7 / 11
(7)
しおりを挟む
「味がしねえ……美味いか?」
かすかに震えるジョンの問いかけに、ガブリエルは答える。
「わからないっス」
場所はガブリエルでもどこかで聞いたことのあるような、名の知れたホテルのレストラン。
他人の奢りでメシが食えるとあって浮つかない人間は少ないだろう。実際、ガブリエルもそう考えることでどうにかモチベーションを保とうとした。
しかし金を出してくれる相手はギャングのボス。金の出どころも真っ当ではないだろう。
そんな男と真正面から向き合ってカトラリーを動かしている現在、ガブリエルは過去の己の軽々な言動を後悔していた。
いつもとは違う服装に、いつもはテキトーに済ませてしまう化粧はいつになく気合を入れて。いつもよりは見られる姿になったガブリエルではあったが、それはあくまで外面だけの話である。
早い話がガブリエルは緊張していた。オシャレなホテルのレストランで食事だなんて、明らかに身の丈に合っていない、と絶賛後悔中なのであった。
いくら外面を整えられても、中身はいつものガブリエルと変わりがない。当たり前の話だが、ガブリエルはその事実をすっかり見落としていた。
加えて、ジョンの存在。ガブリエルは「なぜギャングのボスと食事をしているんだ」と根源的な問いを己に対して行う。しかしその答えは分かりきっていた。
ガブリエルとジョンは、ジョンの片思い相手でガブリエルの学生時代の先輩であるヴェラのデートを追跡しているのだ。
立派なストーカー行為であったが、それをしているジョンという男はどこに出しても恥ずかしい反社会勢力の人間。ガブリエルからするとジョンのこれまでの所業に比べれば、惚れた女のデートを追跡するなどは、まだ微笑ましいの範疇に収まっていた。
ジョンが一般人であればガブリエルも止めたかもしれない。しかしジョンは一般人ではないので、ガブリエルは止めないし、そもそも止められるものでもない。
……さすがにジョンがヴェラに無体を強いようと画策していれば、さしものガブリエルも止めるが、今のところ彼はそういうことをするつもりはないらしいので、ひとまずは安心だ。
ガブリエルとジョンのあいだに言葉数は少ない。少し離れた場所ではヴェラが見知らぬ男――それはガブリエルとジョンの主観での話だ――とごく和やかに笑い合っているように見える。
「和やかに笑い合っているように見える」と感じているのはガブリエルだけではないらしく、ジョンもそうなのだろう。先ほどからずっと顔色が優れないし、いつもはヴェラのこととなると饒舌な口も動きは緩慢だ。
ヴェラと見知らぬ男の関係をガブリエルは知らない。ジョンは知っているだろうが、特に進んで教えてくれることはなかったので、ガブリエルは無理に問いただしたりはしなかった。だから、ヴェラの向かいにいる男はガブリエルの中で「見知らぬ男」のラベルを貼られているわけなのである。
ヴェラと男は日暮れ前に落ち合って映画館に入って行った。それを追跡するガブリエルとジョンも同じ映画を観るハメになった。ラブロマンスにサスペンスをスパイスとして振りかけたような映画は、巷ではそこそこ流行っているらしいことくらいはガブリエルも知っていた。
恋愛沙汰と縁のないガブリエルは、この映画のチョイスがどれだけデートで観るのに「アリ」なのかはわからなかった。しかしガブリエルにとって映画がひどく退屈であったことだけはたしかだ。
恐らく中盤に入るより前に寝入ったガブリエルが目覚めたのは、エンドロールが流れている最中であった。ジョンに叩き起こされ寝ぼけまなこで前方の席に座っていたヴェラの後頭部を見つける。
ジョンはどうもずっと起きていたらしい。しかも映画を観るではなく、ずっとヴェラを見ていたようだ。ガブリエルはうすら寒い気持ちになった。
前方の席に座るヴェラの横顔は朗らかで、彼女にとってはこの映画はそれなりに楽しめたものなのかもしれない。だとすればチョイスとしては「アリ」なのだろう。ガブリエルにはやっぱり、よくわからなかったが。
映画館を出たふたりを追えば、向かった先は高級ホテルの中にあるレストランだった。
「これは……」
ガブリエルは「ガチ」だと思った。男はきっとヴェラに「本気」だ。
もし「本気」でなかったとすれば、男はそんな女に対しても金を惜しまないやつだということになる。だが、その可能性はガブリエルにはなんとなく低いように思えた。
それはジョンも同じなのだろう。今日会ってからずっと顔色はよくなかったが、高層ホテルを見上げてからさらに様子がおかしくなった。いつもの癪に障るほどの余裕が、すっかり失せている。
それはそうだろう。こちらも「ガチ」なのだ。ジョンは「ガチ」でヴェラに恋をしているのだ。まあ、体調も悪くなるだろうとガブリエルは恐らく初めてジョンに対して同情の念を覚えた。
「どうします? 追いかけます?」
「……当たり前だ」
金の心配はしていなかった。ジョンの羽振りのよさをガブリエルはよく知っていたので。
