バケモノ王子とその先生

やなぎ怜

文字の大きさ
上 下
7 / 19

(7)

しおりを挟む
 戦力外通告を受けた。「なんの」と問われれば、「掃除の」としか言えない。

 先生の提案で引きずられるようにして屋敷の客室へ足を向けた俺たちに、メイド長はハッキリと、ニッコリと「足手まといです」と言ってのけた。同じ部屋にいた年若いメイドがぎょっとしたような目をメイド長に向けたのがわかった。

 メイド長の直截な言葉を不敬と捉えるほど俺は狭量ではない方であったし、古くから知る彼女とのあいだには、そういうことが許される空気があった。だから俺が抱いた感想と言えば「まあそうだよな」というようなものだった。

 メイド長を筆頭とした彼女らの腕に比べれば、俺の技術なんぞたかが知れている。ここは専門家に任せるのが賢い選択というものだ。

 先生は、メイド長の言葉を食らっても動揺するそぶりは一切なかった。しかし「なるほど」とだけ言って、なにか感じ入っているようだった。

「屋敷中を掃除する許可が得られたのはいいですけれど、どんな風の吹き回しです?」
「私が言ったんだ。せっかくだからもういっそ屋敷中を綺麗にすればいいと」
「あら、そうなんですか!」

 不思議そうな顔をしていたメイド長は、先生の言葉を聞いてうれしそうに口元へ深いシワを作って笑った。心底喜んでいる、といった顔だ。

 俺はと言えば、俺がそんなに屋敷を掃除をさせないことについて、メイド長が鬱屈とした感情を抱いていたのかということに気づき、申し訳ない気持ちになる。

 メイド長は先生の後ろで気まずげにしている俺には目もくれず、それはそれはうれしそうに先生に感謝の念を伝えていた。……かと思えば急にメイド長の視線が上がって、彼女よりもずっと背の高い俺に目が向けられる。

「さ、旦那様は『先生』と庭でも散策してきてくださいな」

 そう言ってメイド長は笑顔を持って俺たちの背中を押し、屋敷から放り出したのであった。

 やることがないので中庭まで足を向けたあとは、庭に設置されたベンチへ腰を落ち着ける。先生がすぐ近く、横にいるのだと思うと少し緊張した。先生の方は……相変わらずなにも感じていないというような顔をしていたが。

「先生は……どうしてここに?」

 ソワソワとした気分に突き動かされるまま、口火を切ったのは俺だった。しかし出てきたのは前回と似たような質問。先生は、水晶のように透き通った美しい目をゆるりと俺に向ける。

「ジルが言ったように、心配だったからきた」
「ああ、噂を……聞いたとか」
「色々と、耳に入れてくる人間はいる。しかし、それを抜きにしてもジルのことが気になったから、きた」

 戦争が始まる前に先生はお役御免となったわけだが……それでもまだ、俺のことを慈しむべき教え子だと思っているのだろう。そういう感情が、先生のわずかな――あまりにもかすかすぎる――表情の変化が伝えてくる。

 俺は俺で、未だに先生のことを「先生」と呼んでいるので、結局俺たちは似た者同士といったところだろうか。だが、それが今の俺には沁み入るようにうれしかった。

「先生はいつまでここにいるんだ? あ……いや、しばらくいてくれて構わないのだが」

 俺の言葉が非難めいて聞こえやしないかと気になり、あわてて言葉をつけ足す。つけ足したあとで、しかしこんなことを言ってはひた隠してきた、先生への気持ちが滲みすぎてはいやしないだろうかと気にかかる。

 しばらくと言わず、ずっとそばにいて欲しいのが本音だったが、もちろんそんな願いが叶うはずもない。俺には俺の人生があるように、先生には先生の人生がある。「人生」と言えば大げさだが、つまりは都合があるという話だ。

 先生は俺が「心配だから」きたと言った。その言葉通りならしばらく様子見をして済ませれば、この地を離れるだろうことは予想できる。……そしてそんな「予想」の中で、俺は胸を引き裂かれるような感覚に陥った。

 ……いっそ、先生に着いて行ってしまいたい。そんな世迷言を口にしかけるくらいには、俺の精神は弱り切っているようだった。

「ああ、しばらくはお前の世話になるつもりだ。いや、お前の使用人たちの世話に……か?」

 先生のその言葉に、俺は内心でホッと息を吐く。だからだろうか、口を突いて出たのは限りなく本音に近い言葉だった。

「しばらくと言わず、いつまででもいてもいい」

 言ってしまったあとで、己の本心を曝け出し過ぎた後悔よりも、先生を困らせていないかどうかが気にかかった。

 先生はパッと見ただけでは、無表情で無感動の持ち主のように見えるが、一度として俺たちに冷たい仕打ちをしたことはない。だから、先生の口から拒絶の言葉を受けることよりも、先生を困らせることの方が俺は気になったのだ。

 しかし先生は、困ったような顔をすることもなく、薄っすらと口元に笑みを浮かべたように見えた。「ように見えた」のは、その変化があまりにもささやかすぎて、自信が持てなかったからだ。先生を困らせていやしないかと過剰に気にしてしまう俺には特に、先生の表情を正確に受け止めることができているか、わからなかった。

「ありがとう。そう言ってもらえると、うれしい」

 先生の瞳には居心地悪そうにソワソワとしている小さな俺が映っていた。先生の前では……俺はバケモノでもなければ、ミソッカスの王子でもなかった。単なる先生の教え子で、先生の……慈しみを受ける立場にある。

 そこを、どうにか超えられないだろうかという欲が、俺の中に生まれる。……いや、これは昔からあったものだ。まだ戦争を知らない頃から抱いていた、ささやかな欲望。先生への気持ちを隠しながら、俺はいつだってそれが暴かれることを恐れ、そして同時に今の関係を超えたいと願っていた。

 振り返ってみると自分のそんな馬鹿馬鹿しさが少々恥ずかしくなる。まるでなにもしないで白馬の王子様を待つ少女と変わりがない。つまり、あまりに都合がよすぎるということだ。感情を直接先生に吐露しない限り、この思いは伝わらないし、関係も変えられはしない。そんなことは、あのときの俺だって、わかっていたはずなのに。

 仲間たちはそんな俺をどういう目で見ていたんだろうか。……今はもうすべて、憶測を抱く以外に方法はない。

「言っちゃえばいいのに」とパトリスはこともなげに言った。それができないから悩んでいるのに――と俺は思った。けれども、しかし、パトリス、お前は正しいよ。いや、正しかった。……俺は心の中でひとりごちる。

「でもいつかは帰らなければならない」
「先生の家は……いや、帰る場所? は、どこにあるんだ?」
「ここからは遠いところにある。なんにもない山の中を進んで、山頂の近くにある家だ」
「大変じゃないか?」
「そんなことはない。マスターがいるから……」

「マスター」。先生の口からその言葉を聞くのは初めてではなかった。

 時折、先生の口からその言葉が出てきては、俺たちに謎を振り撒いた。「マスター」。先生の「師匠」筋ということだろうかと、俺たちは憶測を抱くだけだった。先生に尋ねても、それ以上の情報は出てこなかったから、言いたくないのかと俺たちは思った。……その割には頻度は低くとも、時折その言葉はうっかりといった様子で聞こえたのだが。

「マスター」。先生のそばにいられて、恐らくは尊敬を受けているのだろうその存在に、俺は嫉妬していた。いや、今もわずかながらにその感情は想起できる。「マスター」が男か女かわからなかったが、それは俺にとっては些細な情報に過ぎなかった。先生がいつか帰る場所にいられる。それだけで俺の嫉妬を呼ぶにはじゅうぶんだった。

 遠いところとはどこなのか、「マスター」とはいったいどんな人間なのか――。先生はどこで生まれて、どうやって育ってきたのか。聞きたいことはたくさんあった。あったが、しかし俺にそれらを聞く勇気はなかった。

 先生には謎が多い。けれどもことさらその謎を暴いてやろうという気には、なれなかった。暴いてしまったら昔話よろしく、煙のように消えてしまいそうな……冷静に考えると馬鹿馬鹿しいが、そんな気がして、俺は結局躊躇してしまう。

 別に、知らなくても問題はなかった。知っても知らなくても、俺にとって先生は「先生」に違いないのだから。

 だから、どうか、もうしばらくそばにいられる栄誉を俺だけのものにすることを、許して欲しい。……だれに向かってそう言ったのかはわからなかった。恐らく、神様とかそういう超常の存在だろう。

 馬鹿馬鹿しいな、と俺は内心で嘲笑わらう。

 けれどもそんな俺を知らない先生は、いっそ無垢なまでに美しいまま、熱心に俺を見ていた。「心配」ごとが続けば、先生はそばいいてくれるのだろうか? そんな邪念を抱くが、意気地なしの俺にそんなことができるはずもなく。

 その後は他愛のない――しかし俺にとっては大切で、忘れがたい――会話をして、時間が過ぎて行った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

淡泊早漏王子と嫁き遅れ姫

梅乃なごみ
恋愛
小国の姫・リリィは婚約者の王子が超淡泊で早漏であることに悩んでいた。 それは好きでもない自分を義務感から抱いているからだと気付いたリリィは『超強力な精力剤』を王子に飲ませることに。 飲ませることには成功したものの、思っていたより効果がでてしまって……!? ※この作品は『すなもり共通プロット企画』参加作品であり、提供されたプロットで創作した作品です。 ★他サイトからの転載てす★

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

だいたい全部、聖女のせい。

荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」 異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。 いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。 すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。 これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

処理中です...