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 四郎によって「蹂躙」された恋人たちに腰を抜かしつつ、土師美園は、まさにほうほうのていで場を去って行った。

「警察が来る前に逃げるぞ」

 四郎にそう促され、朔良はハッと我に返り、そばにいた千世の手を取った。

 そうしてまばらな野次馬が集まりつつあったホテルのラウンジから、四郎の背を追って脱出を果たした。

「はあ……土岐さん」
「なんだ。礼はいらんぞ」
「いえ、あなたがなにを思ってこんな行動に出たかはわかりませんが……もっと穏便にできなかったんですか? それに千世まで巻き込んで……」

 ホテルからそう遠くはない緑地公園のベンチに並んで腰を下ろした朔良は、ため息が止まらなかった。

 千世は、そんな朔良を心配そうな目で見る。

「彼女を連れてきたのは、いざというときに言い訳ができるからだ」

 四郎が笑顔と共にぬけぬけと言い放った言葉を聞いて、朔良はため息と共に目玉が飛び出そうだった。

 要は、万が一暴力沙汰になっても――実際なってしまったが――千世がいれば「彼女を守るためだった」という言い訳が立つ。つまりは、そういうことなのだろうと朔良はすぐに理解し、ため息をついた。

 朔良は爽やかな笑顔を浮かべる四郎を、腹立たしくにらみつけては見たものの、土岐四郎という男がそのていどで怯んだり、反省したりするわけがないのであった。

「それから」
「……まだなにか?」
「彼女が――暗い顔をしていた。動く理由は、それだけで足りるのではないか?」

 「彼女」とは、言うまでもなく千世のことだ。

 朔良は、四郎の口から出てきた言葉に、わずかに目を瞠った。

 まさかそんな殊勝な言葉が、他でもない土岐四郎という男の口から出てくるとは思わなかったからだ。

 朔良は四郎にも、案外と心境の変化などがあったのかもしれないと思った。

 そのきっかけは、さっぱりわからなかったが。

「それに、あの女――名前は忘れたが――とんでもない女だぞ」
「……土師美園さんです」
「まあ、あの女の名前なんぞどうでもいい。宮城、あいつはとんでもなくタチの悪い女だ」

 四郎曰く、土師美園は無理矢理に男に関係を迫っては、飽きればゴミのように捨てるという、たしかにそれを聞いただけでもタチの悪さが伝わってくる女性のようだった。

「復縁を迫ろうとしたり、抗議したりすれば逆に『乱暴された』などと訴える始末だ。社会的に殺すか金をむしり取るが、その両方か……。あの女の父親が甘やかした結果がそれだ。『あの親にしてこの娘あり』というような父娘おやこなんだ。まあそういう女に群がるのだから、あの取り巻きたちもタチの悪い連中ばかりだろう」
「……やけに詳しいですね」

 朔良からすると、四郎はそういった有象無象の出来事に興味はないだろうという認識だった。

「一度、本家うちも巻き込んでの大騒動になったからだ。家長の母がカンカンになって大変だった」

 そのときのことを思い出したのか、四郎の顔から爽やかな笑みが消える。

 しかし次の瞬間にはまた、好青年にしか見えない笑顔が戻る。

「――今回のことは母の耳に入れておく。あれらは未だに母を恐れているからな。母の出方によっては、世の中が少し平和になるだろう」
「……ありがとうございます。そうしてくれると、助かります」
「まあ、お礼参りに現れてくれても、それはそれで楽しめそうだが――」

 朔良は、一瞬だけ四郎を見直したことを後悔した。土岐四郎は、土岐四郎だった。

 朔良がもう何度目かわからないため息をつくと、ぽす、と後頭部になにかが当たった。

 左隣に視線を向ければ、千世がこちらに腕を伸ばしているのがわかる。朔良の後頭部に当たったのは、千世の指先だった。

 千世は心配そうな顔と、どこか真剣な色を帯びた目を朔良に向けたまま、手を動かす。

 よしよし、と朔良をなだめるように、いたわるように、撫でてくれる。

 朔良は家ではなく外で千世がこのような行動に出るとは思わなかったので、ほんの少しだけ気恥ずかしさを感じる。

 けれども、千世のいたわりはうれしかった。

「宮城をねぎらっているのか」

 四郎は、千世に撫でられる朔良を興味深そうに見る。

 そして、

「俺のことは撫でてくれないのか」

 と言い出したので、朔良はまた目を剥きそうになった。

 千世の戸惑いが、彼女の指から朔良に伝わる。

「あの、土岐さんには感謝してます。でも、その、あの……朔良さんが、土岐さんを撫でてもいいって言うなら」

 そして千世も千世で、混乱しているのかそんなことを口走る。

「それは……」とさすがの朔良も口ごもれば、四郎が不満そうな顔をした。

「俺も頑張ったぞ」
「……千世に撫でさせるには、土岐さんは『狂犬』すぎます」
「のべつまくなしに噛みつくとでも?」
「『忠犬』になったら、いいですよ」
「ふうん……」

 四郎は朔良の言葉になにか思うところがあったのか、それ以上千世に「頭を撫でろ」とゆすることはなかった。
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