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ヤクライ(6)
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【八日目】
「ヤクライさ~ん」
間延びした男性の声がわたしにかかる。
――わたしはヤクライじゃないのに、どうしてヤクライって呼ぶんだろう? ……でも、まあいいか……。
「ヤクライさ~ん」
どこかわたしに媚びるような男のひとの声。現れたのはいかにもチンピラですというような格好をした、二〇代前後の男性だった。
男性はへらへらとした笑みを浮かべながら、わたしの手を取る。
わたしは通学途中だったけれど、ここにきた。この、さびれた古い、かろうじて廃寺ではないようなお寺の、無縁仏の墓の前に。
男性がぐいぐいとわたしの手首を引っ張る。
「ヤクライさん」
今度は強く促すような声で。
――また、ヤクライって言われた。……また?
――あれ? わたしはヤクライじゃないのに、なんで間違った名前で呼ばれているのを受け入れているんだろう?
――あれ? あれ? あれ?
「ヤクライさん」
男性が変わって、イラ立ちに満ちた声でわたしを呼んだ。でも、わたしはヤクライっていう名前じゃなくて――。けれども抗っていいのか、脳は白い靄がかかったようにぼんやりとした思考しかできなくて。
「そこまでだ」
凛とした男性の声がしたかと思いきや、寺を囲む森の木々から鳥が一斉に羽ばたく音がして、わたしは我に返った。
同時に、これまで「ヤクライ」と呼ばれては異常なセックスをしていた一週間の出来事も、うすぼんやりとながら思い出す。
恐怖心が湧いてくるよりも前に、呆然とした。
どうして、わたしは「ヤクライ」と呼ばれながらセックスを受け入れていたんだろう。
それとも、あれは夢の出来事?
今、起こっていることは現実? それとも夢?
「チッ」
わたしが混乱しているあいだにチンピラ風の男性は消えて、入れ替わるようにふたり組の男性が現れた。
ふたりともとても背が高い。一八〇センチメートルは超えているだろう。方向性の違う、中性的な容姿のふたり組のうち、背の低いほうが「間に合った」とハスキーな声でため息をつくように言った。
「あの、あのひとは……?」
わたしは改めてきょろきょろと周囲を見回す。見事な荒れ寺というほかない景色に、困惑の色が強くなる。
けれどもどうやら突然現れたふたり組は、なんだか事情を知っている風だったので、わたしは混乱しながらも問う。
先ほどのチンピラ風の男性はなんの目的があったのか。なぜ、わたしを「ヤクライ」と呼んだのか。「ヤクライ」とはいったいなんの符丁なのか――。
背の低いほうの男性は少しはわたしに気づかわしげな目を向けてくれたが、背が高いほうのひどく美しい男性はまるで爬虫類のような目でわたしをじっと見ていた。その温度差にも、なんとなく戸惑いを覚える。
背の低いほうの男性は、ちらりと横にいた背の高いほうの男性を見たが、彼の口を開く気がない様子を見てか、あきらめたような顔をして事情を話してくれた。
「彼は……呪詛師の……助手というか、まあ、使いっ走りみたいなものだと思うよ。……いまだに生きているのかどうかはわからないけれどもね」
「え……?」
「あなた、『ヤクライ』って呼ばれてたでしょう。『ヤクライ』は呪詛師の名であり、彼女が使う呪詛の名でもある。恐らく――あなた、憑依されていたね」
さらりと告げられた言葉に、わたしは絶句した。
わたしの様子に、話をしてくれた彼は一瞬だけ気の毒そうなものを見る目をした。
「『ヤクライ』はもうこの世にいない。とある依頼で『ヤクライ』の呪詛をしているときに亡くなってしまった。『ヤクライ』というのは八人の男を喰らって、家そのものを絶やすような強力な呪詛。だから『ヤクライ』と言うんだ。その『ヤクライ』を完成させるために呪詛師の『ヤクライ』があなたに憑依した……んだと思う」
「娘、おぬしがしたことはそう気にすることでもないだろう。『ヤクライ』の相手がこの世のものであるかは怪しいのだからな」
怒涛の情報にわたしは頭がパンクしそうになった。
