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麋角解(おおしかのつのおつる)
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「どうすればいいと思う?」
数日前に聞かされたのと、そっくりそのままのセリフをチカは口にしていた。
そんな言葉を口にしたチカの目の前には起きたばかりのアマネが、難しい顔をしている。
そして顔を見合わせるふたりの頭には、二本のツノが生えていた。
起きてすぐ、妙に頭が重いと思ったらこれだ。手で触ってなにか固いものが生えていることはすぐにわかった。そのまま寝室に置いてあるドレッサーの鏡を覗き込んで、おどろいた。どこからどう見ても、ツノとしか言いようがないものが、頭からにょっきりと生えていたのだ。
枝ヅノ、というやつであった。シカやトナカイなどのツノを想像してもらえればわかりやすいだろう。
チカの頭に生えたツノはそれほど大ぶりではなかったものの、それでも頭に重量がかかっていることがわかるていどの、重さはあった。
そして鏡で確認して、あわててアマネを起こしにベッドへ戻れば、彼の頭にも立派な枝ヅノが生えていた、というわけなのである。
そしてチカは半ば混乱した状態で冒頭のセリフを口にするに至った――。
「……とりあえず、下におりるか」
「……そうだね。朝食の時間も迫ってるし……」
そこまで言ったところでチカはハタ、と気がついた。
「ねえ、寝間着から着替えられないんじゃないの……?」
「…………」
生えていたのは枝ヅノであったから、上にだけ大きく伸びているわけではない。横方向にも伸びているのだ。
どう頑張っても貫頭衣タイプの寝間着は脱げないし、よしんばハサミなどで切り裂いて脱いだとしても、それではいつものワンピースをどうやって着るのだという問題が立ちはだかる。
チカの指摘を受けてアマネもそのことに気づいたのだろう。眉間にしわを寄せた、険しい顔で黙り込んでしまった。
「ま、まあ、寝間着と普段着って見た目的にはそう大差ないし、他のみんなには話せばいいだけだよ……ね」
「……そうだな」
チカが言う通り、寝間着と普段着は両方ともに貫頭衣タイプの白いワンピースだ。ただ生地が違う。今の季節は特に顕著で、普段着のほうが生地が分厚い。対する寝間着は触り心地のいい薄めの生地で出来ていた。
つまり、このまま廊下へ出ると寒い。ふたりはいつもは着たり着なかったりする白い毛糸のカーディガンを引っ張り出して、羽織った。
「なんなんだろう、このツノ。私にも生えてるってことはトナカイのツノなのかな? シカだったらオスにしか生えないって読んだし」
「……そういう理屈ってこの現象にも通じるのか?」
「……さあ?」
冷えた指先でチカは己の頭に生えたツノに触れる。爪で叩くとコンコンと硬質な音が返ってくる。神経が通っているのかはよくわからなかったが、そうだったらイヤだなと思った。
いつもより重い頭で食堂の扉をくぐったチカとアマネは、すぐにこの奇妙な現象が己たちだけの身に起こったものではないと知る。
食堂の、いつもの定位置に並んで座る三人――マシロ、コーイチ、アオはチカたち同様、寝間着であった。そしてその頭には立派な枝ヅノが生えている。
この調子では恐らく今台所にいるササとユースケの頭にも、このツノはあるのだろう。チカは静かにそう悟った。
「やっぱり生えてるじゃん」
「伝染病……なのかなあ?」
食堂に入ってきたチカとアマネを見て、アオが言う。マシロは眉を八の字に下げて、この奇妙な現象が病気ではないかという心配をしていた。
チカとアマネは食堂の定位置へ移動する。すると間もなくユースケとササが朝食を持って現れた。案の定、その頭にはツノが生えている。
「やっぱり、お前らもか」
ユースケはそう言いつつも、この事態を予測していた顔である。まあ五人に生えていて、残りのふたりは無事――なんてことがあり得ないと予測するのは、なにも難しいことではない。
ハムとタマゴのサンドイッチを食べつつ、チカたちは善後策について話し始めた。
「心当たりはない、と」
「まあそうだよな。シカとかトナカイの呪いにしたって、シカとかトナカイを殺したこともなければ、肉だって食べたことないし」
「なんかの呪いだったら、俺らとっくにブタやウシの呪いで死んでるって」
「まー、そうだな」
話をまとめるユースケに、コーイチが心当たりがないことを再度告げる。アオは、呪いという可能性に対しては懐疑的な様子だ。
