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「早かったですね」
複雑な感情がそのまま可愛げのない言葉としてティーナの口から出る。
こんな夜中に「顔が見たい」だなんてレオンツィオに言われて、それを珍しく受け入れたティーナは、そんな己におどろきを抱く。いつもだったら「明日にできませんか」なんて無愛想に言い放っているだろうに。
しかし今夜はなんとなくもう一度レオンツィオの顔が見たくなった。銃を向けられ、危うい場面に晒されたから、そう思ったんだろうとティーナは自分に言い聞かせる。
レオンツィオは味方でいるうちは頼もしい相手だ。たとえその性根が腐っていたとしても、レオンツィオなら「なんとか」してくれそうな雰囲気がある。今のティーナはそういう雰囲気に引っ張られただけなのだ、と再度言い聞かせる。
レオンツィオに対するそっけない物言いは、最後のあがきだった。レオンツィオは憎むべき相手なのだと――ティーナはもうそういう風にばかりには見えていないのに、そう思いたくて愛想のない態度を取る。
「早くレオナの顔が見たかったから、飛んで来たんだよ」
レオンツィオは微笑んで調子のいいことを言う。ティーナの態度なんて、レオンツィオにとっては子猫がじゃれつくようなものなのだろう。そう思うと、幼稚な態度しか取れない自分が悔しくなってくる。
「……どうぞ」。ティーナはそう言ってレオンツィオを部屋に招き入れる。それはこの部屋に案内されたときぶりの出来事だった。
けれどもあの日から部屋の内装はほとんど変わっていない。ティーナはあまり物を持たないし、そもそも無理矢理与えられたこの部屋を、自分の物のように扱うことがまだできないでいたのだ。
それでも日々生活しているわけであるから、食器類は一式揃っている。
「なにか飲みますか?」
「いや、いいよ。お構いなく。長居するつもりはないから」
キッチンから視線を外し、ティーナはレオンツィオの顔を見た。いつ見ても整った顔立ちであるが、微笑んでも無表情でも、どこか冷たさを感じる。今のレオンツィオにはそういう雰囲気があった。
「……それなら、どうして来たんですか?」
「あれ? 『顔が見たい』って言わなかったっけ?」
「聞きましたけど……。それだけですか?」
「うーん……」
ティーナはてっきり今日の出来事について、なにかレオンツィオから言いたいことでもあるのかと思って待ち構えていた。けれどもレオンツィオは特にそういった、ティーナが想定していたような目的を持ってこの部屋にやってきたわけではないらしい。
レオンツィオの顔を見ると、ティーナの心はざわめきと同時に、別の部分で安らぐのを感じた。どこか先ほどの出来事のせいで抜け切らない、刺々しい神経。それが鎮まって行くのを感じながら、一方で嵐の中にいるような気になる。
やはり、どうすればいいのかわからない。
レオンツィオはかつてティーナの大切なものすべてを奪った。けれどもそれはもう、終わった話であることもまた、ティーナは理解していた。だが、それで納得できないのが面倒な心というやつで。
知らず知らず、ティーナの視線は床へと落ちて行く。レオンツィオのぴかぴかの革靴がティーナの視界の中で動く。レオンツィオがおもむろにティーナに近づく。衣擦れの音がかすかにティーナの耳に届く。レオンツィオの腕が上がり、その手がティーナに触れようとした。
嗅ぎ慣れた鉄臭い血のにおいに混じって、女物の香水のにおいがした。
「……女の人と会ってたんですか?」
ティーナの心の中が、ぐちゃぐちゃになる。ティーナが大変な目に遭っているときに、レオンツィオはティーナの知らないところで女とよろしくやっていたのかと思うと、眉間にシワが寄る。
ティーナの冷静な部分は、「そんなことはレオンツィオの勝手であり、己には関係のないことだ」とうそぶく。けれどもティーナの本音では到底納得などできなかった。
つい数時間前にティーナの夫候補として、テーブルを同じくしたばかりなのに。その足で向かった先に女がいたのだとすれば、ティーナは――。
視線を上げると珍しく目を丸くして、きょとんとした顔をしているレオンツィオがいた。とぼけた演技ではないことを、ティーナは即座に見抜く。これは、本気でおどろいているときの顔だとわかった。
「びっくりした。……そんなに臭う?」
「……腕を、動かしたときにちょっとだけ」
「ああ、最初にしなだれかかってきたときかな。ここに来る前に着替えるべきだったね」
レオンツィオはまったく意に介した様子もなく、飄々とそう言ってのける。ティーナに指摘されても、まったく気にした様子はない。
そんなレオンツィオの態度に、ティーナの中の感情は膨れ上がって行く。
けれどもそれは、明確な言葉にはならなかった。
しかし海千山千のレオンツィオには、ティーナの心の動きなどお見通しのようだった。
「嫉妬した?」
今度は逆にレオンツィオから指摘される。ティーナはぎゅっと眉間のシワを深くして、頬を一度に赤らめた。
「可愛い」
レオンツィオの指先が、今度こそティーナの頬に触れる。ゆっくりとティーナの顔の輪郭をなぞるように、レオンツィオは指の腹で撫でて行く。その指はティーナの顎を捉え、強制的にレオンツィオのほうへと向かせる。
ティーナの瞳いっぱいにレオンツィオの顔が映る。ティーナはどんな顔をしていいのかわからず、困惑と気恥ずかしさがにじんだ目でレオンツィオを見上げるしかなかった。
