26 / 36
(26)
しおりを挟む
ミルコからティーナを自宅へ送り届けたという連絡を受け取ったレオンツィオは、そっと息を吐いた。
レオンツィオと同じ部屋、床にひざまずくようにて座り込んでいる女は鼻血が垂れ出る顔面を押さえ、ぶるぶると震えている。女のオフホワイトの服は血の赤に染まり、床に敷かれた絨毯にもシミを作っている。
「――こ、こんなことしてタダで済むと思ってるの……?!」
「それはもちろん。勝てない勝負はしない主義なんでね、私は」
レオンツィオは優雅に微笑む。しかしその金の瞳からは明らかな殺気が放たれていた。
それでも女は気丈に振る舞い、レオンツィオに噛みつく勢いを止める様子はない。
「パパが許すはずないわ!」
「――その『パパ』から見捨てられたんだって、どうしてわからないかな?」
女の名前はヴァネッサ・バルディ。テオコリファミリーの幹部であるマッシミリアーノ・ヴァルディのひとり娘だ。もちろんそのことはレオンツィオも知っている。
そんなヴァネッサの顔面を容赦なく拳で殴ったのは先ほどのレオンツィオだ。しかしヴァネッサはそれで怯えるどころか怒り出すのだから、なかなか度胸のある女であった。
しかしその度胸はほとんど無謀なもの。蛮勇と言い換えても差し支えない。
ヴァネッサはレオンツィオの言葉を聞いて、三角に吊り上げていた目を丸くし、きょとんとした表情になる。レオンツィオの言葉が理解できなかったのかもしれない。
「見捨てられたんだよ、君は。関係を切られたの。わかる?」
幼子に言って聞かせるように、レオンツィオはゆっくりとしゃべる。
ヴァネッサは信じられないと言うような表情になったあと、また目を三角に吊り上げてレオンツィオをにらみつける。
「そんなはずないわ! デタラメ言っても無駄なんだから!」
「はあ……馬鹿の相手って疲れるなあ……。君にハッタリを仕掛ける理由なんて私にはないよ。だってもう、すべて君が画策したことだという証拠は私の手の中にあるからね」
レオンツィオが冷たい目で見下ろせば、ヴァネッサはようやく己の立場が「マズい」のだということを理解し始めたようだった。
そんなヴァネッサにレオンツィオは一歩近づく。ヴァネッサはびくりと肩を揺らした。
「ジルド・トルリーニとかいう田舎者を焚きつけたのも、デチモ・ルイーゼとかいうストーカーをヤク漬けにして利用したのも、それらが上手く行かなくてアロンツォを金で釣って馬鹿みたいな計画を実行させたのも――全部、知ってるよ」
ヴァネッサが息を呑む音がした。形勢不利を悟ったのか、徐々にヴァネッサの頬から怒りの朱色が引き、代わりに蒼白に染まって行く。
「マッシミリアーノはもう君に愛想が尽きたんだってさ」
「う、嘘……嘘よ! パパがそんなことするはずない!」
「知らない男の種でデキたワガママ娘はいらないんだとさ」
「――え?」
「君の身辺調査をした時に一応調べたんだけど――君ってマッシミリアーノと血の繋がりはないんだって。だからもう、マッシミリアーノは君のことなんてどうでもいいらしいよ」
ヴァネッサとマッシミリアーノの親子関係を調べたのは念のためだった。なにか攻め入る手立てになれば御の字というくらいの気持ちだったが、とんでもない結果が返ってきた。
レオンツィオにとってそれは僥倖、マッシミリアーノとヴァネッサにとっては不幸だったが、レオンツィオにはどうでもいい話だ。
「そ、そ、そんな……でも、でも、パパはあたしのこと……」
どうやら血縁関係がなかったことは、ヴァネッサは知らなかったらしい。予想外の事実を突きつけられて、ヴァネッサのまなじりには涙が浮かび始めた。レオンツィオはそれを無感情な目で眺める。
「そんなにレオナ……レオンティーナのことが気に入らなかったの?」
理由を問うたのはレオンツィオの戯れのようなものだった。なぜならば、ヴァネッサがどう答えようがその末路は既に決まっていたからだ。それでも一応、という感じでレオンツィオは問い質す。
ヴァネッサは言い訳をしたり、嘘をつく気力もないのか、顔を青くしたまま血にまみれた口を開く。
