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虹蔵不見(にじかくれてみえず)
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端的に言って暇だった。いや、「暇」だとか言ってはいけないという状況であることは、チカにもわかっている。
今、男性陣は地下施設に突如出現した海へと潜り、この海が現れた原因を探っているのだ。
その岸辺で待機するチカ、マシロ、ササはぐんぐんと伸びて行く命綱を見ていることしかできない。
そう、見ていることしかできないので「暇」であったのだ。
繰り返しになるが、そういう場合ではないことは百も承知。承知の上でやはり三人のあいだに間延びした空気が蔓延し始めているのもまた、事実であった。
海は潜ってもなぜか呼吸ができるので窒息や溺死の心配はない。ただ、道中でどんな危険に遭遇するかは未知数だ。それに、この海そのものが現れた原因も定かではない。非常事態なのだ。
しかし、三人が三人とも「暇だな」と思っているのはたしかであった。そして、そうしているあいだにも男性陣とを繋ぐ命綱は伸びて行く。
「ねえ、なにか流れてきてない?」
最初にそれに気づいたのはチカだった。
海風が柔らかく吹き付ける中、海の中からなにかが浮上してくるのを見つけたのだ。間違っても、人間ではない。もっと、はるかに小さな――ガラス瓶だ。
そのガラス瓶はさながら川流れをする桃のように、意思を持っているかのように、どんぶらこっこと波打ち際までやってきた。
暇を持て余していたチカは、砂浜――これも海と一緒に現れたのだ――から立ち上がり、波打ち際へ近づく。
ざざん、ざざん、と波が寄せては引いて行くさまを見計らって、どうにかワンピースの裾を濡らさずにガラス瓶を手にすることができた。
チカがふたりのもとへ戻れば、マシロは興味津々と言った顔でガラス瓶を見る。ササもそれなりに興味があるようだった。表情はまるで変わっていないが、かすかに瞳が輝いているように見えた。
「なんだろこれ……小説?」
ガラス瓶の中には白い紙が入っていた。ボトルメールというやつである。
しかし場所が場所だ。ここは閉鎖された“城”の地下で、そしてボトルメールが流れてきた海は突如として現れた異様の存在。
そんなところから流れてきたボトルメールの中身は、残念ながらチカの興味を引くものではなかった。
簡素な文体でつづられたそれは、現実にあったことを手紙としてしたためたと言うよりは、フィクションを書き記したように読める。
「え? どんなの? 見せて見せて」
ひと一倍興味を示したマシロにチカは紙を渡した。マシロが目で文を追い始めると、ササも横から顔を覗かせて読んでいるようだ。
「……なんなんだろうね、これ」
やがてマシロも単なる小説には興味を持てなかったのか、そう言って紙を折りたたんでしまった。
「よくわかんないね。SF小説モドキって感じだったけど……」
「そうだねー。……チカはこういうの興味ないカンジ?」
ボトルメールの内容は、人類の文明がなんらかの理由で滅び、それからかろうじて生き延びた少数の人々について記述している……というようなものだった。
「ハイファンタジーとかのほうが好きかな。あんまり自分のいる世界と地続きじゃない感じの話のほうが好きなのかも……今考えたことだけど」
「そっか」
マシロはそう言って手紙を四つ折りにしてしまう。
ササは興味を失ったのか、海へと伸びる命綱をぼんやりと見ている。命綱の動きはいつの間にか止まっていた。海の果てにたどりついたのか、それともなにか足を止めるようなトラブルにでも遭遇したのか――。
チカがふと不安に駆られていると、命綱がぐらぐらと海の中で揺れるのが見えた。
違う。海が揺れているのだ。
それに気づいた次の瞬間には、海も砂浜も消えていた。まるで夢でも見ていたかのように、なにもかもがなくなってしまった。
