この三人交際にマニュアルは存在しない。

やなぎ怜

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「土岐さんは……変わったひとだと、思います」
「うん。……まあ、一般人とは言えないかもね」

 千世の正直な評に、朔良は困ったように笑うことしかできない。

 千世はそんな朔良を見つめる。その瞳はまだ困惑の色を帯びているように見えた。

 そして、どこか恐れも。

「……千世が感じたことを、感じたままに正直に話してごらん。私は絶対に怒ったりしないから」

 千世が心のどこかで朔良から叱られないかを恐れているように感じられたので、そう付け加えて話を促す。

 千世は、わずかにためらいを見せつつも、再び口を開いた。

「身を守るためだったけど、暴力を振るったこと……なんとなく、うしろめたくて、苦しかった」
「うん……」
「でも土岐さんは『素敵だ』って言った。……もちろん、今でも暴力を振るうことはダメだと思う。でも、土岐さんの言葉でなんだか……少し心が軽くなって。世の中には、色んな……なんていうのかな、感じ方があるんだって思えて」

 千世はたどたどしい口調で一生懸命に己の中にある、言語化の難しい感情について語っているように、朔良には見えた。

 また朔良には、千世の瞳がかすかにきらめいているように見えた。

 それは単に天井につけられた電灯の光が反射しているだけでなく――希望の光を見出したように、朔良には見えた。

 同時に、朔良は自分の不甲斐なさを痛感する。

 千世の罪悪感がこれほどまで強いとは朔良は考えておらず、それをすくい取れなかった自分に少しだけ失望した。

「千世が身につけた技能は、悪ではないよ。問題はどう使うかで」
「うん……」
「護衛官の彼が刺されたのも、千世のせいじゃない。……でも、こう言っても自分で納得できないと苦しいままだよね」
「朔良さんが、気にすることじゃないです」
「でも、私が気づくべきだった――というか、私が気づきたかったんだ」

 朔良が「これは私のワガママ」と付け加えると、千世は目をぱちぱちと瞬かせた。

 そのあと、千世はふるふると頭を左右にゆるく振った。

「わたしが、隠していたから。隠しごとをしていてごめんなさい……」
「千世が謝ることじゃないよ」
「でも……なんだかいけないことのような気がして」
「だれにだって親しい相手にだって隠したいことのひとつやふたつはある」

 朔良はなだめるような手つきで、千世の頭を撫でた。

 千世は朔良のその行為を享受し、目を細める。

「……暴力はよくないことです」
「うん。そうだね」
「でも、それがわたしの唯一の取り柄で……お父さんが褒めてくれたものだったから」

 朔良は千世の言葉を聞いて、悲しい気持ちになった。

 千世の生い立ちや、父親から受けてきた抑圧。それらを思うと胸が締めつけられるような気持ちになる。

「土岐さんの暴力を、わたしはきれいだと思ってしまった。すごいと、思ってしまったんです。――だから、土岐さんとお話しすれば、わたしの中でなにか……答えとか、今わたしの中にない、そういうものが出てくるかもって思って。……なにがかはわからないんですけど」
「……大丈夫だよ。答えなら、ゆっくり出せばいい。早く出るのがいいものとは限らないんだから」

 朔良はもう一度、千世の頭をゆるゆると撫でた。

「言ってくれてありがとう。千世の気持ちを知れてよかった」
「そう、ですか?」
「……ああ。隠しておきたかったことを言ってくれたのは、素直にうれしい。あ、でも言いたくないことは私が相手でも、無理に言わなくてもいいんだよ。ただ、千世がひとりで苦しんでいたりするのは、私としては悲しいかな。そういうときは、相談して欲しい」

 千世の瞳が、不安げに揺れる。

「じゃあ、朔良さんが困っているときは、わたしが相談に乗ります」
「ありがとう。うれしいよ」
「朔良さんが、わたしに言いたいこととかは、いつでも聞きます。……わたしで頼りになるかは、わかりませんけど……」

 眉を下げる千世を見て、朔良は微笑をこぼした。

 なんとも健気で、いじらしい。

 もちろん、千世はそれだけの――か弱いだけの人間ではないのだが。

「――じゃあ、ひとつ聞いてくれる?」
「! はい」
「千世が、土岐さんに『また会いたい』って言ったとき、嫉妬したんだ。もちろん土岐さんにね」

 千世はきょとんとした顔になる。

 まったく予想していなかった言葉がきたせいで、上手く呑み込めなかったらしい。

 それでも朔良は、言葉を続けた。

「千世の意思を尊重したのは、本当。もし千世が土岐さんと結婚したいって言うなら、異論はない」
「……それは、その、気が早すぎるというか……飛躍? していませんか」
「そうだね。でも、そういう未来はあり得るかもしれない。……私は、それに嫉妬してしまったんだ」

 千世は朔良に戸惑いの目を向ける。

 しかしやがて、おもむろに手のひらを朔良のほうへと向けて、恐る恐る腕を伸ばした。

 千世の小さな手が、朔良の側頭部から頭頂部にかけて、触れる。

「えっと……正直に言ってくれて、ありがとうございます」

 そのまま、つたない手つきで千世は朔良の頭を撫でた。

 朔良は千世を褒めるときに頭を撫でることがある。

 今の千世は、それを真似ているのだろう。

 きっと、朔良にそうされてうれしかったから、自分もそうしたのだ。

 朔良は千世が撫でやすいように、わずかに頭を落とした。

 千世はそんな朔良を、何度もよしよしと撫でた。

「わたしは……嫉妬とか、まだよくわからないけど」
「そっか。……そのうちわかるかもね」

 朔良はなんとなくの面映ゆさに目を細めて、千世を見る。

「こうして……また撫でてくれるかい?」

 朔良の言葉に、千世は「うん」と答えた。
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