13 / 23
(12)
しおりを挟む
ユーリの危機意識が、ハルたちからすると希薄に感じられるのは、彼女が異世界人というのもあるだろうが、ハルたちがせっせと守っているからでもあるだろう。それは誇らしくもあり、もどかしくもあり。しかしユーリには出来る限り、のびのびと生きていて欲しい。それは夫たち四人全員が思うところだ。
だから、ユーリには恐怖や苦痛を感じて欲しくない。そういった悪いものから遠い場所にいて欲しい。それは一種のエゴなのかもしれないが、愛するひとにはそうあって欲しいと望むのは、おかしいことではないだろう。
不審な男の追跡から逃れるように、ハルはわずかに歩幅を大きくする。ハルと手を繋いだ状態のユーリは、わずかに引っ張られるような形になる。けれども彼女はなにも言わなかった。
ユーリには気づかれたくなかったが、ハルがそういう行動を取れば、おのずとその意図を察せるていどには、彼女は頭の血の巡りは悪くない。それでもユーリは不用意に振り返ったりせず、黙ってハルについて行く。
建ち並ぶ建物の向こう側へ、じりじりと太陽が沈んで行くのが見える。ハルたちの足元から伸びる影は、濃く長くなる。
メインストリートへ出てしまえば、路面電車の駅まですぐだ。ひとまずメインストリートに出れば安全だろう。そうハルが目まぐるしく考えを巡らせていたところへ、ユーリが繋いだハルの手を思い切りうしろに引っ張った。
一歩後退し、そこでたたらを踏む。
ユーリのほうへと向く間もなく、先ほどまでハルのいた場所で、なにか棒状のようなものが振りかぶられたのが見えた。
ハルは、自分のものではない舌打ちを聞いた。とっさにユーリを背にかばって、二歩三歩と後退する。
目の前に、男が立っていた。ハルよりも年上に見えたし、長身だったが、やせ型だ。しかし棒状の武器を手にしている。
男が再び武器を振りかぶる。ハルはユーリと繋いでいた手をほどき、棒状の武器を右腕で受け止めた。背後でユーリが息を呑む音や、右腕の骨がきしむ音が聞こえた気がした。
ハルは右腕で受け止めた棒状の武器を、左手でつかんで男から奪おうとする。当然、男は抵抗するが、ハルは武器をつかんだ手を離さない。
男の手が一瞬緩んだところを見逃さず、ハルは左手でつかんだ武器を勢いのまま横に投げ飛ばした。金属製の武器が、レンガ敷きの道路に転がる軽快な音があたりに響き渡る。
今度はハルから攻撃を仕掛けた。男につかみかかって、服の襟ぐりを引き、道路に押し倒そうとする。しかしひょろりとした体型のわりには男の力は強く、ハルは上手く男を押し倒せなかった。身長の差が、ハルには不利に働いた。
だがここであきらめられるわけもなく、そのままハルと男は格闘になった。
当初の形勢は互角だったものの、ハルの若さか、あるいは胸の内に抱く怒りの炎の差か、気がつけばハルは道路で仰向けになった男に、馬乗りになっていた。
無言で殴る。男を殴る。男が、ユーリ目当てにハルを襲ったことは、ハルの中でゆるぎない事実になっていた。それが許せなかった。
もしもユーリがこの目の前の男に害されたら。そう思うと、胸の奥底から無限に怒りが湧いてきた。
「――ハル、ハル! もうやめなさい! 死んでしまいますよ!」
不意に大きな手で肩を揺さぶられて、ハルは意識がゆるゆると現実に戻ってきたのを感じた。
馬乗りになった男の顔は赤黒く腫れ上がっている。ハルの右手の甲は、男の歯が当たったのか、ところどころ切り傷が出来ている。意識が現実へ戻って、じわじわと右手が痛くなってきた。そしてハルもいつの間にやら男から何発か貰っていたらしく、顔の左側に痛みが走る。
ハルの肩を揺さぶったのは、ミカだった。そのうしろには、ローブを目深にかぶったユーリが立っている。そして周囲には男ばかりの野次馬が集まっていた。
「ミカ……」
「我に返ったようですね?」
「……ああ」
ほっとした表情で微笑むミカを見て、ハルは決まりが悪い思いをする。ユーリを守るためとは言えど、怒りに身を任せて相手を殴りつけてしまった。ハルは内心で「ガキかよ」と自身に向かって舌打ちをした。
「ひとまずその男から離れましょう」
「……警察は?」
「もう呼んでいますよ」
「ユーリは――」
「ひとを使って私を呼んでくれたんです」
