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「まさかアンタが結婚だなんてねえ……よくやったじゃないか、クソガキ」
「うるせーババア」
ハルが自身の保護者であるゾーイーの屋敷に顔を出せば、すでにどこからか話を聞きつけていたらしい彼女は、そう言って快活に笑った。
ハルのことを「クソガキ」と呼んでいることからもわかる通り、ゾーイーは彼から「ババア」などと言われても屁でもない女傑である。
御歳七〇を数えるゾーイーは、男女、血縁を問わず、あまたの子供たちを育て上げてきた魔女でもある。実際に、ハルもゾーイーと血縁関係はないが――少々乱暴ではあるものの――血の通った扱いを受けている。
スラムでくすぶっていたハルを見出し、最低限の礼儀と常識と魔法の使い方を叩き込んで、学園に突っ込んだのがゾーイーなのだ。染みついた育ちと、生来からの気質のせいでゾーイーを「ババア」などと言ってはいるものの、ハルは彼女に多大な恩義を感じている。だからこうして彼女の屋敷に結婚の報告をしに来た次第であった。
加えて、先ごろハルが起こした暴力沙汰を「片付けた」のもゾーイーだ。ゾーイーは女だてらに魔法使いとしても大成した、類いまれなる偉人でもあるのだ。権力とはこういうときに使うのだなと、ハルは感心半分、恐怖半分で事の成り行きを見守ることしかさせてもらえなかった。
「にしてもこの前までただのクソガキだと思っていれば、女助けて結婚までするなんてガキの成長ってのは早いねえ」
「時間が過ぎるのが速く感じられるのはババアだからだろ」
「その減らず口も治ればもう少しは可愛げが出るんだけどねえ」
「オレが可愛くなっても意味ねえだろ」
「おや、愛嬌ってのはどこへ行っても役に立つってもんだよ」
「チッ」
「それで、女の話はしてくれないのかい?」
真っ赤な口紅を引いた唇の端を持ち上げてにやつくゾーイーの顔を見ていると、ハルは屋敷に顔を出したことを少し後悔した。
「……しなくても、アンタならわかるだろ」
「ほう? じゃあ話したくなるような質問でもしようかね」
「はあ?」
「襲われた女を助けたらしいけど、その女が嘘をついているとは一瞬でも考えなかったのかい?」
ハルは舌打ちをした。たしかにゾーイーのそれは、ハルからなにか言いたくなるような言葉選びだった。
ハルはワインレッドのソファにだらしなく腰を下ろして背を預けていたが、上半身を起こして居住まいをただし、ゾーイーを見据えた。
「あいつがくだらねー嘘つくとか考えるのは、あいつのことを知らねーやつの考えだ」
「おやおや。お熱いことで」
「それに、証拠なんて魔法でいくらでも見つけられるだろ。あいつはこの世界の人間じゃねえが、それくらい知ってる。バカじゃねえ」
「アンタがその女に心底惚れているのはよくわかったよ、クソガキ」
「うるせーババア」
にたにたと笑うゾーイーを見て、ハルは気恥ずかしい気持ちが隠すように言う。
「ところで、惚れた女の前でもその調子じゃないだろうねえ?」
しかしゾーイーにそう言われてしまうと、今度は返す言葉がない。事実、ハルはユーリに対してもぶっきらぼうな物言いを改めていなかったし、そもそも簡単に改められるならとっくの昔にそうしている。ハルがそうやって口をつぐめば、ゾーイーから呆れたようなため息が返ってくる。
「そんなんじゃ愛想尽かされちまうよ」
「うるせえよ。……わかってるっつーの」
「ハル」
不意にゾーイーから名前を呼ばれたので、ハルはすねたようにそらしていた視線を元に戻した。
「……ちゃんと幸せになって、幸せにしてやりな。でないと承知しないよ」
「……わかってる」
「孫の顔見せろとは言わないからさ」
