上 下
12 / 19

芙美花視点(4)

しおりを挟む
 己が今いるこの世界からいなくなったとして、それを心から案じてくれる人間はいるだろうか? 芙美花は考えた。しかしそこに浮かぶ顔はひとつとしてなかった。

 芙美花が失踪すれば両親は困るだろう。子供を儲けたのは世間への義務感のようなものからだということを、芙美花は肌で感じ取っていた。だがきっと、芙美花がいなくなっても、悲劇の主人公ぶって上手いこと切り抜けそうな気もする。

 親しい友人も、恋しい相手もいない。そのことに気づいてしまうと、今いる世界に固執する理由は容易く失われた。

 一方、異世界へ行けばなにかが変わるとも楽観視はできなかった。異世界へ行くことになったとしても、芙美花は芙美花なのだ。容姿も性格もそのまま異世界へ行ったとして、なにかが劇的に変わるとは思えなかった。

 けれども――。

「会いたい、です」

 架空の存在。ただの二次元のキャラクター。そう思っていた木槿が現実に存在すると聞かされれば、会いたくなってしまった。

 実際の木槿がどんな人間かなんて、芙美花にはわからない。芙美花が見ていた木槿なんて、彼の一面に過ぎない。それは、わかっていた。わかっていたが―― 一度、会ってみたかった。

 “偉大なる魔女”はわざわざ異世界から元の世界へ帰ることもできると言ってきたのだ。それが事実かどうかまでは芙美花にはわからなかったが、信じてもいいような気持ちへと秤は傾いた。

 木槿は、芙美花が持つ心の支えのうちで、いつの間にかいちばん太くなっていたから。だから、その木槿に直接会えるという誘惑に抗うのは、芙美花には難しかった。

 芙美花の答えを聞いた“偉大なる魔女”はニヤッと笑う。

「よしきた。それじゃあいざ異世界へ! ――あ、そうそう。言い忘れていたことがあった」

 “偉大なる魔女”はおもむろに芙美花の手を取ったあと、そんなことを言い出したので芙美花はドキリとした。イヤな予感があまた脳裏を駆け巡って行ったが――“偉大なる魔女”の答えは、

「あたしのいる世界って簡単に言うと『男だけ美醜逆転』してる世界なんだ。まあ、だから、なんだって話なんだけどね」

 というものであった。

「へ?」

 芙美花が間抜けな声を出すと同時に、幾何学模様が散りばめられた空間が渦を巻いて歪む。

 そして「あっ」という間に芙美花は異世界へ移動していた。

『魔女ノ執事』内で見たそのままの内装の屋敷に、放り出されるようにして膝から着地を決めてしまった芙美花はしばらく悶絶する。そんな芙美花を見ても“偉大なる魔女”は涼しい顔だ。

「じゃあ『執事』を連れてくるから」
「え……い、今すぐにですか?!」
「当たり前だろう。『善は急げ』と言うじゃないか。じゃ、呼んでくるから」

 カツカツとハイヒールから軽快な音を立たせて“偉大なる魔女”は部屋から出て行ってしまう。“偉大なる魔女”に聞いておくべきことはまだ色々とあるような気もしたが、そんな時間は与えられなかったし、すぐに質問も浮かんではこなかった。

「え……? 今からムーさんと会うの……?」

 芙美花は混乱のあまり大きな独り言までつぶやいてしまう始末。視線をさまよわせれば、窓の外には穏やかな春の日差しがあり、春バラが美しく咲き誇っている。今はその堂々とした可憐な姿が、鼻につくほど芙美花の心は平静からは遠かった。

 このときばかりは「時よ止まれ」と言いたくなった。しかし“偉大なる魔女”が勝手に空気を読んでくれるはずもなく、ややあってから両開きの立派な扉がノックされる音がした。

