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「貴女がなによりも愛おしい」
浅黒い肌に精悍な顔つきの青年――アルトリウスのまなこは金の色をしていた。神々の血を引いていることの証だ。それは同時に彼が王家の血筋に連なるものであることも示している。
ニニリナはアルトリウスと同じ金の瞳で彼を見返した。その小さな胸の奥は鼓動でいっぱいになっている。まろく白い頬はほんのりと赤く色づいて、双眸は望外の喜びに潤む。
――だから、この手を取って欲しい。
続くアルトリウスの言葉と共に、彼から差し出された右の手のひらへ、ニニリナはそっと指を触れさせる。
優しくもどこか力強く握られたアルトリウスの手が離れるところを、ニニリナはまったく想像できなかった。
ふたりの心がひとつに重なったことを祝福するように一陣の風が吹いて、拍手でもするように木々が葉をこすれ合わせる。
学園の卒業パーティーが間近に迫った、初夏の出来事だった。
ニニリナは女神の子だ。
円状大陸の中心部、その空に浮く神々の国である島嶼のひとつで産声を上げた。
そして年頃になり、知恵をつける段階になると、神々が通う学園へと入れられた。
ニニリナはそこでたった四年という短い月日の中で身の振り方を決めねばならなかった。
進路は大きくわけてふたつ。このまま神々の国で暮らすか――人間の世界で生きるか。
ニニリナは学園でアルトリウスと出会い、人間の世界で生きる道を選んだ。
アルトリウスは人間の国の王子であったが、神々の血を引いているがために空島の学園への入学を許された。
そんなアルトリウスと、ニニリナは恋に落ちた。
交際は順調に進んで、アルトリウスが卒業して人間の国へ帰る前にプロポーズされた。
ニニリナの母である女神から結婚の許可をもらい、姉妹たちに送られて初めて降り立った人間の国でも盛大に祝福を受け――。
すべては順風満帆だった。
「陛下、なぜ人間の妃を迎え入れぬのですか――」
ニニリナと結婚したあと、立太子されたアルトリウスは、若くして国王となった。
もともと、アルトリウスはその父親である前国王が老いてから生まれた子であった。
ゆえにアルトリウスがニニリナという伴侶を迎えて身を固めたのをいい機会と見たのか、さっさと退位をしたわけである。
前国王は、ニニリナからすると姑にあたる前王妃と共に現在は離宮で静かに暮らしている。アルトリウスの為政に口を出すこともなく、趣味に精を出していることをニニリナも知っていた。
「つつがなく女神のお子を妃に迎え入れたのであれば、人間の妃も迎え入れるが常道と――」
けれども、アルトリウスのやり方に色々と口を出したい人間は、あまたいる様子。
このときアルトリウスといたのは、彼の歳の離れた従兄であったはずだ。
「――なに、陛下、恋はこれからですぞ。女神のお子をお迎えになられたのは、必要に駆られてのことだとだれもが承知しています。無論ワタクシの娘も――」
ニニリナは、どういう状況で自分がその話を盗み聞いてしまったのか、もう詳細を思い出せなかった。
あまりの衝撃に、前後の記憶があやふやになってしまったのだ。
アルトリウスの従兄が立て板に水とばかりに話し続けているあいだ、当のアルトリウスがどんな顔をしていたかもニニリナは思い出せなかった。見ていたけれど忘れてしまったのか、後ろを向いていて顔が見えなかったのかすらも、もうわからない。
アルトリウスは始めから女神の子を妃に迎えるために学園へ通ったこと。
ニニリナはちょうどよくアルトリウスの目的に合致した存在だったこと――。
……アルトリウスは、いつだってニニリナに優しかった。
ニニリナがそそっかしく失くしものをしたときはいっしょに捜し回ってくれたし、アルトリウスの国のことを知りたいと無邪気に言えば、懇切丁寧に一から教えてくれた。
優しく触れて、強引なことはなにひとつしなかった。
けれどもその優しさは、ニニリナという存在を繋ぎ止めるために、想いもないのに苦心して捻出したものだったのかもしれない。
ニニリナは、悲しくなって、それから怒った。
愛するアルトリウスに無理をさせていたこと――そして、その気持ちのうわべだけで彼を知った気になっていた自分に、怒りと悲しみを覚えた。
けれども――今さら、結婚をなかったものにはできない。
かと言って、アルトリウスの従兄が言うように、アルトリウスが真に愛する人間を伴侶に迎え入れることをニニリナは無理のない笑顔で認められるかというと……できないだろう。
ニニリナはアルトリウスを愛している。
ニニリナは、他でもないアルトリウスの愛が欲しいのだ。だから、彼からの求婚を受けた。
離婚はできない、したくない。
別の妃を迎え入れることも、受け入れられない。
ならば――ニニリナにできることは、ひとつである。
アルトリウスに、惚れてもらうのだ。
かくしてニニリナの「アルトリウスに惚れてもらおう大作戦」の火ぶたは切られた。
