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温風至(あつかぜいたる)
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石造りの“城”の暗い内部はひんやりとしている……のだが、ここのところは窓に近づくとかすかな熱気を感じられるようになった。窓という窓に張りつけられた木板の隙間からときおり吹いてくる風にも、湿気を感じなくなってきた。
もう少し季節が進めばセミの鳴き声がうるさく聞こえてくるだろう。
そんな頃合いに、チカたちは風鈴の音の源を求めて暗い廊下を進んでいた。それを茶化すかのように、風鈴の音が遠くから響き渡ってくる。リンリンとうるさく鳴る音は、聴く者から涼やかさを感じる余裕を確実に奪って行く。
例によって、例のごとく、“城”に持ち込まれた“捨品”が原因であった。呪われていたのかなんなのか、“捨品”として持ち込まれた風鈴はいつの間にか姿を消し、今現在絶賛リンリンという音を“城”中に響かせているわけである。
マシロ曰く「スイカの模様が絵付けされていた」という姿の見えなくなった風鈴を捜すべく、七人はしなくてもいいはずの苦労をしている最中なのであった。
チカもみんなも、風鈴の音が嫌いと言うわけではない。しかしものには限度がある。姿を消した風鈴から発せられる音は、どうにも鳴る頻度がひどく、自然「うるさい」という感情を抱くに至る。
チカの隣を歩くアマネをちらりと見れば、彼の眉間には深いしわが刻まれていた。今日ばかりは、チカもそういう顔をしたくなる。鳴り続ける風鈴の音を聞きながら、チカは己のストレス値が上がって行くのを感じた。
「だいぶ近くない?」
チカはそう言ってアマネを見た。アマネはなにも言わずに軽くうなずく。
ストレスの元凶である風鈴まで近い。見つけたら叩き割ってやる、といつになく好戦的に思って、チカは棒を握る手に力を込めた。
しかし――。
「あ」
風鈴の音がこれまでで最大限に近くなったと思ったのは、廊下の角を曲がってからだ。
チカとアマネの視線の先には三つの影がある。よく見て確認するまでもなく、それはマシロ、コーイチ、アオの三人であることは明白だ。
そしてその三人の頭上には、マシロが証言した通り、スイカの絵付けがされた風鈴が身を揺らしている。
リンリンリンリン。
命を燃やして鳴くセミのごとく、うるさく鳴る風鈴を叩き潰さんと、コーイチが果敢に棒を振るっている。だが上手く当たらないらしく、風鈴の音は一向にやまない。
しかし、それにしても……コーイチが一生懸命、頭上に向かって棒を振るうさまは……。
「サルの知能実験みたいだな……」
やる気がなさそうに傍観していたアオが、言ってはいけないことを言った。
当然、コーイチは怒り出す。
「ああん?!」
「ほら、吊るされたバナナを棒で取らせようとするやつ」
「それくらい知ってるわ! ぼーっと見てるだけならお前もやれよ!」
「えー……やだ」
「ああん?!」
やいのやいのと言い合いを始めてしまったコーイチとアオを、マシロが冷めた目で見ている。特に止めるつもりはないようだ。
そうしているあいだにも、頭上ではリンリンリンリンと風鈴が身を震わせて騒音をまき散らしている。
どうしようかなと思いながらチカが見上げていると、アマネがスッと前に踏み込む。
次の瞬間には、アマネが手にしていた棒の先が風鈴に直撃していた。
ガラスが割れる涼やかな音がして、風鈴の破片が廊下に散らばる。
音がやんだので、アオの胸倉をつかんでいたコーイチの動きも止まった。
「気をつけろよ」
しゃがんで風鈴の破片を検分しだしたマシロに、アマネがそっけなく言う。ぶっきらぼうな口調に反して、言ったことはマシロを心配しての言葉であったから、なんだかおかしい気持ちになる。
「なんか甘い匂いがする」
「……食うなよ?」
「それ、フリ?」
「ちっげーよ!」
興味深そうに破片を眺めるマシロへ、コーイチが釘を刺す。たしかに、油断していると口にしてしまいそうな雰囲気が、今のマシロにはあった。
「アオ、お前が破片かたしとけよ」
「なんで俺え?」
「お前なんもしなかっただろうが」
「ええ~」
ぶつくさと文句を言うアオに片づけを命じたコーイチは、「汗かいたし風呂入ってくる」と言って去って行った。アオはぶうたれつつも「ホウキとチリトリ取ってくる」とコーイチからの命令に逆らう気はないらしい。
それにしても、ちょっと激しく動けば汗が浮き出てくる季節になったのだなとチカは感慨深く思う。チカが記憶を失って目覚めたのが冬のことだ。なのに、気がつけばもう夏である。
次の冬までに記憶は戻るのか、あるいはそのままなのか……。
動く季節にチカはそんなことを考えるのであった。
もう少し季節が進めばセミの鳴き声がうるさく聞こえてくるだろう。
そんな頃合いに、チカたちは風鈴の音の源を求めて暗い廊下を進んでいた。それを茶化すかのように、風鈴の音が遠くから響き渡ってくる。リンリンとうるさく鳴る音は、聴く者から涼やかさを感じる余裕を確実に奪って行く。
例によって、例のごとく、“城”に持ち込まれた“捨品”が原因であった。呪われていたのかなんなのか、“捨品”として持ち込まれた風鈴はいつの間にか姿を消し、今現在絶賛リンリンという音を“城”中に響かせているわけである。
マシロ曰く「スイカの模様が絵付けされていた」という姿の見えなくなった風鈴を捜すべく、七人はしなくてもいいはずの苦労をしている最中なのであった。
チカもみんなも、風鈴の音が嫌いと言うわけではない。しかしものには限度がある。姿を消した風鈴から発せられる音は、どうにも鳴る頻度がひどく、自然「うるさい」という感情を抱くに至る。
チカの隣を歩くアマネをちらりと見れば、彼の眉間には深いしわが刻まれていた。今日ばかりは、チカもそういう顔をしたくなる。鳴り続ける風鈴の音を聞きながら、チカは己のストレス値が上がって行くのを感じた。
「だいぶ近くない?」
チカはそう言ってアマネを見た。アマネはなにも言わずに軽くうなずく。
ストレスの元凶である風鈴まで近い。見つけたら叩き割ってやる、といつになく好戦的に思って、チカは棒を握る手に力を込めた。
しかし――。
「あ」
風鈴の音がこれまでで最大限に近くなったと思ったのは、廊下の角を曲がってからだ。
チカとアマネの視線の先には三つの影がある。よく見て確認するまでもなく、それはマシロ、コーイチ、アオの三人であることは明白だ。
そしてその三人の頭上には、マシロが証言した通り、スイカの絵付けがされた風鈴が身を揺らしている。
リンリンリンリン。
命を燃やして鳴くセミのごとく、うるさく鳴る風鈴を叩き潰さんと、コーイチが果敢に棒を振るっている。だが上手く当たらないらしく、風鈴の音は一向にやまない。
しかし、それにしても……コーイチが一生懸命、頭上に向かって棒を振るうさまは……。
「サルの知能実験みたいだな……」
やる気がなさそうに傍観していたアオが、言ってはいけないことを言った。
当然、コーイチは怒り出す。
「ああん?!」
「ほら、吊るされたバナナを棒で取らせようとするやつ」
「それくらい知ってるわ! ぼーっと見てるだけならお前もやれよ!」
「えー……やだ」
「ああん?!」
やいのやいのと言い合いを始めてしまったコーイチとアオを、マシロが冷めた目で見ている。特に止めるつもりはないようだ。
そうしているあいだにも、頭上ではリンリンリンリンと風鈴が身を震わせて騒音をまき散らしている。
どうしようかなと思いながらチカが見上げていると、アマネがスッと前に踏み込む。
次の瞬間には、アマネが手にしていた棒の先が風鈴に直撃していた。
ガラスが割れる涼やかな音がして、風鈴の破片が廊下に散らばる。
音がやんだので、アオの胸倉をつかんでいたコーイチの動きも止まった。
「気をつけろよ」
しゃがんで風鈴の破片を検分しだしたマシロに、アマネがそっけなく言う。ぶっきらぼうな口調に反して、言ったことはマシロを心配しての言葉であったから、なんだかおかしい気持ちになる。
「なんか甘い匂いがする」
「……食うなよ?」
「それ、フリ?」
「ちっげーよ!」
興味深そうに破片を眺めるマシロへ、コーイチが釘を刺す。たしかに、油断していると口にしてしまいそうな雰囲気が、今のマシロにはあった。
「アオ、お前が破片かたしとけよ」
「なんで俺え?」
「お前なんもしなかっただろうが」
「ええ~」
ぶつくさと文句を言うアオに片づけを命じたコーイチは、「汗かいたし風呂入ってくる」と言って去って行った。アオはぶうたれつつも「ホウキとチリトリ取ってくる」とコーイチからの命令に逆らう気はないらしい。
それにしても、ちょっと激しく動けば汗が浮き出てくる季節になったのだなとチカは感慨深く思う。チカが記憶を失って目覚めたのが冬のことだ。なのに、気がつけばもう夏である。
次の冬までに記憶は戻るのか、あるいはそのままなのか……。
動く季節にチカはそんなことを考えるのであった。
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