「だって! 急に現れて夫も子供もボスにしてあげるなんてズルいじゃない! それに、それに……あなただって! あたしのことなんて見向きもしなかったクセにあの女はちやほやして……!」
レオンツィオはヴァネッサがたびたび秋波を送ってきているのは知っていた。けれどもレオンツィオはヴァネッサにはその気になれなかったので、その気持ちを利用して弄ぶ気もなかった。一応は幹部の娘。面倒事は避けたいと考えるのが普通だろう。
けれどもヴァネッサはそれがお気に召さなかったらしい。両親に甘やかされて育ったワガママ娘は、気に入らないティーナへの嫌がらせをすると同時に、レオンツィオを、ボスの座を射止めるレースから脱落させようと画策したようだ。
薬物中毒のストーカーに襲撃された際のミルコの失態。アロンツォを金で釣ってティーナを拉致させる。その両者は、ティーナへの嫌がらせの意味もあったが、レオンツィオへの嫌がらせの意味も込められていたのだ。
「なんであたしがこんな目に遭わなきゃいけないの!? 悪いのはあんたでしょ!?」
ヴァネッサは心の底からそう思っているようだった。
両親に際限なく甘やかされ、その美貌ゆえに男たちからもちやほやされ、金を持っているために褒めそやすばかりの同性の友達も多かったのだろう。ゆえに彼女のメンタリティは限りなく幼稚であった。
毛の先ほどもヴァネッサは己が悪いとは思っていない。
しかしレオンツィオはそのことになんの感情も抱かなかった。いや、イラ立ちはした。レオンツィオの大切なティーナに害をなそうとしたのだ。けれども怒りを通り越して逆に今の心境は凪のようだ。
「……そうだね。『悪い』のは私だね」
レオンツィオは金の瞳を細めて微笑んだあと、ヴァネッサの顔面を蹴り上げた。
レオンツィオと同じ部屋、床にひざまずくようにて座り込んでいる女は鼻血が垂れ出る顔面を押さえ、ぶるぶると震えている。女のオフホワイトの服は血の赤に染まり、床に敷かれた絨毯にもシミを作っている。
「――こ、こんなことしてタダで済むと思ってるの……?!」
「それはもちろん。勝てない勝負はしない主義なんでね、私は」
レオンツィオは優雅に微笑む。しかしその金の瞳からは明らかな殺気が放たれていた。
それでも女は気丈に振る舞い、レオンツィオに噛みつく勢いを止める様子はない。
「パパが許すはずないわ!」
「――その『パパ』から見捨てられたんだって、どうしてわからないかな?」
女の名前はヴァネッサ・バルディ。テオコリファミリーの幹部であるマッシミリアーノ・ヴァルディのひとり娘だ。もちろんそのことはレオンツィオも知っている。
そんなヴァネッサの顔面を容赦なく拳で殴ったのは先ほどのレオンツィオだ。しかしヴァネッサはそれで怯えるどころか怒り出すのだから、なかなか度胸のある女であった。
しかしその度胸はほとんど無謀なもの。蛮勇と言い換えても差し支えない。
ヴァネッサはレオンツィオの言葉を聞いて、三角に吊り上げていた目を丸くし、きょとんとした表情になる。レオンツィオの言葉が理解できなかったのかもしれない。
「見捨てられたんだよ、君は。関係を切られたの。わかる?」
幼子に言って聞かせるように、レオンツィオはゆっくりとしゃべる。
ヴァネッサは信じられないと言うような表情になったあと、また目を三角に吊り上げてレオンツィオをにらみつける。
「そんなはずないわ! デタラメ言っても無駄なんだから!」
「はあ……馬鹿の相手って疲れるなあ……。君にハッタリを仕掛ける理由なんて私にはないよ。だってもう、すべて君が画策したことだという証拠は私の手の中にあるからね」
レオンツィオが冷たい目で見下ろせば、ヴァネッサはようやく己の立場が「マズい」のだということを理解し始めたようだった。
そんなヴァネッサにレオンツィオは一歩近づく。ヴァネッサはびくりと肩を揺らした。
「ジルド・トルリーニとかいう田舎者を焚きつけたのも、デチモ・ルイーゼとかいうストーカーをヤク漬けにして利用したのも、それらが上手く行かなくてアロンツォを金で釣って馬鹿みたいな計画を実行させたのも――全部、知ってるよ」
