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木槿視点(6)
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「前々からお聞きしたかったのですが……芙美花様は……その、平気なのですか?」
街から帰る道すがら、屋敷までのゆるやかな坂を上る途中で、木槿は思い切ってそんなことを切り出した。しかしためらいから主語が抜け落ちてしまい、芙美花は一度首をかしげる。だが木槿の言いたかったことはすぐにわかったらしく、「ああ」と言った。
「えーっと……容姿のこと、だよね」
「はい。そうです。言葉足らずで申し訳御座いません……」
「平気かどうかって言えば、平気だよ」
芙美花はあっけらかんと答える。嫌悪を押し殺している様子もない芙美花の態度に、木槿は内心でほっと安堵の息を吐く。
「急にどうしたの?」
生身の芙美花と生活を始めてから早くも一ヶ月が過ぎ去っていた。芙美花としては「今さらなにを」という気持ちなのだろう。木槿はどう言いつくろうべきか悩んだ。
問いかけの原因は単純明快だ。先ほど、芙美花が見目の良い男にナンパされたから。だから木槿は急に不安になった。容姿に自信がなく、「化け物」と罵られることもあまた。そんな己を見て芙美花が本当のところ、どう思っているのか気になったのだ。
けれどもそれを明け透けに口にすることは憚られた。それは木槿が芙美花へ並々ならぬ好意を抱いていることを伝えるようなものだ。少なくとも、木槿はそう思っている。だから、思わず口ごもってしまった。
「いえ……ただ、芙美花様にご不快な思いをさせていたら申し訳ないと思いまして……」
「ぜんぜん不快なんかじゃないけど……。……あれ、もしかして魔女さんから聞いてなかったり、する?」
「申し訳御座いません。話の意図がよく……」
「えーっと……どう言ったらいいのかな。わたしってB専になるのかな? この世界では」
「びーせん……?」
「えっと、不愉快かもしれないけど、えっと……ブサイクとされる人たちが好きな人のこと、かな。簡単に説明すると」
木槿は、目から鱗が落ちるような気持ちだった。己のように醜い容姿を好む人間がこの世界のどこかに存在するなど、考えたことなど一度としてなかったからだ。醜い容姿は嫌悪され、忌避され、拒絶される。木槿の周囲は常にそうだった。だから、芙美花の言葉に不意を突かれた。
「あ、別にムーさんのことをブサイクだと思ったことはないよ! これは本当! もしわたしのいた世界にムーさんが来たら、絶対すごくモテるから!」
「そう……なのですか?」
「ホントホント。なんかどうもわたしのいた世界と、この世界では男性に限っては『美しい』とされる基準がぜんぜん違うみたいでさ……。最初に魔女さんが言ってただけで今日までずっと屋敷で課題をこなしてたから、そういうのを実感したのは今日が初めて、かな。魔女さんが言ってたこと、今の今まで忘れてたよ。……えっと、だからムーさんの容姿はわたしにとってはすごく良く見えるっていうか……その、初めて見たときからカッコイイと思ってるから。うん」
芙美花は最後はゆっくりと木槿から視線を外した。照れているときの仕草だ。ストレートに木槿への好意を表明したことを、彼女は恥じらっている。
そしてそのストレートな言葉を叩きつけられた木槿はたまったものではない。一瞬で顔に熱が集まる。歓喜と羞恥。それらがないまぜになって木槿の胸中で荒れ狂う。
真っ赤な夕焼けの光に照らされていたから、木槿には芙美花が顔を赤く染めているかはわからなかった。翻って、きっと己の顔も夕日が隠してくれているだろうと思い込むことで、どうにか正気を保つ。
「芙美花様からのお褒めの言葉、恐悦至極に御座います」
口からは気取った冷静な言葉が出てきたものの、木槿の心臓はバクバクと大きな音を立てていた。そばにいる芙美花に聞こえてしまうのではないかと恐れるほどに。
当の芙美花は恥ずかしげに微笑んで、しかし視線はそらしたままだった。けれどもそんな仕草は芙美花をいっそう可憐に見せて、木槿の庇護欲をそそった。