そしてこの一週間の出来事や、わたしを「ヤクライ」と呼んだ相手のことを思い出そうとした。けれども、それはできなかった。
一週間の記憶は曖昧で、「ヤクライ」と呼んできた人間は男性であること以外のディティールがハッキリとしない。顔の印象の輪郭だけが残って、詳しい風貌を思い出すのは難しかった。
「おっと、『ヤクライ』について深く聞くのはやめておけ」
独特なしゃべりをする、背の高いほうの男性がわたしに釘を刺す。
「『ヤクライ』という名の土地もあるが、恐らくかの呪詛師とは関係がないだろう。単に八人喰ろうて呪詛をなすので『ヤクライ』と称していたのだろうな。……俺たちが言えるのはここまでだ。呪詛師『ヤクライ』がこれを生業としたのには、もしかしたら相応の理由があるのかもしれんが、探るのはよせ。……また憑依されかねん」
そこまで背の高いほうの男性が言うと、背の低いほうの男性があとをつぐ。
「もう帰りなさい。そして今まであったことは全部忘れなさい」
……それ以上こちらから言えることはなにもなくて、現実感がないままにわたしは荒れ寺をあとにした。
◆◆◆
「ヤクライ」という女は美しく、そして生来より淫乱な性質であったがために、多くの男と交わったと聞く。
そして「ヤクライ」は男性と交わることで呪詛を成し、その呪詛を他者にかけることを生業とした。それは天性の淫乱であった「ヤクライ」にとっては天職だったのだろう。
菫には、そのあまりにも無邪気に他人を呪える「ヤクライ」のメンタリティは色々と理解しがたい。
もっと調べれば色々とわかることもあるのかもしれないが、それは依頼の範疇外だ。
今回の依頼は「ヤクライ」の呪詛の完成を阻止すること。ひとまずこれで依頼人に「ヤクライ」の呪詛が降りかかるのは避けられるだろう。
しかし、「ヤクライ」の幽霊だかなんだかよくわからない存在をどうにかしない限り、今日の女子高生のような呪詛の担い手が現れてしまうことは明らかだった。
「あの小娘は恐らく『ヤクライ』の血縁者なのだろう。血を辿って憑依したのではないか?」
「ぞっとしない話だね」
「では早速『ヤクライ』の家に向かおう」
夜蜘蛛が嬉々とした表情でそう言うので、菫はちょっとイヤそうな顔をする。
「夜蜘蛛ってさあ……そんなにするの、好きなの?」
「除霊セックスは除霊セックスで普通のセックスとは別の良さがある」
菫は今度こそ明らかにイヤという顔をした。
けれども請け負った依頼を達成するためには夜蜘蛛の力がどうしても必要だ。
「はあ……」
菫はため息をつく。そのため息はしばらく止まらないのであった。
「ヤクライさ~ん」
間延びした男性の声がわたしにかかる。
――わたしはヤクライじゃないのに、どうしてヤクライって呼ぶんだろう? ……でも、まあいいか……。
「ヤクライさ~ん」
どこかわたしに媚びるような男のひとの声。現れたのはいかにもチンピラですというような格好をした、二〇代前後の男性だった。
男性はへらへらとした笑みを浮かべながら、わたしの手を取る。
わたしは通学途中だったけれど、ここにきた。この、さびれた古い、かろうじて廃寺ではないようなお寺の、無縁仏の墓の前に。
男性がぐいぐいとわたしの手首を引っ張る。
「ヤクライさん」
今度は強く促すような声で。
――また、ヤクライって言われた。……また?
――あれ? わたしはヤクライじゃないのに、なんで間違った名前で呼ばれているのを受け入れているんだろう?
――あれ? あれ? あれ?
「ヤクライさん」
男性が変わって、イラ立ちに満ちた声でわたしを呼んだ。でも、わたしはヤクライっていう名前じゃなくて――。けれども抗っていいのか、脳は白い靄がかかったようにぼんやりとした思考しかできなくて。
「そこまでだ」
凛とした男性の声がしたかと思いきや、寺を囲む森の木々から鳥が一斉に羽ばたく音がして、わたしは我に返った。
同時に、これまで「ヤクライ」と呼ばれては異常なセックスをしていた一週間の出来事も、うすぼんやりとながら思い出す。
恐怖心が湧いてくるよりも前に、呆然とした。
どうして、わたしは「ヤクライ」と呼ばれながらセックスを受け入れていたんだろう。
それとも、あれは夢の出来事?
今、起こっていることは現実? それとも夢?
「チッ」
わたしが混乱しているあいだにチンピラ風の男性は消えて、入れ替わるようにふたり組の男性が現れた。
ふたりともとても背が高い。一八〇センチメートルは超えているだろう。方向性の違う、中性的な容姿のふたり組のうち、背の低いほうが「間に合った」とハスキーな声でため息をつくように言った。
「あの、あのひとは……?」
わたしは改めてきょろきょろと周囲を見回す。見事な荒れ寺というほかない景色に、困惑の色が強くなる。
けれどもどうやら突然現れたふたり組は、なんだか事情を知っている風だったので、わたしは混乱しながらも問う。
先ほどのチンピラ風の男性はなんの目的があったのか。なぜ、わたしを「ヤクライ」と呼んだのか。「ヤクライ」とはいったいなんの符丁なのか――。
背の低いほうの男性は少しはわたしに気づかわしげな目を向けてくれたが、背が高いほうのひどく美しい男性はまるで爬虫類のような目でわたしをじっと見ていた。その温度差にも、なんとなく戸惑いを覚える。
背の低いほうの男性は、ちらりと横にいた背の高いほうの男性を見たが、彼の口を開く気がない様子を見てか、あきらめたような顔をして事情を話してくれた。
「彼は……呪詛師の……助手というか、まあ、使いっ走りみたいなものだと思うよ。……いまだに生きているのかどうかはわからないけれどもね」
「え……?」
「あなた、『ヤクライ』って呼ばれてたでしょう。『ヤクライ』は呪詛師の名であり、彼女が使う呪詛の名でもある。恐らく――あなた、憑依されていたね」
さらりと告げられた言葉に、わたしは絶句した。
わたしの様子に、話をしてくれた彼は一瞬だけ気の毒そうなものを見る目をした。
「『ヤクライ』はもうこの世にいない。とある依頼で『ヤクライ』の呪詛をしているときに亡くなってしまった。『ヤクライ』というのは八人の男を喰らって、家そのものを絶やすような強力な呪詛。だから『ヤクライ』と言うんだ。その『ヤクライ』を完成させるために呪詛師の『ヤクライ』があなたに憑依した……んだと思う」
「娘、おぬしがしたことはそう気にすることでもないだろう。『ヤクライ』の相手がこの世のものであるかは怪しいのだからな」
怒涛の情報にわたしは頭がパンクしそうになった。
そしてこの一週間の出来事や、わたしを「ヤクライ」と呼んだ相手のことを思い出そうとした。けれども、それはできなかった。
一週間の記憶は曖昧で、「ヤクライ」と呼んできた人間は男性であること以外のディティールがハッキリとしない。顔の印象の輪郭だけが残って、詳しい風貌を思い出すのは難しかった。
「おっと、『ヤクライ』について深く聞くのはやめておけ」
独特なしゃべりをする、背の高いほうの男性がわたしに釘を刺す。
「『ヤクライ』という名の土地もあるが、恐らくかの呪詛師とは関係がないだろう。単に八人喰ろうて呪詛をなすので『ヤクライ』と称していたのだろうな。……俺たちが言えるのはここまでだ。呪詛師『ヤクライ』がこれを生業としたのには、もしかしたら相応の理由があるのかもしれんが、探るのはよせ。……また憑依されかねん」
そこまで背の高いほうの男性が言うと、背の低いほうの男性があとをつぐ。
「もう帰りなさい。そして今まであったことは全部忘れなさい」
……それ以上こちらから言えることはなにもなくて、現実感がないままにわたしは荒れ寺をあとにした。
◆◆◆
「ヤクライ」という女は美しく、そして生来より淫乱な性質であったがために、多くの男と交わったと聞く。
そして「ヤクライ」は男性と交わることで呪詛を成し、その呪詛を他者にかけることを生業とした。それは天性の淫乱であった「ヤクライ」にとっては天職だったのだろう。
菫には、そのあまりにも無邪気に他人を呪える「ヤクライ」のメンタリティは色々と理解しがたい。
もっと調べれば色々とわかることもあるのかもしれないが、それは依頼の範疇外だ。
今回の依頼は「ヤクライ」の呪詛の完成を阻止すること。ひとまずこれで依頼人に「ヤクライ」の呪詛が降りかかるのは避けられるだろう。
しかし、「ヤクライ」の幽霊だかなんだかよくわからない存在をどうにかしない限り、今日の女子高生のような呪詛の担い手が現れてしまうことは明らかだった。
「あの小娘は恐らく『ヤクライ』の血縁者なのだろう。血を辿って憑依したのではないか?」
「ぞっとしない話だね」
「では早速『ヤクライ』の家に向かおう」
夜蜘蛛が嬉々とした表情でそう言うので、菫はちょっとイヤそうな顔をする。
「夜蜘蛛ってさあ……そんなにするの、好きなの?」
「除霊セックスは除霊セックスで普通のセックスとは別の良さがある」
菫は今度こそ明らかにイヤという顔をした。
けれども請け負った依頼を達成するためには夜蜘蛛の力がどうしても必要だ。
「はあ……」
菫はため息をつく。そのため息はしばらく止まらないのであった。
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