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楓蔦黄(もみじつたきばむ)
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始まりは、紅葉したカエデの葉が本のあいだに挟まっていた出来事から。
それを最初に見つけたのはチカだった。そのときはなんとも思わなかった。たしかに珍しいとは思いはしたが、それだけで深くは考えもしなかった。六人のうちだれかがしおり代わりに使ったのだろうと解釈したのだ。
しおりが挟まっていた本の題名はもう思い出せない。ただ、しおりがあったページに書かれていた一文だけは、なぜか鮮明に覚えている。
『ミカは走り出したものの、床につま先を引っかけてしまった。ぐらりと揺らぐミカの身体。チトセはそれを抱きとめたが、同時にふたりの唇は重なって』
いわゆる、「事故チュー」のシーンであった。ということはチカがたまたま手にしたその本は少女小説であったのかもしれない。しかし、今となってはどうでもいいことである。
重要なのは、カエデの葉がしおりのように挟まっていたページの、その内容だ。
そのときのチカは手にした本がお気に召さなかったので本棚に戻した。今はそういう気分ではない。そう思って空いていた空間にハードカバーの本を差し戻した。
カエデのしおりはそのままにしておいた。なぜそうしたのか。そこに深い意味はない。ただしおりの位置を元通りにして、また元通り本棚に本を差し込んだ。それだけのことだった。
問題はそのあとだ。ピンとこなかった本の存在など忘れ去ったチカは、部屋へ戻ったときにカーペットの端につま先を引っかけてしまったのだ。両手は本を抱えており、素早くそれらを手放して腕を前に出すといった芸当はチカにはできなかった。
「あっ」と思う間もなく転ぶところだったのを、たまたま同じ部屋にいたアマネが抱きとめてくれた。
そしてチカが「あっ」と思う間もなく、唇に衝撃が走った。チカはなにが起こったのかわからず混乱した。
「ごめん!」
とりあえず転んでしまった上、いきおいよくアマネに突っ込む形となったことを謝罪する。
だが目の前にいるアマネはおどろきに眉を吊り上げて、みるみるうちに顔を赤くさせた。チカはそれを一瞬怒っているのかと勘違いしたが、ややあってからそれは単なる思い違いであると悟った。
脳裏をよぎるのは、先ほど、特に気を引かれなかった本の一文。
『ミカは走り出したものの、床につま先を引っかけてしまった。ぐらりと揺らぐミカの身体。チトセはそれを抱きとめたが、同時にふたりの唇は重なって』
チカはようやく己がアマネと「事故チュー」をしてしまったのだと悟った。
ぶわっと背中に汗をかく感覚が走る。恥ずかしさと申し訳なさで顔に熱が集まり、思わずチカはうつむいた。それでも思い切りぶつけた唇がじんわりと痛んで、先ほどの出来事は夢ではないのだといらぬ主張をしてくる。
「事故だから」
アマネがチカには視線を合わせず、うめくように言った。
「うん……」
チカはそう答えることしかできなかった。
先ほどのアマネの言葉は、「気にするな」という意味だろう。わかってはいたが、それでも恥ずかしかった。
その晩は色々と考え込んでしまい、チカはなかなか眠りにつけなかった。
「事故チュー」だなんてアマネはイヤだっただろうな、とか。あれが己のファーストキスなのだろうか、とか。いや、そう言えば以前にも事故でキスをしてしまったことはあったな、とか。明日から気まずくならないといいなあ、とか……。
だがチカの悩みが些細なことと言えるほどの問題が、七人に降りかかることになる。
「つーわけで、このモミジをどうするかって問題なんだが……」
「そんなの、燃やす一択でしょ」
例の「事故チュー」から一週間ほど経過したある日。七人は食堂に集まっていた。音頭を取るのはコーイチである。彼の手には紅葉したカエデの葉があった。なんの変哲もない、モミジである。しかしこれが大問題だった。
どうやらこのカエデの葉には不思議な力が宿っているようなのだ。もともとおかしなアイテムであるのか、あるいは“城”が持つ不可思議な魔力に触れた結果なのかは定かではない。
問題は、このカエデの葉がごく普通の本にしおりのようにして挟まっていることだった。
どうも、このカエデの葉が挟まっていたページに書かれていたことが、現実に起こるようなのである。
最初はみな当然のごとく偶然だと思っていたが、ここのところ怪我をする頻度が上がったことで「おかしい」と感じるようになった。
突然棚が壊れて頭上に物が降ってきたり、手元が狂って包丁で指先を切ってしまったり――。一番多いのはなにもないところで転ぶことだった。
そして七人の直近の体験を擦り合わせた結果、浮上したのがくだんの紅葉したカエデの葉であった。
怪我をした人間は、その直前に地下図書館を訪れていた。そしてそこで興味を引かれない本を手にして、しおりのように挟まっていたカエデの葉を目撃している。
七人とも、カエデの葉をしおりに使った覚えはなかった。ということは、このカエデの葉が超常の力を有しているのかもしれない。“城”では摩訶不思議な出来事はいくらでも起こるので、七人がその考えにすぐに至れたのはまぐれ当たりなどではなかった。
「また燃やすパターンか」
ユースケがため息をついて言う。つい先日も同じ手法を用いたことを思い出しているのだろう。チカもそうだったので、すぐにわかった。
しかし燃やす以外の有用そうな選択肢もない。燃え尽きてスミになってもまだ力を発揮するようであれば、またそのときに対策を考えればいいという話だからだ。
「モミジが変な現象を引き起こしているのか、それともモミジは単なる警告なのか、どっちなんだろう?」
「後者だったらモミジ燃やしても意味ないってことになんのかな」
「まあ、そのときはそのときってことで」
そして自然な流れで、台所のコンロでカエデの葉を燃やした。カエデの葉は燃えにくいとか、以前の出来事のように火に入れたら異臭がしたとかいうこともなく、普通に燃え尽きた。そして以後、不自然な怪我はなくなった。
それにしても「事故チュー」を引き起こすなんて罪深いカエデの葉である。チカはなんとなく恨みがましい気持ちになった。
とは言え、不可思議なカエデの葉をどうするか話し合ったこともあって、「事故チュー」自体はウヤムヤになった印象がある。アマネが今どう思っているかは、もちろんエスパーではないのでチカにはわからない。ただチカのほうの気がまぎれたのは事実だ。
「事故チュー」……そう、あれは「事故」だ。チカは己にそう言い聞かせることで、思い返すたびに湧き上がるむずがゆい感覚をも忘れようとした。
それを最初に見つけたのはチカだった。そのときはなんとも思わなかった。たしかに珍しいとは思いはしたが、それだけで深くは考えもしなかった。六人のうちだれかがしおり代わりに使ったのだろうと解釈したのだ。
しおりが挟まっていた本の題名はもう思い出せない。ただ、しおりがあったページに書かれていた一文だけは、なぜか鮮明に覚えている。
『ミカは走り出したものの、床につま先を引っかけてしまった。ぐらりと揺らぐミカの身体。チトセはそれを抱きとめたが、同時にふたりの唇は重なって』
いわゆる、「事故チュー」のシーンであった。ということはチカがたまたま手にしたその本は少女小説であったのかもしれない。しかし、今となってはどうでもいいことである。
重要なのは、カエデの葉がしおりのように挟まっていたページの、その内容だ。
そのときのチカは手にした本がお気に召さなかったので本棚に戻した。今はそういう気分ではない。そう思って空いていた空間にハードカバーの本を差し戻した。
カエデのしおりはそのままにしておいた。なぜそうしたのか。そこに深い意味はない。ただしおりの位置を元通りにして、また元通り本棚に本を差し込んだ。それだけのことだった。
問題はそのあとだ。ピンとこなかった本の存在など忘れ去ったチカは、部屋へ戻ったときにカーペットの端につま先を引っかけてしまったのだ。両手は本を抱えており、素早くそれらを手放して腕を前に出すといった芸当はチカにはできなかった。
「あっ」と思う間もなく転ぶところだったのを、たまたま同じ部屋にいたアマネが抱きとめてくれた。
そしてチカが「あっ」と思う間もなく、唇に衝撃が走った。チカはなにが起こったのかわからず混乱した。
「ごめん!」
とりあえず転んでしまった上、いきおいよくアマネに突っ込む形となったことを謝罪する。
だが目の前にいるアマネはおどろきに眉を吊り上げて、みるみるうちに顔を赤くさせた。チカはそれを一瞬怒っているのかと勘違いしたが、ややあってからそれは単なる思い違いであると悟った。
脳裏をよぎるのは、先ほど、特に気を引かれなかった本の一文。
