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女性の労働は出産である。という認識は、ハルにだって少なからずある。けれども一方で、杓子定規に決めつけるのはいいことではないとも思う。それは単なる理想論で、感情論だともわかっている。
ユーリだって、家にいたほうが多少なりとも安全なのは理解しているはずだ。けれども無理に彼女を家に押し込めれば、気鬱な日々を送らせることになるのも間違いはない。そういうことは、ハルたちとしては避けたいところだ。
結局のところ、この議論に絶対に正しい答えというものは存在しない。社会通念的に正しいのは家にいることで、ユーリの気持ちに寄り添った答えを出すならば、彼女を外に出すことが正しいのだろう。
だからユーリも、ハルたち夫も、頭を悩ませる。もどかしく、難しい問題だった。しかしこの世には白黒ハッキリつけられる物事のほうが少ないだろう。だからユーリも、ハルたちも、絶えず考え続けることが重要なのだと思う。
そのうちにどこかの地点で納得したり、妥協したりすることもあるだろう。そういうことを受け入れて、上手く付き合っていくしかないのだ。
事件のあった翌日、ユーリはいつも通りにミカと並んで職場へ向かった。
事件を聞かされたアンジュは、ひとひとりを殺しかねない目で「ちゃんと殴っておいたんですよね?」などとハルに言ったあと、ユーリをいたく心配していた。
ユーリは、警察署でハルとミカに見せた陰鬱な顔を完全に引っ込めて、憤懣やるかたないといった様子のアンジュをなだめていた。ハルたちには弱気な姿を見せたユーリも、最年少の――と言ってもハルとひとつしか歳は違わない――アンジュに対しては、そういう表情をすることがためらわれたのだろう。
そう考えると、ハルは少しだけ優越感に浸れた。ユーリにはもっと甘えて欲しいと思っている。一方、自分がそうするに足る頼り甲斐というものがあるのかどうかについては、「ある」と言い切れないのが悔しいところだ。
この家でユーリがもっとも頼りにしているのは、ミカだろうとハルは思っている。ユーリよりも年上だし、ハルから見ても彼は人間として出来ている。
ユーリの言動に密かに一喜一憂して、やきもきしたり、もどかしく思ったりしている自分とは違う。ハルは、ミカに対して嫉妬を覚えることはしばしばだった。
そんなミカと並び立って家を出るユーリを見送ったあと、ハルは玄関で大きなため息をついた。
アンジュは朝から授業があったが、最終学年ですでに魔法使いの国家資格を取得しているハルの今日の授業は、昼からしか入っていない。
しんと静まり返った広い家にひとりきりでいるのだと思うと、なんだか急に寒々しい気持ちになった。
――これから、この家は騒がしくなるのだろうか? ハルの脳裏にそんな疑念がよぎる。五人の中で一番大騒ぎするのは酒が入ったときのエルンストだろう。他は騒々しさからは遠い性格をしているから、家の中に五人そろっていても、わずらわしいとハルは思ったことがなかった。
だだっ広い家にひとりでいると、もし、ユーリがいなくなったらとついつい後ろ向きなことばかり考えてしまう。
「元の世界に帰れるかもしれない」。たったひとことで収まる噂話に振り回されすぎだとハルは自嘲するが、胸騒ぎは治まらなかった。
ハルはそんな考えを振り払うように、左右にかぶりを振った。日当たりのいいコンサバトリーで本でも読もうと玄関から立ち去る体勢を取る。
しかし――
「たっだいまー!」
背後の玄関扉が勢いよく開き、ハルの背中にひどくご機嫌なエルンストの言葉がぶつかった。
「あれっ? ハルじゃ~ん。学校は?」
「酒くせーぞ、オッサン。学校は昼からだよ」
ミカより三つ年上で、一家では最年長のエルンストは今年で二八歳になる――自称冒険家兼貿易商である。実際のところエルンストがどういった仕事をしているのかハルは知らない。知っているのは酒に目がないことと、五人の家をよく空けて、ふらふらとどこぞをほっつき歩いていることくらいだ。
ミカより年上で、一応職に就いているらしいエルンストであったが、金は家に入れたり入れなかったりとまちまちだ。理由不明で家を長く空けることも珍しくなく、とても甲斐性がある男だとは言い難い。