ヴァネッサが息を呑む音がした。形勢不利を悟ったのか、徐々にヴァネッサの頬から怒りの朱色が引き、代わりに蒼白に染まって行く。
「マッシミリアーノはもう君に愛想が尽きたんだってさ」
「う、嘘……嘘よ! パパがそんなことするはずない!」
「知らない男の種でデキたワガママ娘はいらないんだとさ」
「――え?」
「君の身辺調査をした時に一応調べたんだけど――君ってマッシミリアーノと血の繋がりはないんだって。だからもう、マッシミリアーノは君のことなんてどうでもいいらしいよ」
ヴァネッサとマッシミリアーノの親子関係を調べたのは念のためだった。なにか攻め入る手立てになれば御の字というくらいの気持ちだったが、とんでもない結果が返ってきた。
レオンツィオにとってそれは僥倖、マッシミリアーノとヴァネッサにとっては不幸だったが、レオンツィオにはどうでもいい話だ。
「そ、そ、そんな……でも、でも、パパはあたしのこと……」
どうやら血縁関係がなかったことは、ヴァネッサは知らなかったらしい。予想外の事実を突きつけられて、ヴァネッサのまなじりには涙が浮かび始めた。レオンツィオはそれを無感情な目で眺める。
「そんなにレオナ……レオンティーナのことが気に入らなかったの?」
理由を問うたのはレオンツィオの戯れのようなものだった。なぜならば、ヴァネッサがどう答えようがその末路は既に決まっていたからだ。それでも一応、という感じでレオンツィオは問い質す。
ヴァネッサは言い訳をしたり、嘘をつく気力もないのか、顔を青くしたまま血にまみれた口を開く。
「だって! 急に現れて夫も子供もボスにしてあげるなんてズルいじゃない! それに、それに……あなただって! あたしのことなんて見向きもしなかったクセにあの女はちやほやして……!」
レオンツィオはヴァネッサがたびたび秋波を送ってきているのは知っていた。けれどもレオンツィオはヴァネッサにはその気になれなかったので、その気持ちを利用して弄ぶ気もなかった。一応は幹部の娘。面倒事は避けたいと考えるのが普通だろう。
けれどもヴァネッサはそれがお気に召さなかったらしい。両親に甘やかされて育ったワガママ娘は、気に入らないティーナへの嫌がらせをすると同時に、レオンツィオを、ボスの座を射止めるレースから脱落させようと画策したようだ。
薬物中毒のストーカーに襲撃された際のミルコの失態。アロンツォを金で釣ってティーナを拉致させる。その両者は、ティーナへの嫌がらせの意味もあったが、レオンツィオへの嫌がらせの意味も込められていたのだ。
「なんであたしがこんな目に遭わなきゃいけないの!? 悪いのはあんたでしょ!?」
ヴァネッサは心の底からそう思っているようだった。
両親に際限なく甘やかされ、その美貌ゆえに男たちからもちやほやされ、金を持っているために褒めそやすばかりの同性の友達も多かったのだろう。ゆえに彼女のメンタリティは限りなく幼稚であった。
毛の先ほどもヴァネッサは己が悪いとは思っていない。
しかしレオンツィオはそのことになんの感情も抱かなかった。いや、イラ立ちはした。レオンツィオの大切なティーナに害をなそうとしたのだ。けれども怒りを通り越して逆に今の心境は凪のようだ。
「……そうだね。『悪い』のは私だね」
レオンツィオは金の瞳を細めて微笑んだあと、ヴァネッサの顔面を蹴り上げた。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説


普通のOLは猛獣使いにはなれない
ピロ子
恋愛
恋人と親友に裏切られ自棄酒中のOL有季子は、バーで偶然出会った猛獣(みたいな男)と意気投合して酔った勢いで彼と一夜を共にしてしまう。
あの日の事は“一夜の過ち”だと思えるようになった頃、自宅へ不法侵入してきた猛獣と再会し、過ちで終われない関係となっていく。
普通のOLとマフィアな男の、体から始まる関係。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。


アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる