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木槿視点(1)
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――運命を信じてみたくなるときは、たまにある。
木槿の場合は、芙美花との出会いがそうだ。春バラの咲く季節だった。その立派な屋敷で木槿はたったひとりの使用人――執事として女主人たる芙美花を出迎えた。
……正確には、少し違う。
木槿をこの屋敷に送り込んだ“偉大なる魔女”が用意した、片面が光る板切れ――タブレット。その中に芙美花はいた。「中にいる」という表現は“偉大なる魔女”曰く、正確ではないらしいが、木槿にはそれ以上のことはよく理解できなかった。
とにかく木槿は光るタブレットという不可思議なアイテムを挟み、介して、己の主人となる“新米魔女”の芙美花と出会った。
息を吞むほどに、美しい少女だった。タブレットを介してすらそれなのだ。実際に対面すれば己は気を失ってしまうかもしれない――。そんなことを考えてしまうほどに、芙美花の美しさは圧倒的だった。
長いまつげに縁どられた大きな瞳がまばたきをするたびに、木槿の胸は高鳴る。美しさは力だ。事実、芙美花の美しさは木槿の心臓をつかんだ。
逆に、木槿は己の醜い容姿がこの女主人に与える衝撃を思って、心を痛めた。木槿は、おおよそ――いや、絶対的に、美しい男ではない。
脂肪を溜められない体。奇怪な銀の髪と金の瞳。切れ長の目は男にしては大きすぎる。そして高く小さな鼻に薄い唇……。木槿は「化け物」と罵られて育ったから、己の容姿がいかに見苦しく、他人に苦痛を与えるのかをよく理解していた。
「女に生まれていれば」とよく言われた。女性の美と男性の美はまったく違う。社交界の花だった母に似てしまったことは「不運」だと木槿はよく陰口を叩かれた。
だから、悲しかった。この美しさをそのまま体現したかのような女主人にも、きっと不快な思いをさせてしまうだろうことが。
けれどもいくらしても、芙美花は顔をしかめたり、視線をうろつかせたりはしなかった。ただじっとまっすぐにそらさず、木槿を見ている。じろじろというような不躾な視線ではなかった。ただ興味深げに無垢な瞳を向けられて、木槿は戸惑った。
「……綺麗」
木槿は、なんと言われたのかわからなかった。「綺麗」? ……きっと、聞き間違いだろう。木槿は美しさからはほど遠い男なのだから。
芙美花も二度は言わなかったので、木槿もさきほどの言葉を気のせいか言い間違いとして流すことにした。
けれども芙美花が、なぜか先ほどの言葉を境に微笑んでいるので、木槿はまた胸の鼓動を速めてしまう。ついさっきまで無表情にこちらを見ていたと言うのにだ。
芙美花が微笑みを浮かべる理由など、木槿には理解できない。木槿は、そうやって微笑みを向けられたことがなかったから。だから、なぜ彼女がたおやかに微笑んでいるのか、木槿には理解できない。
「……それではまず御主人様のお名前を」
木槿は戸惑いを覚えながらも、己をこの屋敷の執事として周旋した“偉大なる魔女”に言うように命じられた言葉を口にする。木槿は心の片隅で芙美花に無視されたり、不快感を示される恐怖が沸き立ったが、それもすぐに霧散する。
「芙美花」
タブレットの表面、芙美花の顔が映る場所よりも少し下に見慣れない文字が浮かぶ。
「……お手数おかけいたしますが、読み方をお教え頂けますか?」
「フミカ」
「……芙美花様、ですね。お間違いはないでしょうか?」
「ない」
芙美花は淡々と木槿の質問に答えて行く。そのあいだも口元には微笑みがあった。けれども形式ばったものではない。その大きな瞳もわずかに細められていたので、木槿はドキリと己の心臓が鳴る音を聞いた気がした。
手のひらがじっとりと汗をかくのがわかる。それでもどうにか万年筆を動かして、メモ帳に芙美花の回答を書き込んで行く。
「……それでは最後に、私に名前を頂けますか? これは強制ではありませんし、後から変えることもできます」
芙美花は初めて悩むそぶりを見せた。木槿から視線が外れる。しかし、それもそう長くは続かなかった。
「木槿」
「……読み方をお教え頂けますか?」
「ムクゲ」
「……木槿、ですね。これでよろしいでしょうか?」
「うん」
芙美花がまた目を細めて微笑んだ。木槿の心臓の拍動が速くなる。なんだか温かい――いや、熱い。顔に熱が集まって行くのを感じ取った木槿は、そこから気をそらすように「ありがとうございます、御主人様」と、取ってつけたような微笑を浮かべて言った。
――運命を信じてみたくなるときは、たまにある。けれどもこのときの木槿は、芙美花との出会いに「運命」だとかロマンティックな印象を抱いたわけではなかった。
