運命売切御免(うんめいうりきれごめん)

やなぎ怜

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「相談してくれてありがとう」「怖かったよね」……榮がそう言って珊瑚の肩を抱き寄せたので、珊瑚は危うく涙をこぼしそうになった。

 榮は約束通り珊瑚を責め立てるようなことはしなかったし、その不安を抱く心に寄り添ってくれた。それが、なによりもうれしく、珊瑚をひどく安堵させた。

「ごめん。嘘ついたりしてごめん」
「謝らなくていいよ。あの場ではそうするしかなかったんだろ? 珊瑚は女の子なんだからさ。いきなり大人の男に迫られたら怖くなっちゃうのは普通のことだって」
「うん……でも」
「もういいって。それに……珊瑚の言ったこと、あんがい本当かもよ?」
「え?」

 珊瑚は榮の顔を見た。榮はいつも通りの顔をしていたので、珊瑚は彼が己の心を和ませようと冗談を言ったのだと思い、「ふふ」と思わず笑みをこぼす。

 その珊瑚の額を榮は人差し指で軽く押す。

「……その男のこと、どうする?」

 ひと段落したところで榮が珊瑚に問うた。

 その問いに珊瑚は困り果ててしまう。

「どう、って言われても……」
「そうだよね。まあ、珊瑚が出来ることは限られてる」
「うん……」
バラしちゃおうか」
「え?」

 ひどく軽やかな調子で榮が言ったので、はじめ珊瑚は己がなにかひどい聞き間違いをしたのかと思った。

 榮はいつもの穏やかな笑顔を浮かべたまま、畳み掛けるように続ける。

「だって、珊瑚が打てる手は限られてる」
「……うん」
「ひとつ、このままその『運命』とかいう男と一緒になる」
「……それは嫌」
「だろうね。……ふたつ、『運命』とかいう男とは一緒にならない」
「でも」

 その言葉の先を紡ぐには、珊瑚の勇気は足りなかった。

 珊瑚の肉体は、本能は、あの男を求めていた。馴れ馴れしく珊瑚に触れて、下卑た笑みを浮かべた男を。

 だから、榮の言ったように「男と一緒にならない」という選択肢を己が遂行できるのか珊瑚にはわからなかった。

 なにかのはずみで男と――。そういうことはいくらでも想像できる。それほどまでに「運命」がもたらす効能は絶大だった。

「『でも』――『運命』に抗うのは難しい」

 榮は、珊瑚が言わずとも彼女の懸念を見透かしていた。

 言葉にされたことで再び珊瑚の中に不安が渦を巻く。来て欲しくない未来ばかりが脳裏を埋め尽くして行く。

 男と一緒になるとか、そういうことをする未来は絶対に嫌だった。なのに記憶を想起させて、あの男から香ったフェロモンのにおいを思い出すと、珊瑚の下腹部はずんと重くなった。それが、吐きそうなほどに気持ち悪い。

 再び、珊瑚のまなじりに涙が浮かんで行く。

 榮の言った通り、珊瑚が打てる手は限られているが、そのどれもが珊瑚が思い描く最悪の未来を遠ざける決定打には欠けているように思えた。

バラそうか」

 榮がいつもと同じ顔をして、明日の天気でも話すかのような調子で言う。

 榮の口調からは剣呑な様子は一切感じられない。けれどもたしかに榮は今、珊瑚の「運命」の男に殺意を向けている。

 珊瑚はそのことがなんとなく怖かった。けれどもそれで榮を一度に嫌いになるということもなく、ただ漠然と彼もヤクザものの血を引いているのだという事実を実感するばかりだった。

「でも、さ……」
「ん?」
「犯罪だよ」
「そうだね。でも表に出なければ罪に問われることはない」
「うん……」
「手はずは俺が整える。大丈夫。口の堅い組員には心当たりがあるから」
「うん……」
「このままじゃ珊瑚は不幸になる。好きでもない男と『運命』だっていうだけで結婚させられるかもしれない」
「……それは嫌」
「うん。――じゃあバラすしかないよね? 大丈夫。バラしてしまえばもう『運命』のまやかしはなくなるよ。な、珊瑚。その男、バラすよな?」

 珊瑚は榮が決して「殺せ」とも「殺してあげる」とも言わないことに気づかなかった。

 榮はずっと「殺すかどうか」の判断を珊瑚にゆだねていることに、珊瑚は最後まで気づかなかった。

 なぜだか「殺せば『運命』など関係なくなる」と語る榮の言葉に、妙な実感がこもっていることにも、珊瑚は気づかなかった。

 ただ、「運命」の男を殺すか殺さないか――。珊瑚は榮によってその二択だけしかないような気にさせられる。

 それは短絡的な方法だ。それくらいの判断力は珊瑚にもあった。

 けれどもそれは強力な方法だ。男がいなくなれば、珊瑚はもう「運命」を気にしなくて済むという、単純明快な答えがあったからだ。

ころすよな? 珊瑚」

 珊瑚は「うん」と頷いた。
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