浅黒い肌に精悍な顔つきの青年――アルトリウスのまなこは金の色をしていた。神々の血を引いていることの証だ。それは同時に彼が王家の血筋に連なるものであることも示している。
ニニリナはアルトリウスと同じ金の瞳で彼を見返した。その小さな胸の奥は鼓動でいっぱいになっている。まろく白い頬はほんのりと赤く色づいて、双眸は望外の喜びに潤む。
――だから、この手を取って欲しい。
続くアルトリウスの言葉と共に、彼から差し出された右の手のひらへ、ニニリナはそっと指を触れさせる。
優しくもどこか力強く握られたアルトリウスの手が離れるところを、ニニリナはまったく想像できなかった。
ふたりの心がひとつに重なったことを祝福するように一陣の風が吹いて、拍手でもするように木々が葉をこすれ合わせる。
学園の卒業パーティーが間近に迫った、初夏の出来事だった。
ニニリナは女神の子だ。
円状大陸の中心部、その空に浮く神々の国である島嶼のひとつで産声を上げた。
そして年頃になり、知恵をつける段階になると、神々が通う学園へと入れられた。
ニニリナはそこでたった四年という短い月日の中で身の振り方を決めねばならなかった。
進路は大きくわけてふたつ。このまま神々の国で暮らすか――人間の世界で生きるか。
ニニリナは学園でアルトリウスと出会い、人間の世界で生きる道を選んだ。
アルトリウスは人間の国の王子であったが、神々の血を引いているがために空島の学園への入学を許された。
そんなアルトリウスと、ニニリナは恋に落ちた。
交際は順調に進んで、アルトリウスが卒業して人間の国へ帰る前にプロポーズされた。
ニニリナの母である女神から結婚の許可をもらい、姉妹たちに送られて初めて降り立った人間の国でも盛大に祝福を受け――。
すべては順風満帆だった。
「陛下、なぜ人間の妃を迎え入れぬのですか――」
ニニリナと結婚したあと、立太子されたアルトリウスは、若くして国王となった。
もともと、アルトリウスはその父親である前国王が老いてから生まれた子であった。
ゆえにアルトリウスがニニリナという伴侶を迎えて身を固めたのをいい機会と見たのか、さっさと退位をしたわけである。
前国王は、ニニリナからすると姑にあたる前王妃と共に現在は離宮で静かに暮らしている。アルトリウスの為政に口を出すこともなく、趣味に精を出していることをニニリナも知っていた。
「つつがなく女神のお子を妃に迎え入れたのであれば、人間の妃も迎え入れるが常道と――」
けれども、アルトリウスのやり方に色々と口を出したい人間は、あまたいる様子。
このときアルトリウスといたのは、彼の歳の離れた従兄であったはずだ。
「――なに、陛下、恋はこれからですぞ。女神のお子をお迎えになられたのは、必要に駆られてのことだとだれもが承知しています。無論ワタクシの娘も――」
ニニリナは、どういう状況で自分がその話を盗み聞いてしまったのか、もう詳細を思い出せなかった。
あまりの衝撃に、前後の記憶があやふやになってしまったのだ。
アルトリウスの従兄が立て板に水とばかりに話し続けているあいだ、当のアルトリウスがどんな顔をしていたかもニニリナは思い出せなかった。見ていたけれど忘れてしまったのか、後ろを向いていて顔が見えなかったのかすらも、もうわからない。
アルトリウスは始めから女神の子を妃に迎えるために学園へ通ったこと。
ニニリナはちょうどよくアルトリウスの目的に合致した存在だったこと――。
……アルトリウスは、いつだってニニリナに優しかった。
ニニリナがそそっかしく失くしものをしたときはいっしょに捜し回ってくれたし、アルトリウスの国のことを知りたいと無邪気に言えば、懇切丁寧に一から教えてくれた。
優しく触れて、強引なことはなにひとつしなかった。
けれどもその優しさは、ニニリナという存在を繋ぎ止めるために、想いもないのに苦心して捻出したものだったのかもしれない。
ニニリナは、悲しくなって、それから怒った。
愛するアルトリウスに無理をさせていたこと――そして、その気持ちのうわべだけで彼を知った気になっていた自分に、怒りと悲しみを覚えた。
けれども――今さら、結婚をなかったものにはできない。
かと言って、アルトリウスの従兄が言うように、アルトリウスが真に愛する人間を伴侶に迎え入れることをニニリナは無理のない笑顔で認められるかというと……できないだろう。
ニニリナはアルトリウスを愛している。
ニニリナは、他でもないアルトリウスの愛が欲しいのだ。だから、彼からの求婚を受けた。
離婚はできない、したくない。
別の妃を迎え入れることも、受け入れられない。
ならば――ニニリナにできることは、ひとつである。
アルトリウスに、惚れてもらうのだ。
かくしてニニリナの「アルトリウスに惚れてもらおう大作戦」の火ぶたは切られた。
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