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七瀬から瓜生千世と――ついでに元担当官で現恋人の宮城朔良について聞いてから一週間。
偶然にも四郎は七瀬と共にいる千世を見つけた。もちろん、女性保護局が入っているビル内部でのことである。
それは本当に偶然だった。四郎が警護の仕事を終えて引き上げてきたところに、ちょうど千世を連れた七瀬を見つけた。
本当に偶然だったが、七瀬はそうは思わなかったらしい。
露骨にぎょっとおどろいた顔をしたかと思うと、わざとらしく視線をそらして、隣にいる千世を促して早足になった。
四郎は、七瀬が腹芸などできそうにない人間だということを理解しつつあったが、これもまた「どうでもいい」事柄ではあった。
それよりも、瓜生千世である。
四郎は長いコンパスを思い切り有効活用して、素早く七瀬と千世の前に立ちふさがった。
もちろん、人好きのする笑顔は忘れない。
だが四郎がいくら好青年のごとき笑顔を浮かべたとて、その本性をすでに知っている七瀬には、薄ら寒い笑みにしか映らない。
四郎は千世を見た。四郎より断然低い身長だったが、貧相という印象は抱けない。
千世を直接見て、四郎は己の中にまだ彼女に対する興味が尽きていないことを確認する。
四郎は、案外と理性的に、時間が経てば瓜生千世への興味は薄れるかとも考えてはいた。
しかし今日、千世を前にして、やはり彼女のことをもっと知りたいという好奇心がかき立てられるのを感じた。
「久しいな」
「お久しぶりです……?」
四郎が言うほど、千世の豪胆な計画と大捕り物から久しい時間は経っていなかったが、千世は律儀に返してくれる。明らかに、疑問符つきの口調ではあったが。
「……千世さん、返事しなくていいですよ」
七瀬は、あからさまに四郎を警戒している目で見る。ついでに視線で威嚇もしてくる。
しかし悲しいことに、四郎にはまったく通用しない。
四郎からすれば、今の七瀬なんて毛を一生懸命逆立てている子猫のようなものだった。
一方の千世は、戸惑うように七瀬と四郎の顔へ視線をさまよわせている。
その行動はどこか、親とはぐれて迷子になったおさなごのようにも見える。
「待ち伏せですか?」
「まったくの偶然だ」
「……ついてないですね」
「ああ、そうだな。俺はどうやらついている」
七瀬は頭が痛そうな顔をする。
一方の千世は、七瀬と四郎の会話が上手く呑み込めなかったのか、不思議そうな顔をしてふたりを見上げていた。
四郎には、千世の焦げ茶色の瞳はまったくの無垢に見えた。
千世は今年で一九を迎えるそうだが、仕草や、どこかたどたどしい口調を聞くと、とてもそうとは思えない。
見た目は一九歳にしては表情が少し幼い気がするていどだが、少し話してみただけでも、もっと歳下を相手にしているような錯覚をする。
千世の半生を思えば、年齢よりも言動やその思考が、幼く感じられるのも無理はない。
肉体は同年代の女性よりもかなり鍛えられてはいたものの、精神のほうは実の父から受けた「訓練」のせいもあって、もしかしたら止まったままか、非常に緩やかにしか発達しなかったのだろう。
四郎は、そこまで考えて、己が瓜生千世という人間の内面について推察を行っていることに、少しだけおどろいた。
四郎は、人間を「強い」か、「強くない」かで判断するところがある。
これから殴る人間がどういう性格をしているかについて、考えたことはなかった。
相手が社会常識に照らし合わせて、「悪いやつ」であるかどうかについては勘案することはあっても、その「悪いやつ」がどういう生い立ちで、どういう動機があって「悪いやつ」になったのかなんて、考えない。
そして「殴る殴らない」の範疇に入らない人間に対しても、そのスタンスは変わらない――はずだった。
四郎は、まだ文句を言ってくる七瀬を無視し、おもむろに千世へと手を伸ばした。
そのまま、千世の二の腕を掴む。
それだけでも、四郎よりずっと柔らかに感じられる肉の下に、筋肉がついていることがわかった。
「――ちょ、ちょっと! アウト! アウトですよっ!」
七瀬はあわてて、千世の腕を捉えている四郎の左腕の手首をつかんだ。
しかし、七瀬の膂力では四郎の腕はびくともしない。
千世は、おどろいているのか、かすかに目を見開いて四郎を見上げる。
その瞳はやはり無垢で、明らかな戸惑いはあっても、軽蔑や嫌悪の感情は浮かんでいなかった。
――危ういな。
千世は、四郎には及ばないにしても最低限戦えるだけの技術を身につけてはいるのだろう。
けれども、それを振るうか、振るわないかの線引きについては、四郎にはひどく曖昧なように見えた。
体格のいい見知らぬ成人男性――つまり、四郎――に腕をつかまれているのに、今のところ抵抗する様子がないのだ。
動かないのは相手を刺激しないため、ではない。単に千世は「わかっていない」。万が一まで想像が及ばない。
それを見て、四郎は千世を「危うい」と思ったのだった。
「放してくださいってば!」
四郎がそうやって思考の海に意識をやっているあいだも、七瀬は四郎の腕をほどこうと必死になっていた。
そして三人がいるのは女性保護局が入っているビルのエントランスホール。
じきに四郎の上司が、それこそ飛ぶようにやってきて、四郎に雷を落としたのだが、彼にまったく効果がなかったことは、言うまでもないだろう。
しかしさすがの四郎も上司が飛んできた時点で千世の腕を放してやっていた。
七瀬は四郎が上司から叱責されているあいだに、千世を連れて応接室かどこかに引っ込んでしまった。
四郎が千世に連絡先を聞かなかったのは、なんとなく、また会えるだろうと思ったからだ。
再び出会えなければ、そのときはそのとき。
こうして叶うかどうかもわからないものに身を任せてみるのも、たまにはおもしろいだろうと四郎は思った。
偶然にも四郎は七瀬と共にいる千世を見つけた。もちろん、女性保護局が入っているビル内部でのことである。
それは本当に偶然だった。四郎が警護の仕事を終えて引き上げてきたところに、ちょうど千世を連れた七瀬を見つけた。
本当に偶然だったが、七瀬はそうは思わなかったらしい。
露骨にぎょっとおどろいた顔をしたかと思うと、わざとらしく視線をそらして、隣にいる千世を促して早足になった。
四郎は、七瀬が腹芸などできそうにない人間だということを理解しつつあったが、これもまた「どうでもいい」事柄ではあった。
それよりも、瓜生千世である。
四郎は長いコンパスを思い切り有効活用して、素早く七瀬と千世の前に立ちふさがった。
もちろん、人好きのする笑顔は忘れない。
だが四郎がいくら好青年のごとき笑顔を浮かべたとて、その本性をすでに知っている七瀬には、薄ら寒い笑みにしか映らない。
四郎は千世を見た。四郎より断然低い身長だったが、貧相という印象は抱けない。
千世を直接見て、四郎は己の中にまだ彼女に対する興味が尽きていないことを確認する。
四郎は、案外と理性的に、時間が経てば瓜生千世への興味は薄れるかとも考えてはいた。
しかし今日、千世を前にして、やはり彼女のことをもっと知りたいという好奇心がかき立てられるのを感じた。
「久しいな」
「お久しぶりです……?」
四郎が言うほど、千世の豪胆な計画と大捕り物から久しい時間は経っていなかったが、千世は律儀に返してくれる。明らかに、疑問符つきの口調ではあったが。
「……千世さん、返事しなくていいですよ」
七瀬は、あからさまに四郎を警戒している目で見る。ついでに視線で威嚇もしてくる。
しかし悲しいことに、四郎にはまったく通用しない。
四郎からすれば、今の七瀬なんて毛を一生懸命逆立てている子猫のようなものだった。
一方の千世は、戸惑うように七瀬と四郎の顔へ視線をさまよわせている。
その行動はどこか、親とはぐれて迷子になったおさなごのようにも見える。
「待ち伏せですか?」
「まったくの偶然だ」
「……ついてないですね」
「ああ、そうだな。俺はどうやらついている」
七瀬は頭が痛そうな顔をする。
一方の千世は、七瀬と四郎の会話が上手く呑み込めなかったのか、不思議そうな顔をしてふたりを見上げていた。
四郎には、千世の焦げ茶色の瞳はまったくの無垢に見えた。
千世は今年で一九を迎えるそうだが、仕草や、どこかたどたどしい口調を聞くと、とてもそうとは思えない。
見た目は一九歳にしては表情が少し幼い気がするていどだが、少し話してみただけでも、もっと歳下を相手にしているような錯覚をする。
千世の半生を思えば、年齢よりも言動やその思考が、幼く感じられるのも無理はない。
肉体は同年代の女性よりもかなり鍛えられてはいたものの、精神のほうは実の父から受けた「訓練」のせいもあって、もしかしたら止まったままか、非常に緩やかにしか発達しなかったのだろう。
四郎は、そこまで考えて、己が瓜生千世という人間の内面について推察を行っていることに、少しだけおどろいた。
四郎は、人間を「強い」か、「強くない」かで判断するところがある。
これから殴る人間がどういう性格をしているかについて、考えたことはなかった。
相手が社会常識に照らし合わせて、「悪いやつ」であるかどうかについては勘案することはあっても、その「悪いやつ」がどういう生い立ちで、どういう動機があって「悪いやつ」になったのかなんて、考えない。
そして「殴る殴らない」の範疇に入らない人間に対しても、そのスタンスは変わらない――はずだった。
四郎は、まだ文句を言ってくる七瀬を無視し、おもむろに千世へと手を伸ばした。
そのまま、千世の二の腕を掴む。
それだけでも、四郎よりずっと柔らかに感じられる肉の下に、筋肉がついていることがわかった。
「――ちょ、ちょっと! アウト! アウトですよっ!」
七瀬はあわてて、千世の腕を捉えている四郎の左腕の手首をつかんだ。
しかし、七瀬の膂力では四郎の腕はびくともしない。
千世は、おどろいているのか、かすかに目を見開いて四郎を見上げる。
その瞳はやはり無垢で、明らかな戸惑いはあっても、軽蔑や嫌悪の感情は浮かんでいなかった。
――危ういな。
千世は、四郎には及ばないにしても最低限戦えるだけの技術を身につけてはいるのだろう。
けれども、それを振るうか、振るわないかの線引きについては、四郎にはひどく曖昧なように見えた。
体格のいい見知らぬ成人男性――つまり、四郎――に腕をつかまれているのに、今のところ抵抗する様子がないのだ。
動かないのは相手を刺激しないため、ではない。単に千世は「わかっていない」。万が一まで想像が及ばない。
それを見て、四郎は千世を「危うい」と思ったのだった。
「放してくださいってば!」
四郎がそうやって思考の海に意識をやっているあいだも、七瀬は四郎の腕をほどこうと必死になっていた。
そして三人がいるのは女性保護局が入っているビルのエントランスホール。
じきに四郎の上司が、それこそ飛ぶようにやってきて、四郎に雷を落としたのだが、彼にまったく効果がなかったことは、言うまでもないだろう。
しかしさすがの四郎も上司が飛んできた時点で千世の腕を放してやっていた。
七瀬は四郎が上司から叱責されているあいだに、千世を連れて応接室かどこかに引っ込んでしまった。
四郎が千世に連絡先を聞かなかったのは、なんとなく、また会えるだろうと思ったからだ。
再び出会えなければ、そのときはそのとき。
こうして叶うかどうかもわからないものに身を任せてみるのも、たまにはおもしろいだろうと四郎は思った。
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