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「エリィの名前はエリエルと言いますっ! エリィはこの世界のひとたちのために、癒しの力を行使する使命を負っているのです!」
真っ白な、小さな翼を背中から生やした金髪碧眼の天使ちゃん。セラバート殿下のお茶会に誘われて、わたしは偶然天使ちゃんが空から降ってきたところを目撃した。セラバート殿下が天使ちゃんを抱きとめて、その美貌に目を奪われたところも。
そうしてやってきた天使ちゃんは、瞬く間に一部の人々を虜にしてしまった。セラバート殿下が、その一部の人々の中に入っていることは改めて言うことではないだろう。
まだ慣れてはいないという癒しの力を健気に使う天使ちゃん。いつでも笑顔を絶やさない天使ちゃん。天真爛漫な天使ちゃん。
そうやってちやほやされる地位にいるのは、わたしのはずだった。いや、そうだったのだ。事実、天使ちゃんがやってくる前までは、そうだった。
でも今は違う。セラバート殿下も、神殿騎士のグランも、魔法使いのイオも――『聖乙女アンマリア』の中で、主人公アンマリアと共にあったひとたちはみんな、天使ちゃんのほうがずっとずっと大事になってしまったようだった。
おかしいと思った。こんな展開は『聖乙女アンマリア』にはなかったはずだ。そもそも、『聖乙女アンマリア』に「天使」という存在はいても直接は登場しなかったし、天使ちゃん――エリエルという名前のキャラクターにも覚えがない。
おかしい。おかしい。おかしい。
けれどきっと、おかしいのはわたしのほうだ。ここは作り物の――ライトノベルの世界そのものではないし、セラバート殿下も、グランも、イオも、架空のキャラクターじゃなくて、生身の人間なのだ。心変わりすることは当然ある。……天使ちゃんに恋をすることだって。
わたしは、主人公アンマリアに成り代わったことにあぐらをかいていたわけじゃない。できる努力はいくらでもしたし、清廉潔白な主人公アンマリアらしくいようとしていた。
でも、わたしに心があるように、みんなにも心がある。わたしはそれを、どこかで無視していた気がする。みんながわたしをちやほやするのは、物語の――世界の流れとして当然だとどこかで思っていた気がする。
だからこれはもしかしたら、天罰ってやつかもしれない。天使ちゃんは、思い上がったわたしに罰を与えるために神様が遣わした存在なのかもしれない。
わたしはそう思うことで現状を受け入れようとした。今以上に慎ましくして、大人しく聖乙女の使命を果たそうとした。
でも、それにしたって。それにしたって、である。
「なあ、アンマリア様だってそう思うだろ? エリエルがそんなことをするはずがないって!」
神殿騎士のグランの訴えに、わたしは「ああ」とか「うん」とか煮え切らない返事をすることしかできなかった。
天使ちゃんに対して、彼女が窃盗犯であるという訴えがあった。けれどもそれを訴えたのは普段から天使ちゃんの悪口を吹聴していた王宮の侍女のひとりで、彼女以外に証言したのもその侍女と関係の深い人間ばかり。
天使ちゃんを偽りの罪で嵌めて、王宮から追放しようというのはだれの目にも明らかだった。ハッキリ言って、稚拙な告発だった。
けれども天使ちゃんをよく思っていない王宮内外の一派がそれに乗っかろうという動きもあり、事態は肥大化し、かつ複雑な様相を呈しているのであった。
神殿騎士のグランはその一派から真っ向対立する立場だ。もちろん、セラバート殿下も、魔法使いのイオもそう。
けれどもやっていないことを証明するのはそれなりに大変だ。
そこでグランは天使ちゃんを助ける手助けをして欲しいとわたしを頼ってきたのである。
わたしはよく見知ったグランが、ほかでもないわたしに助けを求めてきてくれたから、という理由もあって天使ちゃんにかけられた嫌疑が虚偽のものであると証明すべく奔走した。
なにより、わたしはそういう汚い手を使うのは好きじゃない。聖乙女候補時代に似たような事件に巻き込まれたこともあったから、余計に天使ちゃんを陥れようという陰謀には聖乙女として「待った」の声をかけた。
そしてわたしがなんやかんや――証言の矛盾をかき集めたり、神明裁判の手はずを整えたり、偽証を強要されたことを証言するよう説得したり――して、天使ちゃんは無罪放免と相成ったわけである。
本当に疲れた。もう二度とやりたくない。
「やっぱりアンマリア様はさすがだな!」
そう思ったけれども、グランからそんな風に褒められては悪い気はしない。それにこの一件で、天使ちゃんの登場でグランと育んだ絆がなかったことになったわけじゃない――。わたしはそういう風に思った。
……今思うと安い女だ。ちょっと優しい声をかけられただけで、ころっと転がってしまうんだから。どう考えたって、グランのそのひとことは、わたしの労力に見合った見返りじゃない。
でもそのときのわたしは、それでいいと思った。それだけでなんとなく報われた気になった。
そしてこんなことがあっても、未だに天使ちゃんの陰口を叩いている人間に対して、思わず天使ちゃんをフォローするようなことを言ったりしていた。
今思えばなんでそんなことをしていたのかわからない。そもそも、天使ちゃんのために――わたしが自ら進んでとはいえど――働いたのに、天使ちゃんからはお礼のひとつもなかった。
今思うと色々と引っかかるところだらけだ。けれども当時のわたしはさほどその点を問題だとは思わなかった。
天使ちゃんがその健気さで人々を惹きつけているのだから、わたしも健気に待っていればいつか、なんらかの形で報われる――。そんな、ぞっとしない考えを持っていた。
今考えると、「バカ」という言葉しか出てこない。
真っ白な、小さな翼を背中から生やした金髪碧眼の天使ちゃん。セラバート殿下のお茶会に誘われて、わたしは偶然天使ちゃんが空から降ってきたところを目撃した。セラバート殿下が天使ちゃんを抱きとめて、その美貌に目を奪われたところも。
そうしてやってきた天使ちゃんは、瞬く間に一部の人々を虜にしてしまった。セラバート殿下が、その一部の人々の中に入っていることは改めて言うことではないだろう。
まだ慣れてはいないという癒しの力を健気に使う天使ちゃん。いつでも笑顔を絶やさない天使ちゃん。天真爛漫な天使ちゃん。
そうやってちやほやされる地位にいるのは、わたしのはずだった。いや、そうだったのだ。事実、天使ちゃんがやってくる前までは、そうだった。
でも今は違う。セラバート殿下も、神殿騎士のグランも、魔法使いのイオも――『聖乙女アンマリア』の中で、主人公アンマリアと共にあったひとたちはみんな、天使ちゃんのほうがずっとずっと大事になってしまったようだった。
おかしいと思った。こんな展開は『聖乙女アンマリア』にはなかったはずだ。そもそも、『聖乙女アンマリア』に「天使」という存在はいても直接は登場しなかったし、天使ちゃん――エリエルという名前のキャラクターにも覚えがない。
おかしい。おかしい。おかしい。
けれどきっと、おかしいのはわたしのほうだ。ここは作り物の――ライトノベルの世界そのものではないし、セラバート殿下も、グランも、イオも、架空のキャラクターじゃなくて、生身の人間なのだ。心変わりすることは当然ある。……天使ちゃんに恋をすることだって。
わたしは、主人公アンマリアに成り代わったことにあぐらをかいていたわけじゃない。できる努力はいくらでもしたし、清廉潔白な主人公アンマリアらしくいようとしていた。
でも、わたしに心があるように、みんなにも心がある。わたしはそれを、どこかで無視していた気がする。みんながわたしをちやほやするのは、物語の――世界の流れとして当然だとどこかで思っていた気がする。
だからこれはもしかしたら、天罰ってやつかもしれない。天使ちゃんは、思い上がったわたしに罰を与えるために神様が遣わした存在なのかもしれない。
わたしはそう思うことで現状を受け入れようとした。今以上に慎ましくして、大人しく聖乙女の使命を果たそうとした。
でも、それにしたって。それにしたって、である。
「なあ、アンマリア様だってそう思うだろ? エリエルがそんなことをするはずがないって!」
神殿騎士のグランの訴えに、わたしは「ああ」とか「うん」とか煮え切らない返事をすることしかできなかった。
天使ちゃんに対して、彼女が窃盗犯であるという訴えがあった。けれどもそれを訴えたのは普段から天使ちゃんの悪口を吹聴していた王宮の侍女のひとりで、彼女以外に証言したのもその侍女と関係の深い人間ばかり。
天使ちゃんを偽りの罪で嵌めて、王宮から追放しようというのはだれの目にも明らかだった。ハッキリ言って、稚拙な告発だった。
けれども天使ちゃんをよく思っていない王宮内外の一派がそれに乗っかろうという動きもあり、事態は肥大化し、かつ複雑な様相を呈しているのであった。
神殿騎士のグランはその一派から真っ向対立する立場だ。もちろん、セラバート殿下も、魔法使いのイオもそう。
けれどもやっていないことを証明するのはそれなりに大変だ。
そこでグランは天使ちゃんを助ける手助けをして欲しいとわたしを頼ってきたのである。
わたしはよく見知ったグランが、ほかでもないわたしに助けを求めてきてくれたから、という理由もあって天使ちゃんにかけられた嫌疑が虚偽のものであると証明すべく奔走した。
なにより、わたしはそういう汚い手を使うのは好きじゃない。聖乙女候補時代に似たような事件に巻き込まれたこともあったから、余計に天使ちゃんを陥れようという陰謀には聖乙女として「待った」の声をかけた。
そしてわたしがなんやかんや――証言の矛盾をかき集めたり、神明裁判の手はずを整えたり、偽証を強要されたことを証言するよう説得したり――して、天使ちゃんは無罪放免と相成ったわけである。
本当に疲れた。もう二度とやりたくない。
「やっぱりアンマリア様はさすがだな!」
そう思ったけれども、グランからそんな風に褒められては悪い気はしない。それにこの一件で、天使ちゃんの登場でグランと育んだ絆がなかったことになったわけじゃない――。わたしはそういう風に思った。
……今思うと安い女だ。ちょっと優しい声をかけられただけで、ころっと転がってしまうんだから。どう考えたって、グランのそのひとことは、わたしの労力に見合った見返りじゃない。
でもそのときのわたしは、それでいいと思った。それだけでなんとなく報われた気になった。
そしてこんなことがあっても、未だに天使ちゃんの陰口を叩いている人間に対して、思わず天使ちゃんをフォローするようなことを言ったりしていた。
今思えばなんでそんなことをしていたのかわからない。そもそも、天使ちゃんのために――わたしが自ら進んでとはいえど――働いたのに、天使ちゃんからはお礼のひとつもなかった。
今思うと色々と引っかかるところだらけだ。けれども当時のわたしはさほどその点を問題だとは思わなかった。
天使ちゃんがその健気さで人々を惹きつけているのだから、わたしも健気に待っていればいつか、なんらかの形で報われる――。そんな、ぞっとしない考えを持っていた。
今考えると、「バカ」という言葉しか出てこない。
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