しかしジョンの精神状態が心配だった。途端に暴れだして追い出されるような事態は御免である。それにもしデートを追跡していたなどとヴェラにバレては会わす顔がなくなる。それはどうしても避けたかった。
だがガブリエルの心配に反して、ジョンは大人しいままであった。というか、どんどんと顔から生気が抜けて行くような様子だったので、暴れだすことよりも倒れる心配をする始末であった。
ガブリエルはガブリエルでタダ飯を満喫しようという余裕も失われて久しい。お高い――ガブリエルにはどれくらい高いかまではわからない――赤ワインを飲み干して、緊張をほぐそうとするもそれは成功したとは言い難かった。
ほぼ同時に入り、同じコース料理を選んだからなのか、ヴェラと男が立ち上がるタイミングにはガブリエルとジョンも食事を終えていた。
顔色の悪いジョンが会計をしているのを横目で見ながら、ガブリエルは食べた気がしない割に思ったより酔いが回っているのか、若干の眠気に襲われていた。
かすかに震えるジョンの問いかけに、ガブリエルは答える。
「わからないっス」
場所はガブリエルでもどこかで聞いたことのあるような、名の知れたホテルのレストラン。
他人の奢りでメシが食えるとあって浮つかない人間は少ないだろう。実際、ガブリエルもそう考えることでどうにかモチベーションを保とうとした。
しかし金を出してくれる相手はギャングのボス。金の出どころも真っ当ではないだろう。
そんな男と真正面から向き合ってカトラリーを動かしている現在、ガブリエルは過去の己の軽々な言動を後悔していた。
いつもとは違う服装に、いつもはテキトーに済ませてしまう化粧はいつになく気合を入れて。いつもよりは見られる姿になったガブリエルではあったが、それはあくまで外面だけの話である。
早い話がガブリエルは緊張していた。オシャレなホテルのレストランで食事だなんて、明らかに身の丈に合っていない、と絶賛後悔中なのであった。
いくら外面を整えられても、中身はいつものガブリエルと変わりがない。当たり前の話だが、ガブリエルはその事実をすっかり見落としていた。
加えて、ジョンの存在。ガブリエルは「なぜギャングのボスと食事をしているんだ」と根源的な問いを己に対して行う。しかしその答えは分かりきっていた。
ガブリエルとジョンは、ジョンの片思い相手でガブリエルの学生時代の先輩であるヴェラのデートを追跡しているのだ。
立派なストーカー行為であったが、それをしているジョンという男はどこに出しても恥ずかしい反社会勢力の人間。ガブリエルからするとジョンのこれまでの所業に比べれば、惚れた女のデートを追跡するなどは、まだ微笑ましいの範疇に収まっていた。
ジョンが一般人であればガブリエルも止めたかもしれない。しかしジョンは一般人ではないので、ガブリエルは止めないし、そもそも止められるものでもない。
……さすがにジョンがヴェラに無体を強いようと画策していれば、さしものガブリエルも止めるが、今のところ彼はそういうことをするつもりはないらしいので、ひとまずは安心だ。
ガブリエルとジョンのあいだに言葉数は少ない。少し離れた場所ではヴェラが見知らぬ男――それはガブリエルとジョンの主観での話だ――とごく和やかに笑い合っているように見える。
「和やかに笑い合っているように見える」と感じているのはガブリエルだけではないらしく、ジョンもそうなのだろう。先ほどからずっと顔色が優れないし、いつもはヴェラのこととなると饒舌な口も動きは緩慢だ。
ヴェラと見知らぬ男の関係をガブリエルは知らない。ジョンは知っているだろうが、特に進んで教えてくれることはなかったので、ガブリエルは無理に問いただしたりはしなかった。だから、ヴェラの向かいにいる男はガブリエルの中で「見知らぬ男」のラベルを貼られているわけなのである。
ヴェラと男は日暮れ前に落ち合って映画館に入って行った。それを追跡するガブリエルとジョンも同じ映画を観るハメになった。ラブロマンスにサスペンスをスパイスとして振りかけたような映画は、巷ではそこそこ流行っているらしいことくらいはガブリエルも知っていた。
恋愛沙汰と縁のないガブリエルは、この映画のチョイスがどれだけデートで観るのに「アリ」なのかはわからなかった。しかしガブリエルにとって映画がひどく退屈であったことだけはたしかだ。
恐らく中盤に入るより前に寝入ったガブリエルが目覚めたのは、エンドロールが流れている最中であった。ジョンに叩き起こされ寝ぼけまなこで前方の席に座っていたヴェラの後頭部を見つける。
ジョンはどうもずっと起きていたらしい。しかも映画を観るではなく、ずっとヴェラを見ていたようだ。ガブリエルはうすら寒い気持ちになった。
前方の席に座るヴェラの横顔は朗らかで、彼女にとってはこの映画はそれなりに楽しめたものなのかもしれない。だとすればチョイスとしては「アリ」なのだろう。ガブリエルにはやっぱり、よくわからなかったが。
映画館を出たふたりを追えば、向かった先は高級ホテルの中にあるレストランだった。
「これは……」
ガブリエルは「ガチ」だと思った。男はきっとヴェラに「本気」だ。
もし「本気」でなかったとすれば、男はそんな女に対しても金を惜しまないやつだということになる。だが、その可能性はガブリエルにはなんとなく低いように思えた。
それはジョンも同じなのだろう。今日会ってからずっと顔色はよくなかったが、高層ホテルを見上げてからさらに様子がおかしくなった。いつもの癪に障るほどの余裕が、すっかり失せている。
それはそうだろう。こちらも「ガチ」なのだ。ジョンは「ガチ」でヴェラに恋をしているのだ。まあ、体調も悪くなるだろうとガブリエルは恐らく初めてジョンに対して同情の念を覚えた。
「どうします? 追いかけます?」
「……当たり前だ」
金の心配はしていなかった。ジョンの羽振りのよさをガブリエルはよく知っていたので。
しかしジョンの精神状態が心配だった。途端に暴れだして追い出されるような事態は御免である。それにもしデートを追跡していたなどとヴェラにバレては会わす顔がなくなる。それはどうしても避けたかった。
だがガブリエルの心配に反して、ジョンは大人しいままであった。というか、どんどんと顔から生気が抜けて行くような様子だったので、暴れだすことよりも倒れる心配をする始末であった。
ガブリエルはガブリエルでタダ飯を満喫しようという余裕も失われて久しい。お高い――ガブリエルにはどれくらい高いかまではわからない――赤ワインを飲み干して、緊張をほぐそうとするもそれは成功したとは言い難かった。
ほぼ同時に入り、同じコース料理を選んだからなのか、ヴェラと男が立ち上がるタイミングにはガブリエルとジョンも食事を終えていた。
顔色の悪いジョンが会計をしているのを横目で見ながら、ガブリエルは食べた気がしない割に思ったより酔いが回っているのか、若干の眠気に襲われていた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
barrio battle Fukuoka
潤翔
キャラ文芸
俺はおまえ達のチームを潰す!!
福岡市は学生達が4つのエリアに分け場所争いをしていた。博多・東エリアのチームblasting crewにかつての友人が所属していることを知った嶺井悠斗はチームを潰し、汚れた福岡を元に戻すべく戦う為、街中の人々を巻き込んで行く!
さんざめく左手 ― よろず屋・月翔 散冴 ―
流々(るる)
ミステリー
【この男の冷たい左手が胸騒ぎを呼び寄せる。アウトローなヒーロー、登場】
どんな依頼でもお受けします。それがあなたにとっての正義なら
企業が表向きには処理できない事案を引き受けるという「よろず屋」月翔 散冴(つきかけ さんざ)。ある依頼をきっかけに大きな渦へと巻き込まれていく。彼にとっての正義とは。
サスペンスあり、ハードボイルドあり、ミステリーありの痛快エンターテイメント!
※さんざめく:さざめく=胸騒ぎがする(精選版 日本国語大辞典より)、の音変化。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。
アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。
今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。
私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。
これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。
◢◤ TH eFLATLAND ◢◤
リンねりん
ファンタジー
現代ニッポンの大都市(物語上の架空)八華(ハッカ)都市がある八華島を舞台とした偽神と悪者達の物語。
この島には秘密がある。
多数の異世界が連なる多元界から『FLATLAND』と呼ばれ
それら異世界間同士を繋ぐ唯一の中継地であることを。
この人口700万人の島と大都市はいつも通り、狂騒に明け暮れる中、
密かに異世界の種が往来し管理され、支配されているこの地を中心にそのバランスが崩れ始める。
この街の「悪者」と呼ばれる住人である街賊(ガイゾク)と様々な世界や種の思惑と策略が絡み合い八華を飲み込む時、
繋がった世界たちは無謀なテンションで踊り出しフクリクションを起こしていく。
誰もが主役でありそれでいて主人公なき群像劇であり創世記であり異世界間の仁義なきタタカイ。
ここは、地獄という名のテーマパーク。
まだまだ未熟者なので、未熟者ゆえの勢いと趣味的なノリで書いてます。
登場人物多めのごった煮。ゆるいテンションで進んでもいきます。
ご都合主義でゴメンナサイ。
稚拙なものですがよろしくです。
言うでもなく、この物語はフィクションです。
実際の世界とは一切何の関わりもございません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる