隣にマギサ 〈連作短編〉

やなぎ怜

文字の大きさ
上 下
16 / 38

7-2

しおりを挟む
「……本当にあいつには憑いてなかったんだな?」
「ないよー」

 シバがもう一度、念押しするように確認すれば、マギサから気軽な返事がかえってくる。

 シバは、マギサが「怪異」を認知できることにはもはや疑問を差し挟む余地はないと考えている。

 実際にその目でマギサが「怪異」を「食べる」具体的な瞬間は見たことがないものの、それによって事象を解決――したりしなかったり――したところは、見ている。

 しかしマギサの目などの感覚器官は、どのように「怪異」を捉えているのかまではわからない。

 その辺りのことをシバが聞き出そうとしなかったのもあるが、マギサが積極的に語らないこともあって、謎は未だ謎のままだった。

「部屋に憑いているんじゃないの?」
「まあ、消去法で行けばそういうことになるな」
「まあどっちでもいいじゃん! 早く行こ!」

 マギサの腹が同意とばかりにきゅうと空腹を訴える。

 シバは釈然としないような複雑な感情を抱えたまま、マギサを連れて男が住んでいた部屋へと向かう。


 サラダボウル・シティではありふれた、ごくごく普通の、コンクリート壁が殺風景な印象を与える団地タイプのマンションの五階。

 その部屋には、男曰く「幽霊」が出る。

 そう聞いて怯えるほどシバの神経はか細くなく、またマギサという強力なカウンター手段を持っていることもあり、シバはもとからそこに住んでいた人間のような自然さで部屋へと向かった。

 そこは玄関扉を開ければ、部屋のほとんどが見渡せるような狭い物件だった。

 部屋の内部は雑然としているが、男の一人暮らしと聞いて想像するような散らかりぶりだったので、特段違和を覚えるほどではない。

 部屋には入らず、玄関扉を開けたまま、シバとマギサは慎重に部屋の中を覗き込む。

「なんかいたか?」
「まだ……」
「まだってことは気配はあんのか」
「まあそんな感じ」

 マギサの「怪異」を感知する能力は万能ではないらしく、さすがに隠されたすべてを見通す――というような超人的な力は備わっていない様子である。

 それでもマギサはこの部屋から「なにか」を感じ取ってはいるようだ。

「入るぞ」

 だが玄関前でまごついている暇はない。

 シバはさっさとこの仕事を終わらせたい気持ちもあり、マギサと共に部屋の内部へと足を踏み入れた。

「きたな~い」

 シバからすればこの部屋の散らかりぶりは許容範囲内であったが、マギサからするとまた違うらしい。

「言うほどか?」
「言うほどー」

 たしかに、マギサが住んでいるアパートは古いが、マギサの部屋はいつ行っても綺麗に整えられていたなとシバは思い返す。

 潔癖と言うほどではないにしても、マギサはそれなりに綺麗好きであるようだ。

「で、ここに――」

 「――いるのか?」というシバの言葉は出てくる前に喉の奥に呑み込まれた。

 シバは目の前にいるマギサが「あ」の形に口を開けたのを見た。

 同時に、臀部に違和を覚える。

 違和と言うか、それは――。

「シバに痴漢しないで!!!」

 マギサがシバに向かって大股で駆けるように突っ込んでくる。

 他ごとに気を取られていたシバがそれを避けられるはずもなく、突撃してきたマギサがシバの胸へと飛び込む形となった。

「――ぐっ」

 胸が圧迫されて、シバの喉から苦しげな音が漏れ出る。

 しかしシバの臀部を――明らかな下心を感じる手つきで撫でまわしているという不愉快な感覚は、消えた。

「……んだよ、今の……」

 シバはひっついているマギサをそのままに、背後を振り返って見るが、もちろんそこにはなにもない。

 ただ、男の一人暮らしの典型例とも言える光景が広がっているばかりだった。

 半ば、呆然としているシバに対し、シバの胸にひっついているマギサは、珍しく頬を膨らませて怒りを表明している。

 その仕草は非常に――なんというか、漫画っぽく感じられた。

 が、しかし平素のマギサの言動――たとえば、友情というものに幻想を見ている様子だとか――を思えば、その感情表現の手法を取ること事態に不思議はない。

 ゲーム脳ならぬ、漫画脳というやつなのだ。マギサは。

「痴漢! 痴漢!」
「それ、さっきも言ってたな……。痴漢……?」
「そう。シバのお、お、お尻……触ってた……」

 マギサはぷりぷりと怒っていた顔から一転、なぜか恥ずかしそうに、そして気まずげに言う。

 シバは、マギサの言葉を受けて腑に落ちるものがあった。

 しかし今はそれよりも。

「『食った』のか?」
「もちろん!」
「じゃあいい」
「……いいの?」
「別に減るもんじゃねえし」
「減るよー!」

 なぜかマギサは悲しそうな顔をする。

 しかしシバには、マギサがなぜそのような表情になっているのかがさっぱりわからなかった。

「触られたぐれーどうってことねえわ。まあタダで触ってきたのはムカつくが」
「どうってこと、あるよー」
「オレはそうなんだよ。……まあ、はもっとヤベーことされたのかもなあ?」
「?」

 シバに相談を持ちかけてきた男の評判を知らないマギサは、不思議そうに首をかしげた。


 ……シバがもののついでとばかりに、いつもは重い腰を上げて団地のある土地を調べ上げたところ、そこはかつて男色家の領主がいたとかいう情報が出てきた。

 果たしてあの構成員の男がなにをされたのかはわからないが――ほどなくしてサラダボウル・シティを出たのか、行方知れずになったことだけは、たしかである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

野蛮業

やなぎ怜
恋愛
死者の声を聴くことで糊口を凌ぐ木っ端霊能力者のガブリエルは、治安の悪い地域で格安瑕疵物件を借りている貧乏人。ひょんなことからギャングのボスの秘密を知らされることになってしまう。彼は初恋をこじらせており、その相手はガブリエルの学生時代の先輩だったのだ。以来、なにかと呼び出されては恋愛相談(という名の一方的な愚痴やらなんやら)に付き合わされることになる。ふたりのあいだには誓ってなにもないが、周囲はそうとは思わず……そしてそれはガブリエルの幼馴染で今は立派なギャングの幹部であるエルドレッドも例外ではなく――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

処理中です...