ドグマの城

やなぎ怜

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橘始黄(たちばなはじめてきばむ)

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 冬の足音が着実に近づいている。風呂につかるのが身にしみる季節になってきたな、とチカは鮮やかな色の柑橘の実が浮かぶ湯船を見て思った。

 柑橘の実は“捨品”で貰ったもの――ではなく、地下植物園で実ったものをもいできたのだ。マシロたち曰く、食べるには適さないらしいので、こうして柑橘湯としゃれこんでいるわけであった。

 立ち上る湯気を眺めていると、じんわりと一日の疲れが溶け出て行くようだ。

 湯気の向こう側で、一緒に風呂に入っているマシロが口を開いたのが見えた。

「寒いと言えば……チカって今もアマネといっしょに寝てるんだよね?」
「うん……」

 マシロの言い方はともすれば誤解を招きそうだとチカは思った。

 誓って言うが、アマネとのあいだにはなにもない。ただ部屋をシェアして、ベッドもシェアしているだけの話である。そこに色っぽい雰囲気はない……はずである。

 チカはマシロの会話がどこに飛ぶのか予測できず、思わず身構えてしまった。

 マシロはそんなチカの様子に気づいているのかいないのか、実に軽やかな調子で話を続ける。

「アマネ、結構な冷え性じゃん。いっしょにベッドに入ってると気になったりするのかなーって」

 チカはマシロの問いが他愛ないものだったので、自然と入っていた肩の力を抜く。

「湯たんぽとか使ってるし、私はどっちかと言うと体温高いほうみたいだからかな。今は特に気にならないよ」
「そっか」

 そんな雑談をマシロとしたからだろうか、風呂から上がって先に部屋に戻ったあと、チカはアマネのことが気になった。

 アマネの手足に触れたことはあるが、いつだって冷たかった印象しかない。どうも、冷え性には季節などは関係ないようだ。

 だが寒さの厳しさが増す冬ともなれば、冷え性のアマネはつらいのではないだろうか。チカはお節介かなと思いつつ、アマネの身を案じた。

 そうこうしているあいだに、風呂から戻ったアマネが部屋にやってくる。特に会話がないのはいつものことだが、チカは気になってソファの隣に座ったアマネの手を握ってみた。

 アマネはわかりやすくおどろいた顔をして、大げさなまでに肩を揺らす。

「あ、ごめん。そんなにびっくりすると思わなくて……」
「……なんなんだ」
「いやー……お風呂でマシロとアマネは冷え性だよねって話をしたから、なんとなく確かめたくなって」

 と説明したところで、さすがにいきなり手を握るのは不躾すぎたかなとチカは反省する。

 握ったアマネの手は風呂上りなので温かいと言えば温かい。それでもチカの手のほうが温かいのは明らかだった。

「もう湯冷めしてる……?」
「部屋から風呂までそこそこ距離あるし、この時期になってくると廊下はかなり寒いから、湯冷めくらいするだろ」
「そうかな……」

 どうやらアマネの冷え性ぶりは筋金入りらしい。もっと脂肪をつけたほうがいいんじゃないだろうか、とチカはアマネの細い体を見る。決して痩せぎすではないものの、間違っても太っているわけではないので、だから寒さに弱いんじゃないかなどとチカは素人考えで思った。

「冷え性のつらさは私にはわからないけど……ストーブ入れたくなったらいつでも入れてね?」

 まだストーブの出番と言うほど寒くはない。しかしアマネは違うかもしれないので、チカはそういう気遣いを見せた。

 それに対し、アマネはしばらくじっとチカを見ていたかと思うと、ゆっくりと口を開いてぼそりとつぶやく。

「……お前がいるから、まだ必要ない」

 しかしチカの耳にはバッチリ届いた。

「それって……私は湯たんぽってこと?!」
「お前、子供体温だから丁度いいんだよ」
「そんなに体温高いかなあ……」

 なんとなく、チカは納得がいかない気持ちになった。けれども見方を変えればアマネの役に立てているのかも、と至極前向きに考えてみる。

 チカと一緒に寝ることをアマネが嫌がっていない。それを言葉という形にしてもらっただけなのに、チカはなんだか胸がぽかぽかしてきた。

 部屋の窓に嵌められた鎧戸が、寒風を受けてガタガタと揺さぶられる。

 冬はもう、そこだ。
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