5 / 36
(5)
しおりを挟む
再び車内。やはりレオンツィオはティーナを先に乗らせる。ティーナはセダンへ乗り込むと同時に、たわむれに右後部座席のドアを開けようとした。が、そこは当然のように内側からは開かなかった。
「ごめんね? 今は開かないよ」
レオンツィオは例の困ったような笑みを浮かべて、ティーナをたしなめるように言う。ティーナはそれになにも返さず、大人しく座席に腰を下ろした。
レオンツィオの舎弟で、運転手役であるらしいミルコの運転は、見た目に反して繊細だ。彼直属のボスと、ファミリーのボスの孫娘を乗せているのだから当たり前だろうが、先入観というものはやはりアテにはならないとティーナは思った。
「レオナ、聞きたいことがあるなら聞くよ」
静かな走行音で満たされた車内は、重苦しい沈黙が支配している。しかしレオンツィオはまるでそんな空気はないとでも言うように、明るく人懐っこい声音でティーナに話しかけてくる。
もしかしたら、この場の空気を息苦しく感じているのはティーナだけなのかもしれない。そう思うほどに、レオンツィオの声は軽快な響きを伴っていた。
「……今さら、聞きたいことなんてないです」
嘘だ。本当はレオンツィオに聞きたいことはたくさんあった。
ティーナの正体について知ったのはいつだったのか、なぜティーナの心を――裏切ったのか。そもそも最初からすべて仕組まれていたことなのか。……レオンツィオは「正体を知らなかったのだ」、と言い訳めいたことを口にしてはいたが、信用ならない。
けれどもティーナのちっぽけなプライドが、レオンツィオを追求することを許さない。そんな未練がましい真似は、ティーナは恥ずかしくてできない。
「まるでレオンツィオに気があるみたいじゃないか」――そう思ったが、真実ティーナは未だにレオンツィオに対して特別な感情を抱いている。抱いて、しまっている。
レオンツィオが口を開くたびに、ぐちゃぐちゃと心の中を勝手にかきまぜられているような感覚がティーナを襲う。それは非常に不快な感覚だった。けれども、どうしようもできない。
捨て去れるのならば、とっくに捨ててしまっている。それができないから、こうしてティーナは何度も何度も不快な感情に揺れ動かされているのだ。
「それじゃあ昔話をしよう。……レオナ、君には子供はいたのかい?」
「はい?」
レオンツィオが突飛なことを言い出したので、ティーナは思わず彼の顔を見ざるを得なかった。しかし視界に収めたレオンツィオの顔は笑っていない。いつになく真剣な顔をしている。掘り出し物のレコードを漁っていたときのような顔だ。
ティーナはレオンツィオの質問の意図がわからず、沈黙した。結論から言えば、ティーナに子供などいない。前世でも今世でも。おまけに前世に引き続いてティーナは男を知らない生娘だった。ゆえに子供が生じるなんてことは、逆立ちしたってありえない。
「……あまりにもそっくりだから」
「……ああ。……そういうことですか」
レオンツィオがつけ足した言葉を受けて、ティーナはようやく彼が問いたかったことを理解した。
不思議なことに、ティーナもレオンツィオも見た目は前世そのままなのだ。だからこそティーナはすぐにレオンツィオに気づいたわけで、おそらく逆もしかり。
あまりにもそのまんまの外見であるから、レオンツィオはティーナが前世のティーナの子孫であるのではないかと考えたのだろう。
しかし、その予測は外れている。
「いませんよ」
そもそも、こんなみすぼらしい小娘を相手にしてくれる男がいるのか怪しいところであるとティーナは思った。
前世では同じグループの男にそういうことへ誘われたことはあるが、そこには好意や、ましてや恋情などは一切感じられなかった。ヤクや酒で酔っ払って催して、手っ取り早く性欲を発散させたいだけの「お誘い」であることは透けて見えたから、ティーナはその手の誘いに乗ったことはなかった。
そのすさんだ育ちゆえに「初めては愛する人と……」などとティーナは夢見ていたわけではなかったものの、結局最期まで後生大事に処女を守った形になる。
