隣にマギサ 〈連作短編〉

やなぎ怜

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 幸いなことに――信者の男にとっては不幸なことに――軍配はシバに上がった。

 荒れた山道では両者とも残念ながらうまくは走れず、ゆえに男よりは若いシバが身体能力で勝った形だ。

「お前、『解心かいしん会』のヤツだろ?」

 他人の顔を覚えることには多少長けている自信のあるシバは、疑問形で聞きはしたものの、内心ではすでに決めつけていた。

 シバによって後ろ手に腕を拘束された男は、明らかに目を泳がせながら「し、知らない……」と言う。

「嘘言うなよ。オレはお前を見てるんだ」

 シバがそうすごむように言えば、男は黙り込んでしまう。

 男が貝のように口をつぐんだと見るや、シバは舌打ちをひとつしたあと、ぐるりと男の体を反転させてその腹に拳を打ち込んだ。

 男は「ぐへっ」と形容しがたい声を吐き出し、おどろきに染まったのち、怯えた目でシバを見上げる。

「……お前、『解心会』のヤツだろ?」

 シバが二度問えば、男はヘタクソな糸繰り人形のようにコクコクと頭を上下させた。

「チッ。手間かけさせんなよ」

 シバはヤクザだが、特段暴力を振るうことを好んでいるわけではない。

 しかしヤクザはヤクザなので、他人に暴力を振るうことについては、一般人よりもためらいというものがない。

 男は、シバのその躊躇のない暴力に、彼がカタギの人間ではないことをなんとなく察したのだろう。

 顔を青白くさせて、目をきょろきょろと挙動不審に動かしている。

 シバにはそれが、逃げるタイミングを図っているように映ったが、まだ逃がすつもりはなかった。

「あの祠について知ってるか?」

 シバは男の腕を後ろ手にさせて拘束したまま、マギサが待っているだろう祠のある場所まで移動し始める。

 脳裏ではマギサがすでに「怪異」を食っている可能性がよぎったが、今は無視を決め込む。

 マギサが組員の部屋で見つけたあの人形と同じにおいがするという「怪異」を食べたとて、事態が解決するかどうかは、まだ未知数だ。

 信者の男は観念しているらしく、シバの質問にか細い声で答える。

「……知っている」
「お前らが作ったのか?」
「違う。あの祠は元からあったものだ」
「壊れてたのも?」
「もともと壊れかけてたと聞いている。詳しいことは知らない。……あそこに元はなにがあったのかも」
「なにに使ってるんだ?」
「……捨てに」
「『捨てに』? なにをだよ」

「育てるのに失敗した…………神を」

 シバは神様など信じちゃいないが、「罰当たり」という言葉が脳裏をよぎった。

 あの壊れた祠には――いっぱいに、人形が詰め込まれていた。

 そしてそこからこぼれ落ちた大小さまざまな人形が、壊れた祠の周囲に散乱していた。

 人形は供養のために持ち込まれたものなのだろうか? それとも――。

「神って……『解心様かいしんさま』か?」
「少し、違う。育てるのに成功したのが『解心様』で、失敗したものはあの祠の場所に捨てていた」
「……『解心様』ってなんなんだ?」
「我々が信仰する神だ」
「人為的に作り上げて、で、失敗したものはあの祠に捨てていたって認識でいいのか?」
「そうだ」

 シバの胸中に生じたのは「クソめんどくせーことしやがって」という感情だった。

 そもそも「神を作り上げる」ってなんなんだと思ったし、その過程に失敗とか成功とかいう判定があることもよくわからない。

 わからないが、これ以上突っ込んで聞く気にもなれなかった。

 どんな答えが返ってこようと、その説明を理解できる気がしなかったからである。

「で、なんでお前はここに来たんだ? 捨てた神とやらに用があったのか?」
「あ、ああ……不思議なことにある日から『解心様』と意思の疎通が取れなくなって……仕方なく、中継ぎの神がいやしないかとやってきたんだが……」

 男はそこまで言ったあと、もごもごと口を閉じてしまった。

 シバは、「そんな都合のいい要求が通るかあ?」と懐疑的な気持ちになる。

 しかし男にそこまで言ってやる義理もなかったので、シバもまたなにも言わなかった。

「なあ、その失敗作の中にやたらと人間を食いたがるやつとかいなかったか?」
「さあ……? ここに捨てた失敗作は、どれも『解心会うち』の内部で処理できないような、ひとの手には負えないものばかりだとは聞いているが……」

 再び、シバの脳裏に「罰当たり」の語がよぎって行った。

 繰り返しになるが、シバは神様など信じちゃいない。

 信じちゃいないが、人間にいいように作られたり捨てられたりするのは、たまったものではないだろうとは思った。

 ……そうこうしているあいだに、根元に祠が置かれた大木が見えてきた。

 シバは、その大木の近くにマギサがたたずんでいるのを見て、少し安堵する。

 マギサは「怪異」であればほとんど無敵の様子だが、やはりひとりで置いておくのはどこか心もとない気持ちにはさせられる。

「シバ~」

 シバたちに気づいたマギサが、腕を上げて大きく左右に手を振る。

「シバ~」
「んな何度も呼ばなくても聞こえてるっつーの」
「なんかヤバイかも~」
「……は?」

 祠へと一歩、足が近づいた途端に、空気が変わった。

 重苦しく、もったりと湿気を含んだ空気の中に、入ってしまったのがわかった。

 一拍置いて、シバの心臓が跳ねる。

 跳ねて、早鐘を打つかのように拍動が速くなる。

 背筋にぞくぞくとしたおぞ気が走り、肌が総毛立つ。

 ……ふとマギサの足元に視線が行く。

 足元に散乱する大小さまざまな人形たちは――みな一様にこちらに顔を向けていた。
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