複雑な感情がそのまま可愛げのない言葉としてティーナの口から出る。
こんな夜中に「顔が見たい」だなんてレオンツィオに言われて、それを珍しく受け入れたティーナは、そんな己におどろきを抱く。いつもだったら「明日にできませんか」なんて無愛想に言い放っているだろうに。
しかし今夜はなんとなくもう一度レオンツィオの顔が見たくなった。銃を向けられ、危うい場面に晒されたから、そう思ったんだろうとティーナは自分に言い聞かせる。
レオンツィオは味方でいるうちは頼もしい相手だ。たとえその性根が腐っていたとしても、レオンツィオなら「なんとか」してくれそうな雰囲気がある。今のティーナはそういう雰囲気に引っ張られただけなのだ、と再度言い聞かせる。
レオンツィオに対するそっけない物言いは、最後のあがきだった。レオンツィオは憎むべき相手なのだと――ティーナはもうそういう風にばかりには見えていないのに、そう思いたくて愛想のない態度を取る。
「早くレオナの顔が見たかったから、飛んで来たんだよ」
レオンツィオは微笑んで調子のいいことを言う。ティーナの態度なんて、レオンツィオにとっては子猫がじゃれつくようなものなのだろう。そう思うと、幼稚な態度しか取れない自分が悔しくなってくる。
「……どうぞ」。ティーナはそう言ってレオンツィオを部屋に招き入れる。それはこの部屋に案内されたときぶりの出来事だった。
けれどもあの日から部屋の内装はほとんど変わっていない。ティーナはあまり物を持たないし、そもそも無理矢理与えられたこの部屋を、自分の物のように扱うことがまだできないでいたのだ。
それでも日々生活しているわけであるから、食器類は一式揃っている。
「なにか飲みますか?」
「いや、いいよ。お構いなく。長居するつもりはないから」
キッチンから視線を外し、ティーナはレオンツィオの顔を見た。いつ見ても整った顔立ちであるが、微笑んでも無表情でも、どこか冷たさを感じる。今のレオンツィオにはそういう雰囲気があった。
「……それなら、どうして来たんですか?」
「あれ? 『顔が見たい』って言わなかったっけ?」
「聞きましたけど……。それだけですか?」
「うーん……」
ティーナはてっきり今日の出来事について、なにかレオンツィオから言いたいことでもあるのかと思って待ち構えていた。けれどもレオンツィオは特にそういった、ティーナが想定していたような目的を持ってこの部屋にやってきたわけではないらしい。
レオンツィオの顔を見ると、ティーナの心はざわめきと同時に、別の部分で安らぐのを感じた。どこか先ほどの出来事のせいで抜け切らない、刺々しい神経。それが鎮まって行くのを感じながら、一方で嵐の中にいるような気になる。
やはり、どうすればいいのかわからない。
レオンツィオはかつてティーナの大切なものすべてを奪った。けれどもそれはもう、終わった話であることもまた、ティーナは理解していた。だが、それで納得できないのが面倒な心というやつで。
知らず知らず、ティーナの視線は床へと落ちて行く。レオンツィオのぴかぴかの革靴がティーナの視界の中で動く。レオンツィオがおもむろにティーナに近づく。衣擦れの音がかすかにティーナの耳に届く。レオンツィオの腕が上がり、その手がティーナに触れようとした。
嗅ぎ慣れた鉄臭い血のにおいに混じって、女物の香水のにおいがした。
「……女の人と会ってたんですか?」
ティーナの心の中が、ぐちゃぐちゃになる。ティーナが大変な目に遭っているときに、レオンツィオはティーナの知らないところで女とよろしくやっていたのかと思うと、眉間にシワが寄る。
ティーナの冷静な部分は、「そんなことはレオンツィオの勝手であり、己には関係のないことだ」とうそぶく。けれどもティーナの本音では到底納得などできなかった。
つい数時間前にティーナの夫候補として、テーブルを同じくしたばかりなのに。その足で向かった先に女がいたのだとすれば、ティーナは――。
視線を上げると珍しく目を丸くして、きょとんとした顔をしているレオンツィオがいた。とぼけた演技ではないことを、ティーナは即座に見抜く。これは、本気でおどろいているときの顔だとわかった。
「びっくりした。……そんなに臭う?」
「……腕を、動かしたときにちょっとだけ」
「ああ、最初にしなだれかかってきたときかな。ここに来る前に着替えるべきだったね」
レオンツィオはまったく意に介した様子もなく、飄々とそう言ってのける。ティーナに指摘されても、まったく気にした様子はない。
そんなレオンツィオの態度に、ティーナの中の感情は膨れ上がって行く。
けれどもそれは、明確な言葉にはならなかった。
しかし海千山千のレオンツィオには、ティーナの心の動きなどお見通しのようだった。
「嫉妬した?」
今度は逆にレオンツィオから指摘される。ティーナはぎゅっと眉間のシワを深くして、頬を一度に赤らめた。
「可愛い」
レオンツィオの指先が、今度こそティーナの頬に触れる。ゆっくりとティーナの顔の輪郭をなぞるように、レオンツィオは指の腹で撫でて行く。その指はティーナの顎を捉え、強制的にレオンツィオのほうへと向かせる。
ティーナの瞳いっぱいにレオンツィオの顔が映る。ティーナはどんな顔をしていいのかわからず、困惑と気恥ずかしさがにじんだ目でレオンツィオを見上げるしかなかった。
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