「オレに子供できてもアンタの孫じゃねーだろ、ババア」
「孫みたいなもんだろ?」
「ちげーよ」
しんみりとした空気になったのは一瞬で、結局いつもの打ち合うようなやり取りが戻ってくる。
「それで、アンタと結婚してやろうって言う物好きの話はいつしてくれるんだい?」
「……オレが結婚してやるんだよ」
「そうかいそうかい。こりゃすぐ逃げられるねえ」
「縁起の悪いこと言うんじゃねえ!」
「ああ、逃げられないってわかっていて結婚するのかい?」
「あん?」
「その女、聞くところによると異世界人なんだろう? 逃げ帰る場所なんてないさね。――でも、もし元の世界に帰れることになったら……アンタはどうするんだい?」
ハルは、言葉に詰まった。
ユーリが異世界人であることは承知の上だ。けれども、今のところ、彼女が元の世界に帰れる可能性はほとんどない。しかしそれは結局「今のところ」の話で、「ほとんどない」とは言っても、可能性の話をすれば、帰れる可能性はたとえほんの少しだとしても、依然として「ある」のだ。
もし――ユーリが元の世界へ帰れる方法が見つかったときに、「帰る」という選択を取ったとすれば、ハルはどうするのか。ゾーイーはそれを問うているのだ。
「……そんなの、そのときになってみなきゃわかんねーよ」
「アンタ……一〇〇点満点で八点の答えだよ、そりゃ」
「はああ?! じゃあなんて言えばよかったんだよ?!」
「それはアタシが教えるもんじゃあないね」
「はああああ?!」
ハルは、納得が行かなかった。ハルからすれば「そのときにならないとわからない」という答えは当然のものだったからだ。ユーリが元の世界へ帰れるということになったとき、ハルとの関係がどのようなものになっているかは、だれにもわからないのだから。
たとえば今すぐの場合、結婚して五年経ってからの場合、じいさんばあさんになっていたときの場合……それぞれの場合によって、出せるベストの答えは違う。少なくとも、ハルにとってはそうだ。
けれどもゾーイーにとって、ハルの答えは満足が行くものではなかったらしく、彼女は真っ赤な唇をへの字に曲げて大きなため息をついた。
「こりゃ結婚する女の苦労がしのばれるねえ」
「わけわかんねーこと言ってんじゃねえぞ、クソババア……」
「少なくとも、アンタよか結婚がどういうものかアタシは知ってるよ、クソガキ」
今さらながらにハルは、ゾーイーに口では勝てないことを悟る。当たり前だ。積んできた人生経験の差がモロに出ている。そして、ゾーイーの言っていることは正しい。ゾーイーは今でも七人の夫と上手いことやっているのだから、それぞれに結婚の形があると言えど、結婚を語らせてハルが勝てるはずもないのであった。
「まあ、理由はどうあれ、クソガキが結婚を真面目に考えるようになったのは、大きな進歩さね」
ハルは、「女なんて」と思っていたクチだ。だからずっと「結婚なんて」と思っていた。女は面倒くさい生き物で、結婚も面倒くさいことしか生まれないものだと思っていた。
それを飛び越えてきたのが、ほかでもないユーリだ。あのとき、ユーリを前にして「結婚しろ」という言葉が自然と出てきて、きっと一番おどろいたのはハルだ。
けれども「ユーリと結婚する」という未来を思い描いたとき、腑に落ちるという感覚があった。開いていた穴にぴたりと収まったような、探していたパズルピースがやっと見つかったかのような。
ユーリのことは、大切な存在だと思っている。でもだからこそ、彼女が元の世界へ帰れるかもしれないとなったときに、ハルが出せる答えは状況によって様々に変わるとしか思えなかった。
ゾーイーの反応には腑に落ちないものを感じたまま、ハルはご祝儀を握らされて「女を待たせるんじゃないよ」と言われ、追い立てられるように屋敷から帰されたのであった。
「うるせーババア」
ハルが自身の保護者であるゾーイーの屋敷に顔を出せば、すでにどこからか話を聞きつけていたらしい彼女は、そう言って快活に笑った。
ハルのことを「クソガキ」と呼んでいることからもわかる通り、ゾーイーは彼から「ババア」などと言われても屁でもない女傑である。
御歳七〇を数えるゾーイーは、男女、血縁を問わず、あまたの子供たちを育て上げてきた魔女でもある。実際に、ハルもゾーイーと血縁関係はないが――少々乱暴ではあるものの――血の通った扱いを受けている。
スラムでくすぶっていたハルを見出し、最低限の礼儀と常識と魔法の使い方を叩き込んで、学園に突っ込んだのがゾーイーなのだ。染みついた育ちと、生来からの気質のせいでゾーイーを「ババア」などと言ってはいるものの、ハルは彼女に多大な恩義を感じている。だからこうして彼女の屋敷に結婚の報告をしに来た次第であった。
加えて、先ごろハルが起こした暴力沙汰を「片付けた」のもゾーイーだ。ゾーイーは女だてらに魔法使いとしても大成した、類いまれなる偉人でもあるのだ。権力とはこういうときに使うのだなと、ハルは感心半分、恐怖半分で事の成り行きを見守ることしかさせてもらえなかった。
「にしてもこの前までただのクソガキだと思っていれば、女助けて結婚までするなんてガキの成長ってのは早いねえ」
「時間が過ぎるのが速く感じられるのはババアだからだろ」
「その減らず口も治ればもう少しは可愛げが出るんだけどねえ」
「オレが可愛くなっても意味ねえだろ」
「おや、愛嬌ってのはどこへ行っても役に立つってもんだよ」
「チッ」
「それで、女の話はしてくれないのかい?」
真っ赤な口紅を引いた唇の端を持ち上げてにやつくゾーイーの顔を見ていると、ハルは屋敷に顔を出したことを少し後悔した。
「……しなくても、アンタならわかるだろ」
「ほう? じゃあ話したくなるような質問でもしようかね」
「はあ?」
「襲われた女を助けたらしいけど、その女が嘘をついているとは一瞬でも考えなかったのかい?」
ハルは舌打ちをした。たしかにゾーイーのそれは、ハルからなにか言いたくなるような言葉選びだった。
ハルはワインレッドのソファにだらしなく腰を下ろして背を預けていたが、上半身を起こして居住まいをただし、ゾーイーを見据えた。
「あいつがくだらねー嘘つくとか考えるのは、あいつのことを知らねーやつの考えだ」
「おやおや。お熱いことで」
「それに、証拠なんて魔法でいくらでも見つけられるだろ。あいつはこの世界の人間じゃねえが、それくらい知ってる。バカじゃねえ」
「アンタがその女に心底惚れているのはよくわかったよ、クソガキ」
「うるせーババア」
にたにたと笑うゾーイーを見て、ハルは気恥ずかしい気持ちが隠すように言う。
「ところで、惚れた女の前でもその調子じゃないだろうねえ?」
しかしゾーイーにそう言われてしまうと、今度は返す言葉がない。事実、ハルはユーリに対してもぶっきらぼうな物言いを改めていなかったし、そもそも簡単に改められるならとっくの昔にそうしている。ハルがそうやって口をつぐめば、ゾーイーから呆れたようなため息が返ってくる。
「そんなんじゃ愛想尽かされちまうよ」
「うるせえよ。……わかってるっつーの」
「ハル」
不意にゾーイーから名前を呼ばれたので、ハルはすねたようにそらしていた視線を元に戻した。
「……ちゃんと幸せになって、幸せにしてやりな。でないと承知しないよ」
「……わかってる」
「孫の顔見せろとは言わないからさ」
「オレに子供できてもアンタの孫じゃねーだろ、ババア」
「孫みたいなもんだろ?」
「ちげーよ」
しんみりとした空気になったのは一瞬で、結局いつもの打ち合うようなやり取りが戻ってくる。