「あ! カッコイイって言ったのは本気だけど、見た目だけの話じゃないからね? ムーさんがカッコイイのは中身もだから!」
「は、はい。光栄で御座います……」
「この世界の男の人たちもそれぞれの美意識に沿ってああいう体型を維持してるのはわかるし、そういう努力はすごいと思うんだけども……わたしはスリムな体型が好みみたい。威圧感ないし。……それに今日のナンパ野郎みたいなやつはイケメンだろうとそうでなかろうとムリ!」
「そう、なのですね」
「うん。ぐいぐい攻めてくるイケメンが好みの人もいるのかもしれないけど……わたしはそういうのムリなんだ。ムーさんはそういうことしないからすごく安心できる。……まあ、ちょっと控え目すぎるかなと思うこともあるけど」
「私は、執事ですから」
「……うん。知ってる」
芙美花はニコニコと笑って答えた。それ以上、芙美花は木槿になにかを望むことをしなかったので、木槿は内心で安堵しつつも、歯がゆく思った。
芙美花は木槿の嫌がることをしないし、なにかをお願いするときでも引き際を良くわきまえている。それをわかっているからこそ、木槿は芙美花が望むことすべてを叶えてやりたいと思ってしまうのだ。
けれども残念ながら、芙美花の願いには、木槿に叶えられるものとそうでないものがある。たとえば執事としての態度を変えて欲しいと言うような願いが、後者にあてはまる。
木槿とて芙美花と親しくしたいという欲求はある。けれども臆病な木槿は執事であることを盾にして、芙美花の望みを叶えられないのだと断っていた。芙美花も、それ以上はなにもしてこない。木槿はそのことに、身勝手にも複雑な感情を抱いてしまう。
心の中がごちゃごちゃとし出したところで、木槿は思考切り上げて、それらの感情を心の奥深くに押し込んだ。木槿はいつもそうしていた。辛いことがあっても、心の奥底に押し込んでしまえば、苦しさも少しはやわらぐ。木槿は、ずっとそうしてきた。
だからきっと、芙美花と共にある限り、そうやって彼女へのほの暗い情欲を封じて、ずっと微笑む。木槿はそうなるのだと信じて疑わなかった。
街から帰る道すがら、屋敷までのゆるやかな坂を上る途中で、木槿は思い切ってそんなことを切り出した。しかしためらいから主語が抜け落ちてしまい、芙美花は一度首をかしげる。だが木槿の言いたかったことはすぐにわかったらしく、「ああ」と言った。
「えーっと……容姿のこと、だよね」
「はい。そうです。言葉足らずで申し訳御座いません……」
「平気かどうかって言えば、平気だよ」
芙美花はあっけらかんと答える。嫌悪を押し殺している様子もない芙美花の態度に、木槿は内心でほっと安堵の息を吐く。
「急にどうしたの?」
生身の芙美花と生活を始めてから早くも一ヶ月が過ぎ去っていた。芙美花としては「今さらなにを」という気持ちなのだろう。木槿はどう言いつくろうべきか悩んだ。
問いかけの原因は単純明快だ。先ほど、芙美花が見目の良い男にナンパされたから。だから木槿は急に不安になった。容姿に自信がなく、「化け物」と罵られることもあまた。そんな己を見て芙美花が本当のところ、どう思っているのか気になったのだ。
けれどもそれを明け透けに口にすることは憚られた。それは木槿が芙美花へ並々ならぬ好意を抱いていることを伝えるようなものだ。少なくとも、木槿はそう思っている。だから、思わず口ごもってしまった。
「いえ……ただ、芙美花様にご不快な思いをさせていたら申し訳ないと思いまして……」
「ぜんぜん不快なんかじゃないけど……。……あれ、もしかして魔女さんから聞いてなかったり、する?」
「申し訳御座いません。話の意図がよく……」
「えーっと……どう言ったらいいのかな。わたしってB専になるのかな? この世界では」
「びーせん……?」
「えっと、不愉快かもしれないけど、えっと……ブサイクとされる人たちが好きな人のこと、かな。簡単に説明すると」