「じゃあ伝染病とかなのかなあ。みんな一度に生えてるし」
「伝染病なら奇病もいいところだな。ツノが生えるなんてワケわかんねーし」
「伝染病なら外で流行っていないとおかしくないか? 感染源がわからない」
マシロが憂い顔で言えば、コーイチがもっともなことを言う。アマネは伝染病説には懐疑的らしい。
チカとしては“城”にまたなにかが紛れ込み、それが原因となっているような気もしたが、主張するほどの根拠はない。“城”の中であれば不思議なことはなんでも起こりうる。原因を突き止めるのは最善策ではないように思えた。
「今すぐ除去したいなら切り落とすしかないか。シカのツノと同じようなシステムであれば、いずれは脱落するはずだが」
ユースケの言葉に、チカは「切るのはイヤだな」と思った。この、今チカの頭に生えているツノの構造は不明だが、痛いのであれば切るのは御免こうむりたいところである。それは六人も大体同じ意見のようで、ユースケの言葉に憂鬱な空気が漂った。
ではツノが脱落するのを待てばいいのか。しかしそれではまた同じツノが生えてきそうな気がする。それでは抜本的な解決にはならない。
「また塩風呂にでも入るか?」
善後策を話し合ったものの、いい解決方法は出ず、コーイチがヤケクソ気味に言った。
「マシロのときはそれで取れただろ」
「あれは植物だったからだろ」
「状況的には似たようなもんだろ。頭になんか生えてさ」
「えー……」
コーイチの言葉にアオは呆れた声を出す。
「まあ……やるだけやってみるのも手かもね。今のところ解決策はさっぱりわからないわけだし」
チカはなにげないつもりでそう言ったのだが、それが鶴の一声になってしまった。
しかも、塩を溶かした風呂に入ったところ、ツノが綺麗に取れたのでチカは二度おどろいた。
ツノが脱落した部分はしばらく出血したものの、すぐにそれも止まってかさぶたになった。かゆいのが難点であるが、重いツノをくっつけたまま生活することよりはマシに思えた。
しかし、なぜ塩風呂に入って取れたのかは謎のままだった。そもそも、なぜツノが生えたのかすら謎だ。
結局、その後もツノが生えてくることはなかったので、真相は闇の中である。
ちなみに、脱落したツノは倉庫に入れられた。ユースケなどはシカのツノには使い道が色々とあるとは言っていたが、得体の知れないツノであることには変わりはないので、倉庫行きと相成ったわけである。
数日前に聞かされたのと、そっくりそのままのセリフをチカは口にしていた。
そんな言葉を口にしたチカの目の前には起きたばかりのアマネが、難しい顔をしている。
そして顔を見合わせるふたりの頭には、二本のツノが生えていた。
起きてすぐ、妙に頭が重いと思ったらこれだ。手で触ってなにか固いものが生えていることはすぐにわかった。そのまま寝室に置いてあるドレッサーの鏡を覗き込んで、おどろいた。どこからどう見ても、ツノとしか言いようがないものが、頭からにょっきりと生えていたのだ。
枝ヅノ、というやつであった。シカやトナカイなどのツノを想像してもらえればわかりやすいだろう。
チカの頭に生えたツノはそれほど大ぶりではなかったものの、それでも頭に重量がかかっていることがわかるていどの、重さはあった。
そして鏡で確認して、あわててアマネを起こしにベッドへ戻れば、彼の頭にも立派な枝ヅノが生えていた、というわけなのである。
そしてチカは半ば混乱した状態で冒頭のセリフを口にするに至った――。
「……とりあえず、下におりるか」
「……そうだね。朝食の時間も迫ってるし……」
そこまで言ったところでチカはハタ、と気がついた。
「ねえ、寝間着から着替えられないんじゃないの……?」
「…………」
生えていたのは枝ヅノであったから、上にだけ大きく伸びているわけではない。横方向にも伸びているのだ。
どう頑張っても貫頭衣タイプの寝間着は脱げないし、よしんばハサミなどで切り裂いて脱いだとしても、それではいつものワンピースをどうやって着るのだという問題が立ちはだかる。
チカの指摘を受けてアマネもそのことに気づいたのだろう。眉間にしわを寄せた、険しい顔で黙り込んでしまった。
「ま、まあ、寝間着と普段着って見た目的にはそう大差ないし、他のみんなには話せばいいだけだよ……ね」
「……そうだな」
チカが言う通り、寝間着と普段着は両方ともに貫頭衣タイプの白いワンピースだ。ただ生地が違う。今の季節は特に顕著で、普段着のほうが生地が分厚い。対する寝間着は触り心地のいい薄めの生地で出来ていた。
つまり、このまま廊下へ出ると寒い。ふたりはいつもは着たり着なかったりする白い毛糸のカーディガンを引っ張り出して、羽織った。