ハルが男との格闘に意識を取られているあいだに、ユーリは近隣に助けを求め、そこからミカの店へ電話をし、彼を呼び寄せたらしい。それがそのときのユーリが出来る最善手だっただろうということは頭で理解していたが、助けを求めた先でなにかあったらと思うと、ハルは胸の奥がざわざわした。
「手当をしてあげたいところですが――警察へ行くのが先のようですね」
制服に身を包んだ警官がふたり、野次馬の輪を押しのけて、こちらに駆けてくるのが見えた。
まだ男を殴りつけていたときの興奮が治まらないハルは、やってきた警官にミカがてきぱきと説明をしているところを、ぼんやりと眺めることしか出来なかった。
「ハル……怪我……」
「……これくらい、どうってことない。オレは警察に行かなきゃなんねーから。お前はちゃんとミカといっしょにいろよ」
ハルはバツが悪くてユーリの顔を見ることができなかった。それでも精一杯、優しい声でユーリに言い聞かせる。
ハルの口調がぶっきらぼうなことは、ユーリはとっくに承知している。けれどもこうやって、正当防衛と言えども他人に暴力を振るう――振るえる姿を見られたのは、今のハルにとってはなんだかきまりが悪かった。
逃げるように空へ目を向ければ、紺と橙のグラデーションの上に星々がまたたいている。
夜はもう、すぐそこまできていた。
だから、ユーリには恐怖や苦痛を感じて欲しくない。そういった悪いものから遠い場所にいて欲しい。それは一種のエゴなのかもしれないが、愛するひとにはそうあって欲しいと望むのは、おかしいことではないだろう。
不審な男の追跡から逃れるように、ハルはわずかに歩幅を大きくする。ハルと手を繋いだ状態のユーリは、わずかに引っ張られるような形になる。けれども彼女はなにも言わなかった。
ユーリには気づかれたくなかったが、ハルがそういう行動を取れば、おのずとその意図を察せるていどには、彼女は頭の血の巡りは悪くない。それでもユーリは不用意に振り返ったりせず、黙ってハルについて行く。
建ち並ぶ建物の向こう側へ、じりじりと太陽が沈んで行くのが見える。ハルたちの足元から伸びる影は、濃く長くなる。
メインストリートへ出てしまえば、路面電車の駅まですぐだ。ひとまずメインストリートに出れば安全だろう。そうハルが目まぐるしく考えを巡らせていたところへ、ユーリが繋いだハルの手を思い切りうしろに引っ張った。
一歩後退し、そこでたたらを踏む。
ユーリのほうへと向く間もなく、先ほどまでハルのいた場所で、なにか棒状のようなものが振りかぶられたのが見えた。
ハルは、自分のものではない舌打ちを聞いた。とっさにユーリを背にかばって、二歩三歩と後退する。
目の前に、男が立っていた。ハルよりも年上に見えたし、長身だったが、やせ型だ。しかし棒状の武器を手にしている。
男が再び武器を振りかぶる。ハルはユーリと繋いでいた手をほどき、棒状の武器を右腕で受け止めた。背後でユーリが息を呑む音や、右腕の骨がきしむ音が聞こえた気がした。
ハルは右腕で受け止めた棒状の武器を、左手でつかんで男から奪おうとする。当然、男は抵抗するが、ハルは武器をつかんだ手を離さない。
男の手が一瞬緩んだところを見逃さず、ハルは左手でつかんだ武器を勢いのまま横に投げ飛ばした。金属製の武器が、レンガ敷きの道路に転がる軽快な音があたりに響き渡る。
今度はハルから攻撃を仕掛けた。男につかみかかって、服の襟ぐりを引き、道路に押し倒そうとする。しかしひょろりとした体型のわりには男の力は強く、ハルは上手く男を押し倒せなかった。身長の差が、ハルには不利に働いた。
だがここであきらめられるわけもなく、そのままハルと男は格闘になった。
当初の形勢は互角だったものの、ハルの若さか、あるいは胸の内に抱く怒りの炎の差か、気がつけばハルは道路で仰向けになった男に、馬乗りになっていた。
無言で殴る。男を殴る。男が、ユーリ目当てにハルを襲ったことは、ハルの中でゆるぎない事実になっていた。それが許せなかった。
もしもユーリがこの目の前の男に害されたら。そう思うと、胸の奥底から無限に怒りが湧いてきた。
「――ハル、ハル! もうやめなさい! 死んでしまいますよ!」
不意に大きな手で肩を揺さぶられて、ハルは意識がゆるゆると現実に戻ってきたのを感じた。