「それで、アンタと結婚してやろうって言う物好きの話はいつしてくれるんだい?」
「……オレが結婚してやるんだよ」
「そうかいそうかい。こりゃすぐ逃げられるねえ」
「縁起の悪いこと言うんじゃねえ!」
「ああ、逃げられないってわかっていて結婚するのかい?」
「あん?」
「その女、聞くところによると異世界人なんだろう? 逃げ帰る場所なんてないさね。――でも、もし元の世界に帰れることになったら……アンタはどうするんだい?」
ハルは、言葉に詰まった。
ユーリが異世界人であることは承知の上だ。けれども、今のところ、彼女が元の世界に帰れる可能性はほとんどない。しかしそれは結局「今のところ」の話で、「ほとんどない」とは言っても、可能性の話をすれば、帰れる可能性はたとえほんの少しだとしても、依然として「ある」のだ。
もし――ユーリが元の世界へ帰れる方法が見つかったときに、「帰る」という選択を取ったとすれば、ハルはどうするのか。ゾーイーはそれを問うているのだ。
「……そんなの、そのときになってみなきゃわかんねーよ」
「アンタ……一〇〇点満点で八点の答えだよ、そりゃ」
「はああ?! じゃあなんて言えばよかったんだよ?!」
「それはアタシが教えるもんじゃあないね」
「はああああ?!」
ハルは、納得が行かなかった。ハルからすれば「そのときにならないとわからない」という答えは当然のものだったからだ。ユーリが元の世界へ帰れるということになったとき、ハルとの関係がどのようなものになっているかは、だれにもわからないのだから。
たとえば今すぐの場合、結婚して五年経ってからの場合、じいさんばあさんになっていたときの場合……それぞれの場合によって、出せるベストの答えは違う。少なくとも、ハルにとってはそうだ。
けれどもゾーイーにとって、ハルの答えは満足が行くものではなかったらしく、彼女は真っ赤な唇をへの字に曲げて大きなため息をついた。
「こりゃ結婚する女の苦労がしのばれるねえ」
「わけわかんねーこと言ってんじゃねえぞ、クソババア……」
「少なくとも、アンタよか結婚がどういうものかアタシは知ってるよ、クソガキ」
今さらながらにハルは、ゾーイーに口では勝てないことを悟る。当たり前だ。積んできた人生経験の差がモロに出ている。そして、ゾーイーの言っていることは正しい。ゾーイーは今でも七人の夫と上手いことやっているのだから、それぞれに結婚の形があると言えど、結婚を語らせてハルが勝てるはずもないのであった。
「まあ、理由はどうあれ、クソガキが結婚を真面目に考えるようになったのは、大きな進歩さね」
ハルは、「女なんて」と思っていたクチだ。だからずっと「結婚なんて」と思っていた。女は面倒くさい生き物で、結婚も面倒くさいことしか生まれないものだと思っていた。
それを飛び越えてきたのが、ほかでもないユーリだ。あのとき、ユーリを前にして「結婚しろ」という言葉が自然と出てきて、きっと一番おどろいたのはハルだ。
けれども「ユーリと結婚する」という未来を思い描いたとき、腑に落ちるという感覚があった。開いていた穴にぴたりと収まったような、探していたパズルピースがやっと見つかったかのような。
ユーリのことは、大切な存在だと思っている。でもだからこそ、彼女が元の世界へ帰れるかもしれないとなったときに、ハルが出せる答えは状況によって様々に変わるとしか思えなかった。
ゾーイーの反応には腑に落ちないものを感じたまま、ハルはご祝儀を握らされて「女を待たせるんじゃないよ」と言われ、追い立てられるように屋敷から帰されたのであった。
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