「なんなんだろう、このツノ。私にも生えてるってことはトナカイのツノなのかな? シカだったらオスにしか生えないって読んだし」
「……そういう理屈ってこの現象にも通じるのか?」
「……さあ?」
冷えた指先でチカは己の頭に生えたツノに触れる。爪で叩くとコンコンと硬質な音が返ってくる。神経が通っているのかはよくわからなかったが、そうだったらイヤだなと思った。
いつもより重い頭で食堂の扉をくぐったチカとアマネは、すぐにこの奇妙な現象が己たちだけの身に起こったものではないと知る。
食堂の、いつもの定位置に並んで座る三人――マシロ、コーイチ、アオはチカたち同様、寝間着であった。そしてその頭には立派な枝ヅノが生えている。
この調子では恐らく今台所にいるササとユースケの頭にも、このツノはあるのだろう。チカは静かにそう悟った。
「やっぱり生えてるじゃん」
「伝染病……なのかなあ?」
食堂に入ってきたチカとアマネを見て、アオが言う。マシロは眉を八の字に下げて、この奇妙な現象が病気ではないかという心配をしていた。
チカとアマネは食堂の定位置へ移動する。すると間もなくユースケとササが朝食を持って現れた。案の定、その頭にはツノが生えている。
「やっぱり、お前らもか」
ユースケはそう言いつつも、この事態を予測していた顔である。まあ五人に生えていて、残りのふたりは無事――なんてことがあり得ないと予測するのは、なにも難しいことではない。
ハムとタマゴのサンドイッチを食べつつ、チカたちは善後策について話し始めた。
「心当たりはない、と」
「まあそうだよな。シカとかトナカイの呪いにしたって、シカとかトナカイを殺したこともなければ、肉だって食べたことないし」
「なんかの呪いだったら、俺らとっくにブタやウシの呪いで死んでるって」
「まー、そうだな」
話をまとめるユースケに、コーイチが心当たりがないことを再度告げる。アオは、呪いという可能性に対しては懐疑的な様子だ。
「じゃあ伝染病とかなのかなあ。みんな一度に生えてるし」
「伝染病なら奇病もいいところだな。ツノが生えるなんてワケわかんねーし」
「伝染病なら外で流行っていないとおかしくないか? 感染源がわからない」
マシロが憂い顔で言えば、コーイチがもっともなことを言う。アマネは伝染病説には懐疑的らしい。
チカとしては“城”にまたなにかが紛れ込み、それが原因となっているような気もしたが、主張するほどの根拠はない。“城”の中であれば不思議なことはなんでも起こりうる。原因を突き止めるのは最善策ではないように思えた。
「今すぐ除去したいなら切り落とすしかないか。シカのツノと同じようなシステムであれば、いずれは脱落するはずだが」
ユースケの言葉に、チカは「切るのはイヤだな」と思った。この、今チカの頭に生えているツノの構造は不明だが、痛いのであれば切るのは御免こうむりたいところである。それは六人も大体同じ意見のようで、ユースケの言葉に憂鬱な空気が漂った。
ではツノが脱落するのを待てばいいのか。しかしそれではまた同じツノが生えてきそうな気がする。それでは抜本的な解決にはならない。
「また塩風呂にでも入るか?」
善後策を話し合ったものの、いい解決方法は出ず、コーイチがヤケクソ気味に言った。
「マシロのときはそれで取れただろ」
「あれは植物だったからだろ」
「状況的には似たようなもんだろ。頭になんか生えてさ」
「えー……」
コーイチの言葉にアオは呆れた声を出す。
「まあ……やるだけやってみるのも手かもね。今のところ解決策はさっぱりわからないわけだし」
チカはなにげないつもりでそう言ったのだが、それが鶴の一声になってしまった。
しかも、塩を溶かした風呂に入ったところ、ツノが綺麗に取れたのでチカは二度おどろいた。
ツノが脱落した部分はしばらく出血したものの、すぐにそれも止まってかさぶたになった。かゆいのが難点であるが、重いツノをくっつけたまま生活することよりはマシに思えた。
しかし、なぜ塩風呂に入って取れたのかは謎のままだった。そもそも、なぜツノが生えたのかすら謎だ。
結局、その後もツノが生えてくることはなかったので、真相は闇の中である。
ちなみに、脱落したツノは倉庫に入れられた。ユースケなどはシカのツノには使い道が色々とあるとは言っていたが、得体の知れないツノであることには変わりはないので、倉庫行きと相成ったわけである。
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