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菊花開(きくのはなひらく)
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「秋と言えばキクよ。菊見に菊花酒、菊晴れ……とにかく秋と言えばキクなのよ。ねえ、菊枕って知っている? 乾燥させたキクを枕の中に入れるの。いい香りがするのよ。それを女性から男性へ送るの。その枕を使うと恋しい人が夢に出てくるってわけ。ねえ素敵でしょう? キクってすごいでしょう?」
チカはうんうんとうなずいていた。右手に持ったグラスの中には先ほど彼女が述べた菊花酒がなみなみと注がれている。それを口から迎えに行けば、喉をアルコールが通り過ぎる感覚が走り、胃に入ってしまえばなんだかふわふわと浮ついた気持ちがついてくる。
チカはうんうんとうなずいて、しょぼしょぼとする目をあぐらをかいている己の脚へと向ける。脚を組んだことでできたくぼみには、アマネが頭をは預けて眠っていた。これも膝枕と言っていいんだろうかとチカは思った。
「ん……?」
なんでアマネが己の組んだ脚に頭を預けて寝ているのだろう? チカの脳裏に疑問がよぎる。意地っ張りなところがあって、ともすれば反抗期に入った弟のような態度を取るアマネ。彼がなぜ素直にチカに頭を預けているのだろう?
しかも他人の目がないふたりきりならいざ知らず、この場――地下植物園には他の五人もいる。五人ともチカのように酒の入ったグラスを持って、楽しそうに酒盛りをしている。
なんで酒盛りなんてしているんだろう? なんで酒盛りなんてできているんだろう? チカの頭の中で、疑問が次から次へと湧いて出てくる。
“城”に運び込まれる“捨品”は多種多様だが、酒類が持ち込まれることはまず、ない。チカたちが子供だから必要だとは思われていないのだろう、というのが七人共通の見解だった。
しかし今、なぜか酒がある。チカが手にしたグラスには、相変わらず酒がなみなみと注がれていた。つい先ほど、口をつけたはずなのに、またグラスいっぱいに酒がある。
……そもそも、先ほどからチカに話しかけてくる「彼女」とはだれなのだろう?
チカはグラスから目を外し、それより遠くにいる「彼女」に焦点を合わせた。
「???!!!」
キクがあった。巨大なキクだ。花の部分がチカの頭よりひと回りは大きく、花弁を優雅に広げたキクがあった。色は黄味がかった白で、造形自体はありふれたキクそのものだったが、いかんせん巨大だ。チカがたまげたのも無理はない。
チカがおどろきに体を揺らすと、グラスから酒がこぼれて下で寝ていたアマネにかかる。
「ん……? なんだ……」
それで目を覚ましたアマネが最初に見たのは、泡を食った顔をしたチカであった。
アマネは上半身を起こしてびしょびしょに濡れて、額に張りついた前髪を鬱陶し気に上げる。そしてきょろきょろと周囲を見回して、彼も異常事態に気がついたらしい。
「ごめんアマネ! でもそれどころじゃないんだ!」
「なんだこれ……」
「……わかんない」
コーイチとアオは肩を組んでぐいぐい酒を飲んで笑っているし、マシロは木の根元で体を丸めて寝入っている。ササとユースケは静かに飲んでいたが、飲むペースがあまりにも早く、酩酊していることは明らかだった。
「なんだこれ」
アマネが濡れたまつげをまたたかせてもう一度同じことを言う。チカにはその気持ちがよくわかった。しかし今はそれどころではない。ここは冷静に対処しなければと思い、チカは平静を装ってアマネに言う。
「思い出してきたんだけど、私ずっとキクとしゃべってた」
「キク?」
「花のキクね。すごい大きな、私の頭よりも大きなキクとしゃべっていて……」
「……キクってあれか?」
アマネが指さした方向を見て、チカは「そうそう」と言った。言ったあとでまた泡を食うはめになった。
「枯れてる?!」
そう、先ほどまでみずみずしい黄味がかった白の花弁をほころばせていたキクは、今や茶色くしなびれていたのだ。
枯れたキクは巨大であったこともあって、その姿はどこかグロテスクですらある。チカがおどろくのも、無理からぬことであった。
「いや、あの、ついさっきまでキクとしゃべってたんだよ」
「酔っぱらってるのか?」
「酔ってはいると思う! けど、本当にキクがしゃべってたんだって!」
アマネが疑わし気な目をむけてきたので、チカは思わず声を張って反論してしまう。それが功を奏したのか、あるいはチカを哀れに思ってか、アマネはひとまず信じてくれたようであった。
「まあ、この謎の現象の原因が、そこの枯れてるキクだって言うなら納得はできる」
「そうだね……やっぱりキクのせいだよね。お酒なんて貰ってないし、なんか途中の記憶が抜けてるし」
「……とりあえず、他のやつらを正気に戻すぞ」
結局、あのキクがなんだったのかはわからずじまいだ。
しかし夢ではなかったことはたしかである。なにせ七人はあのあと思い切り悪酔いして苦しんだのだから。
それでも“城”の力で午前〇時を回ればすっかり症状はなくなった。もしこの摩訶不思議な力がなければ、二日酔いは確実だっただろう。そう考えると、今回ばかりは“城”の不気味なパワーに感謝したくなったチカたちであった。
チカはうんうんとうなずいていた。右手に持ったグラスの中には先ほど彼女が述べた菊花酒がなみなみと注がれている。それを口から迎えに行けば、喉をアルコールが通り過ぎる感覚が走り、胃に入ってしまえばなんだかふわふわと浮ついた気持ちがついてくる。
チカはうんうんとうなずいて、しょぼしょぼとする目をあぐらをかいている己の脚へと向ける。脚を組んだことでできたくぼみには、アマネが頭をは預けて眠っていた。これも膝枕と言っていいんだろうかとチカは思った。
「ん……?」
なんでアマネが己の組んだ脚に頭を預けて寝ているのだろう? チカの脳裏に疑問がよぎる。意地っ張りなところがあって、ともすれば反抗期に入った弟のような態度を取るアマネ。彼がなぜ素直にチカに頭を預けているのだろう?