そして一〇メートルほど先という、案外と近い位置に命綱を腰につけて、銛を手にした男性陣が立っているのが見えた。
「あ! おーい!」
マシロがぴょんと跳ねて右腕を振る。それに気づいたコーイチとアオが振り返った。続いてアマネとユースケも。彼らはみな疲れた顔をしていたので、チカは己が「暇だな」などと思っていたことをちょっと後ろめたく思った。
やがて七人は合流する。男性陣の身体は不思議と濡れていなかったが、近づくとほのかに潮の香りがした。
そしてコーイチの手には虹色のビー玉のようなものが握られていた。
「それなに?」
マシロが真っ先に問う。
「わかんね。海の底に栓があってさ……それ抜いたら海が消えて穴にこの玉があったんだよ」
「で、それをコーイチが取ったらその穴も消えた」
興味深そうに玉を見るマシロへ、コーイチは手にあるそれを差し出した。マシロの、コーイチよりもひと回りは小さな手のひらに虹色のビー玉が転がる。それを見て、マシロはわかりやすく目を輝かせた。
「おー、キレイ!」
「コーイチ、マシロに渡すなよ。気に入っちゃったじゃん」
アオがコーイチに文句を言うが、マシロはその言葉通りすっかりその虹色のビー玉を気に入ってしまったようだ。
しかしアオが、さっとマシロから虹色のビー玉を奪ってしまう。マシロが「あーっ」と抗議の声を上げるが、アオは知らん顔をしてビー玉を床に叩きつけた。
パリン、とビー玉……のようなものが弾けるように割れてしまう。
その瞬間、チカたちの頭上に虹がかかった。
しかしそれもまたたきのあいだの出来事で、次の瞬間にはもう幻のように消え失せてしまっていた。
「持って帰ろうと思ったのに……」
「やめとけよ。また厄介な品かもしれないだろ」
虹に目を奪われたが、それはそれとしてマシロはあれを持ち帰りたかったらしい。
チカはなにも言わなかったが、このときばかりはアオの言に賛成であった。
マシロも、一応アオの言うことには理解を示してはいたものの、未練たらしく頭上を眺めるばかりだった。
今、男性陣は地下施設に突如出現した海へと潜り、この海が現れた原因を探っているのだ。
その岸辺で待機するチカ、マシロ、ササはぐんぐんと伸びて行く命綱を見ていることしかできない。
そう、見ていることしかできないので「暇」であったのだ。
繰り返しになるが、そういう場合ではないことは百も承知。承知の上でやはり三人のあいだに間延びした空気が蔓延し始めているのもまた、事実であった。
海は潜ってもなぜか呼吸ができるので窒息や溺死の心配はない。ただ、道中でどんな危険に遭遇するかは未知数だ。それに、この海そのものが現れた原因も定かではない。非常事態なのだ。
しかし、三人が三人とも「暇だな」と思っているのはたしかであった。そして、そうしているあいだにも男性陣とを繋ぐ命綱は伸びて行く。
「ねえ、なにか流れてきてない?」
最初にそれに気づいたのはチカだった。
海風が柔らかく吹き付ける中、海の中からなにかが浮上してくるのを見つけたのだ。間違っても、人間ではない。もっと、はるかに小さな――ガラス瓶だ。
そのガラス瓶はさながら川流れをする桃のように、意思を持っているかのように、どんぶらこっこと波打ち際までやってきた。
暇を持て余していたチカは、砂浜――これも海と一緒に現れたのだ――から立ち上がり、波打ち際へ近づく。
ざざん、ざざん、と波が寄せては引いて行くさまを見計らって、どうにかワンピースの裾を濡らさずにガラス瓶を手にすることができた。
チカがふたりのもとへ戻れば、マシロは興味津々と言った顔でガラス瓶を見る。ササもそれなりに興味があるようだった。表情はまるで変わっていないが、かすかに瞳が輝いているように見えた。
「なんだろこれ……小説?」
ガラス瓶の中には白い紙が入っていた。ボトルメールというやつである。
しかし場所が場所だ。ここは閉鎖された“城”の地下で、そしてボトルメールが流れてきた海は突如として現れた異様の存在。
そんなところから流れてきたボトルメールの中身は、残念ながらチカの興味を引くものではなかった。
簡素な文体でつづられたそれは、現実にあったことを手紙としてしたためたと言うよりは、フィクションを書き記したように読める。
「え? どんなの? 見せて見せて」
ひと一倍興味を示したマシロにチカは紙を渡した。マシロが目で文を追い始めると、ササも横から顔を覗かせて読んでいるようだ。
「……なんなんだろうね、これ」
やがてマシロも単なる小説には興味を持てなかったのか、そう言って紙を折りたたんでしまった。
「よくわかんないね。SF小説モドキって感じだったけど……」
「そうだねー。……チカはこういうの興味ないカンジ?」
ボトルメールの内容は、人類の文明がなんらかの理由で滅び、それからかろうじて生き延びた少数の人々について記述している……というようなものだった。
「ハイファンタジーとかのほうが好きかな。あんまり自分のいる世界と地続きじゃない感じの話のほうが好きなのかも……今考えたことだけど」
「そっか」
マシロはそう言って手紙を四つ折りにしてしまう。
ササは興味を失ったのか、海へと伸びる命綱をぼんやりと見ている。命綱の動きはいつの間にか止まっていた。海の果てにたどりついたのか、それともなにか足を止めるようなトラブルにでも遭遇したのか――。
チカがふと不安に駆られていると、命綱がぐらぐらと海の中で揺れるのが見えた。
違う。海が揺れているのだ。
それに気づいた次の瞬間には、海も砂浜も消えていた。まるで夢でも見ていたかのように、なにもかもがなくなってしまった。
そして一〇メートルほど先という、案外と近い位置に命綱を腰につけて、銛を手にした男性陣が立っているのが見えた。
「あ! おーい!」
マシロがぴょんと跳ねて右腕を振る。それに気づいたコーイチとアオが振り返った。続いてアマネとユースケも。彼らはみな疲れた顔をしていたので、チカは己が「暇だな」などと思っていたことをちょっと後ろめたく思った。
やがて七人は合流する。男性陣の身体は不思議と濡れていなかったが、近づくとほのかに潮の香りがした。
そしてコーイチの手には虹色のビー玉のようなものが握られていた。
「それなに?」
マシロが真っ先に問う。
「わかんね。海の底に栓があってさ……それ抜いたら海が消えて穴にこの玉があったんだよ」
「で、それをコーイチが取ったらその穴も消えた」
興味深そうに玉を見るマシロへ、コーイチは手にあるそれを差し出した。マシロの、コーイチよりもひと回りは小さな手のひらに虹色のビー玉が転がる。それを見て、マシロはわかりやすく目を輝かせた。
「おー、キレイ!」
「コーイチ、マシロに渡すなよ。気に入っちゃったじゃん」
アオがコーイチに文句を言うが、マシロはその言葉通りすっかりその虹色のビー玉を気に入ってしまったようだ。
しかしアオが、さっとマシロから虹色のビー玉を奪ってしまう。マシロが「あーっ」と抗議の声を上げるが、アオは知らん顔をしてビー玉を床に叩きつけた。
パリン、とビー玉……のようなものが弾けるように割れてしまう。
その瞬間、チカたちの頭上に虹がかかった。
しかしそれもまたたきのあいだの出来事で、次の瞬間にはもう幻のように消え失せてしまっていた。
「持って帰ろうと思ったのに……」
「やめとけよ。また厄介な品かもしれないだろ」
虹に目を奪われたが、それはそれとしてマシロはあれを持ち帰りたかったらしい。
チカはなにも言わなかったが、このときばかりはアオの言に賛成であった。
マシロも、一応アオの言うことには理解を示してはいたものの、未練たらしく頭上を眺めるばかりだった。
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