木槿は、目から鱗が落ちるような気持ちだった。己のように醜い容姿を好む人間がこの世界のどこかに存在するなど、考えたことなど一度としてなかったからだ。醜い容姿は嫌悪され、忌避され、拒絶される。木槿の周囲は常にそうだった。だから、芙美花の言葉に不意を突かれた。
「あ、別にムーさんのことをブサイクだと思ったことはないよ! これは本当! もしわたしのいた世界にムーさんが来たら、絶対すごくモテるから!」
「そう……なのですか?」
「ホントホント。なんかどうもわたしのいた世界と、この世界では男性に限っては『美しい』とされる基準がぜんぜん違うみたいでさ……。最初に魔女さんが言ってただけで今日までずっと屋敷で課題をこなしてたから、そういうのを実感したのは今日が初めて、かな。魔女さんが言ってたこと、今の今まで忘れてたよ。……えっと、だからムーさんの容姿はわたしにとってはすごく良く見えるっていうか……その、初めて見たときからカッコイイと思ってるから。うん」
芙美花は最後はゆっくりと木槿から視線を外した。照れているときの仕草だ。ストレートに木槿への好意を表明したことを、彼女は恥じらっている。
そしてそのストレートな言葉を叩きつけられた木槿はたまったものではない。一瞬で顔に熱が集まる。歓喜と羞恥。それらがないまぜになって木槿の胸中で荒れ狂う。
真っ赤な夕焼けの光に照らされていたから、木槿には芙美花が顔を赤く染めているかはわからなかった。翻って、きっと己の顔も夕日が隠してくれているだろうと思い込むことで、どうにか正気を保つ。
「芙美花様からのお褒めの言葉、恐悦至極に御座います」
口からは気取った冷静な言葉が出てきたものの、木槿の心臓はバクバクと大きな音を立てていた。そばにいる芙美花に聞こえてしまうのではないかと恐れるほどに。
当の芙美花は恥ずかしげに微笑んで、しかし視線はそらしたままだった。けれどもそんな仕草は芙美花をいっそう可憐に見せて、木槿の庇護欲をそそった。
「あ! カッコイイって言ったのは本気だけど、見た目だけの話じゃないからね? ムーさんがカッコイイのは中身もだから!」
「は、はい。光栄で御座います……」
「この世界の男の人たちもそれぞれの美意識に沿ってああいう体型を維持してるのはわかるし、そういう努力はすごいと思うんだけども……わたしはスリムな体型が好みみたい。威圧感ないし。……それに今日のナンパ野郎みたいなやつはイケメンだろうとそうでなかろうとムリ!」
「そう、なのですね」
「うん。ぐいぐい攻めてくるイケメンが好みの人もいるのかもしれないけど……わたしはそういうのムリなんだ。ムーさんはそういうことしないからすごく安心できる。……まあ、ちょっと控え目すぎるかなと思うこともあるけど」
「私は、執事ですから」
「……うん。知ってる」
芙美花はニコニコと笑って答えた。それ以上、芙美花は木槿になにかを望むことをしなかったので、木槿は内心で安堵しつつも、歯がゆく思った。
芙美花は木槿の嫌がることをしないし、なにかをお願いするときでも引き際を良くわきまえている。それをわかっているからこそ、木槿は芙美花が望むことすべてを叶えてやりたいと思ってしまうのだ。
けれども残念ながら、芙美花の願いには、木槿に叶えられるものとそうでないものがある。たとえば執事としての態度を変えて欲しいと言うような願いが、後者にあてはまる。
木槿とて芙美花と親しくしたいという欲求はある。けれども臆病な木槿は執事であることを盾にして、芙美花の望みを叶えられないのだと断っていた。芙美花も、それ以上はなにもしてこない。木槿はそのことに、身勝手にも複雑な感情を抱いてしまう。
心の中がごちゃごちゃとし出したところで、木槿は思考切り上げて、それらの感情を心の奥深くに押し込んだ。木槿はいつもそうしていた。辛いことがあっても、心の奥底に押し込んでしまえば、苦しさも少しはやわらぐ。木槿は、ずっとそうしてきた。
だからきっと、芙美花と共にある限り、そうやって彼女へのほの暗い情欲を封じて、ずっと微笑む。木槿はそうなるのだと信じて疑わなかった。
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