それでもエルンストがユーリのことを大切に思っていることだけは、わかる。しかしエルンストはいまいちユーリの夫というよりは、ペット枠だ。自由奔放に振舞ってもユーリたちに許されている。
ハルはなんとなくミカには感じている嫉妬心を、エルンストに感じたことはなかった。
「あーそうなの? あ、そうだ。これ」
「……んだよ」
「お土産~♪」
酒が入って最高潮にご機嫌なエルンストから渡されたのは、木彫りの人形だった。しかしなんだか、その人形の顔に彫られた表情は禍々しい。
「また妙なモン買ってきやがって。こんなの買うなら家に金を入れろ」
「ええー? ひどい~。それより~ユーリちゃんは~?」
「ユーリならもうミカと店に行ったぞ。入れ違いだな」
「えええ~?! ショックぅ……」
がっくりと大げさに肩を落とすエルンストを見るハルの目は冷たい。
「じゃあもっとこまめに帰ってこいよ」
「うーん……仕事が忙しくってぇ~……」
「仕事ってなんだよ」
ハルは目を平らにしてエルンストの謎の、その核心に触れた質問をするが、彼はまったく取り合う様子はない。
「ひ・み・つ♡」
「うっぜー……」
エルンストは口が軽そうに見えるが、一度した約束は破らないような律義さがあり、実際に仕事に関しては頑なに詳細を言おうとしない。もしかしたらミカは把握しているかもしれないが、少なくともハルやアンジュ、ユーリは仔細を知らない。
まさか犯罪に手を染めているわけではないだろう。もしそうであれば、ミカなどは絶対にユーリとの結婚を許さなかったはずだ。エルンストはアンジュの次にユーリと結婚したので、夫たちの中では一番の新顔の、四番目の夫だった。
「そうだそうだ。ねえハル知ってる?」
「あ?」
「去年見つかった遺跡の研究が進んで――」
「『元の世界に帰れるかも』って話だろ」
エルンストが自信満々に言い終える前に、ハルは苦虫を噛み潰したような顔で続きの言葉を口にした。
「あれ? もう知ってたんだ?」
「偶然、な」
「ふうん……。……ユーリちゃんは、帰っちゃうのかなあ?」
エルンストの言葉に、ハルは胸の奥がざわざわとするのを感じた。
ユーリだって、家にいたほうが多少なりとも安全なのは理解しているはずだ。けれども無理に彼女を家に押し込めれば、気鬱な日々を送らせることになるのも間違いはない。そういうことは、ハルたちとしては避けたいところだ。
結局のところ、この議論に絶対に正しい答えというものは存在しない。社会通念的に正しいのは家にいることで、ユーリの気持ちに寄り添った答えを出すならば、彼女を外に出すことが正しいのだろう。
だからユーリも、ハルたち夫も、頭を悩ませる。もどかしく、難しい問題だった。しかしこの世には白黒ハッキリつけられる物事のほうが少ないだろう。だからユーリも、ハルたちも、絶えず考え続けることが重要なのだと思う。
そのうちにどこかの地点で納得したり、妥協したりすることもあるだろう。そういうことを受け入れて、上手く付き合っていくしかないのだ。
事件のあった翌日、ユーリはいつも通りにミカと並んで職場へ向かった。
事件を聞かされたアンジュは、ひとひとりを殺しかねない目で「ちゃんと殴っておいたんですよね?」などとハルに言ったあと、ユーリをいたく心配していた。
ユーリは、警察署でハルとミカに見せた陰鬱な顔を完全に引っ込めて、憤懣やるかたないといった様子のアンジュをなだめていた。ハルたちには弱気な姿を見せたユーリも、最年少の――と言ってもハルとひとつしか歳は違わない――アンジュに対しては、そういう表情をすることがためらわれたのだろう。
そう考えると、ハルは少しだけ優越感に浸れた。ユーリにはもっと甘えて欲しいと思っている。一方、自分がそうするに足る頼り甲斐というものがあるのかどうかについては、「ある」と言い切れないのが悔しいところだ。
この家でユーリがもっとも頼りにしているのは、ミカだろうとハルは思っている。ユーリよりも年上だし、ハルから見ても彼は人間として出来ている。
ユーリの言動に密かに一喜一憂して、やきもきしたり、もどかしく思ったりしている自分とは違う。ハルは、ミカに対して嫉妬を覚えることはしばしばだった。