ティーナにだって人並みに性欲はあったが、結局だれかとそういうことをする機会はついぞ訪れなかった。
そして今世でも、どうにもそういう機会には恵まれない。しかしあせるようなことでもないので、ティーナはあまり気にしてはいなかった。
「そう……」
レオンツィオはなぜかホッと安堵のため息を漏らす。ティーナはその理由をうっすらと推察する。
レオンツィオは年の離れたティーナに対しては、基本的に対等な態度を取ってはいたものの、ときおり思い出したように年下のお姫様でも扱うような振る舞いをした。
きっと先ほどのため息はそういったことの延長線上にある。おそらくティーナが子持ちであると言ったならば、レオンツィオはそれなりにショックを受けたに違いなかった。どういう立場でショックを受けるのかまでは、ティーナにはわからなかったが。
「……そういうことを聞くってことは――」
「ああ……私はどうも前世の私の孫、らしいんだ」
こともなげに放たれたレオンツィオのセリフに、ティーナの胸がぎゅっと締めつけられた。ティーナはその理由まではわからない。いや、わかりたくもなかった。
前世のティーナという存在がいたのだから、レオンツィオにティーナ以外の子がいるなんてことは、ちょっと考えればすぐにわかることだ。けれどもティーナはその可能性を一度たりとも考えたことがなかった自分に気づいて、おどろいた。
レオンツィオはそんなティーナのわずかな表情の変遷を見てなにを思ったのか、またこともなげに言葉を重ねる。
「たまたま種が当たっただけだよ。けれども結婚しておいたほうが年寄り連中のウケはいいからね。別に、彼女じゃないとダメだったわけじゃない」
ティーナは「最低」という言葉が出かかって、唇を噛みしめてこらえた。
「ごめんね? 今は開かないよ」
レオンツィオは例の困ったような笑みを浮かべて、ティーナをたしなめるように言う。ティーナはそれになにも返さず、大人しく座席に腰を下ろした。
レオンツィオの舎弟で、運転手役であるらしいミルコの運転は、見た目に反して繊細だ。彼直属のボスと、ファミリーのボスの孫娘を乗せているのだから当たり前だろうが、先入観というものはやはりアテにはならないとティーナは思った。
「レオナ、聞きたいことがあるなら聞くよ」
静かな走行音で満たされた車内は、重苦しい沈黙が支配している。しかしレオンツィオはまるでそんな空気はないとでも言うように、明るく人懐っこい声音でティーナに話しかけてくる。
もしかしたら、この場の空気を息苦しく感じているのはティーナだけなのかもしれない。そう思うほどに、レオンツィオの声は軽快な響きを伴っていた。
「……今さら、聞きたいことなんてないです」
嘘だ。本当はレオンツィオに聞きたいことはたくさんあった。
ティーナの正体について知ったのはいつだったのか、なぜティーナの心を――裏切ったのか。そもそも最初からすべて仕組まれていたことなのか。……レオンツィオは「正体を知らなかったのだ」、と言い訳めいたことを口にしてはいたが、信用ならない。
けれどもティーナのちっぽけなプライドが、レオンツィオを追求することを許さない。そんな未練がましい真似は、ティーナは恥ずかしくてできない。
「まるでレオンツィオに気があるみたいじゃないか」――そう思ったが、真実ティーナは未だにレオンツィオに対して特別な感情を抱いている。抱いて、しまっている。
レオンツィオが口を開くたびに、ぐちゃぐちゃと心の中を勝手にかきまぜられているような感覚がティーナを襲う。それは非常に不快な感覚だった。けれども、どうしようもできない。
捨て去れるのならば、とっくに捨ててしまっている。それができないから、こうしてティーナは何度も何度も不快な感情に揺れ動かされているのだ。
「それじゃあ昔話をしよう。……レオナ、君には子供はいたのかい?」
「はい?」
レオンツィオが突飛なことを言い出したので、ティーナは思わず彼の顔を見ざるを得なかった。しかし視界に収めたレオンツィオの顔は笑っていない。いつになく真剣な顔をしている。掘り出し物のレコードを漁っていたときのような顔だ。