馬乗りになった男の顔は赤黒く腫れ上がっている。ハルの右手の甲は、男の歯が当たったのか、ところどころ切り傷が出来ている。意識が現実へ戻って、じわじわと右手が痛くなってきた。そしてハルもいつの間にやら男から何発か貰っていたらしく、顔の左側に痛みが走る。
ハルの肩を揺さぶったのは、ミカだった。そのうしろには、ローブを目深にかぶったユーリが立っている。そして周囲には男ばかりの野次馬が集まっていた。
「ミカ……」
「我に返ったようですね?」
「……ああ」
ほっとした表情で微笑むミカを見て、ハルは決まりが悪い思いをする。ユーリを守るためとは言えど、怒りに身を任せて相手を殴りつけてしまった。ハルは内心で「ガキかよ」と自身に向かって舌打ちをした。
「ひとまずその男から離れましょう」
「……警察は?」
「もう呼んでいますよ」
「ユーリは――」
「ひとを使って私を呼んでくれたんです」
ハルが男との格闘に意識を取られているあいだに、ユーリは近隣に助けを求め、そこからミカの店へ電話をし、彼を呼び寄せたらしい。それがそのときのユーリが出来る最善手だっただろうということは頭で理解していたが、助けを求めた先でなにかあったらと思うと、ハルは胸の奥がざわざわした。
「手当をしてあげたいところですが――警察へ行くのが先のようですね」
制服に身を包んだ警官がふたり、野次馬の輪を押しのけて、こちらに駆けてくるのが見えた。
まだ男を殴りつけていたときの興奮が治まらないハルは、やってきた警官にミカがてきぱきと説明をしているところを、ぼんやりと眺めることしか出来なかった。
「ハル……怪我……」
「……これくらい、どうってことない。オレは警察に行かなきゃなんねーから。お前はちゃんとミカといっしょにいろよ」
ハルはバツが悪くてユーリの顔を見ることができなかった。それでも精一杯、優しい声でユーリに言い聞かせる。
ハルの口調がぶっきらぼうなことは、ユーリはとっくに承知している。けれどもこうやって、正当防衛と言えども他人に暴力を振るう――振るえる姿を見られたのは、今のハルにとってはなんだかきまりが悪かった。
逃げるように空へ目を向ければ、紺と橙のグラデーションの上に星々がまたたいている。
夜はもう、すぐそこまできていた。
0
お気に入りに追加
92
あなたにおすすめの小説

異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。
sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。
目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。
「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」
これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。
なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。

【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?
歩く魚
ファンタジー
幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。
それから数十年が経ち、気づけば38歳。
のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。
しかしーー
「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」
突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。
これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。
※書籍化のため更新をストップします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる