ドグマの城

やなぎ怜

文字の大きさ
上 下
58 / 78

霎時施(こさめときどきふる)

しおりを挟む
 しとしとと外で小雨が降りしきる中、チカはベッドで丸くなっていた。

 なんてことは――あるだろう。ひどい月経痛は放置しておくと大変なことになる。チカにだってそれくらいの知識はある。けれども今はどうこうできず、ただ嵐という名の痛みが去るのを待つことしかできない。

 これがなんらかの怪我であれば日が変わるまでの辛抱だ。この“城”の力なのか、チカたちの体質なのかは定かではないが、怪我をしても日をまたげば綺麗に治る。

 しかし、どうも月経痛はそのシステムの範疇外であるらしい。チカからすれば、理不尽極まりない。午前レイ時を過ぎても、月経痛は治まらないのだ。ただただ、痛みのピークが過ぎ去るのを待つしかないわけであった。

 そういうわけでチカはベッドの上で身を丸めて痛みが過ぎ去るのを待っている。掛け布団の中、腰の辺りには湯たんぽを常備して。その熱のお陰で痛みは多少マシであったが、まだ多少である。痛いものは痛い。

 こんな内側から引きちぎられるような痛みに襲われるのは久しぶりだった。

 チカの見た目はミドルティーンの子供である。それがこの月経痛とどうかかわってくるかは医者でもないのでわからないが、チカはこの痛みは年齢的なものもあるのではないかとにらんでいた。

 加えて、月経の周期が安定していないこともある。これも年齢的なものかもしれないし、もしかしたら環境の問題かもしれない。

 記憶喪失という状況は、明らかにストレス源であろう。チカ自身はあまり気にしないようにしているが、単純に考えて通常覚えているはずのことを、覚えていないことだらけというのは、ストレスになるだろう。

 チカは己が繊細な精神の持ち主だと思ったことはない。けれども図太いというほどでもないと思っており、とすればやはり記憶喪失がストレスとなって月経不順を引き起こしている可能性は、じゅうぶんにあるだろう。

 そして、そうやってチカが考えるということは、周囲の人間もその考えに至れるということを意味していた。チカはおどろくほどの知能もなければ、突飛な奇人変人でもなかったので、彼女と同じ道程をたどってその結果を出すのはなんら不思議なことではない。

 つまりは、心配をかけてしまっている。

 外で小雨が降りしきっているということは、空には雨雲が敷き詰められているのだろう。太陽の光がさえぎられて、“城”の内部は少し肌寒い。しかしストーブを使うほどでもないとチカは感じていたので、湯たんぽで暖を取っている。

 昼からずっとグロッキー状態のチカを、特にマシロと――アマネは心配をしてくれている。

 それはありがたく、一方で申し訳ない気持ちになる。うれしいが、なんとなく放っておいて欲しい気持ちにもなる。月経は病気ではないし、峠を越えればすぐに元気も復活することをわかっているからだろう。チカとしては今の状況はむずがゆいわけであった。

 繰り返しになるが、チカは己の神経を図太いとは思ってはいないものの、繊細なタチでもないと思っている。

 だから、他の六人が気にするように、記憶喪失の件がチカに大きな影響を――ストレスを――与えているとか、そういうことはあんまりないだろうと思っていた。

 六人は、どういうことか以前のチカについて手取り足取り懇切丁寧に教えてくれるわけではない。完全にそうではないにせよ、意図的にその話題を避けているフシがある。

 六人はそのことを、もしかしたら後ろめたく思っているのかもしれない。だからチカが体調を崩すと、チカが思っているよりも心配してくれるのかもしれない。

「おい、夕食持ってきたぞ。……起きれるか?」

 ぶっきらぼうな言葉とは対照的に、いつもより柔らかく聞こえる声でアマネが言う。

 チカがうとうととしているあいだに、アマネは夕食を済ませて部屋に戻ってきたようだ。わざわざチカの夕食を持って。

 チカは「起きてる」と取り繕って、緩慢な動作で上半身を起こした。

「食欲あるか?」
「……ある。たぶん」

 痛みを訴える子宮と、胃の位置が近いせいかイマイチ今の己がどれほど空腹であるのか、チカにはわからなかった。

 とは言え、わざわざ作ってもらった夕食を無下にするのも気が引ける。ベッドにいても食べやすいようにと考えたのだろう、中くらいのおにぎりふたつのうち、ひとつを手に取った。

「痛みは?」

 どこか険しさを感じられる表情のまま、アマネが湯たんぽを取り換えてくれる。掛け布団の内側に温かさが戻る。

 いつになく甲斐甲斐しいアマネに、チカはまたむずがゆさを覚えた。

「まだツライけど……今まで通りなら明日はもう普通に動けるようになるはず」
「……無理すんなよ」
「心配しすぎのような……」
「日をまたいでも治らねえんだから、心配もするだろ」

 もそもそとチカがおにぎりを頬張っているあいだに、アマネがグラスに水を注いでくれた。

 やはりいつになく甲斐甲斐しいとチカは思った。そしてやはり、それがむずがゆいような、気恥ずかしいような気持ちにさせられた。しかし当然、そんなアマネの優しさをうれしく思っているチカもいて。

「そんな深刻に考えなくても」

 言ったあとで、失敗したかなとチカは思った。謙虚も過ぎればただの嫌味だ。アマネが悪い風に受け取ってないことを祈りつつ、チカはちらりと上目遣いにアマネを見る。

 アマネは、

「……仲間だと思ってるんだから、心配くらいさせろ」

 とぶっきらぼうに言ったあと、顔をそらしてしまった。しかしランタンに照らされた横顔は、どこか赤くも見えて、チカはまたうれしくもむずがゆい気持ちにさせられたのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

三度目の嘘つき

豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」 「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」 なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。

処理中です...