「は、はい! どうぞ……」
「失礼いたします」

 あまりにも聞き慣れた声が、扉越しにくぐもって聞こえる。一拍置いて、取っ手が下に動く。ガチャリ、という音と共に姿を現した人物は――

「ムーさん……?」

 小さく呼吸をするように芙美花は気がつけばそう言っていた。切れ長ながら大きな金の瞳が、ゆっくりと細められる。木槿に微笑みかけられた芙美花は、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。

「御主人様」

 木槿の薄い唇が動く。芙美花は現実感を伴わない感覚のまま、「アニメーションがなめらかだなあ」などということを考える。しかしすぐに目の前にいる木槿が生身の存在なのだと思い出して、心が乱れるような思いをした。

「御主人様、立ち話もなんですし、どうぞソファにお掛けになってください」
「あ、うん……」

 木槿に勧められるがまま、芙美花は手近な一人掛けのソファにぎこちない動きで腰を下ろした。クッションがよくきいた、いいソファだということがわかった。そんな風に今考えるべきでないことがたびたび脳裏を占めるほど、芙美花は冷静さを欠いていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!

カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。 前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。 全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

ただ貴方の傍にいたい〜醜いイケメン騎士と異世界の稀人

花野はる
恋愛
日本で暮らす相川花純は、成人の思い出として、振袖姿を残そうと写真館へやって来た。 そこで着飾り、いざ撮影室へ足を踏み入れたら異世界へ転移した。 森の中で困っていると、仮面の騎士が助けてくれた。その騎士は騎士団の団長様で、すごく素敵なのに醜くて仮面を被っていると言う。 孤独な騎士と異世界でひとりぼっちになった花純の一途な恋愛ストーリー。 初投稿です。よろしくお願いします。

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

【完結】聖女召喚に巻き込まれたバリキャリですが、追い出されそうになったのでお金と魔獣をもらって出て行きます!

チャららA12・山もり
恋愛
二十七歳バリバリキャリアウーマンの鎌本博美(かまもとひろみ)が、交差点で後ろから背中を押された。死んだと思った博美だが、突如、異世界へ召喚される。召喚された博美が発した言葉を誤解したハロルド王子の前に、もうひとりの女性が現れた。博美の方が、聖女召喚に巻き込まれた一般人だと決めつけ、追い出されそうになる。しかし、バリキャリの博美は、そのまま追い出されることを拒否し、彼らに慰謝料を要求する。 お金を受け取るまで、博美は屋敷で暮らすことになり、数々の騒動に巻き込まれながら地下で暮らす魔獣と交流を深めていく。

戦いに行ったはずの騎士様は、女騎士を連れて帰ってきました。

新野乃花(大舟)
恋愛
健気にカサルの帰りを待ち続けていた、彼の婚約者のルミア。しかし帰還の日にカサルの隣にいたのは、同じ騎士であるミーナだった。親し気な様子をアピールしてくるミーナに加え、カサルもまた満更でもないような様子を見せ、ついにカサルはルミアに婚約破棄を告げてしまう。これで騎士としての真実の愛を手にすることができたと豪語するカサルであったものの、彼はその後すぐにあるきっかけから今夜破棄を大きく後悔することとなり…。

美醜逆転異世界で、非モテなのに前向きな騎士様が素敵です

花野はる
恋愛
先祖返りで醜い容貌に生まれてしまったセドリック・ローランド、18歳は非モテの騎士副団長。 けれども曽祖父が同じ醜さでありながら、愛する人と幸せな一生を送ったと祖父から聞いて育ったセドリックは、顔を隠すことなく前向きに希望を持って生きている。けれどやはりこの世界の女性からは忌み嫌われ、中身を見ようとしてくれる人はいない。 そんな中、セドリックの元に異世界の稀人がやって来た!外見はこんなでも、中身で勝負し、専属護衛になりたいと頑張るセドリックだが……。 醜いイケメン騎士とぽっちゃり喪女のラブストーリーです。 多分短い話になると思われます。 サクサク読めるように、一話ずつを短めにしてみました。

処理中です...