ティーナはレオンツィオの質問の意図がわからず、沈黙した。結論から言えば、ティーナに子供などいない。前世でも今世でも。おまけに前世に引き続いてティーナは男を知らない生娘だった。ゆえに子供が生じるなんてことは、逆立ちしたってありえない。
「……あまりにもそっくりだから」
「……ああ。……そういうことですか」
レオンツィオがつけ足した言葉を受けて、ティーナはようやく彼が問いたかったことを理解した。
不思議なことに、ティーナもレオンツィオも見た目は前世そのままなのだ。だからこそティーナはすぐにレオンツィオに気づいたわけで、おそらく逆もしかり。
あまりにもそのまんまの外見であるから、レオンツィオはティーナが前世のティーナの子孫であるのではないかと考えたのだろう。
しかし、その予測は外れている。
「いませんよ」
そもそも、こんなみすぼらしい小娘を相手にしてくれる男がいるのか怪しいところであるとティーナは思った。
前世では同じグループの男にそういうことへ誘われたことはあるが、そこには好意や、ましてや恋情などは一切感じられなかった。ヤクや酒で酔っ払って催して、手っ取り早く性欲を発散させたいだけの「お誘い」であることは透けて見えたから、ティーナはその手の誘いに乗ったことはなかった。
そのすさんだ育ちゆえに「初めては愛する人と……」などとティーナは夢見ていたわけではなかったものの、結局最期まで後生大事に処女を守った形になる。
ティーナにだって人並みに性欲はあったが、結局だれかとそういうことをする機会はついぞ訪れなかった。
そして今世でも、どうにもそういう機会には恵まれない。しかしあせるようなことでもないので、ティーナはあまり気にしてはいなかった。
「そう……」
レオンツィオはなぜかホッと安堵のため息を漏らす。ティーナはその理由をうっすらと推察する。
レオンツィオは年の離れたティーナに対しては、基本的に対等な態度を取ってはいたものの、ときおり思い出したように年下のお姫様でも扱うような振る舞いをした。
きっと先ほどのため息はそういったことの延長線上にある。おそらくティーナが子持ちであると言ったならば、レオンツィオはそれなりにショックを受けたに違いなかった。どういう立場でショックを受けるのかまでは、ティーナにはわからなかったが。
「……そういうことを聞くってことは――」
「ああ……私はどうも前世の私の孫、らしいんだ」
こともなげに放たれたレオンツィオのセリフに、ティーナの胸がぎゅっと締めつけられた。ティーナはその理由まではわからない。いや、わかりたくもなかった。
前世のティーナという存在がいたのだから、レオンツィオにティーナ以外の子がいるなんてことは、ちょっと考えればすぐにわかることだ。けれどもティーナはその可能性を一度たりとも考えたことがなかった自分に気づいて、おどろいた。
レオンツィオはそんなティーナのわずかな表情の変遷を見てなにを思ったのか、またこともなげに言葉を重ねる。
「たまたま種が当たっただけだよ。けれども結婚しておいたほうが年寄り連中のウケはいいからね。別に、彼女じゃないとダメだったわけじゃない」
ティーナは「最低」という言葉が出かかって、唇を噛みしめてこらえた。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説


普通のOLは猛獣使いにはなれない
ピロ子
恋愛
恋人と親友に裏切られ自棄酒中のOL有季子は、バーで偶然出会った猛獣(みたいな男)と意気投合して酔った勢いで彼と一夜を共にしてしまう。
あの日の事は“一夜の過ち”だと思えるようになった頃、自宅へ不法侵入してきた猛獣と再会し、過ちで終われない関係となっていく。
普通のOLとマフィアな男の、体から始まる関係。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。


アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる