リディア・リアの駒鳥

やなぎ怜

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「申し訳ありませんでした」
「貴方が謝る必要なんてないわ。わたしが公衆の面前で――魔法を使ってしまったから」

 禁忌のすべ、魔法。民衆はただそれを恐れるのみで手を伸ばそうとはしない。王家によって、またその旗下に集う貴族――領主らによって、それらは厳しく禁じられているからだ。そんなものに手を出そうと考えるものはよほどの命知らずに違いなかった。

 しかし否やを是と変えられる魔法を、王家がただ封ずるのみで放置するはずもなかった。王家は裏で魔法の研究を命じ、またそれらを厳しく管理しているのが現実だ。

 そしてその研究と管理を王命によって司っているのが――リア家だった。

 かつて魔法はごく一部の人間が独占していた特権的な術だった。それを奪い、ついに玉座を手に入れたのが現在の王家である。しかしその忌まわしい虐殺の記憶は、ほとんど知られていない。

 魔法使いたちが魔法について記した書物を「魔書」と呼ぶのだが、これは普通の書物とは大いに違う。王家――当時は一介の貴族であった――の手に渡ることを良しとしなかった魔法使いたちの手によって、それらには「呪い」が施された。しかしそれも王家へとついた一部の魔法使いたちの手によってほとんどが解呪されてしまった。――それでも、まるで怨嗟の声のように呪いの残滓は残っており、ぬぐい難い瑕疵として明らかに存在するのである。

「コマドリを……放してあげられませんでしたね」

 あの同じ真っ赤に燃える炎のような胸をした小鳥。それに嫉妬しながらも、一番情が移ってしまっていたのは、ロビンだったのかもしれない。

「コマドリ?」

 しかしリディアはロビンの言葉に首をかしげた。

 魔書に残された魔法使いたちの断末魔、その残滓。それは魔法を記憶するたびに、他の記憶を忘れて行くという呪い。幸いなのは消えて行く記憶は本人があまり重要視していない、記憶に留めておく優先度の低いものであるということ。しかしそれは無論膨大な記憶があることを前提としてのもの。その前提がいつ崩れるのかは、だれにもわからなかった。

 魔書の「保管庫」として生涯を終えようとしているリディアの大伯母から、彼女がその役目を引き継いだのは偶然だった。大人たちはなにかしらの方法を持って「保管庫」を定めているのだろうが、その事情はリディアもロビンも知るところではない。

 偶然だとロビンが考えるのは、そうでなければリディアの両親たちはあれほど我が娘の身を嘆かなかっただろうし、ジョンという婚約者など見つくろってはこなかっただろうという憶測からである。

 リディアは二日だけ部屋にこもったあと、「保管庫」の役目を謹んで拝命するとはっきりと言いきった。もし、彼女がどうしても嫌だと泣いて頼んだのならば、きっとロビンは彼女を連れて逃げ出していただろう。けれども、そうはならなかった。

 一冊目の本を読み終えたあと、リディアは領民のことを思い出せなくなった。

 三冊目の本を読み終えたあと、リディアは知人たちのことを思い出せなくなった。

 六冊目の本を読み終えたあと、リディアは親戚たちのことを思い出せなくなった。

 一五冊目の本を読み終えたあと、リディアは家族の記憶を失い始めた……。

 リディアは怯えながらもそれを決して表には出しはしなかった。ロビンは記憶を増やしましょうと言った。魔書を読むことで記憶が消えて行くのなら、日常生活には不必要な、些細な出来事を記憶して行けばいいのだと考えたからだ。けれどもそれが上手く行っているのかは、だれにもわからない。

 でも、それでいいのかもしれないともロビンは思う。

 なにせロビンはリディアの唯一の従者だ。その身の回りを世話する唯一の使用人だ。明日、リディアがロビンのことを忘れていたとしても、すぐにまた思い出を作りなおすことができる。それは、一種の特権階級であることも同然ではないか。

 そう思うと、ロビンは暗い喜びを覚えずにはいられないのだ。……もちろん、表に出しはしないが。

 ――愛らしくさえずることはできないけれど、おそば置いてくださる限り、煉獄の炎をも恐れはしない。



「キャサリンお嬢様、こちらはどういたしましょう」
「なあに? ――コマドリ?」

 慌ただしく出立の準備をする屋敷の中で、キャサリンは籐で編まれた小さな鳥籠へと視線をやる。

「はい。いかがいたしましょう」
「貸して。放してあげるわ」

 どこか気の立った声とは裏腹に、繊細な手つきで鳥籠の扉を開ける。するとコマドリはそれを待っていたかのように、しっかりとした羽ばたきで、夕闇の迫る空へと吸い込まれていった。

「はあ……」

 無邪気に羽ばたいて行ったコマドリを見送り、キャサリンはため息をつく。

「どいつもこいつもこちらの気も知らないで、勝手なんだから」

 そう言ってもう一度、深いため息をついた。
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