けれどもそれは、徐々に変わって行った。他でもない芙美花の手で、塗り替えられて行ったのだ。
木槿の場合は、芙美花との出会いがそうだ。春バラの咲く季節だった。その立派な屋敷で木槿はたったひとりの使用人――執事として女主人たる芙美花を出迎えた。
……正確には、少し違う。
木槿をこの屋敷に送り込んだ“偉大なる魔女”が用意した、片面が光る板切れ――タブレット。その中に芙美花はいた。「中にいる」という表現は“偉大なる魔女”曰く、正確ではないらしいが、木槿にはそれ以上のことはよく理解できなかった。
とにかく木槿は光るタブレットという不可思議なアイテムを挟み、介して、己の主人となる“新米魔女”の芙美花と出会った。
息を吞むほどに、美しい少女だった。タブレットを介してすらそれなのだ。実際に対面すれば己は気を失ってしまうかもしれない――。そんなことを考えてしまうほどに、芙美花の美しさは圧倒的だった。
長いまつげに縁どられた大きな瞳がまばたきをするたびに、木槿の胸は高鳴る。美しさは力だ。事実、芙美花の美しさは木槿の心臓をつかんだ。
逆に、木槿は己の醜い容姿がこの女主人に与える衝撃を思って、心を痛めた。木槿は、おおよそ――いや、絶対的に、美しい男ではない。
脂肪を溜められない体。奇怪な銀の髪と金の瞳。切れ長の目は男にしては大きすぎる。そして高く小さな鼻に薄い唇……。木槿は「化け物」と罵られて育ったから、己の容姿がいかに見苦しく、他人に苦痛を与えるのかをよく理解していた。
「女に生まれていれば」とよく言われた。女性の美と男性の美はまったく違う。社交界の花だった母に似てしまったことは「不運」だと木槿はよく陰口を叩かれた。
だから、悲しかった。この美しさをそのまま体現したかのような女主人にも、きっと不快な思いをさせてしまうだろうことが。
けれどもいくらしても、芙美花は顔をしかめたり、視線をうろつかせたりはしなかった。ただじっとまっすぐにそらさず、木槿を見ている。じろじろというような不躾な視線ではなかった。ただ興味深げに無垢な瞳を向けられて、木槿は戸惑った。
「……綺麗」
木槿は、なんと言われたのかわからなかった。「綺麗」? ……きっと、聞き間違いだろう。木槿は美しさからはほど遠い男なのだから。
芙美花も二度は言わなかったので、木槿もさきほどの言葉を気のせいか言い間違いとして流すことにした。
けれども芙美花が、なぜか先ほどの言葉を境に微笑んでいるので、木槿はまた胸の鼓動を速めてしまう。ついさっきまで無表情にこちらを見ていたと言うのにだ。
芙美花が微笑みを浮かべる理由など、木槿には理解できない。木槿は、そうやって微笑みを向けられたことがなかったから。だから、なぜ彼女がたおやかに微笑んでいるのか、木槿には理解できない。
「……それではまず御主人様のお名前を」
木槿は戸惑いを覚えながらも、己をこの屋敷の執事として周旋した“偉大なる魔女”に言うように命じられた言葉を口にする。木槿は心の片隅で芙美花に無視されたり、不快感を示される恐怖が沸き立ったが、それもすぐに霧散する。
「芙美花」
タブレットの表面、芙美花の顔が映る場所よりも少し下に見慣れない文字が浮かぶ。
「……お手数おかけいたしますが、読み方をお教え頂けますか?」
「フミカ」
「……芙美花様、ですね。お間違いはないでしょうか?」
「ない」
芙美花は淡々と木槿の質問に答えて行く。そのあいだも口元には微笑みがあった。けれども形式ばったものではない。その大きな瞳もわずかに細められていたので、木槿はドキリと己の心臓が鳴る音を聞いた気がした。
手のひらがじっとりと汗をかくのがわかる。それでもどうにか万年筆を動かして、メモ帳に芙美花の回答を書き込んで行く。
「……それでは最後に、私に名前を頂けますか? これは強制ではありませんし、後から変えることもできます」
芙美花は初めて悩むそぶりを見せた。木槿から視線が外れる。しかし、それもそう長くは続かなかった。
「木槿」
「……読み方をお教え頂けますか?」
「ムクゲ」
「……木槿、ですね。これでよろしいでしょうか?」
「うん」
芙美花がまた目を細めて微笑んだ。木槿の心臓の拍動が速くなる。なんだか温かい――いや、熱い。顔に熱が集まって行くのを感じ取った木槿は、そこから気をそらすように「ありがとうございます、御主人様」と、取ってつけたような微笑を浮かべて言った。
――運命を信じてみたくなるときは、たまにある。けれどもこのときの木槿は、芙美花との出会いに「運命」だとかロマンティックな印象を抱いたわけではなかった。
けれどもそれは、徐々に変わって行った。他でもない芙美花の手で、塗り替えられて行ったのだ。
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