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レオンツィオはやはり狂っている。ティーナがジルドとかかわった時点で、ジルドの未来は決まってしまったのかもしれない。けれどもジルドが助かる未来だって、可能性としてはあったはずだ。
ティーナはどうしてもそんなことを考えてしまう。けれどもそんな未来は限りなくないものであることもまた、理解していた。
ティーナはレオンツィオに指摘されるまで、ジルドと彼を――アントーニオを重ね合わせて見ていたことなど気づいていなかったのだから。
ジルドにそうしたように、レオンツィオはきっと虫けらでも見るような目でアントーニオを見たことだろう。そして――。
……そう考えるとティーナは心の柔らかい部分がざわめくのがわかった。
けれどもそうやって心動かされていること自体、レオンツィオの手の内のような気がして気分がよくない。そしてレオンツィオに対する憎悪を感じながらも、それ一色にはなれない己にも。
レオンツィオがティーナを欺いていたように、ティーナはアントーニオを騙していたも同然だ。レオンツィオの正体を知ってからも彼と親しかった事実をだれにも言い出せなかった。レオンツィオとの逢瀬はだれにも秘密だった。
言い訳をしようと思えばいくらでもできる。今さらレオンツィオと親しくしていたと告げても事態は変わりはしなかっただろうし、ティーナが裏切り者として扱われる可能性もあった。当時のグループには、そういう空気があった。
けれどもティーナがレオンツィオにそうされたように、アントーニオを欺いていた事実は変わりはしない。
今でも罪悪感を刺激される。だれもが死んだ今になって、そんな感傷は無意味だと知りながら、ティーナの心の中はぐちゃぐちゃと荒れて行く。
そして行きつく先はレオンツィオだ。こんな風に悩ましく思っているのが自分だけのような気がして、ティーナはレオンツィオが憎くなってくる。
――すべて無意味だ。意味なんてないんだ。
ティーナは己へと言い聞かせるように、何度も心の中で繰り返す。すべては終わったことで、こうやって拘泥するのは無意味だと。ティーナはそう思いたかった。
ジルドが殺されてから一週間ほど。ティーナはよく眠れない日々を過ごしていた。気を抜けばジルドの最期の瞬間を反芻でもするように思い出してしまうのだ。
ティーナ「ごとき」にジルドは助けられなかった。それはティーナもよくわかっている。今のティーナは前世よりもさらに無力で非力な市井を生きるただの小娘。レオンツィオのような巨悪を相手に上手く立ち回れるはずもなかった。
そうやって答えの出ない難問に頭を悩ませていたから、その視線の種類が違ったとしてもあまり気に留めなかった。
ティーナに向けられる視線にはいくつか種類がある。けれども視線を向けられることにティーナは半ば慣れ切っていた。
テオコリファミリーのボスの孫娘となったことで、ティーナには四六時中監視の目がつけられることとなった。はじめはもちろん慣れなくて居心地が悪かったが、今では後ろめたいことはしていないのだからと潔く開き直っている。
こちらをうかがう視線がちくちくと刺さるのに、ティーナは慣れ切っていた。
しかしティーナが違和を感じたその視線は、言ってしまえば捕食者のそれに近かった。好意と憎悪が入り混じったかのような視線。振り向けばそらされる目。だれがそんな視線を送ってきているのか、ティーナは把握していた。
仕事上がりなのか夕暮れの頃にやってくるその客の名前まではティーナは知らない。大木のような体躯に反して、か細い蚊が鳴くような声で注文をするその客について、ティーナが思うところはなにもなかった。まさしく「好意の反対は無関心」といったところだろう。
けれどもその客のほうは違うようだった。ティーナも気づくほどの視線。無論、オリエッタも気づいていたが、特段なにか仕掛けてくることもなかったので放置されていた。それでもオリエッタは心配していたが。
その視線が変わり始めたことにティーナは不意に気づいた。うらみがましくこちらを見つめる目に気づいた。
――これはよくないな。
そうティーナは思ったが、やはりなにか仕掛けてくるわけでもないので、こちらからアクションは取れない。ただ、じっとりと湿度のある視線をティーナに向けるその客は、相変わらず夕暮れの頃に喫茶店にやってくる。
その客がなにかしらしでかすとはティーナは思っていなかった。今やティーナはテオコリファミリーのボスの孫娘で、この喫茶店には四六時中ヤクザものがいるのだから。
高を括っていたわけではないが、たしかに油断くらいはしていた。ティーナも、オリエッタもそうだ。
そしてその客はジルドが喫茶店に通い始めた頃からあまり来店しなくなった。そして喫茶店にやってきたときは、ひどく顔色が悪く、日を追うごとに別人のようになって行くのにティーナとオリエッタは気づいた。
「内臓でも悪いのかねえ?」
そんなことをオリエッタが言っていたと思ったらふつりと来なくなった。
そしてジルドの件があって、ティーナはその客がめっきり来なくなったことについて、考えるどころか完全に忘れていた。
ドアベルが鳴り、久しぶりにその姿を目にしたことでようやく「しばらくきていなかった人だ」ということを思い出したくらいだ。
その客の顔色は以前の記憶からますます悪くなっていた。長患いをしている病人と変わりない、土気色の顔。しかし細い目の中に収まった眼球だけはどこかギラギラとした輝きを持っている。そしてなにかに怯えるような挙動不審。
ティーナはその客を見て思いあたることがあった。