そんなミカと並び立って家を出るユーリを見送ったあと、ハルは玄関で大きなため息をついた。
アンジュは朝から授業があったが、最終学年ですでに魔法使いの国家資格を取得しているハルの今日の授業は、昼からしか入っていない。
しんと静まり返った広い家にひとりきりでいるのだと思うと、なんだか急に寒々しい気持ちになった。
――これから、この家は騒がしくなるのだろうか? ハルの脳裏にそんな疑念がよぎる。五人の中で一番大騒ぎするのは酒が入ったときのエルンストだろう。他は騒々しさからは遠い性格をしているから、家の中に五人そろっていても、わずらわしいとハルは思ったことがなかった。
だだっ広い家にひとりでいると、もし、ユーリがいなくなったらとついつい後ろ向きなことばかり考えてしまう。
「元の世界に帰れるかもしれない」。たったひとことで収まる噂話に振り回されすぎだとハルは自嘲するが、胸騒ぎは治まらなかった。
ハルはそんな考えを振り払うように、左右にかぶりを振った。日当たりのいいコンサバトリーで本でも読もうと玄関から立ち去る体勢を取る。
しかし――
「たっだいまー!」
背後の玄関扉が勢いよく開き、ハルの背中にひどくご機嫌なエルンストの言葉がぶつかった。
「あれっ? ハルじゃ~ん。学校は?」
「酒くせーぞ、オッサン。学校は昼からだよ」
ミカより三つ年上で、一家では最年長のエルンストは今年で二八歳になる――自称冒険家兼貿易商である。実際のところエルンストがどういった仕事をしているのかハルは知らない。知っているのは酒に目がないことと、五人の家をよく空けて、ふらふらとどこぞをほっつき歩いていることくらいだ。
ミカより年上で、一応職に就いているらしいエルンストであったが、金は家に入れたり入れなかったりとまちまちだ。理由不明で家を長く空けることも珍しくなく、とても甲斐性がある男だとは言い難い。
それでもエルンストがユーリのことを大切に思っていることだけは、わかる。しかしエルンストはいまいちユーリの夫というよりは、ペット枠だ。自由奔放に振舞ってもユーリたちに許されている。
ハルはなんとなくミカには感じている嫉妬心を、エルンストに感じたことはなかった。
「あーそうなの? あ、そうだ。これ」
「……んだよ」
「お土産~♪」
酒が入って最高潮にご機嫌なエルンストから渡されたのは、木彫りの人形だった。しかしなんだか、その人形の顔に彫られた表情は禍々しい。
「また妙なモン買ってきやがって。こんなの買うなら家に金を入れろ」
「ええー? ひどい~。それより~ユーリちゃんは~?」
「ユーリならもうミカと店に行ったぞ。入れ違いだな」
「えええ~?! ショックぅ……」
がっくりと大げさに肩を落とすエルンストを見るハルの目は冷たい。
「じゃあもっとこまめに帰ってこいよ」
「うーん……仕事が忙しくってぇ~……」
「仕事ってなんだよ」
ハルは目を平らにしてエルンストの謎の、その核心に触れた質問をするが、彼はまったく取り合う様子はない。
「ひ・み・つ♡」
「うっぜー……」
エルンストは口が軽そうに見えるが、一度した約束は破らないような律義さがあり、実際に仕事に関しては頑なに詳細を言おうとしない。もしかしたらミカは把握しているかもしれないが、少なくともハルやアンジュ、ユーリは仔細を知らない。
まさか犯罪に手を染めているわけではないだろう。もしそうであれば、ミカなどは絶対にユーリとの結婚を許さなかったはずだ。エルンストはアンジュの次にユーリと結婚したので、夫たちの中では一番の新顔の、四番目の夫だった。
「そうだそうだ。ねえハル知ってる?」
「あ?」
「去年見つかった遺跡の研究が進んで――」
「『元の世界に帰れるかも』って話だろ」
エルンストが自信満々に言い終える前に、ハルは苦虫を噛み潰したような顔で続きの言葉を口にした。
「あれ? もう知ってたんだ?」
「偶然、な」
「ふうん……。……ユーリちゃんは、帰っちゃうのかなあ?」
エルンストの言葉に、ハルは胸の奥がざわざわとするのを感じた。
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