひとつだけわかっていることがある。
「ああ、今すぐキスしたいよ」
「式場でするじゃないですか」
「……そうだね。今日はそのときまで取っておこう。――代わりに」
レオンツィオがティーナの手を取り、手袋越しにその甲に口づけを落とした。
ティーナは背筋に甘美ないしびれが走るのを感じた。……どうも、だいぶ己はレオンツィオにやられているようだ。
……ひとつ、たしかにわかっていること。
レオンツィオの瞳の奥に広がる底なしの闇からは、抜け出せそうにないということ。
「レオナ、愛しているよ」
ティーナはぎこちなく微笑んだ。
スタイリングやメイクも終わったティーナは、疲れたため息をひとつ吐いて備えつけられた鏡を見つめる。二〇歳の女が、疲れた顔をしてこちらを見返している。
メイクのお陰で目元の隈は隠れていたが、疲れ切った表情ばかりはどうしようもない。これでもいつもより顔色がよくなったほうなのだから、この式場のスタッフの腕はたしかだ。
扉をノックする音がして、控えていたミルコが扉を開ける。扉の向こうからかかった声で、ティーナはやってきたのがだれなのかをすぐに悟った。
「レオナ」
犬だったら尻尾を振って大喜びしているだろう。そんな弾んだ声でレオンツィオがティーナを呼ぶ。
「レオナ……よく似合っているよ」
レオンツィオが満足するのは当たり前だった。今、ティーナが身につけているドレスもティアラもベールも、そのほか諸々の装身具のすべてはレオンツィオが選んだものだからだ。
ティーナが自らの意思で選んだのはドレスのサイズくらいである。
「大丈夫? きつくない?」
「……ちょうどいいですよ」
「いや、体調は大丈夫かなって」
「……つわりはおさまりましたから、大丈夫です」
妊娠六ヶ月。安定期に入って酷かったつわりもだいぶ収まった。それでも目の下の隈はなかなか消えなかったので、コンシーラーで念入りに隠すことになったのだ。
本当は二〇歳を迎えたら式を挙げようという話になっていて、それまで妊娠するつもりはなかった。
けれども夫婦としてすることはしていたから、結局挙式までに子供ができた。お陰で重いお腹を抱えて結婚式をすることになってしまい、ティーナはため息をつかざるを得ないわけであった。
できた子供を疎ましく思っているわけではなかったものの、それはそれ、これはこれ、という話であった。既に胎児と共に暮らして半年。腰痛やら関節痛やら頻尿がひどく、早く出てきて欲しいというのがティーナの偽らざる本音であった。
「ねえ、幸せ?」
レオンツィオが金の瞳を細めて聞く。
ティーナには己が幸せなのかどうかわからなかった。
「はい」
それでも幸せなのだ、と答える。いつかそれが本当になればいいと思っているから。
……それは恐らく、いつかは本当になるのだろう。まやかしの果てに待つものなのか、それとも本当に心の底からそう思えるようになるのか――そこまではわからないが。
しかし、ひとつだけわかっていることがある。
「ああ、今すぐキスしたいよ」
「式場でするじゃないですか」
「……そうだね。今日はそのときまで取っておこう。――代わりに」
レオンツィオがティーナの手を取り、手袋越しにその甲に口づけを落とした。
ティーナは背筋に甘美ないしびれが走るのを感じた。……どうも、だいぶ己はレオンツィオにやられているようだ。
……ひとつ、たしかにわかっていること。
レオンツィオの瞳の奥に広がる底なしの闇からは、抜け出せそうにないということ。
「レオナ、愛しているよ」
ティーナはぎこちなく微笑んだ。
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