『ミカは走り出したものの、床につま先を引っかけてしまった。ぐらりと揺らぐミカの身体。チトセはそれを抱きとめたが、同時にふたりの唇は重なって』
チカはようやく己がアマネと「事故チュー」をしてしまったのだと悟った。
ぶわっと背中に汗をかく感覚が走る。恥ずかしさと申し訳なさで顔に熱が集まり、思わずチカはうつむいた。それでも思い切りぶつけた唇がじんわりと痛んで、先ほどの出来事は夢ではないのだといらぬ主張をしてくる。
「事故だから」
アマネがチカには視線を合わせず、うめくように言った。
「うん……」
チカはそう答えることしかできなかった。
先ほどのアマネの言葉は、「気にするな」という意味だろう。わかってはいたが、それでも恥ずかしかった。
その晩は色々と考え込んでしまい、チカはなかなか眠りにつけなかった。
「事故チュー」だなんてアマネはイヤだっただろうな、とか。あれが己のファーストキスなのだろうか、とか。いや、そう言えば以前にも事故でキスをしてしまったことはあったな、とか。明日から気まずくならないといいなあ、とか……。
だがチカの悩みが些細なことと言えるほどの問題が、七人に降りかかることになる。
「つーわけで、このモミジをどうするかって問題なんだが……」
「そんなの、燃やす一択でしょ」
例の「事故チュー」から一週間ほど経過したある日。七人は食堂に集まっていた。音頭を取るのはコーイチである。彼の手には紅葉したカエデの葉があった。なんの変哲もない、モミジである。しかしこれが大問題だった。
どうやらこのカエデの葉には不思議な力が宿っているようなのだ。もともとおかしなアイテムであるのか、あるいは“城”が持つ不可思議な魔力に触れた結果なのかは定かではない。
問題は、このカエデの葉がごく普通の本にしおりのようにして挟まっていることだった。
どうも、このカエデの葉が挟まっていたページに書かれていたことが、現実に起こるようなのである。
最初はみな当然のごとく偶然だと思っていたが、ここのところ怪我をする頻度が上がったことで「おかしい」と感じるようになった。
突然棚が壊れて頭上に物が降ってきたり、手元が狂って包丁で指先を切ってしまったり――。一番多いのはなにもないところで転ぶことだった。
そして七人の直近の体験を擦り合わせた結果、浮上したのがくだんの紅葉したカエデの葉であった。
怪我をした人間は、その直前に地下図書館を訪れていた。そしてそこで興味を引かれない本を手にして、しおりのように挟まっていたカエデの葉を目撃している。
七人とも、カエデの葉をしおりに使った覚えはなかった。ということは、このカエデの葉が超常の力を有しているのかもしれない。“城”では摩訶不思議な出来事はいくらでも起こるので、七人がその考えにすぐに至れたのはまぐれ当たりなどではなかった。
「また燃やすパターンか」
ユースケがため息をついて言う。つい先日も同じ手法を用いたことを思い出しているのだろう。チカもそうだったので、すぐにわかった。
しかし燃やす以外の有用そうな選択肢もない。燃え尽きてスミになってもまだ力を発揮するようであれば、またそのときに対策を考えればいいという話だからだ。
「モミジが変な現象を引き起こしているのか、それともモミジは単なる警告なのか、どっちなんだろう?」
「後者だったらモミジ燃やしても意味ないってことになんのかな」
「まあ、そのときはそのときってことで」
そして自然な流れで、台所のコンロでカエデの葉を燃やした。カエデの葉は燃えにくいとか、以前の出来事のように火に入れたら異臭がしたとかいうこともなく、普通に燃え尽きた。そして以後、不自然な怪我はなくなった。
それにしても「事故チュー」を引き起こすなんて罪深いカエデの葉である。チカはなんとなく恨みがましい気持ちになった。
とは言え、不可思議なカエデの葉をどうするか話し合ったこともあって、「事故チュー」自体はウヤムヤになった印象がある。アマネが今どう思っているかは、もちろんエスパーではないのでチカにはわからない。ただチカのほうの気がまぎれたのは事実だ。
「事故チュー」……そう、あれは「事故」だ。チカは己にそう言い聞かせることで、思い返すたびに湧き上がるむずがゆい感覚をも忘れようとした。
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