野蛮業

やなぎ怜

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 ガブリエルとジョンの仲は明らかに疑われていた。事務所に出入りする程度の下っ端はもちろん、幹部連中にまで知れ渡っていることはガブリエルもジョンも承知のことだ。こそこそと会っているのだから、それは致し方ないというものである。

 大っぴらに会えないのには理由があるのだが、もちろんそんなことは周囲にはわかりはしない。わかるのはエスパーくらいだろう。

 そういうわけで先ほど「こそこそと」と表現した通りに、人目をしのんでガブリエルは組織が所有するそう大きくはない事務所をおとなう。「こそこそと」会っているので、余計に仲を疑われているという悪循環に陥っていることもわかっていた。

「ボスが秘して明かさない女」だなんて、それだけでどれだけ女に対して本気かわかる――と部外者は考える。そこに、なにかしら別の理由が存在していることなど、たいていの人間は考えず、既成概念に当てはめてしまう。

 それこそジョンの思うツボであるわけなのだが、今のところ下っ端も幹部連中もそのツボにはめられている。ガブリエルからすれば迷惑な話だし、ひとこと「クソッタレ」と悪態をつきたくもなる。

 しかし、繰り返すようにガブリエルは木っ端霊能力者。表の世界でも裏の世界でも、いくらでも替えが効く存在だ。ギャングのボスであるジョンに楯突くなど、夢のまた夢である。

 そして、ガブリエルを憂鬱にさせる事柄がまたひとつ――。

「……ボスなら奥にいる」
「そう。ありがとう」

 事務所の奥の部屋へと続く扉の前には、エルドレッドが立っていた。艶やかな金の髪には、安物のコンディショナーを使っているガブリエルにはない天使の輪が、くっきりと浮かんで見える。そして、畏怖を抱くほどに整った面立ち。ギャングだと知ってなお、多くの女が群がるこの男は――なにを隠そう、ガブリエルの唯一の幼馴染でもあった。

 しかし互いに無垢だった時期を過ごして久しい。気がつけばエルドレッドは立派なギャングの幹部様であったし、ガブリエルもガブリエルでギャングから金をもらって遺体の身元を隠蔽するような、カタギの域から半分くらい逸脱する存在になっていた。

 一時期は交流が途切れていたものの、地元から離れたわけではなかったので、その再会は必然と言えば必然だ。

 死者の声を聴く、霊能力者という仕事をしていれば、ときに遺体を量産するギャングとかち合わないほうが不自然であった。

 けれどもそれだけで旧交が温まるわけもない。エルドレッドはそのスリーピース・スーツを見ても羽振りのいいことが明らかだったが、片やガブリエルは何年前に買ったかも忘れたぺらぺらのコートを着ている貧乏人。

 そして多くの部下を捌く立場にあるエルドレッドと、ぷらぷらとフリーターを惰性で続けているガブリエル……そこに男と女という決定的な違いも加われば、話題にはこと欠く。

 もはや、今のガブリエルには幼いみぎりにエルドレッドとどのような会話をしていたのか、思い出すことも難しい。

 少なくとも仏頂面で上から見下ろしてくる今のエルドレッドより、昔のエルドレッドのほうが可愛げがあったことはたしかだ。

 ジョンの忠実な部下……であるらしいエルドレッドは、どうもガブリエルのことをよく思っていないらしいのだ。「ボスに近づく変な女」くらいのことは思っていそうだなとガブリエルは確信している。

 実際にガブリエルは「変な女」だ。否定はできない。エルドレッドのように別段美しくもないし、育ちがいいというわけでもないし、他人に誇れるなにかしらのスキルを持っているわけでもない。

 つまり、ジョンにとってひとつもプラスにならない女なのだ。……いや、かろうじて霊能力という一点においては、多少プラスにはなるだろうか。しかし、まあ、それは「多少」というレベルに留まる。

 エルドレッドが扉をノックして部屋の中にいるだろうジョンに、ガブリエルの来訪を告げる。

「入れ」

 扉越しにくぐもったジョンの声はガブリエルにも聞こえた。

 エルドレッドがわずかに振り返り、ガブリエルを見下ろす。美しい灰色がかった青の瞳がガブリエルを威圧している――ように感じられる。

 エルドレッドに目線で促されて、ガブリエルは彼についてジョンのいる部屋へと入った。

 質実剛健を体現したようなジョンの執務室には、特別なものはなにひとつない。ジョンはこの事務所に常駐しているわけではないので、それは当たり前のことかもしれなかったが、彼の懐に唸るほどの金があるということを知っている身からすると、この部屋は拍子抜けするほどにシンプルである。

 茶色の髪をうしろにゆるく撫でつけているジョンは、パッと見ではギャングには見えない。そこらの青年実業家と言われたほうがしっくりとくる。眼鏡をかけた生真面目でちょっと神経質そうな男。それが多くの人間が抱く、ジョンの第一印象だろう。

 しかし、ガブリエルはこの男の本性を知っている。

 ガブリエルよりひとつ上で、実年齢よりずっと年嵩に見えるジョンは、ガブリエルが思いつかないような金稼ぎの方法をひねり出すことから、裏切り者を想像もつかないような残虐な方法で処刑することもできる。そういう男なのだ。

「……それで、三日月湾の裏切り者は?」
「……ご要望の通り、握りつぶしておきました」
「誠に重畳ちょうじょう
「ありがとうございます」

 ガブリエルは余計なことは聞かない。

 霊能力者はどちらかと言えば嫌われ者だ。ひとたび死者と相対すれば、その他人のプライベートにズカズカと土足で踏み込み、秘密を暴くことができてしまう。詮索屋などと呼ばれて、忌避されるのは珍しいことではなかった。

 加えてジョンはギャングだ。無駄口をたたいて勘気を被るのは御免である。次の瞬間には眉間に穴が開いている可能性は、常にあるのだから。

「エルドレッド、下がっていい」
「……はい」

 顎をしゃくって退室を促すジョンに、ガブリエルが座るソファの後ろで立っていたエルドレッドが返事をする。が、どことなく不満げな空気を感じてしまうのは、ガブリエルだけかもしれない。

 エルドレッドはボスであるジョンに文句は言わない。そもそも、ジョンが言わせないだろう。エルドレッドとてそれをわかっているから、かすかな間を置いてから物わかりのいい返事をしたのだ。

 エルドレッドが退室する音を聞き、ガブリエルは深いため息をつきそうになった。

 今日、ここにガブリエルが呼ばれたのは三日月湾に沈められた裏切り者について話すためだけではない。本題は、ここからだ。
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