しかも他人の目がないふたりきりならいざ知らず、この場――地下植物園には他の五人もいる。五人ともチカのように酒の入ったグラスを持って、楽しそうに酒盛りをしている。
なんで酒盛りなんてしているんだろう? なんで酒盛りなんてできているんだろう? チカの頭の中で、疑問が次から次へと湧いて出てくる。
“城”に運び込まれる“捨品”は多種多様だが、酒類が持ち込まれることはまず、ない。チカたちが子供だから必要だとは思われていないのだろう、というのが七人共通の見解だった。
しかし今、なぜか酒がある。チカが手にしたグラスには、相変わらず酒がなみなみと注がれていた。つい先ほど、口をつけたはずなのに、またグラスいっぱいに酒がある。
……そもそも、先ほどからチカに話しかけてくる「彼女」とはだれなのだろう?
チカはグラスから目を外し、それより遠くにいる「彼女」に焦点を合わせた。
「???!!!」
キクがあった。巨大なキクだ。花の部分がチカの頭よりひと回りは大きく、花弁を優雅に広げたキクがあった。色は黄味がかった白で、造形自体はありふれたキクそのものだったが、いかんせん巨大だ。チカがたまげたのも無理はない。
チカがおどろきに体を揺らすと、グラスから酒がこぼれて下で寝ていたアマネにかかる。
「ん……? なんだ……」
それで目を覚ましたアマネが最初に見たのは、泡を食った顔をしたチカであった。
アマネは上半身を起こしてびしょびしょに濡れて、額に張りついた前髪を鬱陶し気に上げる。そしてきょろきょろと周囲を見回して、彼も異常事態に気がついたらしい。
「ごめんアマネ! でもそれどころじゃないんだ!」
「なんだこれ……」
「……わかんない」
コーイチとアオは肩を組んでぐいぐい酒を飲んで笑っているし、マシロは木の根元で体を丸めて寝入っている。ササとユースケは静かに飲んでいたが、飲むペースがあまりにも早く、酩酊していることは明らかだった。
「なんだこれ」
アマネが濡れたまつげをまたたかせてもう一度同じことを言う。チカにはその気持ちがよくわかった。しかし今はそれどころではない。ここは冷静に対処しなければと思い、チカは平静を装ってアマネに言う。
「思い出してきたんだけど、私ずっとキクとしゃべってた」
「キク?」
「花のキクね。すごい大きな、私の頭よりも大きなキクとしゃべっていて……」
「……キクってあれか?」
アマネが指さした方向を見て、チカは「そうそう」と言った。言ったあとでまた泡を食うはめになった。
「枯れてる?!」
そう、先ほどまでみずみずしい黄味がかった白の花弁をほころばせていたキクは、今や茶色くしなびれていたのだ。
枯れたキクは巨大であったこともあって、その姿はどこかグロテスクですらある。チカがおどろくのも、無理からぬことであった。
「いや、あの、ついさっきまでキクとしゃべってたんだよ」
「酔っぱらってるのか?」
「酔ってはいると思う! けど、本当にキクがしゃべってたんだって!」
アマネが疑わし気な目をむけてきたので、チカは思わず声を張って反論してしまう。それが功を奏したのか、あるいはチカを哀れに思ってか、アマネはひとまず信じてくれたようであった。
「まあ、この謎の現象の原因が、そこの枯れてるキクだって言うなら納得はできる」
「そうだね……やっぱりキクのせいだよね。お酒なんて貰ってないし、なんか途中の記憶が抜けてるし」
「……とりあえず、他のやつらを正気に戻すぞ」
結局、あのキクがなんだったのかはわからずじまいだ。
しかし夢ではなかったことはたしかである。なにせ七人はあのあと思い切り悪酔いして苦しんだのだから。
それでも“城”の力で午前〇時を回ればすっかり症状はなくなった。もしこの摩訶不思議な力がなければ、二日酔いは確実だっただろう。そう考えると、今回ばかりは“城”の不気味なパワーに感謝したくなったチカたちであった。
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