ドグマの城

やなぎ怜

文字の大きさ
上 下
36 / 78

温風至(あつかぜいたる)

しおりを挟む
 石造りの“城”の暗い内部はひんやりとしている……のだが、ここのところは窓に近づくとかすかな熱気を感じられるようになった。窓という窓に張りつけられた木板の隙間からときおり吹いてくる風にも、湿気を感じなくなってきた。

 もう少し季節が進めばセミの鳴き声がうるさく聞こえてくるだろう。

 そんな頃合いに、チカたちは風鈴の音の源を求めて暗い廊下を進んでいた。それを茶化すかのように、風鈴の音が遠くから響き渡ってくる。リンリンとうるさく鳴る音は、聴く者から涼やかさを感じる余裕を確実に奪って行く。

 例によって、例のごとく、“城”に持ち込まれた“捨品”が原因であった。呪われていたのかなんなのか、“捨品”として持ち込まれた風鈴はいつの間にか姿を消し、今現在絶賛リンリンという音を“城”中に響かせているわけである。

 マシロ曰く「スイカの模様が絵付けされていた」という姿の見えなくなった風鈴を捜すべく、七人はしなくてもいいはずの苦労をしている最中なのであった。

 チカもみんなも、風鈴の音が嫌いと言うわけではない。しかしものには限度がある。姿を消した風鈴から発せられる音は、どうにも鳴る頻度がひどく、自然「うるさい」という感情を抱くに至る。

 チカの隣を歩くアマネをちらりと見れば、彼の眉間には深いしわが刻まれていた。今日ばかりは、チカもそういう顔をしたくなる。鳴り続ける風鈴の音を聞きながら、チカは己のストレス値が上がって行くのを感じた。

「だいぶ近くない?」

 チカはそう言ってアマネを見た。アマネはなにも言わずに軽くうなずく。

 ストレスの元凶である風鈴まで近い。見つけたら叩き割ってやる、といつになく好戦的に思って、チカは棒を握る手に力を込めた。

 しかし――。

「あ」

 風鈴の音がこれまでで最大限に近くなったと思ったのは、廊下の角を曲がってからだ。

 チカとアマネの視線の先には三つの影がある。よく見て確認するまでもなく、それはマシロ、コーイチ、アオの三人であることは明白だ。

 そしてその三人の頭上には、マシロが証言した通り、スイカの絵付けがされた風鈴が身を揺らしている。

 リンリンリンリン。

 命を燃やして鳴くセミのごとく、うるさく鳴る風鈴を叩き潰さんと、コーイチが果敢に棒を振るっている。だが上手く当たらないらしく、風鈴の音は一向にやまない。

 しかし、それにしても……コーイチが一生懸命、頭上に向かって棒を振るうさまは……。

「サルの知能実験みたいだな……」

 やる気がなさそうに傍観していたアオが、言ってはいけないことを言った。

 当然、コーイチは怒り出す。

「ああん?!」
「ほら、吊るされたバナナを棒で取らせようとするやつ」
「それくらい知ってるわ! ぼーっと見てるだけならお前もやれよ!」
「えー……やだ」
「ああん?!」

 やいのやいのと言い合いを始めてしまったコーイチとアオを、マシロが冷めた目で見ている。特に止めるつもりはないようだ。

 そうしているあいだにも、頭上ではリンリンリンリンと風鈴が身を震わせて騒音をまき散らしている。

 どうしようかなと思いながらチカが見上げていると、アマネがスッと前に踏み込む。

 次の瞬間には、アマネが手にしていた棒の先が風鈴に直撃していた。

 ガラスが割れる涼やかな音がして、風鈴の破片が廊下に散らばる。

 音がやんだので、アオの胸倉をつかんでいたコーイチの動きも止まった。

「気をつけろよ」

 しゃがんで風鈴の破片を検分しだしたマシロに、アマネがそっけなく言う。ぶっきらぼうな口調に反して、言ったことはマシロを心配しての言葉であったから、なんだかおかしい気持ちになる。

「なんか甘い匂いがする」
「……食うなよ?」
「それ、フリ?」
「ちっげーよ!」

 興味深そうに破片を眺めるマシロへ、コーイチが釘を刺す。たしかに、油断していると口にしてしまいそうな雰囲気が、今のマシロにはあった。

「アオ、お前が破片かたしとけよ」
「なんで俺え?」
「お前なんもしなかっただろうが」
「ええ~」

 ぶつくさと文句を言うアオに片づけを命じたコーイチは、「汗かいたし風呂入ってくる」と言って去って行った。アオはぶうたれつつも「ホウキとチリトリ取ってくる」とコーイチからの命令に逆らう気はないらしい。

 それにしても、ちょっと激しく動けば汗が浮き出てくる季節になったのだなとチカは感慨深く思う。チカが記憶を失って目覚めたのが冬のことだ。なのに、気がつけばもう夏である。

 次の冬までに記憶は戻るのか、あるいはそのままなのか……。

 動く季節にチカはそんなことを考えるのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

処理中です...