恐らく、ドラッグを使用している。
ティーナ自身は前世も今世でもそういうものに手を出したことはないが、常用している人間は近くにいたからわかってしまった。
ティーナはどうしてもそんなことを考えてしまう。けれどもそんな未来は限りなくないものであることもまた、理解していた。
ティーナはレオンツィオに指摘されるまで、ジルドと彼を――アントーニオを重ね合わせて見ていたことなど気づいていなかったのだから。
ジルドにそうしたように、レオンツィオはきっと虫けらでも見るような目でアントーニオを見たことだろう。そして――。
……そう考えるとティーナは心の柔らかい部分がざわめくのがわかった。
けれどもそうやって心動かされていること自体、レオンツィオの手の内のような気がして気分がよくない。そしてレオンツィオに対する憎悪を感じながらも、それ一色にはなれない己にも。
レオンツィオがティーナを欺いていたように、ティーナはアントーニオを騙していたも同然だ。レオンツィオの正体を知ってからも彼と親しかった事実をだれにも言い出せなかった。レオンツィオとの逢瀬はだれにも秘密だった。
言い訳をしようと思えばいくらでもできる。今さらレオンツィオと親しくしていたと告げても事態は変わりはしなかっただろうし、ティーナが裏切り者として扱われる可能性もあった。当時のグループには、そういう空気があった。
けれどもティーナがレオンツィオにそうされたように、アントーニオを欺いていた事実は変わりはしない。
今でも罪悪感を刺激される。だれもが死んだ今になって、そんな感傷は無意味だと知りながら、ティーナの心の中はぐちゃぐちゃと荒れて行く。
そして行きつく先はレオンツィオだ。こんな風に悩ましく思っているのが自分だけのような気がして、ティーナはレオンツィオが憎くなってくる。
――すべて無意味だ。意味なんてないんだ。
ティーナは己へと言い聞かせるように、何度も心の中で繰り返す。すべては終わったことで、こうやって拘泥するのは無意味だと。ティーナはそう思いたかった。
ジルドが殺されてから一週間ほど。ティーナはよく眠れない日々を過ごしていた。気を抜けばジルドの最期の瞬間を反芻でもするように思い出してしまうのだ。
ティーナ「ごとき」にジルドは助けられなかった。それはティーナもよくわかっている。今のティーナは前世よりもさらに無力で非力な市井を生きるただの小娘。レオンツィオのような巨悪を相手に上手く立ち回れるはずもなかった。
そうやって答えの出ない難問に頭を悩ませていたから、その視線の種類が違ったとしてもあまり気に留めなかった。
ティーナに向けられる視線にはいくつか種類がある。けれども視線を向けられることにティーナは半ば慣れ切っていた。
テオコリファミリーのボスの孫娘となったことで、ティーナには四六時中監視の目がつけられることとなった。はじめはもちろん慣れなくて居心地が悪かったが、今では後ろめたいことはしていないのだからと潔く開き直っている。
こちらをうかがう視線がちくちくと刺さるのに、ティーナは慣れ切っていた。
しかしティーナが違和を感じたその視線は、言ってしまえば捕食者のそれに近かった。好意と憎悪が入り混じったかのような視線。振り向けばそらされる目。だれがそんな視線を送ってきているのか、ティーナは把握していた。
仕事上がりなのか夕暮れの頃にやってくるその客の名前まではティーナは知らない。大木のような体躯に反して、か細い蚊が鳴くような声で注文をするその客について、ティーナが思うところはなにもなかった。まさしく「好意の反対は無関心」といったところだろう。
けれどもその客のほうは違うようだった。ティーナも気づくほどの視線。無論、オリエッタも気づいていたが、特段なにか仕掛けてくることもなかったので放置されていた。それでもオリエッタは心配していたが。
その視線が変わり始めたことにティーナは不意に気づいた。うらみがましくこちらを見つめる目に気づいた。
――これはよくないな。
そうティーナは思ったが、やはりなにか仕掛けてくるわけでもないので、こちらからアクションは取れない。ただ、じっとりと湿度のある視線をティーナに向けるその客は、相変わらず夕暮れの頃に喫茶店にやってくる。
その客がなにかしらしでかすとはティーナは思っていなかった。今やティーナはテオコリファミリーのボスの孫娘で、この喫茶店には四六時中ヤクザものがいるのだから。
高を括っていたわけではないが、たしかに油断くらいはしていた。ティーナも、オリエッタもそうだ。
そしてその客はジルドが喫茶店に通い始めた頃からあまり来店しなくなった。そして喫茶店にやってきたときは、ひどく顔色が悪く、日を追うごとに別人のようになって行くのにティーナとオリエッタは気づいた。
「内臓でも悪いのかねえ?」
そんなことをオリエッタが言っていたと思ったらふつりと来なくなった。
そしてジルドの件があって、ティーナはその客がめっきり来なくなったことについて、考えるどころか完全に忘れていた。
ドアベルが鳴り、久しぶりにその姿を目にしたことでようやく「しばらくきていなかった人だ」ということを思い出したくらいだ。
その客の顔色は以前の記憶からますます悪くなっていた。長患いをしている病人と変わりない、土気色の顔。しかし細い目の中に収まった眼球だけはどこかギラギラとした輝きを持っている。そしてなにかに怯えるような挙動不審。
ティーナはその客を見て思いあたることがあった。
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